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6ー12 ツバキの花のように

それからユアンは、一人でできることを増やそうとした


一人で車椅子を動かす

一人で部屋を出る

一人で庭へ行く

一人で教会まで行く

一人で楽譜を書く

一人で人と話す


はじめはうまくいかなかった


何度も転び、怪我をした


それでも、ユアンはやめなかった


姉はそんなユアンについて回り、何かあるたびにすぐ駆け寄ろうとした


「ユアン、無理しないで」

「わたしがやってあげるから」


ユアンは首を振った


「自分でできるから」


そう言われると、姉はいつも少し寂しそうに笑った


その笑顔を見るたびに、ユアンの胸は痛んだ


最初は、姉を安心させたかった


けれど、いつの間にか目的は変わっていた


姉の人生の中心から、自分をどかしたかった


自分という鎖から、姉を解放したかった


やがて、一人でも一通りの生活ができるようになった頃


ユアンはピアノのコンクールや、作曲の選考会に出るようになった


自分には音楽しかできない


なんとか仕事に繋げて、一人で暮らせる金を稼がなければならない


その一心だった


そこでユアンは、教会の司祭に声をかけられた


写譜の仕事を任され、演奏を頼まれ、少しずつ自分の力で金を得られるようになった


それは嬉しかった


けれど、それ以上に、ほっとしていた


やっと、姉を自由にしてあげられる


そう思った


一人で生きていける目処が立つと、ユアンは家を出ることを決めた


姉は当然、反対した


「どうして?」

「ここにいればいいじゃない」

「わたしがいるのに」

「一緒にいましょうよ、わたしはユアンといたいの」


その言葉は優しかった


姉は幼い頃から変わらない


綺麗な愛情を、まっすぐユアンに向けてくれる


ユアンは、姉の顔を見ることができなかった


「姉さんがいるから、出て行くんだ」


姉の表情が止まる


「……どういう意味?」


ユアンは膝の上で拳を握った


「姉さんが優しいから」

「姉さんが、僕といることを幸せだって言うから」

「僕はずっと甘えてしまう」


姉はすぐに言った


「甘えていいのよ」


姉と一緒にいたい


それもまた、本心だった


だからユアンは、泣きそうになった


「それが嫌なんだ」

「姉さんがそう言ってくれるたびに、僕は姉さんの人生を貰っている気がする」

「姉さんはそんなつもりじゃないって分かってる」

「嘘じゃないって分かってる」


ユアンの声が震えた


「でも、僕は耐えられない」


姉は何も言わなかった


ユアンは初めて、姉に背を向けた


「僕は一人で暮らす」

「一人で仕事をする」

「姉さんがいなくても、生きていけるようになる」


姉の声が、背中に落ちた


「わたしは、ユアンのそばにいたいだけなのに」


ユアンの肩が小さく震える


けれど、振り向かなかった


「だからだよ」


それだけ言って、ユアンは家を出た


姉は最後までユアンを責めなかった


怒らなかった


泣きもしなかった


ただ、少し寂しそうに笑っていた


「困ったら、いつでも帰ってきてね」

「あなたは、わたしの可愛いユアンなんだから」


最後の最後まで、姉の愛は美しかった


まるでツバキの花のように


首から落ちても、なお綺麗に咲き続けるように


ユアンは、水路沿いに立つツバキの木の近くに家を借り、生活を始めた


あれ以来、姉とは会っていない


手紙の返事も書いていない


ツバキの花が咲くたびに、ユアンは思い出す


決して変わらなかった愛情


美しすぎて、怖くなって逃げ出した


最愛の姉のことを


それからユアンは、女性から向けられる好意を恐れるようになった


誰かに優しくされるたび、姉の笑顔が浮かぶ


自分を選んだ相手が、自分のために別の未来を手放してしまう


そう考えるだけで怖かった


だから、好意には気づかないふりをした


誰かの人生の中心に、自分が入り込まないように


また誰かに選ばれてしまう


それが、なによりも怖かった


一人で暮らすようになって一年以上が経った


ユアンは今の家が気に入っていた


ここでピアノを弾くと、色んな生き物が近づいてくる


水路の水音や、ツバキの木を揺らす風の音が、自分を守ってくれているように感じた


不思議と、ここでなら姉の愛の美しさを素直に懐かしむことができた


ツバキのつぼみが出始める頃


ユアンはいつものようにピアノを弾いていた


その時、不思議な感覚があった


いつも感じていた小さな気配とは違う


それとは比べ物にならないくらい、大きな気配が近づいてきたのだ


ユアンはピアノを弾く手を止めた


恐る恐る、窓から覗き見るようにしてそれを待つ


すると、女の子が軽い足取りで歩いてきた


少しくせのある茶色の髪


黒い瞳


不思議そうな顔をして、きょろきょろとあたりを見回している


それから、少し肩をすくめるようにして、来た道を戻ろうとした


「ひょっとして……」


ユアンは急いでピアノの前に戻った


もう一度、鍵盤に指を置く


さっきの曲を、少しだけ大きく弾き始めた


すると、大きな気配が止まった


そして、また戻ってくる


女の子の気配は吊り橋のあたりで止まった


あの子は、きっと僕のピアノに誘われて来てくれたんだ


そう思った


それから、その子は何度もユアンの家の前に来てくれるようになった


その子の気配が近づくと、ユアンはいつも慌ててピアノを弾いた


待っていたよ


そう伝えるために


その子がこの場所に来て、自分のピアノを聞いてくれる


この場所に誘われて、この場所を好きでいてくれる


それだけで、自分を肯定してくれているような気がした


姉の愛の美しさを


分かってくれているような気がした


ある日、ユアンはその子に勇気を出して声をかけた


遠目で見ても、とてもかわいい子だった


初めて会話したのに


ずっと前から知っていたような


不思議な感覚があった


その日から、ユアンの世界は変わる


ミナが来るのを待つようになった


ミナの気配を感じるだけで、胸が弾んだ


彼女が笑えば、もっと笑わせたいと思った


明日も来てほしい


その次の日も、ずっと自分のそばにいてほしい


誰かに選ばれることが、あれほど怖かったはずなのに


ミナにだけは、自分を選んでほしいと思った


そして、ユアンには夢ができた


首が落ちても変わらない


ツバキのような愛を、彼女に捧げたい


きっと僕はもう、ミナ以外を愛せない


あの姉の、弟なのだから





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