3-13 二人の月
ナルは小さく振り返ってイナクを見る
二人の目が合った
イナクは、息をのむように言った
「ナル?」
すぐにリンがナルの前に立ちはだかった
「しつこいですね」
リンは右手を少し上げた
その瞬間、イナクが見えない力に押さえつけられるように膝をついた
リンはイナクに魔力をぶつけたのだ
魔力のない人間には、抵抗するすべがない
「身のほどを知りなさい」
「これ以上つきまとうなら、あなたのお仲間もただでは済ませませんよ」
「二人とも早く来なさい」
歯を食いしばりながら、イナクはナルの背中を見つめる
イナクは確かめたかったのだ
ずっと見てきた、あの瞳がそこにあった
イナクを振り切るように、三人はその場を立ち去る
そして、逃げるように自分たちの部屋に戻った
ミナが勢いよく椅子に座って言った
「はぁ~、なんか疲れたよ~」
ナルは下を向いて申し訳なさそうにしていた
そんなナルを見てミナが聞いた
「ナル、なんであんなことしたのよ?」
「わかんないよ、なんかイライラしちゃって」
「ほんとにごめんね」
「まぁ、なんとかなったからいいけどさ~」
するとリンが上機嫌で、箱を持ってきてテーブルに置いた
箱の上に溶岩石の板を載せ、側面についたボタンを操作する
それから牛脂を取り出し、板に油を塗り始めた
ミナが聞いた
「なにしてるの? リン」
リンは鼻歌まじりに答えた
「食事を取り損ねてしまいましたからね。焼肉をするのです」
ナルの目が輝く
「焼肉!」
リンはナルの顔を見た
にこりと笑ったが、手は板に油を塗り続けている
「ナル、先ほどのことを反省していますか?」
「え、うん。ほんとにごめん」
「そうですか」
「ですが、お仕置きは必要ですね」
「あなたは肉を食べてはいけません」
「野菜が食べられるだけ感謝しなさい」
ナルの顔から光が消えた
「ええええ!」
ミナが笑った
「そうだよね! ナルには一回、お灸が必要だよ」
「わたしたちが食べるのを見てなさい」
ナルが泣きそうな顔で言った
「そんなぁ~」
リンはこれ見よがしに、大きな皿いっぱいに肉を載せてテーブルに置く
野菜は肉を包むための葉物しかなかった
ナルはそれを見て、涙をこぼしながら言った
「野菜って、これだけ?」
「せめてニンジンとか……ナスとか……」
ジューー
そんなナルを気にもしないでリンとミナが肉を焼き始める
香ばしい肉の焼ける匂いが部屋に広がる
ナルは涙をポロポロ流しながら、焼けていく肉を恨めしそうに見つめる
ナルのお腹はずっと鳴り続けていた
ミナはこれ見よがしに食べながら言った
「おいしいね! このお肉!」
「口の中で溶けるみたいだよ~」
リンが頬に手を添え、ゆっくり味わいながら言った
「そうでしょう、我が国が誇るブランド肉なんですよ」
「一部の貴族しか口にできないほど希少なのです」
「もう二度と、食べられないでしょうね」
ナルは葉っぱをムシャムシャと食べながら泣きに泣いた
その日は、ナルが生涯で一番涙を流した日となった
食事が終わり、ナルは泣き疲れて床で眠ってしまった
ミナはナルを抱き上げ、ベッドに寝かせて布団を掛ける
「ぅぅ…おに…く……ぃ……く…」
うなされるようにナルが言った
それを見てミナがくすりと笑う
「ちょっと可哀想だったけど、仕方ないよね~」
「もう一回温泉入ってから寝よっと」
そう言ってミナは脱衣所で服を脱ぎ、露天風呂へ出た
薄明かりの露天風呂には、リンが先に入っていた
ミナも掛け湯をしてから湯船に入った
肩まで湯に浸かると、少しだけ息が抜けた
リンが月の映る水面を見たまま聞いた
「ナルは寝ましたか?」
ミナは湯船の縁に背を預ける
「寝たよ。これで懲りたんじゃない?」
「実はトラブルメーカーだよね~、ナルって」
リンの口元が緩む
「それは言えてますね」
しばらく湯の音だけが続いた
やがてリンが、月の映る水面を見つめたまま口を開く
「イナクさんは、ナルにとって、どんな方なのですか?」
ミナは湯船の縁に腕を乗せ、少し考えた
「兄妹……かな」
「わたしにとっても、そんな感じだけど」
「そうですか」
その静かな返事が、妙に引っかかった
ミナはリンを横目で見る
「なにが言いたいの?」
リンはすぐには答えなかった
指先で湯面をなぞると、小さな波が月を歪ませる
「いいえ、なにも」
「兄妹愛とは、怖いものですね」
リンは指先で湯をすくい、そっと落とした
小さな波が、二人の間に広がる
「こう言ってはなんですが……」
「あなたは、イナクさんに強い感情を抱いているようには見えませんね」
ミナは少しだけ肩をすくめた
「まあね、わたしはおまけみたいなものだったし」
「ナルとは違うよ」
リンは静かにミナを見る
そして、確かめるように尋ねた
「あなたはナルにだけ、強い執着心を持っていますね」
「なぜですか?」
ミナは湯気の向こうを見た
少しだけ、昔を見るような顔になる
「大した理由じゃないよ」
「小さい頃、わたしと初めて会った時に、ナルだけはこう聞いてくれたの」
「『あなた達、お名前はなんていうの?』ってね」
ミナは小さく笑った
「『あなた』じゃなくて、『あなた達』って」
「ナルだけは、わたしのことにも気づいてくれてる気がしてた」
「本人は覚えてないだろうし、自覚もなさそうだけどね」
リンはしばらく湯面を見つめていた
やがて、考えをまとめるように口を開く
「そうですか」
「ナルがイナクさんに抱いている気持ちは、危険だとわたくしは考えています」
「今後はわたくしたちが気を付けてあげましょう」
ミナは湯船の中で体を伸ばした
「そうするしかないって言いたいの?」
リンは短くうなずく
「そういうことです」
ミナはしばらく黙っていた
湯船の中で、指先だけが小さく水面を揺らしている
「わたしも一つ、リンに聞いてもいい?」
「なんですか?」
ミナはリンの横顔を見た
「あなた、自分が変わってきてるって、分かってる?」
リンはすぐには答えなかった
湯気の向こうで、ほんの少しだけ顔をそむける
「はい」
「わたくしも、堕落したようです」
その言い方はいつもの皮肉のようでいて、どこか諦めたようにも聞こえた
リンは湯面に視線を落としたまま、静かに続けた
「あなたも、別人のようですよ」
リンはそれ以上、何も言わなかった
ミナも、それ以上は聞かなかった
湯船に映った月が
二人が起こした波に揺らぎ、消えた




