3-2 上書き保存
リンのメモには、その店へは正装で来るようにと注意書きが添えられていた
「ナル、ちょっと寄り道するよ」
「え? どこいくの?」
「洋服屋さん」
二人はレストランへ向かう途中、通りに面したブティックへ立ち寄った
店内には、婦人用のドレスや、貴族の男たちが着るような礼服が並んでいる
「いらっしゃいませ」
整えられた髭が印象的な店主が声を掛けてきた
「リン・セピアの弟子のミナよ」
「これはミナさま、よくぞお越しいただきました」
「これからレストランに行くの」
「正装が必要らしいんだけど、どれを選べばいい?」
「お食事でしたら、動きやすさも考えた礼装がよろしいでしょう」
「ご婦人向けのものを、いくつかお持ちします」
「男性用も持ってきて」
店主の動きが、一瞬止まった
「少々お待ちください」
ナルが不思議そうに尋ねる
「ごはん食べるのに服がいるの?」
「そう、マナーなの」
「ふーん」
しばらくして、着替えを終えた二人が店から出てきた
ナルは紺色のドレス姿だった
城で着たものより袖や裾の広がりが控えめで、腰まわりの締め付けも弱い
これなら、食事をするにも窮屈ではなさそうだ
一方のミナは、髪を後ろで結んだ男装姿だった
白いシャツに、太もものあたりが膨らんだ白いズボン
首にはスカーフを巻き、その上から紺色のフロックコートを羽織っている
「ミナ、かっこいいー」
「って……なんで男ものなの?」
リンのメモには、正装についての注意書きの下に、さらに一文が添えられていた
『男装しろ。デートのつもりで』
「そういうものなの」
「さっき言ってたマナー?」
「そういうこと」
店の前には、店主が手配してくれた馬車が待っていた
ミナは扉を開き、ナルに手を差し出す
「どうぞ、お姫様」
ナルは差し出された手に、自分の手を重ねた
「ありがとう」
「なんか恥ずかしいね」
一番恥ずかしいのはわたしだよ! とミナは心で訴えた
馬車が止まったのは、王都でも名の知られた老舗の高級料理店だった
重厚な石造りの店構え
入口では、正装した男が二人を待っている
ミナは先に馬車を降り、ナルへ手を差し出した
ナルはその手を見て、少し笑う
「これもマナー?」
「そうだよ」
「大変だね、マナーって」
男は二人へ丁寧に頭を下げた
「ミナさま、ナルさま、ようこそお越しくださいました」
「リン・セピア様より、ご予約を承っております」
男はそう言って、店の扉を開いた
案内されたのは、店の奥にある広い個室だった
落ち着いた明かりの下、中央には二人分の食器が並んだテーブルが一つ
どうやら、部屋ごと貸し切ってあるらしい
ミナが椅子を引いてみせると、ナルは面白そうに笑いながら腰を下ろした
慣れない振る舞いは、自分でも分かるほどぎこちない
「本当にデートしてるみたい」
「今日のミナ、ミナじゃないみたいだね」
ナルは楽しそうに部屋の中を見回す
「このお店、ロマンティック~」
「こんなの初めて」
ミナも向かいの席についた
デートらしく振る舞うには、次はどうすればいいのだろう
とりあえず、優しく微笑んでみる
「今日のナル、すごく綺麗だよ」
ナルは目を丸くした
「え? どうしたの、ミナ」
「その……かわいいなって」
今度は、怪訝そうに眉をひそめる
「なんか気持ち悪いよ? 大丈夫?」
やっぱり不自然だった
このあと、どうすればいいの!
わたしだって、デートなんてしたことないよ!
