第九話 雷装
帝国兵の列が、東へ消えていく。
騎兵と歩兵が街道を埋め、第三、第五、第八中隊、その後ろから第十一中隊まで続いてさらに、予備隊の二個小隊まで東門を抜けていく。
遠くでは、まだセリアが起こしている爆発音が聞こえていた。
帝国兵は動かした。
次は、二千四百十三人を動かす。
「行くぞ」
俺が立ち上がると、ガロンたちも動いた。
全員でアルネへ入る必要はない。むしろ、東へ出ていった帝国兵が戻ってきた時に備えておく必要がある。
街道側へ六人を残し、セリアたちとも合流させる。残りは俺たちと一緒にアルネの西側へ回った。
目的は西門。
帝国本土へ続く東門とは反対側、旧国境を越えて非帝国領へ抜けるための出口だ。
「レオン」
馬を走らせながら、ガロンが横へ並ぶ。
「門は?」
「壊さなくていい。中から開けられる」
「入れるのか?」
「入る」
「またか」
「今度はすぐ出るよ」
ガロンが嫌そうな顔をした。
アルネの西側へ回り込むと、東門周辺とは違って静かだった。
西門の外には旧国境へ続く街道が伸びている。帝国がアルネを落とすまでは人も荷馬車も行き来していた道だが、今は閉鎖されている。
門の上に帝国兵が四人。
外側に二人。
偵察した時と変わっていない。
「六人か」
ガロンが門を見上げる。
「やるか?」
「やらない」
「何でだ」
「中にまだいる」
「兵士が?」
「住民が」
ここで派手に戦えば、何が起きたのか分からない住民は家へ逃げ込む。俺たちが必要としているのは、その逆だ。
「アレン、通信機」
「はいよ」
今朝奪った帝国軍の通信機を受け取る。
「まだ使える?」
「大丈夫だ」
通信機を腰へ下げ、ハルトから借りた帝国軍の上着を着る。
セリアはいない。
いたら、また怒られる。
「一人で行くのか?」
今度はガロンだった。
「門を開けるだけ」
「その台詞、信用できねえんだよな」
「俺も最近そう思う」
「自覚あるなら直せ」
「努力する」
「絶対しねえな」
兜を被り、城壁へ近づいた。
今度はハルト本人を演じる必要はない。東で実際に戦闘が起き、複数の中隊が動いている今なら、帝国兵に見えれば十分だ。
外にいた二人がこちらを見る。
「止まれ。所属は?」
「第七占領管理隊。東部補給路の件で、西側も確認しろってさ」
「聞いてないぞ」
「俺もさっき聞いた」
腰の通信機を見せると、二人の警戒が僅かに緩んだ。
「中の責任者は?」
「ボルク曹長だ」
「呼んでくれ」
一人が門の中へ消え、しばらくして四十前後の男を連れて戻ってきた。
左胸の階級章。
ボルク曹長。
詰所の掲示板で確認した男だ。
「第七管理隊だと?」
「はい。東部補給路への襲撃を受けて、西側の警戒も上げろと」
「正式な命令書は?」
「ありません。東へ出る直前の指示です」
ボルクが舌打ちする。
「それで?」
「西側街道と門の開閉機構を確認します。東で何かあれば、こちらから増援を出す可能性があるので」
少し考えたあと、ボルクが顎を動かした。
「来い」
門を潜った。
西門の内側には小さな詰所があり、その横から太い鎖が壁際の巻き上げ機へ伸びている。巨大な閂を人力で上下させる仕組みだ。
魔導式じゃない。
壊す必要もない。
「門を開ける時はこれだ。それで――」
「分かりました」
「まだ説明してる」
「十分です」
「あ?」
振り返ったボルクの首筋へ手刀を落とす。
崩れる身体を支えて地面へ寝かせ、声を上げようとした兵士の腹と顎へ二発。門上から異変に気づいた声が飛んだところで、通信機を取った。
「アレン。開ける」
『最初からそう言え!』
数秒後、城壁の外で爆発音が鳴った。
煙が上がる。
門上の兵士たちが一斉に外を向き、その隙に階段を駆け上がった。
一人目の剣を避けて壁へぶつけ、二人目の足を払う。三人目が抜いた剣の柄を蹴り上げ、最後の一人が通信機へ手を伸ばしたところで指先から雷を飛ばした。
「がっ!」
腕が跳ね、通信機が石床を転がる。
拾って確認する。
まだ送信されていない。
「レオン!」
下からガロンの声がした。
「終わった!」
「こっちも!」
門を守っていた兵士は全員倒れた。
ガロンたちと巻き上げ機を回す。
鉄が軋み、巨大な閂が少しずつ持ち上がっていく。最後まで上げると、今度は全員で門を押した。
長い間閉ざされていた西門が、低い音を立てながら開いていく。
