第八十六話 コレット
「コレット、それ全部持っていくつもり?」
俺が尋ねると、コレットは大きな籠を抱えたまま、元気よく頷いた。
「もちろん! これくらい平気だよ!」
「……そうは見えないけど」
「えっ、何で?」
「だって、前が見えてないだろ」
籠には毛布や着替え、それから小さな包みが山ほど積まれていた。コレットはその隙間から顔を覗かせているが、足元はほとんど見えていない。
「大丈夫だって! 私、こういうの得意だから!」
そう言って歩き出した途端、彼女は椅子の脚に爪先をぶつけた。
「いたっ!」
「ほら!」
「あはは……。今のは椅子が悪い!」
「椅子は動いてないよ!」
俺が呆れると、コレットは楽しそうに笑った。
隣にいたリゼも、笑いをこらえている。
「コレット、半分持ちますよ」
「えっ、いいよいいよ! リゼまで重いもの持たなくていいって!」
「でも、それでは危ないでしょう?」
「平気平気!」
コレットはそう言って、もう一度籠を抱え直した。
俺とリゼは顔を見合わせた。
どうやら、今日も賑やかになりそうだった。
◇
俺たちが訪れていたのは、王宮が管理する救護院だった。
グレゴールの商会による固有術移転で体調を崩した人たちが、ここで治療を受けている。
カイエンが王国負担での治療を手配してから、受け入れ態勢は少しずつ整ってきたらしい。
ただ、患者が増えたことで人手が足りず、見舞い品の仕分けや家族への連絡まで手が回っていないという。
それを聞いたコレットが、手伝いに行こうと言い出したのだ。
「だってさ、怪我してる人たちが困ってるんでしょ? だったら、何かできることがあるかもしれないじゃない!」
朝、第七係へ顔を出した彼女は、そんなふうに言っていた。
俺もリゼも賛成したが、ここまで大量の荷物を運ぶことになるとは思っていなかった。
「……本当に大丈夫なの?」
俺がもう一度尋ねると、コレットは頬を膨らませた。
「もう! セインさん、心配しすぎ!」
「昨日まで俺に無茶するなって言ってたのは誰だよ」
「それはそれ、これはこれ!」
「便利な言葉だなあ」
結局、俺が軽い包みをいくつか受け取り、リゼも書類の入った箱を持つことになった。
コレットは少し不満そうだったが、すぐに笑顔へ戻った。
「じゃあ、三人で頑張ろうね!」
「……最初からそうすればよかったのに」
俺が呟くと、彼女は聞こえないふりをした。
救護院の中は、思っていたよりも明るかった。
廊下には大きな窓が並び、庭には季節の花が咲いている。患者たちが休めるよう、あちこちに椅子が置かれていた。
ただ、通り過ぎる人たちの中には、顔色の悪い人や、歩くのがつらそうな人もいた。
受付の女性が俺たちを出迎えた。
「お手伝いに来てくださった方ですね。ありがとうございます」
「はい! 何でも言ってください!」
コレットが勢いよく答える。
受付の女性は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「では、まずこちらの見舞い品を仕分けていただけますか。それから、午後には家族へ渡す書類もありますので……」
「分かった! 任せて!」
「あと、もし時間があれば、奥の病室へ届ける品物も……」
「それもやるよ!」
俺は思わずコレットを見た。
まだ最初の仕事も終わっていないのに、もう三つも引き受けている。
「……コレット」
「ん?」
「ちょっと待とうか」
「えっ、何で?」
「何を先にやるか決めないと、全部中途半端になるよ」
彼女は目を瞬かせた。
「……あ、そっか!」
それから、照れくさそうに笑った。
「えへへ。張り切りすぎちゃった!」
受付の女性が笑う。
リゼも微笑みながら、机の上へ書類を置いた。
「じゃあ、まずは仕分けから始めましょう」
「うん!」
コレットは元気よく頷いた。
◇
午前中の仕事は、思っていた以上に細かかった。
