第八話 別人
次の哨戒が現れたのは、それから二十分ほど経った頃だった。
街道を見下ろせる斜面の茂みに身を伏せていると、帝国本土側から五人の兵士が歩いてきた。来る途中で見た哨戒と同じ軽装鎧を身につけ、最後尾を歩く兵士の腰には、小さな黒い筒が下がっている。
通信機だ。
「当たりね」
セリアが声を落とす。
「ああ」
「どうする?」
「俺が行く」
「五人いるけど」
「見えてる」
「そうじゃなくて、一人で行く必要ある?」
「人数をかけるほどじゃない。それに、できれば装備を壊したくない」
セリアが横目で俺を見る。
「殺さないの?」
「必要なければ」
答えると、後ろにいたエレナと目が合った。
何も言わない。
でも、少しだけ口元が緩んでいる。
「何?」
「何も言っていません」
ガロンを見る。
「行ってくる」
「ああ」
街道から離れ、木々の間を回り込んだ。
五人は周囲を警戒しているが、俺たちを探している動きではない。通常の巡回なら、その意識を利用できる。
小石を拾い、街道から離れた木の幹へ投げた。
乾いた音に五人の足が止まり、一人が様子を見に来る。
木の陰へ入ったところで背後から口を塞ぎ、首へ腕を回した。力が抜けるまで待って地面へ寝かせると、今度は返事のない仲間を確認するため二人が近づいてくる。
倒した兵士の剣を奥の茂みへ投げた。
金属音。
二人の視線が逸れた瞬間に木の陰から出た。
一人の顎を掌底で跳ね上げ、その身体をもう一人へ押しつける。体勢を崩したところへ拳を入れ、首を締めて意識を落とす。
「敵だ!」
残った二人が動いた。
一人は剣。
もう一人は通信機。
先に通信兵との距離を詰め、通信機を掴んだ手首へ指を触れる。微量の雷を流すと指が硬直し、黒い筒が地面へ落ちた。
腹へ肘を入れ、首筋を打つ。
最後の一人が振った剣を半歩ずれて避け、その腕を掴んだ。勢いを利用して地面へ倒し、剣を蹴り飛ばして顎へ拳を入れる。
静かになった。
五人とも生きている。
通信もされていない。
「終わったよ」
森から仲間たちが出てくると、エレナは倒れている兵士を順番に確認した。
「全員、生きていますね」
「だから何」
「何も言っていません」
「嬉しそうだな」
「少しだけ」
「認めた」
その横では、アレンがもう通信機を拾っていた。
「これ借りるぞ」
「頼むぞ」
「誰に言ってる」
通信機はアレンに任せる。
俺は倒れている兵士の中から、自分と体格の近い男を探した。
身長も肩幅もほとんど変わらない。腰の革袋から身分証を取り出すと、帝国軍第七占領管理隊、第二巡回班、ハルト・ゲインとある。
「……使えるな」
「何が?」
セリアが覗き込んでくる。
答える代わりにハルトの軽装鎧を外し始めた。
「……何してるの?」
「着替える」
「何で?」
「アルネに入るから」
セリアが黙った。
「またやるの?」
「ああ」
「帰ってきたばっかなのに?」
「帰った」
「また潜入するの!?」
「ちょっとだけ」
「そういう問題じゃない!」
ガロンが笑っている横で、帝国兵の制服と軽装鎧を身につける。
服を替えるだけなら誰でもできる。
倒れているハルトを見る。
右肩が僅かに低い。歩くときは右足が外へ向き、歩幅は俺より狭かった。背筋を伸ばしすぎず、顎を少し上げ、周囲を見るときも顔はあまり動かさない。
さっき見た動きを思い出しながら、木々の間を歩いてみる。
少し違う。
右足の角度を変え、剣の重さに合わせて肩を落とす。
もう一度歩いた。
「……気持ち悪い」
セリアが言った。
「失礼だな」
「違う。何で歩き方まで真似するのよ」
「歩き方は結構見られるから」
「見ないわよ、普通」
「見る人いるんだよ」
「誰が?」
「私です」
エレナだった。
「……歩き方まで変えるんですね」
「そこ見る人、あんまりいないんだけど」
「見ます」
「知ってる」
牢で初めて会ったとき、この女はそれでルドルフ・ベルンではないと気づいた。
「今はどう?」
エレナは俺と地面に寝ているハルトを見比べた。
「別の人みたいです」
「なら大丈夫」
「顔はレオンですけど」
「そこはあんま見ないで」
「無理があります」
兜を深めに被る。
「これなら?」
「少し怪しい帝国兵です」
「十分」
アレンの横へしゃがむ。
