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帝国一の無能兵を三年間演じた俺、最高機密を盗んで帰るはずが、処刑寸前の大回復魔道士まで拾ってしまった  作者: レイヴ


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第十話 クラウス

「あなた、クラウスの息子ですか?」


 聞き間違えるはずのない名前だった。


 腹の奥には、まだウォルターの魔法を受けた痛みが残っている。それでも、その名前を聞いた瞬間だけは、呼吸をすることさえ忘れていた。


 ウォルターは俺の顔ではなく、右腕を見ていた。


 指先から肘へ、まだ僅かに雷が残っている。さっきまで身体に纏わせていた〈雷装〉の名残だ。


「……どうして、その名前を知ってる」


「やはり、そうでしたか」


 ウォルターが小さく頷いた。


「よく似ています。魔力の流し方も、身体への纏わせ方も。あれを使う人間を、私は一人しか知りません」


 父と作った技だ。


 十六歳で家を追い出されるまで、何度も二人で繰り返した。


「クラウスを知ってるのか」


「もちろんです。帝国軍に所属していて、彼を知らない人間の方が少ないでしょう」


 ウォルターは何でもないことのように続けた。


「帝国最強の魔剣士、〈雷装のクラウス〉。あなたのお父上ですね」


 知っていた。


 父が帝国軍にいることも、〈雷装〉の名が帝国内で知られていることも、三年間の潜入中に何度か耳にしている。


 調べようと思えば、もっと調べられた。


 どこに所属しているのか。今は何をしているのか。俺がいなくなった後、田舎の領主がどうやって帝国最強と呼ばれるまでになったのか。


 調べなかった。


 任務に必要なかったからだ。


 少なくとも、そういうことにしていた。


「レオン!」


 エレナの声が聞こえた。


 走ってきたエレナが俺の横へ膝をつき、身体を支える。大丈夫だと言おうとしたが、息を吸った瞬間に腹の奥が痛んで、言葉より先に顔に出たらしい。


「動かないでください」


「傷はない」


「外には、です」


 エレナの手が腹に触れた。


 ウォルターの一撃は、ほとんど血を流させていない。その代わり、魔力を直接身体の内側へ叩き込まれたような痛みが、さっきから消えずに残っていた。


 殺されていた。


 あの一撃なら、間違いなく。


 ウォルターがそうしなかっただけだ。


 エレナが両手を重ねると、その隙間から淡い光が漏れた。


「エレナ、魔力は?」


「少しだけ戻っています」


 研究所で聞いていた大回復魔道士の魔法とは、とても思えないほど弱い光だった。それでも腹へ染み込んでくると、呼吸のたびに身体の奥へ響いていた痛みが少しずつ遠ざかっていく。


