ユーカリ --5--
「何処へ行っていたの?」
「……」
改札を出ると、待ち合わせ場所で携帯を弄りながら人を待つ人や、客集めの宣伝活動をしている飲み屋の店員。誰を待っているわけでもなく、ただこの場所で時間を潰している化粧の濃い女。普段気にしなければなんとも思わない、いつも通りの場所だが、どうしてか僕は不自然な空気を感じている。
「月妃さんが言ってたよ。最後はここだって」
「月妃さんがどうしてお前を?」
彼の右横に並ぶ。広告のない柱に体重を預け、横目で伊織の顔を探る。昔と変わらず色白の肌に感情豊かな顔だ。本当に精神病患者なのだろうか……そもそもこんな人混みに居たら気分が悪くなるはずだけど……
「詳しくは分からないけど、先輩の東京の友人としてだと思う。友人というより先輩だけど」
「未だになんで先輩か分からない……」
「細かいことは気にしなくて良いんじゃない?」
背中で駅の柱を蹴り、体重を自分で支え直す。空は暗くなり始めたが、周りの明るさは昼間そのもので体がおかしくなりそうだ。
「……着いて来るのか?」
「いや……ここからは先輩だけ……俺はこれから群馬に行くよ」
「そっか。じゃあ……あの喫茶店で待っててくれ」
「月妃さんの?」
「僕のだ」
伊織が改札を抜け、ホームへと姿を消すまで見守り、僕は南口から商店街へ向かう。指定された場所は適度に区画整理されている住宅街。住所だけでは確実に目的地までたどり着くことは出来ない。そこまでの能力は持ちあわせて無いが、道具を使う知識だけは有る。携帯の地図アプリを起動して住所を検索すると……
古びたアパートが周囲に溶け込めずひっそりとその場所に建っている。周りは新築の一軒家か小奇麗で新しいアパートばかりで、オートロックのドアもない築何十年というアパートは流石に目立つ。
とは言え、杉並区に二年ほど住んでいて気がついたのはやはり青梅街道から北と南の経済格差というものがかなりな事だ。その話は何時かするかもしれないが、今日は必要が無いので省くけど。
アパートの玄関までの最初の門だけはどうしてか新しく、サビサビで門の役割を果たせていなかったのだろうか、ごく最近交換した様に見える。
その門を通りぬけ、土で締め固められた凸凹の道を進むとドアが二つ。勝手口のようなドアは田舎暮らしの人や、その手の職業の人(配送等)以外の一般人ならば他にちゃんとした入り口を探してしまいそうだが、残念ながらここが入り口のようだ。
日焼けで塗装面は白くかすれて壊れているかもしれないチャイムを鳴らす。二階の方でPCのビープ音のような音が鳴り響いている。
しばらくすると床板の軋む音が聞こえ、それは段々と玄関へと近づいてくる。軋む音から、リズムよくトントンと足踏みする音が聞こえたと思ったら、油が乾ききって錆びた鉄がこすれるような音と、いかにも立て付けの悪い変形した扉がゆっくりと開いた。
「……糸井さん?」
「あっ…えっ……」
顔だけ半分出してきた髪の毛も寝ぐせでボサボサな男。僕は何回か顔を合わせた事が有るその顔に驚きで脳内で組み上げられた言葉は一瞬にして全てはじけ飛んでしまった。
「えっと……緑埜さんの言っていた人って……糸井さんですか?」
「あっ……はい……」
互いに驚いているのはよく分かった。それでも彼は冷静なのか何なのか分からないけど、すぐさま状況を理解して僕を家に招き入れた。
「えっと……これを渡して欲しいと……」
「日記?」
「日記と呼べるかわかりません、ただのメモ帳にも思える内容ですので……」
僕は“朶茉誠”の日記を五冊彼女のお兄さんから手渡された。何の変哲もない大学ノートで、表紙にタイトルも無ければ日付も何も無い。全くの無地。
「まな……今年の春頃突然……。最初は伊織君に会いに行ったのだと思っていたので、余り心配していなかったのです。書き置きもありましたので。それでもあまりに長い間帰ってこないので……伊織君に連絡してみようと思い電話を掛けましたが……」
「月妃さんとはどのようなご関係で?」
「……それはちょっとお答え出来ません」
白いコーヒーカップを僕の目の前に置く。白い湯気が僕の鼻の中に勝手に入り込み香ばしい香りとその中にある苦味が脳を刺激する。多分ポットのお湯をそのまま使ったのだろう、ティーカップとは別で、コーヒーは低温抽出するため、コーヒーカップの口は狭い。ポットのお湯をそのまま使ってしまうとすぐに飲めたものじゃない。
「糸井さん……まなは今何処に……」
「僕もわかりません。それにまなとはあの日以来会っていないので……」
そう、あの日以来一度も顔を合わせたことも、声を聞いたことも……
学校が夏休みに入る直前のあの日以来……