「どう?」
「まだ分からん。中身を見る」
「よろしく」
地面に枝でアルネを簡単に描く。
「俺は中で指揮系統と、東へ動かせる部隊を確認する。それから西門。住民を逃がすなら、壊さず開けられる方法が欲しい」
「一人で入るの?」
セリアに頷く。
「必要なものだけ見て戻る」
それ以上は話さず、森を出た。
今度は隠れない。
帝国軍の制服を着て、帝国軍の剣を下げ、ハルト・ゲインの歩き方で街道を進む。
アルネの東門には六人の兵士がいた。
壁には三週間前の戦闘でできた焼け跡が残り、その上では帝国旗が揺れている。元々あった旗は外され、固定していた金具だけが残っていた。
ハルトの身分証にあるのは、名前と所属、階級だけだ。占領からまだ三週間。出入りする兵士全員の顔まで、門兵が覚えているとは思えない。
「所属」
「第七占領管理隊、第二巡回班」
「身分証」
ハルトのものを渡す。
門兵は身分証と俺の顔を見比べた。
「一人か?」
「今は」
「他は?」
「東の林道で荷馬車が泥に嵌まった。四人置いてきた」
「またかよ」
「俺に言うな。道直さない奴に言ってくれ」
門兵は嫌そうな顔をしながら身分証を返した。
「ご苦労さん」
「どうも」
そのまま門を抜ける。
アルネの中には人の声があり、パンを焼く匂いがしていた。市場には野菜が並び、井戸の周りでは女たちが桶を抱えて話している。
普通の町だ。
帝国兵がいなければ。
俺が通ると、住民が道を空ける。店先で話していた男たちは声を小さくし、母親は子供の手を引いてこちらから離れた。
三週間前まで、ここは帝国じゃなかった。
壁には占領後の布告が貼られている。
武器の提出。
夜間外出の制限。
帝国軍への協力義務。
そして、その一番下。
帝国へ恭順する住民の生命と財産は保護される。
明日の午前五時には、この町へ〈灰の雨〉が落ちる。
二千四百十三人。
まだ生きている。
足を止めず、中央広場へ向かった。
兵舎脇の詰所を通り過ぎたとき、奥の中庭に隊員用の掲示板が見えた。交代時間や巡回経路、補給予定に混じって、緊急時の部隊編成も貼られている。
東部補給線への大規模襲撃。
第三、第五、第八中隊を第一防衛地点へ派遣。
第二防衛地点には第十一中隊。
魔導兵器への攻撃が重なれば、さらに予備隊から二個小隊。
思っていたより多い。
これなら動かせる。
必要な部隊名と配置を頭へ入れ、そのまま西へ向かった。
西門は閉じていたが、開閉機構は魔導式ではなく機械式だった。内側の詰所から伸びた太い鎖が門へ繋がり、扉の横には管理責任者の名前と階級が掲げられている。
名前を覚える。
これなら壊す必要もない。
欲しかった情報は揃った。
戻ろうとしたところで、周囲の兵士たちが一斉に道の端へ寄った。
俺も合わせる。
前方から護衛に囲まれた男が歩いてきた。
白に近い銀髪。細身の身体に黒い外套を羽織り、周囲の兵士が緊張している中で、一人だけ散歩でもしているように笑っている。
見たことはない。
それでも分かった。
明らかに異質。
ウォルター・クロウリー。
周囲の兵士が敬礼し、俺も同じように頭を下げる。
ただの下級兵として。
ウォルターは隣の男と話しながら俺の前を通り過ぎた。
何も起きない。
歩き出す。
「そこの兵士」
足を止めた。
振り返ると、ウォルターがこちらを見ていた。
疑っている様子はない。
むしろ、少し楽しそうに笑っている。
「あなた、魔力を隠すのが上手いですね」
「……何のことでしょうか」
ウォルターは俺を眺めた。
「無意識ですか?」
「申し訳ありません。自分には何のことか」
「そうですか」
それ以上は追及しなかった。
興味を失ったように前を向く。
「呼び止めてすみません。少し珍しかったので」
「いえ」
「任務、ご苦労さまです」
ウォルターはそのまま歩いていった。
俺も歩き出す。
振り返らない。
歩幅も変えない。
門を出るまで、ハルト・ゲインのままでいる。
バレてはいない。
たぶん。
でも、次は近づかない方がいい。
森へ戻ると、アレンが通信機を分解していた。
「遅えぞ」
「ウォルターがいた」
全員の顔が変わった。
「見つかったの!?」
「見つかってない」
「今、ウォルターがいたって」
「いた」
「じゃなくて!」
