第二十八話 後始末
堕落を認め
手で覆い隠す
綺麗な月
宴会場は異様な盛り上がりを見せていた
殺気立った女兵士たちが歓声をあげている
ノアがよく通る声で言った
「血を流しては宿に迷惑が掛かる、素手で殴り合え」
「相手を動けなくすれば勝ちだ」
ナルが困惑して口を開きかけたが、リンがそれを止めた
「これ以上、愚かな行いで周りを傷つけるのはやめなさい」
「ミナなら大丈夫です、魔法なしでも強いですよ」
赤髪の隊長は両拳を打ち合わせて、ミナに言った
「私はテッサ、第三軍の隊長をやってるよ。あんたは?」
ミナが手を振りながら言った
「私はクロ。リンの部下だよ~、ちなみに恋人募集中~」
テッサの目が鋭くなる
「ふざけた奴ね。わざとイラつかせようとしてる?」
ミナが笑みを浮かべる
「脳みそ空っぽの筋肉だるまかと思ったら。意外と知恵があるんだ~」
テッサが小馬鹿にするように笑った
「あんた面白いじゃん」
「そんな細い体で、わたしに勝てると思ってるの?」
改めてみるとテッサは筋骨隆々だった
腕などミナの倍の太さはある
ミナは困ったように首を振った
「あーあ、あんまり殴りたくないんだよね」
次の瞬間ミナがテッサに向けて飛び込んだ
テッサは右腕を上にあげて下に叩きつけるように振った
ミナは身をかわしてそれを避けると、右拳を内側にねじり込むように、テッサの頬へ叩き込んだ
鈍い音が響く
テッサは左腕を突き出すように反撃した
それもミナは軽くかわし、左拳を突き上げるようにテッサの顎へ当てて振り抜いた
テッサの頭が一瞬、大きく揺れた
するとテッサは意識を失ったように膝から崩れた
それをミナは慌てて体で支えて言った
「おわりかな~」
その瞬間テッサの目が見開く
ミナを抱きしめるように掴んで、そのまま自分の背後へ放り投げた
ボールのようにミナが飛ばされる
そしてイナクが座っていた机に激突した
「痛った~、まだ元気じゃん」
テッサは立っていたが、こちらを見ていなかった
するとノアの声が響く
「そこまでだ!もう十分盛り上がった」
「この勝負引き分け!二人ともよくやった!」
いつの間にかイナクはテッサの横にいた
肩に手を置いて支えている
「え?終わり?いいの?」
するとリンの声が響いた
「クロ、こちらへ早く帰ってきなさい」
ミナはそう言われて、駆け足でリンの元へ急ぐ
リンは会場に向けて声を張る
「皆さま、無礼をお詫びします」
「罪滅ぼしではありませんが、酒を用意しましょう」
「好きなだけ飲んでください」
リンがそう言うと、先ほどの係員が台車に大量の酒を載せて運んできた
会場は歓声にも似た声に包まれる
リンは二人に目も向けず言った
「わたくしたちは邪魔です、早く立ち去りますよ」
するとイナクが声を掛けてきた
「待て」
リンが答える
「なにか?」
イナクはリンを見ず、ミナの方を見ていた
「あんたじゃない」
イナクの視線が、まっすぐミナに向く
「あの殴り方、どこで教わった?」
ミナは一瞬だけ目をそらした
「昔、ちょっとね」
「昔?」
「戦う前に挑発したな?あれもか」
ミナは質問に答えるのをやめた
殴り方も挑発もイナクに教わったものだ
リンが一歩前に出て、話を切るように言った
「申し訳ありませんが、わたくしたちはもう行かねばなりません」
リンは二人を連れて立ち去ろうとする
その背中に、イナクの声が追いかけてきた
「まってくれ」
その声は、ナルに向けられていた
ナルは小さく振り返ってイナクを見る
二人の目が合った
イナクは、息をのむように言った
「ナル?」
すぐにナルの前に立ちふさがるようにリンが立った
「しつこいですね」
リンは右手を少し上げた
その瞬間イナクが何かに押し付けられるように膝をついた
リンは魔力をイナクに当てたのだ
魔力の無い人間は抵抗することはできない
「身のほどを知りなさい。これ以上つきまとうなら、あなたのお仲間もただではすませませんよ」
「二人とも早く来なさい」
歯を食いしばりながらイナクはナルの背中を見る
イナクは確かめたかったのだ
ずっと見てきた、そんな瞳がそこにあった
イナクを振り払うように三人はその場を立ち去る
そして、逃げるように自分たちの部屋に戻った
ミナが勢いよく椅子に座って言った
「はぁ~、なんか疲れたよ~」
ナルは下を向いて申し訳なさそうにしていた
そんなナルを見てミナが聞いた
「ナル、なんであんなことしたのよ?」
「わかんないよ、なんかイライラしちゃって」
「ほんとにごめんね」
「まぁ、なんとかなったからいいけどさ~」
するとリンが上機嫌そうに、箱を持ってきてテーブルに置いた
箱の上に溶岩石の板を置いて、箱についたボタンを操作する
それから牛脂を取り出し、板に油を塗り始めた
ミナが聞いた
「なにしてるの?リン」
リンは鼻歌まじりに答えた