 数秒もしないうちに光は消えた。


 エレナの額には汗が浮かんでいる。


「これ以上は無理です。傷も治っていません。ただ、少しは動けると思います」


 身体を起こして確かめる。


 痛みは残っていたが、さっきより深く息が入った。走るくらいならできる。


「ありがとう」


「はい」


 エレナの手を借りて立ち上がると、ウォルターがこちらを見ていた。今度は俺ではなく、エレナへ視線を向けている。


「もう魔力が戻り始めているんですね」


 エレナは答えなかった。


「三週間も抑えていたんですが。やはり、あなたは興味深い」


「ウォルター」


「はい」


「あなたは、何をするつもりですか」


 ウォルターは少しだけ首を傾けた。


「予定通りですよ。午前五時に〈灰の雨〉を起動します」


 西門から出ていく住民の列は、まだ途切れていない。


 老人もいる。子供もいる。荷物を抱え、何度も町を振り返りながら歩いている人間もいる。


 周辺三集落からも避難が始まったばかりだ。


 全員が帝国領を抜けるまでには、まだ時間がかかる。


「もう実験にならないだろ」


「そうでしょうか」


「兵は東へ出た。住民も逃げ始めてる。二千四百十三人を対象にした計画は崩れてる」


「ええ。そこは残念です」


 言葉とは違って、ウォルターの顔には落胆がなかった。


「ですが、変わってしまった条件で結果を取ればいい。何人が残るのか。避難中の人間へどこまで影響するのか。何よりあなた方がいる。それも有用な記録になります」


 やっぱり、こいつは止める気がない。


 計画が崩れたから中止するんじゃない。


 崩れた計画から取れるものを探している。


 ウォルターが北東へ視線を向けた。


 あそこには、五基の重魔導兵器と〈GRAY-2413〉の設備がある。


 こいつを戻したら終わる。


「レオン」


 後ろから声がした。


 振り返ると、ガロンが剣を抜いたまま歩いてきていた。


 俺の腹へ一度だけ目を向け、それからウォルターを見る。


「動けるか」


「ああ」


「ならここはいい」


 ガロンが俺の前を通り過ぎ、そのままウォルターとの間へ入った。


「後は任せろ」


 目の前にいるのは、俺が〈雷装〉を使っても触れることすらできなかった男だ。


 それをガロン一人に任せる。


 ウォルターも同じことを考えたのか、向かいに立った男を静かに眺めていた。


「魔剣士ガロン」


「知ってるのか」


「ええ。長いですからね、あなたは。帝国にとっても」


 ウォルターの口元に、僅かな笑みが戻る。


「十年以上も帝国に抗い続け、何度部隊を送っても生き残る。あなたについての報告書は、私も何度か読んだことがあります」


「そうか」


「土属性でしたね」


「ああ」


「それだけで、よくここまで」


 ガロンは答えなかった。


 右手の剣を僅かに持ち上げる。


 それだけだった。


 次の瞬間、石畳が砕けた。


 ガロンの身体が一気に前へ出る。


 剣が横へ走り、ウォルターの首へ向かった。


 白い光が二人の間に生まれた。


 刃と魔法がぶつかり、空気が弾ける。衝撃が西門の壁まで走り、積まれていた木箱が倒れた。


 ウォルターの足が石畳を擦った。


 一歩。


 それだけだった。


 でも、俺は見ていた。


 ガロンが初撃で一歩下げた。


「なるほど」


 ウォルターが右手を上げる。


 白い光が膨らんだ。


 ガロンの身体が正面から弾かれ、石畳の上を十メートル近く飛ぶ。


「ガロン!」


 着地する直前、ガロンが左足を下ろした。


 地面が盛り上がる。


 崩れかけていた石畳が一瞬で固まり、ガロンの足を受け止めた。勢いを殺しきる前に身体を沈め、そのまま地面を蹴る。


 またウォルターへ向かった。


 今度は白い光が三つ飛んだ。


 一つ目を剣で斬る。


 二つ目は地面から持ち上がった石壁が受けた。


 三つ目が石壁ごとガロンを吹き飛ばす。


 砕けた石が辺りへ散った。


 その中からガロンが出てくる。


 止まらない。


 土属性。


 俺も知っている。


 珍しくもない。


 地面を隆起させる。石を飛ばす。壁を作る。使える人間も多い。


 でも、ガロンの使い方は違った。


 魔法そのもので相手を倒そうとしていない。


 踏み込む場所を固める。


 衝撃を地面へ逃がす。


 崩された足場を作り直す。


 相手の魔法を一瞬だけ遮る。


 全部、剣を届かせるために使っている。


 ウォルターが横へ動いた。


 ガロンの足元が沈み、身体の向きが変わる。ほとんど速度を落とさないまま追いつき、剣を振る。


 白い光と刃がぶつかった。


 またウォルターが下がる。


「……これは」


 初めて、ウォルターが言葉を途中で止めた。


 ガロンの剣が続けて襲う。


 右。


 左。


 突き。


 ウォルターはすべて防いでいる。


 傷一つない。


 それでも、北東へ進めていない。


 俺はようやく分かった。


 ガロンはウォルターに勝とうとしていない。


 こいつを、ここから動かさないつもりだ。


「レオン!」


 アレンが走ってきた。