見舞い品には、家族から届いた衣服や食べ物のほか、近所の人たちが寄付した毛布や日用品もあった。
食べ物は患者の体調によって渡せないことがあるため、職員に確認してもらう必要がある。衣服も名前や病室を確かめ、間違えないように分けなければならなかった。
俺は包みを開いて中身を確認し、リゼが記録を取る。コレットは患者の名前と届け先を確かめながら、仕分けた品を棚へ並べていった。
「これ、すっごくかわいい!」
コレットが手に取ったのは、小さな布製の鳥だった。
青い布で作られ、翼の部分には白い糸で模様が縫われている。
「……手作りみたいですね」
リゼが言った。
「うん! 誰が作ったんだろう?」
包みに添えられた紙には、短い言葉が書かれていた。
『父さんへ。早くよくなってね』
コレットはそれを読むと、少しだけ表情を柔らかくした。
「……そっか。お父さんへのプレゼントなんだ」
「届け先は?」
俺が尋ねると、彼女は紙の裏を確かめた。
「三階の病室だって!」
「じゃあ、ほかの品と一緒に預けよう」
「うん!」
コレットは布の鳥を丁寧に包み直した。
その手つきが、さっきまでの勢いとは違っていた。
落としたり、形を崩したりしないように、そっと扱っている。
俺は何となく嬉しくなった。
こういうところが、コレットらしいと思う。
誰かが大切にしているものだと分かると、自分のもの以上に大事にしようとするのだ。
しばらくすると、受付の女性が戻ってきた。
「ありがとうございます。随分片づきましたね」
「まだまだいけるよ!」
コレットが笑う。
「次は何をすればいい?」
「そうですね……」
女性は机の上を見回した。
「実は、届け先を確認できていない品物が少しありまして」
「じゃあ、それもやる!」
「コレット」
リゼが声をかけた。
「まず、どれくらいあるのか確認しましょう」
「あっ、そうだった!」
コレットは頭を掻いた。
「私、また先走っちゃった?」
「少しだけ」
「えへへ……。気をつける!」
そんな調子で、俺たちは仕事を続けた。
◇
昼を過ぎた頃、俺は一度、第七係へ戻ることになった。
救護院の担当者から、保全されている患者の所持品について確認したいことがあると言われたのだ。
証拠として預かっているものは、勝手に返すわけにはいかない。第七係で管理状況を確かめ、必要なら担当者同士で手続きを進めることになっている。
「じゃあ、俺は一度戻るよ」
「うん! こっちは任せて!」
コレットが元気よく手を振った。
俺はリゼへ顔を向ける。
「無理しないように見ててくれる?」
「はい。セインも気をつけてくださいね」
「分かった」
「肩が痛むようなら、荷物は持たないでください」
「……うん」
そのやり取りを聞いて、コレットが笑った。
「もう、二人とも心配性なんだから!」
「コレットもだからね」
俺が言い返すと、彼女は舌を出した。
俺は笑いながら、救護院をあとにした。
この時は、二人なら大丈夫だろうと思っていた。
◇
用事を済ませて救護院へ戻ったのは、午後もかなり過ぎた頃だった。
受付の近くまで来ると、どこかからコレットの声が聞こえてきた。
「うん、分かった! じゃあ、こっちは私が持っていくね!」
廊下の向こうで、彼女が大きな箱を抱えていた。
その横では職員が何か説明している。
「すみません、助かります。ただ、三階の分はまだ確認が終わっていなくて……」
「大丈夫! 先に二階の分を届けてくるよ!」
コレットはそう答え、階段へ向かおうとした。
だが、途中で立ち止まり、壁へ手をついた。
ほんの一瞬だった。
すぐに姿勢を戻し、何事もなかったように歩き始める。
「……コレット?」
俺が声をかけると、彼女は振り向いた。
「あっ、セインさん! おかえり!」
「ただいま。……どうしたの?」
「ん? 何が?」
「さっき、ふらついてなかった?」
「えっ?」
コレットは一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「ああ、ちょっと足が疲れただけ! 全然平気だよ!」