「食事を食べ損ねてしまいましたからね、焼肉をするのです」
ナルの目が輝く
「焼肉!」
リンはナルの顔を見た
にこりと笑って、手だけは板に油を塗り続けている
「ナル、先ほどのことを反省していますか?」
「え、うん。ほんとにごめん」
「そうですか。ですが、お仕置きは必要ですね」
「あなたは肉禁止です、野菜が食べられるだけ感謝しなさい」
ナルの顔から光が消えた
「ええええ!」
ミナが笑った
「そうだよね!ナルには一回、お灸が必要だよ」
「わたしたちが食べるのを見てなさい」
ナルが泣きそうな顔で言った
「そんなぁ~」
リンはこれ見よがしに大きな皿一杯に肉を乗せてテーブルに置く
野菜は肉を包むための葉物しかなかった
ナルがそれを見て目から涙をこぼしながら言った
「野菜これだけ? せめてニンジンとか…ナスとか…」
ジューー
そんなナルを気にもしないでリンとミナが肉を焼き始める
香ばしい肉の焼ける匂いが部屋に広がる
ナルは涙をポロポロ出しながらそれを恨めしそうに見つめる
そのお腹はずっと鳴り続けていた
ミナはこれ見よがしに食べながら言った
「おいしいね!このお肉!」
「口の中で溶けるみたいだよ~」
リンが頬に手を添え、ゆっくり味わいながら言った
「そうでしょう、我が国が誇るブランド肉なんですよ」
「一部の貴族しか口にできないほど希少なのです」
「もう二度と、食べられないでしょうね」
ナルは葉っぱをムシャムシャと食べながら泣きに泣いた
その日は、ナルが生涯で一番涙を流した日となった
食事が終わり、ナルは泣き疲れて床で眠ってしまった
ミナはナルを抱き上げてベッドに寝かして布団を掛ける
「ぅぅ…おに…く……ぃ……く…」
うなされるようにナルが言った
それを見てミナがくすりと笑う
「ちょっと可哀想だったけど、仕方ないよね~」
「もう一回温泉入ってから寝よっと」
そう言ってミナは脱衣所に入り服を脱いで外へ出た
薄明かりの温泉の湯船にリンが先に入っていた
ミナも掛け湯をしてから湯船に入った
湯が肩まで触れると、少しだけ息が抜けた
リンが月の映る水面を見たまま聞いた
「ナルは寝ましたか?」
ミナは湯船の縁に背を預ける
「寝たよ。これで懲りたんじゃない?」
「実はトラブルメーカーだよね~、ナルって」
リンの口元が緩む
「それは言えてますね」
しばらく湯の音だけが続いた
やがてリンが、月の映る水面を見つめたまま口を開く
「イナクさんは、ナルにとって、どんな方なのですか?」
ミナは湯船の縁に腕を乗せ、少し考えた
「兄妹…かな」
「私にとっても、そんな感じだけど」
「そうですか」
その静かな返事が、妙に引っかかった
ミナはリンを横目で見る
「なにが言いたいの?」
リンはすぐには答えなかった
指先で湯面をなぞると、小さな波が月を歪ませる
「いいえ、なにも」
「兄妹愛とは、怖いものですね」
リンは指先で湯をすくい、そっと落とした
小さな波が、二人の間に広がる
「こう言ってはなんですが…」
「あなたはイナクさんに、強い感情を持っているようには見えませんね」
ミナは少しだけ肩をすくめた
「まあね、私はおまけみたいなものだったし」
「ナルとは違うよ」
リンは静かにミナを見る
そして、確かめるように尋ねた
「あなたはナルに対してだけ、強い執着心を持っていますね?なぜですか」
ミナは湯気の向こうを見た
少しだけ、昔を見るような顔になる
「大した理由じゃないよ」
「小さい頃、私と初めて会った時に、ナルだけはこう聞いてくれたの」
「あなた達、お名前はなんていうの?ってね」
ミナは小さく笑った
「あなた、じゃなくて、あなた達って」
「ナルだけは、私のことにも気づいてくれてる気がしてた」
「本人は覚えてないだろうし、自覚もなさそうだけどね」
リンはしばらく湯面を見つめていた
やがて、考えをまとめるように口を開く
「そうですか」
「ナルのイナクさんへの気持ちは危険だと、わたくしは考えています」
「今後はわたくしたちが気を付けてあげましょう」
ミナは湯船の中で体を伸ばした
「そうするしかないって言いたいの?」
リンは短くうなずく
「そういうことです」
ミナはしばらく黙っていた
湯船の中で、指先だけが小さく水面を揺らしている
「わたしも一つ、リンに聞いてもいい?」
「なんですか?」
ミナはリンの横顔を見た
「あなた、自分が変わってきてるって、分かってる?」
リンはすぐには答えなかった
湯気の向こうで、ほんの少しだけ顔をそむける
「はい」
「わたくしも、堕落したようです」
その言い方は、いつもの皮肉のようでいて
どこか、諦めたようにも聞こえた
リンは湯面に視線を落としたまま、静かに続けた
「あなたも、別人のようですよ」
リンはそれ以上、何も言わなかった
ミナも、それ以上は聞かなかった
湯船に映った月が
二人が立てた湯の波に消えた