「話しかけられただけ」
「それを見つかったって言うのよ!」
「大丈夫だったから」
「何て言われたの?」
エレナが訊いた。
「魔力を隠すのが上手いって」
エレナの顔から表情が消えた。
「……それで?」
「珍しいって」
「よく帰ってきましたね」
「俺もそう思う」
ガロンが頭を掻いた。
「お前、もうあいつの近く行くな」
「そのつもり」
「絶対だぞ」
「たぶん」
「絶対だ」
「気をつける」
アレンが通信機を持ち上げた。
「こっちも分かったぞ」
黒い筒の側面が外され、中には細かな魔導回路が並んでいる。
「送受信はできる。ただ、普通に話しただけじゃ駄目だ。通信ごとに識別符号が入る」
「上級司令部の緊急符号は?」
「昨日のままなら使えねえぞ」
「分かってる」
「ただ、構造は取れてる。こいつから今日の識別値も拾えた」
アレンが奪った通信機を指で叩いた。
「組める?」
「初動確認を通すだけならな。長く喋ったらバレる」
「十分」
地面にしゃがみ、アルネで覚えてきた部隊名を書き出した。
第三、第五、第八中隊。
第十一中隊。
予備隊二個小隊。
ガロンがそれを見る。
「結構出るな」
「条件が揃えば」
「揃えるんだろ?」
「ああ」
セリアを見る。
「東側で大きいの作れる?」
「どのくらい?」
「アルネから見えるくらい」
「余裕」
「補給路は壊しすぎないで。あとで使うかもしれない」
「注文多いわね」
「できる?」
「消し炭にしてやるわ」
「それ好きだよな」
立ち上がった。
「じゃあ、始めよう」
そこからは早かった。
セリアと数人が東へ向かい、別の者たちが街道沿いへ散る。ガロンは残った人間をまとめ、俺、アレン、エレナは通信機の前に座った。
しばらくして、東の空が赤く染まった。
遅れて地面が震える。
森の鳥が一斉に飛び立った。
「……派手だな」
「あいつに加減頼んだお前が悪い」
「頼んだよ」
「だからだよ」
通信機から声が入った。
『東部補給路、襲撃! 大規模の魔法攻撃を確認!』
別の声が重なる。
『輸送隊が攻撃を受けている! 応援を――』
実際の帝国兵が報告している。
一つ目。
アレンを見る。
「次」
「分かってる」
通信機の魔導回路へ細い器具を差し込み、周波数を変える。
俺はアルネで見た部隊番号を伝えた。
アレンが声を作る。
『東部第一防衛地点。重魔導兵器輸送部隊より緊急報告。襲撃者の一部が輸送兵器へ接近。奪取、もしくは破壊の危険あり』
二つ目。
通信機の向こうが騒がしくなる。
『所属を確認する。識別符号を送れ』
アレンが指先を止めた。
「来たぞ」
「やって」
「簡単に言いやがって」
昨日受けた緊急符号の構造と、今朝奪った通信機に残っていた今日の識別値を、アレンが組み合わせる。
完全な偽造じゃない。長く通信を続ければ、どこかで綻ぶ。
でも、今必要なのは確認を欺き続けることじゃない。兵が動き出すまでの、最初の数分だけ通ればいい。
小さな魔石が白く光った。
三つ目。
返事はなかった。
通信機から雑音だけが流れている。
十秒ほど待つ。
「……どう?」
エレナが訊いた。
「まだ分からない」
さらに待つ。
何も起きない。
丘の上から見えるアルネも変わらない。
東門を見る。
閉じている。
その上を帝国旗が揺れている。
アレンが通信機を睨んだ。
「符号は合ってる」
「分かってる」
「じゃあ何で――」
鐘が鳴った。
アルネからだった。
城壁の上を兵士たちが走り始める。
東門の前へ次々と部隊が集まり、巨大な扉が内側から開いていく。
最初に騎兵。
その後ろから歩兵。
さらに別の部隊が続く。
第三。
第五。
第八中隊。
少し遅れて第十一。
掲示板で見た通りだった。
帝国兵たちは、燃えている東の空へ向かって街道を進んでいく。
「……本当に出ていった」
エレナが呟いた。
「自分たちで決めた規則だからな」
帝国は広い。
本部へ確認している間に補給線を失わないため、現場の兵士を先に動かす仕組みを作った。
三年間、その仕組みの中にいた。
命令される側として。
利用できる日が来るとは思っていなかった。
街道を進む帝国兵の列から視線を外し、アルネの反対側を見る。
閉ざされた西門。
帝国兵は動かした。
次は、二千四百十三人を動かす。