隙間から光が差し込んだ。
その先には、旧国境へ続く街道がある。
帝国の外へ向かう道だ。
「よし」
ガロンが外を見る。
「これで逃がせるな」
「門はね」
「何だ?」
「問題はここから」
街を見る。
誰も来ない。
当然だった。
二千人以上の人間が、門が開いたからといって勝手に逃げてくれるわけじゃない。さっきの騒ぎを聞いた住民たちは、むしろ家の中へ隠れている。
俺たちが何者なのかも知らない。
帝国軍の主力が東へ出たことも知らない。
明日の朝、自分たちが殺されることなんて、もっと知らない。
「ガロン。手分けする。帝国軍じゃないって分かるように上着は脱いで、西門が開いたことを知らせる。逃げたい奴は荷物を最低限にしてここへ集める」
「理由は?」
「全部話す」
「〈灰の雨〉もか?」
「ああ」
隠している時間はない。
「周辺三集落は?」
「外に残した連中を回す。馬を使えば間に合う。アルネから出る住民と西側で合流させる」
ガロンが頷いた。
「俺は南を回る」
「頼む」
俺も西門を離れ、最初の家の扉を叩いた。
「帝国兵じゃない! 話を聞いてくれ!」
返事はない。
「明日の朝、帝国軍がこの街で毒性魔導兵器を使う! 逃げるなら今しかない!」
中で何かが動き、扉が僅かに開いた。
老人がこちらを見る。
「……何だって?」
「西門を開けた。旧国境まで逃げられる」
「帝国軍は?」
「主力は東へ出た」
「何で……」
「俺たちが出した」
老人の顔が固まった。
今は説明している暇がない。
「家族は?」
「息子夫婦と、孫が二人」
「全員連れて西門へ。荷物は持てるだけ。馬車があるなら使っていい」
「待ってくれ。本当に帝国軍が毒を?」
「本当だ」
「証拠は?」
答えが止まった。
当然の質問だった。
帝国は、恭順する住民の生命と財産を保護すると告知している。それに対して俺たちは突然現れ、明日の朝殺されるから家を捨てて逃げろと言っている。
信じろという方が無茶だ。
「証拠はある。でも今ここには――」
「あります」
後ろから声がした。
振り返る。
エレナだった。
アレンも一緒にいる。
「私が証拠になります」
老人がエレナを見る。
「あなたは……?」
「エレナ・アルフォードです」
老人の目が見開いた。
「帝国軍の……」
「もう違います」
エレナは老人の目を見たまま続ける。
「〈灰の雨〉は実在します。私は一度、その被害を受けた人たちを治療しました」
「……」
「帝国軍は、その結果を使って毒を改良しました。次に使われるのが、ここです」
老人の顔から血の気が引いていく。
「明日の朝五時。アルネと周辺三集落。対象は二千四百十三人です」
「そんな……」
「お願いします」
エレナが頭を下げた。
「信じてください」
老人はしばらく何も言わなかった。
やがて扉を大きく開け、家の中へ振り返る。
「おい! 荷物をまとめろ!」
一人が動いた。
そこからだった。
隣の家へ。
その隣へ。
話を聞いた住民が、さらに別の住民へ伝えていく。
大回復魔道士エレナがいる。
帝国が毒を使う。
西門が開いた。
今なら逃げられる。
今朝まで帝国兵が立っていた通りへ、少しずつ人が出てきた。
荷物を背負った老人。
子供の手を引く母親。
馬車へ布団を積む男。
家の前で立ち止まり、何度も振り返る人もいる。
「本当に戻れるんですか?」
一人の男に聞かれた。
「分からない」
嘘はつけない。
「でも、生きていれば戻れる」
男は唇を噛んだあと、家に背を向けた。
西へ歩き出す。
流れができ始めた。
帝国兵を動かすより、ずっと時間がかかった。
命令一つでは動かない。
当然だ。
この人たちが捨てようとしているのは、配置された持ち場じゃない。
家。
店。
畑だ。
何十年も暮らした街だ。
それでも、人が西へ向かっている。
開いた門を抜け、旧国境へ続く街道へ出ていく。エレナが子供の手を引き、アレンが老人の荷物を持つ。ガロンたちも各区画から戻り、住民を西門へ誘導していた。
周辺集落へ向かった仲間からも、次々に通信が入る。
三集落すべて、避難を開始した。
間に合う。
そう思った時、西門へ向かっていた住民の流れが不自然に割れた。
誰かが道を譲っている。
一人の男が、その間を歩いてくる。
白銀の髪。
黒い外套。
武器も護衛もない。
ウォルター・クロウリー。