 片手には通信機を持っている。


「東の連中が動き始めてる! さっき出ていった部隊の一部が、命令がおかしいって気づいたらしい!」


「戻ってくる?」


「まだ分からねえ。ただ、確認の通信が増えてる。このままじゃ長くはもたねえぞ」


 最初から分かっていた。


 俺たちが騙せるのは初動だけだ。


 帝国軍そのものになれるわけじゃない。


 時間が経てば、どこかで必ず嘘は割れる。


 西を見る。


 避難は続いている。


 北東を見る。


 あそこには、まだ〈灰の雨〉がある。


 東にはセリアがいる。


 そして目の前では、ガロンがウォルターを止めている。


 今なら。


 ウォルターがいない。


「アレン」


「何だ」


「〈灰の雨〉を止められるか」


「現物見ねえと分からんって言っただろ」


「だから見る」


 アレンが北東を見る。


「お前、あそこ行く気か?」


「ああ」


「重魔導兵器五基あるぞ」


「知ってる」


「知ってて言ってんのか」


「だからセリアを呼ぶ」


 通信機を受け取る。


 東側では、まだ爆発音が続いていた。


 短く符号を送り、待つ。


 すぐに返事が来た。


『何!?』


「セリア。場所を変えて」


『今こっち帝国兵だらけなんだけど!』


「セリアだけ、北東へ向かって」


『北東って、あんたが言ってた重魔導兵器のところ?』


「ああ」


『ウォルターは!?』


 目の前で白い光が弾けた。


 ガロンが地面へ剣を突き立て、片膝をつく。石畳に亀裂が走ったが、その身体は後ろへ下がらなかった。


 すぐに剣を抜き、また立つ。


「ガロンが止めてる」


 少し間があった。


『……あのおっさん、本当に何なの?』


「俺も今見てる」


『で、私は?』


「重魔導兵器を潰して。できれば全部」


『できれば?』


「全部」


『消し炭にしてやるわよ』


 通信が切れた。


 アレンへ返す。


「行くぞ」


「待て。エレナはどうすんだ」


「一緒に来てもらう」


 エレナが俺を見る。


「〈灰の雨〉を実際に見たことがあるのは、この中じゃエレナだけだ。装置を止めるなら必要になる」


「分かりました」


 返事は早かった。


 ガロンを見る。


 ウォルターの魔法が地面を抉り、石と土が空へ舞っている。その中をガロンが進んでいた。


 ウォルターが右手を振る。


 白い光が地面を走った。


 ガロンが剣を振り下ろすと、その直前で地面が大きく隆起した。魔法が土壁を吹き飛ばす。


 視界が消える。


 その向こうからガロンが飛び出した。


 剣先がウォルターの頬を掠める。


 白銀の髪が数本、宙を舞った。


 ウォルターが初めて大きく距離を取った。


 頬に手を当てる。


 血は出ていない。


 それでも、さっきまでとは明らかに違う目でガロンを見ていた。


「報告より、ずっと強いですね」


「報告書書いた奴が弱かったんだろ」


 ガロンは剣を構え直す。


 ウォルターの視線が、その肩越しに北東へ向いた。


「行かせねえぞ」


「…………」


「お前が何をしに来たかは知らん。だが、レオンがあっちへ行くなら、お前はここだ」


 ウォルターが僅かに目を細めた。


「私を倒すおつもりですか?」


「いや」


 ガロンは即答した。


「お前をここに置いとく」


 ウォルターが黙った。


 数秒前まであった薄い笑みが消えている。


 俺はその背中を見た。


 十六歳で帝国を出たあと、行く場所もなく王国まで流れ着いた俺を拾ったのがガロンだった。


 父親ではない。


 剣を教わった。


 戦い方を教わった。


 人の見方を教わった。


 帝国へ潜り込んで三年間生き残るために必要だったものの多くを、この男から教わった。


 それでも、ガロンがここまで強いとは知らなかった。


 背を向ける。


 アレンとエレナも続いた。


 北東へ走り出した直後、背後で大きな音が鳴った。振り返らなくても分かる。


 ガロンがいる。


 それで十分だ。


 西門から北東の実験区画までは、町を横切る必要がある。


 通りにはまだ避難中の住民が残っていた。俺たちは流れと逆方向へ走り、荷車を避け、細い路地へ入る。


「あとどのくらいですか」


 エレナが息を切らしながら聞く。


「このままなら十分くらい」


「もっと近道ないのか?」


「ある」


「そっち行けよ!」


「帝国兵の詰所がある」


「先に言え!」


 大通りへ戻る。


 遠くから爆発音が聞こえた。


 東じゃない。


 北東だ。


 続けて二発。


 黒い煙が建物の向こうから上がった。


 通信機が鳴る。


『レオン!』


「早いな」


『魔力、勿体ないけど飛んで来たわよ』


 また爆発した。


 今度は何か巨大なものが倒れる音まで聞こえた。


『一基潰した! でも、警備兵多すぎ!』


「何人いる?」


『数えてる暇あると思う!?』


「急いで向かう。ヤバかったら離脱しろ」


『さすがに――』


「セリア?」


 返事はなかった。

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