「……本当に?」
「もちろん!」
彼女は元気よく答えた。
けれど、さっきより少しだけ声が大きい気がした。
俺が何か言おうとすると、後ろからリゼがやってきた。
「コレット、その箱を置いてください」
「えっ、でも……」
「今すぐです」
珍しく、強い口調だった。
コレットは目を丸くした。
「……リゼ?」
「一度、休みましょう」
「でも、まだ届けてないものがあるし……」
「それは分かっています」
リゼは彼女の手元を見た。
「でも、もう随分長く動いているでしょう?」
「……そんなことないよ」
「昼食も、ほとんど食べていませんよね」
コレットが黙った。
俺は思わず顔を上げた。
「……食べてないの?」
「……ちょっとだけ、時間がなくて」
「コレット!」
「だって、みんな忙しそうだったから!」
彼女は慌てて言った。
「私が手伝えば、その分早く終わるでしょ? だから……」
そこで言葉が止まった。
リゼは怒らなかった。
ただ、静かに箱へ手を伸ばした。
「じゃあ、私が持ちます」
「……いいよ」
「どうして?」
「リゼだって、ずっと働いてたじゃない」
「それはコレットも同じでしょう?」
「でも、私は……」
コレットは困ったように笑った。
「……私がやるって言ったことだもん」
その言葉を聞いて、リゼの表情が少し変わった。
俺も何も言えなくなった。
コレットは、引き受けた仕事を途中で人に渡すことが嫌なのだろうか。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。
「……コレット」
リゼが静かに言った。
「私に、手伝わせてくれませんか?」
コレットが顔を上げた。
「……え?」
「私、一人では全部できません。でも、二人ならできます」
リゼは小さく微笑んだ。
「だから、一緒にやりましょう」
コレットはしばらく黙っていた。
それから、箱を見下ろした。
「……でも」
「それに、セインも戻ってきましたから」
「……俺?」
突然話を振られて、思わず間の抜けた声が出た。
リゼは俺を見た。
「セインには、届け先の確認をお願いしましょう」
「あ、うん。それならできるよ」
「ね? 三人なら、もっと早く終わります」
コレットは俺たちを交互に見た。
やがて、少しだけ笑った。
「……そっか」
それから、ゆっくりと箱を床へ置いた。
「じゃあ……ちょっとだけ、お願いしてもいい?」
「もちろんです」
リゼが答える。
俺も頷いた。
「最初から頼ってくれていいんだよ」
「……えへへ」
コレットは照れくさそうに笑った。
「ありがと!」
◇
俺たちは休憩室で少し休んでから、残っている仕事を確認した。
リゼが紙を三枚並べる。
「今日中に届けるもの、明日でも大丈夫なもの、職員の確認が必要なもの。この三つに分けましょう」
「なるほど!」
コレットが身を乗り出した。
「それなら、急ぐものが分かりやすいね!」
「はい。それに、確認が必要なものを勝手に運ばずに済みます」
俺は思わず感心した。
リゼは最初から、全部を片づけようとはしていなかったのだ。
何を先にすればいいか考え、できることを整理している。
「……さすがだな」
俺が言うと、リゼは少し照れたように笑った。
「そんな、大したことではありませんよ」
「いや、俺だったら全部運ぼうとしてたかも」
「それは困ります」
即答だった。
コレットが吹き出した。
「あはは! セインさん、完全に信用されてない!」
「……否定できないけどさ」
俺たちは笑った。
そのあと、残った品物を確認していくと、朝に見つけた小さな布の鳥がまだ棚に残っていた。
「あれ? これ、まだ届けてないんだ」
コレットが手に取る。
「三階の病室だったよね?」
「ええ。ただ、病室の番号が古いようなんです」
リゼが紙を確認した。
「患者さんの名前は分かっていますから、受付で現在の病室を確認しましょう」
