第二十九話 飢え
空腹は
魂すらも塗り替える
ミナは違和感に気付いて目を覚ます
なにやら体をまさぐられている
「ん?なに?」
目を開くとそこにはナルの顔が飛び込んでくる
「ナル?」
「ミナ、好き」
「へ?」
次の瞬間ナルの唇でミナの口がふさがれた
「んーーー!?」
ミナの断末魔が響く
次の瞬間、紫の蛇が二人を包み込み
ミナの両手足を赤い砂が捕らえる
ナルはキスしながらミナの身体を撫でまわすようにまさぐり始めた
ミナは口をふさがれたまま、必死にもがく
「んー!んーんん--!」
その横で、リンは涼しい顔で何かを机に運んでいた
リンは二人の様子を見て、少しだけ急ぐように言った
「あらあら、悪食の封印が弱まっていますね」
「お腹がすいて、ナルさんの精神が弱ってしまったようです」
「これは、わたくしの見込み違いでしたね」
「んー!んー!んんんーー!」
ミナがリンに助けを求めるように騒いでいる
ナルはミナの唇を封じたまま
服をはだけるように脱がし体をまさぐっている
リンはなにやら準備を進めていた
その手を止めず、思いついたように言った
「あなたたちが恋人になったとしたら…」
「何かと安定していいかもしれませんね」
ミナが涙目で助けを求めてリンに向かって騒ぐ
「んーーー!ん!んー!ん!」
ミナの近くに虹色の矢が輝き始めた
矢先はリンを向いている
悪食と矢が接触している部分は
紫の石がポトポトと落ちている
リンはため息をついた
「冗談ですよ、こんなところで結晶なんか使わないでください」
すると香ばしい音が響き渡る
リンは昨日と同じように肉を焼き始めた
一気に部屋中に肉の焼ける匂いが広がった
それにナルがビクリと反応した
ミナの唇を解放し、ゆっくりとリンのほうへ歩く
悪食と赤い砂も消えた
ミナは放心状態でぐったりしていた
リンは急ぐように肉を焼きだした
次々とナルの皿に焼けた肉を置いていく
ナルは置かれるたびにすぐに肉を口に放り込む
ナルが叫ぶように言った
「おいしいぃ!」
リンは肉を裏返しながら、ナルの顔を覗き込んだ
「正気に戻りましたか?」
「覚えてますか?自分が何をしたのか」
ナルは肉から目を離さないまま、気まずそうに言った
「うん、覚えてるよ。ごめんねミナ」
ミナががばっと起き上がった
「なんか軽くない!?」
「わたし色々されたんですけど!」
「もうお嫁に行けないんですけど!」
ナルはバクバクと食べながら言った
「ごめん、本当にごめん」
「こんなのノーカンにしようよ」
「あとでちゃんと謝るから、今は食べさせて」
「あんたなんでもカウントしないわね!」
「わたしはカウントされんのよ!」
「ナルみたいにすぐリセットできないの!」
リンはもくもくと肉を焼き
ナルはもぐもぐと肉を食べ続ける
ミナが怒って言った
「大事な話してんの!食べるのやめてよ!ちゃんと聞いてよ!ちゃんと謝ってよ!」
ナルは口いっぱいに肉を頬張ったまま、申し訳なさそうに言った
「ごめんね、食べたら聞くから」
リンはその横で、次の肉を淡々と焼いていた
「食べさせるのをやめたら、また悪食が出てくるかもしれませんが、いいんですか?」
ミナは言い返そうとして、言葉に詰まった
それから、悔しそうに叫ぶ
「いいわけないでしょ!」
ナルは肉を飲み込んでから、ぽつりと言った
「ミナって実は結構乙女だよね」
ミナの眉がぴくっと動く
リンも肉を皿に移しながら、何食わぬ顔でうなずいた
「たしかにそうですね。わたくしも意外でした」
「お嫁に行きたいなんて願望まであったんですね」
「相手はナルなのだから、姉妹みたいなものでしょ」
「気にしない方がいいですよ、蚊に刺されたとでも思ってなさい」
ミナがリンを睨みつけて言った
「リン、わざとじゃないでしょうね!?」
「わざとなわけないじゃないですか」
「そこに軟膏があります。塗ったほうがいいですよ。見た目も目立たなくなります」
「え?どこに塗るのよ」
リンはミナの首元を指で示した
「首と胸の周りにキスマークがありますから。塗った方がいいですよ」
「え!」
ミナは反射的に首元を押さえた
それから急いで鏡の前に立つ
リンの言う通り
赤い跡がいくつも付けられていた
「なにこれ!?なんでこんなことになってるの!」
「あなたが寝てる間にナルが付けてましたよ」
「そんな、全然気づかなかった…」
ミナは鏡の中の自分を見たまま固まった
そして、ゆっくりリンの方を見る
「って…なんであんた、そのこと知ってるの?」
リンは悪びれた様子もなく答えた
「最初は悪食だと気づかなかったんですよ」
「そういう関係だったのかなと思いまして」
リンは涼しい顔のまま、言葉を続けた
「でも、わたくしが見学していて良かったですね」
「立ち去った方がいいかなとも思って、悩んだんですよ」
ミナは低い声で言った
「あんた性格悪すぎるのよ、いつか覚えてなさいよ」
「わたくしを師と認めたじゃないですか」
「あなたに必要なのは、わたくしのこういうところかもしれませんよ」
「ミナって素直で、夢見がちですものね」
「喧嘩売ってるよね?」
リンは少しだけ声を落とした
「ごめんなさい、つい口を出したくなるのです」
「わたくしは、あなた達が可愛いのかもしれません」
「もしも自分に子供がいたら…なんて想像をしてしまうこともありますよ」
ミナは一瞬だけ言葉を失った
怒るつもりだった口が、少しだけ止まる
「…リン」
その反応を見て、リンはすぐに意地悪く笑った
「なんてね。信じました?可愛いですね、ミナは」
ミナは深く息を吐いた
「ほんとあんたこじらせてるわね」
ナルがもぐもぐ食べながら言った
「嫌なことは早く忘れた方がいいよ~、わたしもそうする」
ミナは即座にナルを指さした
「ナルは少しくらいは覚えてよ!」
リンが横から口を挟んだ
「された方は覚えていても、した方はすぐに忘れるものです」
「ナルは人間らしくていいですね」
ナルは肉を飲み込み、むっとした顔でリンを見る
「なによそれ、絶対褒めてないでしょ」
リンは気にせず、肉を返しながら続けた
「大抵の苦しみは執着心から生まれます」
「ミナもあまり気にせず、忘れた方がいいですよ」
ミナは疲れたように頭を押さえた
「リンって最近、本性を隠すのやめてない?」
「教育にわるいんですけど」
「あなた達を思って言ってるんですよ」
「助けてあげたのに、悲しいですね」
ミナは思い出したようにリンを睨んだ
「さっき、私たちが恋人になれば安定していいとか言ってなかった?」
リンは平然と肉を皿に移した
「そんなことを言うわけがないでしょう」
「わたくしは、可愛い弟子の幸せを常に願っていますよ」
ミナは何かを諦めたように、大きなため息を吐いた
「わたし、お風呂入る…」
それ以上、誰の顔も見ないまま
ミナは脱衣所へ向かった
ミナはしばらくお風呂から出てこなかった