「それもマナーなの? もう普通にしてよ」
「だよねぇ。わたしには無理だわ」
恋人役は、早々に諦めることにした
「せっかくだから、普通に楽しもうよ」
「うん!」
そこへ、給仕たちが次々と料理を運んできた
城の晩餐会で、ナルが食べていたものも多い
ナルの目がみるみる輝いていく
「え! え!? なになに!?」
二人の前のテーブルは、たちまち料理で埋め尽くされた
それでも給仕たちは止まらない
部屋の端に用意された長いテーブルにも、次々と皿を並べていく
スープにパン、肉料理、デザート
とても一度では選びきれない量だった
「すごーい! これ全部食べていいの!?」
ナルとは対照的に、ミナは目の前の光景に圧倒されていた
「う、うん」
「やった! ありがとうミナ!」
ナルはさっそく、目の前の料理へ手を伸ばした
城ではドレスの下のコルセットがきつく、思い切り食べられなかった
その鬱憤を晴らすように、料理を次々と口へ運んでいく
「おいしい!」
「お城で食べたのより、ずっとおいしいよ!」
すぐに次の皿へ手を伸ばす
「見て! ローストビーフも、スコーンも、プディングもある!」
「わたし、これ好き!」
「しかも、お城のよりおいしい!」
「信じられな~い!」
どれも、ナルが城で気に入っていた料理だった
リン……徹底的に上書きするつもりなんだ
料理を口へ運ぶ勢いは、まるで衰えない
ミナは頃合いを見て、そっと尋ねた
「ねえ、ナル」
「ん?」
「リックのこと、少しは好きだったりする?」
ナルはきょとんとした
「好きなわけないじゃん」
「よく知らないし、おじさんだよ」
「だよね!」
ミナは胸を撫で下ろした
悪食によってリックへ向いていた執着は、どうやら上書きできたらしい
だが、安心したのも束の間だった
リックと結びついていた、おいしい料理の思い出
それを今度は、自分とのデートで上書きしたのだ
ってことは、次の対象はわたし……だよね?
ミナはそんなナルを、そっとうかがった
もしも、ナルがわたしに特別な感情を持ってしまったら……どうしよう
受け止めろって言われても、ナルを恋愛相手としてなんて見られない
ってか、見れない
ミナは頭を抱えた
どうしたらいいの~
「ミナ?」
びくりと肩が跳ねた
「は、はい!」
見ると、ナルは料理を口へ運ぶ手を止めていた
「さっきからどうしたの?」
「お腹でも痛いの?」
「な、なんでもないよ!」
ミナは慌てて笑ってみせた
今のところ、変わった様子はない
きっと、わたしが考えすぎているだけだ
そもそもナルは、わたしを友達か、姉妹のようにしか見ていないはず
そう自分に言い聞かせた
それからも、ナルの勢いは止まらなかった
給仕たちの顔にも、次第に驚きが浮かんでいく
いったい、どこに入っているのだろう
ミナが本気で不思議に思ったころ、ようやくナルが椅子の背にもたれかかった
「あー、お腹いっぱ~い!」
「もう食べられない~」
テーブルに残っている料理は、ほんのわずかだった
「すごく食べたね……」
「おいしかった?」
「うん! 大満足!」
「人生で今が一番幸せ!」
満足そうなナルを見て、ミナは今度こそ安心した
これなら、作戦は成功したはずだ
「じゃあ、帰ろうか」
「馬車を待たせてあるから」
「うん!」
二人は店を出て、待たせていた馬車へ乗り込んだ
ミナが腰を下ろすと、ナルも当然のように隣へ座る
向かいの座席は空いている
ミナはそちらへ目をやった
「向こう、空いてるよ? 狭くない?」
「こっちがいいの」
「そう?」
その直後、膝の上に置いた手へ温かなものが重なった
ミナは視線を落とす
ナルが当たり前のように、その手を握っていた
「わたし、眠くなっちゃった。ちょっと寝るね」
ナルは手を握ったまま体を寄せ、ミナの肩に頭を預ける
やがて、静かな寝息が聞こえてきた
握られた手と、肩に寄せられた体から、ナルのぬくもりが伝わってくる
え!? これ、なに!?
大丈夫なやつ? それとも大丈夫じゃないやつ?
ナルって、前からこんなことしたっけ?
……してないよね!?
ミナはおそるおそる隣を見た
ナルは何も知らない顔で、幸せそうに眠っている
悪食の影響なのか
それとも、ただ甘えているだけなのか
ミナの頭の中では、答えの出ない問答が延々と続いていた
何にせよ、ナルがリックのお嫁さんになる未来だけは、どうやら防げたようだった