「そっか!」
コレットは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、私が行ってくる!」
「一緒に行きますよ」
「……うん!」
彼女は布の鳥を大切そうに抱えた。
◇
三階の病室には、年配の男性が一人で座っていた。
窓際の椅子に腰掛け、外の庭を眺めている。
顔色はまだあまりよくないが、俺たちが入ると穏やかに微笑んだ。
「……何か用かな?」
コレットが前へ出た。
「こんにちは! お届け物だよ!」
「……届け物?」
「うん! これ!」
彼女は布の鳥を差し出した。
男性はそれを見た瞬間、目を見開いた。
「……これは」
震える手で包みを受け取る。
中から青い鳥が現れると、男性はしばらく何も言わなかった。
「……娘が作ったものですか」
声が掠れていた。
「うん! 手紙もついてるよ!」
コレットが添えられていた紙を渡す。
男性はゆっくりと目を通した。
それから、布の鳥を胸に抱き寄せた。
「……あの子、まだ小さいのに」
俺は何も言わずに立っていた。
男性は涙を拭い、少しだけ笑った。
「家族には、まだ詳しいことを話せていないんです」
「……そうなんですか」
リゼが静かに答えた。
「ええ。身体が思うように動かなくなったことも、固有術のことも……」
男性は布の鳥を見つめた。
「何と言えばいいのか、分からなくて」
コレットは少し考えた。
それから、明るい声で言った。
「じゃあ、まずはありがとうって伝えたら?」
男性が顔を上げる。
「……ありがとう?」
「うん! すっごくかわいい鳥だもん! きっと、一生懸命作ったんだよ!」
彼女は笑った。
「それに、早くよくなってねって書いてあったでしょ? だったら、まずはそれが嬉しかったって伝えてあげたらいいと思う!」
男性はしばらくコレットを見つめていた。
やがて、小さく笑った。
「……そうですね」
彼は布の鳥をもう一度見た。
「難しいことばかり考えていました。でも、まずはありがとうと伝えればいいのかもしれません」
コレットは嬉しそうに頷いた。
「うん!」
リゼも微笑んだ。
「お返事を書くなら、職員の方にお願いできますよ」
「……そうですか」
男性は何度も頷いた。
「ありがとうございます。本当に」
俺たちは礼をして、病室を出た。
廊下へ出たところで、コレットが小さく息を吐いた。
「……よかったあ」
「嬉しそうだったね」
俺が言うと、彼女は大きく頷いた。
「うん! あの鳥、ちゃんと届いてよかった!」
その笑顔を見て、俺も嬉しくなった。
ただの布の鳥かもしれない。
でも、あの男性にとっては、きっと何より大切な贈り物なのだろう。
◇
夕方になり、ようやく仕事が一段落した。
救護院の職員たちは何度も礼を言ってくれたが、コレットはそのたびに「また来るね!」と笑っていた。
俺たちは庭へ出て、石造りの長椅子に腰掛けた。
夕日の光が花壇を照らし、風が木々の葉を揺らしている。
「……疲れたあ!」
コレットが大きく伸びをした。
「やっと言ったね」
俺が笑うと、彼女は少し驚いた顔をした。
「……え?」
「ずっと平気って言ってたからさ」
「あはは……。ばれちゃった?」
「最初からばれてたよ」
リゼも小さく笑った。
コレットは少しだけ頬を赤くした。
「……そっか」
それから、膝の上で両手を重ねた。
「私ね、人に頼るのって、ちょっと苦手なんだ」
俺は彼女を見た。
いつもの元気な声ではなかった。
「何かできることがあるなら、やらなきゃって思っちゃうの。誰かが困ってると、私が何とかしなきゃって」
「……どうして?」
俺が尋ねると、コレットは少し考えた。
「……うーん。何でだろ」
彼女は笑った。
「昔から、そういうふうに考えることが多かったからかな」
リゼが静かに口を開いた。
「でも、コレットだって疲れるでしょう?」
「……うん」
「困ることもありますよね」