「レオン」
隣にいたエレナの声が変わった。
「下がって」
「大丈夫」
「大丈夫じゃありません」
ウォルターはこちらを見ていなかった。
開いた西門と、そこから逃げていく住民たちを眺めている。
何もしない。
おかしい。
東へ向かった中隊を呼び戻そうともしない。西門を閉じろとも言わない。逃げている住民を止める様子すらない。
それどころか、少し楽しそうに見える。
昨日、エレナが研究所から消えた。
今朝、アルネ近郊の哨戒が一つ途絶えた。
直後、見慣れない兵士が東門から入った。
東部補給路が襲撃され、重魔導兵器への攻撃まで報告された。上級司令部の緊急符号が入り、複数の中隊が東へ動き、その直後に西門が開いた。
俺なら気づく。
なら、こいつが気づかないはずがない。
ウォルターがこちらを見る。
目が合った。
口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
そこで確信した。
気づいている。
最初から全部知っていたわけじゃない。どこかで異変を拾い、起きていることを繋げた。それでも兵を止めず、西門が開くのも、住民が逃げるのも見ていた。
たぶん、見たかったんだ。
俺たちが何をするのか。
自分の作戦を、どう壊すのか。
その結果、二千人以上の人間が逃げようとしているのに、それすらこいつにとっては観察する対象でしかない。
やはり、奴は危険すぎる。
ウォルターがここで死ねば、帝国軍は間違いなく混乱する。東へ出した中隊が引き返す可能性もある。
それでも、帝国皇帝の右腕であり、〈灰の雨〉を作った男をここで失わせる意味は、それ以上に大きい。
そして何より、この機会を逃せば次はない。
護衛はいない。
周囲の兵もいない。
こちらを警戒している様子もない。
今なら届く。
ここで殺る。
必ず。
ウォルターとの距離は二十メートル。
ガロンは少し離れた場所で住民を誘導している。エレナとアレンも俺より後ろにいるから、仕掛けるなら今が一番巻き込みも少ない。
ウォルターが再び俺から視線を外し、西門へ顔を向けた。
右手は下がっている。
二十。
いける。
いや。
殺れる。
腰を僅かに落とし、全身へ魔力を流す。
この技を作った時、父と何百回も失敗した。
最初は右腕が痺れ、次は脚が動かなくなった。剣へ流すだけなら耐えられた雷を身体へ通した瞬間、二人揃って地面に転がったこともある。
それでも父はやめなかった。
『もう一度だ』
何度失敗しても、同じことを言った。
俺が魔力の流れを組み、父が身体で試す。失敗するたびに変え、また試し、やがて雷は身体を壊すものではなくなった。
筋肉と神経、そして剣。
そのすべてを、一つの魔力で繋ぐ。
父と作った技。
「――〈雷装〉」
青白い雷が全身を走った。
地面を蹴る。
二十メートルが消えた。
ウォルターが振り返る。
遅い。
剣は抜かない。
抜刀する時間すら惜しい。
雷を纏わせた右手を、首へ伸ばす。
あと僅か。
触れれば終わる。
帝国皇帝の右腕。
〈灰の雨〉を作った男。
こいつをここで殺せば、アルネだけじゃない。
帝国そのものが揺らぐ。
指先が届く。
その瞬間。
ウォルターが消えた。
腹に何かが触れた。
「――っ」
次に見えた時には、ウォルターは俺の目の前にいた。
白い魔力を纏った右手が、腹へ押し当てられている。
何が起きた。
俺が先に動いた。
こいつは後から振り返った。
なのに。
取られた。
「それは」
ウォルターが、少し困ったように笑った。
「面白くないですね」
白い魔力が弾けた。
腹を貫かれたような衝撃が走り、身体が地面から浮いた。
石畳へ背中から落ち、そのまま何度も転がる。
息ができない。
腹が焼けるように痛む。
手を当てると血は出ているが、貫かれてはいない。
殺されていた。
今の一撃なら、俺を殺せた。
それでも、ウォルターは殺さなかった。
「レオン!」
エレナの声が聞こえる。
返事ができない。
ウォルターは追ってこなかった。
その場に立ったまま、俺を見ている。
いや。
俺じゃない。
身体に残っている雷を見ている。
さっきまでの笑みが、僅かに変わった。
興味を持った時の顔。
最初に会ったときと同じ目だった。
「その技……」
ウォルターが首を傾ける。
「あなた、クラウスの息子ですか?」