「……あるよ」
コレットは頷いた。
それから、少しだけ視線を落とした。
「でもさ、私ができないって言ったら、誰かが困るかもしれないじゃない?」
その言葉を聞いて、俺は何も言えなくなった。
彼女が何を抱えているのか、俺には分からない。
ただ、いつも明るく笑っているコレットが、そんなことを考えていたのは少し意外だった。
リゼはしばらく黙っていた。
やがて、コレットの隣へ座り直した。
「……私は、コレットに頼ってもらえたら嬉しいですよ」
コレットが顔を上げる。
「……本当?」
「はい」
リゼは頷いた。
「だって、私もコレットに助けてもらったことがありますから」
「……そうだっけ?」
「競売会場で、怪我をした方を一緒に運んだでしょう?」
「あっ、うん!」
「あの時、コレットが兵士を呼びに行ってくれなかったら、もっと大変だったと思います」
コレットは少し照れたように笑った。
「……そんな、大したことしてないよ」
「大したことでしたよ」
リゼははっきりと言った。
「だから、今度は私にも手伝わせてください」
コレットは何も言わなかった。
リゼは続ける。
「何でも一人でやろうとしなくても、いいと思うんです」
「……うん」
「それに、一緒にやった方が楽しいこともありますから」
コレットはしばらくリゼを見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「……そっか」
彼女は空を見上げた。
「一緒にやった方が、楽しいこともあるんだね」
「はい」
リゼが微笑む。
コレットも笑った。
「……じゃあ、今度はもっと頼っちゃおうかな!」
「ぜひ、そうしてください」
「ほんと? じゃあ、今度一緒に買い物行こ!」
「えっ?」
リゼが目を丸くした。
「買い物、ですか?」
「うん! 今日みたいなお手伝いもいいけど、普通に遊びにも行きたいなって!」
コレットは嬉しそうに笑った。
「リゼと一緒なら、楽しそうだもん!」
リゼは少し驚いた顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「……いいですね」
「やった!」
コレットは両手を上げた。
「じゃあ、約束ね!」
「はい。約束です」
俺は二人を見ながら、少しだけ笑った。
どうやら、また一つ新しい約束ができたらしい。
◇
「……そういえば」
コレットが突然、俺を見た。
「セインさん!」
「何?」
「セインさんも、もっと人に頼った方がいいよ!」
「……何で俺まで?」
「だって、いつも一人で飛び出しちゃうじゃない!」
「……それは」
「ほら! また否定できない!」
コレットは得意そうに笑った。
リゼも隣で頷く。
「私も同感です」
「……二人とも、息が合ってきたね」
俺が言うと、コレットが嬉しそうにリゼの腕へしがみついた。
「でしょ! 私たち、もう仲良しだもん!」
リゼは少し驚いたあと、笑った。
「……そうですね」
「えへへ!」
コレットは満足そうに頷いた。
俺は二人を見ながら、何となく嬉しくなった。
リゼは昔から、誰かとすぐに打ち解ける方ではない。
人のことをよく見ているし、優しいけれど、自分から距離を縮めるのは少し苦手だ。
そんな彼女が、コレットとは自然に笑い合っている。
それが嬉しかった。
「……セイン?」
リゼが顔を覗き込む。
「どうしました?」
「……いや」
俺は笑った。
「二人とも、楽しそうだなって」
「もちろん!」
コレットが元気よく答えた。
「だって、今日はいっぱい働いたし、お友達もできたんだよ!」
彼女はそう言って、リゼを見た。
「ね?」
「……はい」
リゼも笑った。
俺はその様子を見ながら、昨日の青鐘亭でのことを思い出した。
ネイが言っていた。
もっと仲間を頼ればいい、と。
今日のコレットも、きっと少しだけ同じことを考えたのだろう。
俺自身、まだ人に頼るのは得意じゃない。
でも、一緒にできることが増えるのなら、悪くないと思った。
◇
救護院を出る前に、受付の女性が俺たちを呼び止めた。
「皆さん、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ!」
コレットが笑う。
「また何かあったら呼んでね!」
「ありがとうございます。ただ……」
女性は少し迷ったように言葉を切った。
「最近、患者さんのことで、気になることがありまして」
俺たちは顔を上げた。
「……何でしょうか」
リゼが尋ねる。
「見知らぬ人が、何度か患者さんの名前を聞きに来ているんです」
俺は眉を寄せた。
「……名前を?」
「はい。面会の予定もないのに、どの病室に誰がいるのか知りたがっていて」
「家族じゃないんですか?」
「そう名乗る人もいました。でも、患者さんに確認すると知らない人だったんです」
コレットの表情が変わった。
「……それって、危なくない?」
「私たちもそう思い、今は患者さんの情報を外部へ伝えないようにしています」
女性は頷いた。
「ただ、同じような問い合わせが何度か続いているので、念のためお伝えしておこうと思いまして」
俺はリゼを見た。
彼女も険しい顔をしている。
グレゴールの商会を調べている今、こうした話を偶然だと片づけることはできなかった。
「……分かりました。警護隊にも報告しておきます」
俺が答えると、女性は安心したように頭を下げた。
「よろしくお願いします」
受付を離れたところで、コレットが小さく呟いた。
「……嫌だな、そういうの」
「うん」
俺は頷いた。
「誰が来てたのか、調べてもらおう」
「……そうですね」
リゼが静かに答えた。
彼女は受付の方を一度振り返った。
「今度は、患者さんたちが安心して休めるようにしないと」
コレットも頷いた。
「うん! せっかく少しずつ元気になってるんだもんね!」
俺たちは救護院をあとにした。
◇
帰り道、コレットはいつもの調子に戻っていた。
「ねえねえ、リゼ!」
「何ですか?」
「買い物、いつ行く?」
「そうですね……。仕事が落ち着いたら、でしょうか」
「じゃあ、今度のお休みは?」
「まだ予定が分からないんです」
「そっかあ。じゃあ、分かったら教えてね!」
「はい」
コレットは嬉しそうに笑った。
その横で、リゼも穏やかに微笑んでいる。
俺は二人の少し後ろを歩いていた。
今日一日で、コレットのことが少し分かった気がした。
彼女は明るくて、誰とでもすぐに仲良くなれる。
誰かが困っていたら、迷わず手を差し伸べる。
けれど、自分が困った時には、なかなか同じことができない。
いつも笑っているからといって、何も悩んでいないわけじゃないのだろう。
「……セインさん!」
突然、コレットが振り向いた。
「ん?」
「今日、ありがとね!」
「……俺?」
「うん! 荷物も持ってくれたし、一緒に手伝ってくれたし!」
彼女はにっこり笑った。
「一人だったら、あんなにできなかったと思う!」
俺は少し驚いた。
朝は、全部自分でやると言っていたのに。
「……そっか」
俺も笑った。
「じゃあ、またみんなで行こうか」
「うん!」
コレットは元気よく頷いた。
「今度は、最初からちゃんと分担しようね!」
「それ、俺が言おうと思ってたんだけど」
「えへへ! 先に言っちゃった!」
リゼが笑った。
俺も笑いながら、二人と並んで歩き出した。
夕暮れの王都には、仕事を終えた人々の声が響いていた。
救護院で見た布の鳥や、それを受け取った男性の笑顔が、まだ頭に残っている。
失われたものがすぐに戻るわけではない。
それでも、誰かが大切にしてくれたものを受け取ることで、少しだけ前を向ける時もあるのかもしれない。
そして、コレットもきっとそうなのだろう。
何でも自分で持とうとしなくていい。
隣にいる誰かへ、少しだけ預けてもいい。
俺はそんなことを考えながら、賑やかな通りを歩いていった。




