↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第四章 才能の値札

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/100

第八十四話 帰りの記録


「……帰りの記録が、一つもない?」


 ティセラがそう言うと、オルネラは黙って頷いた。


 俺たちがいるのは、王宮の河岸管理課にある資料室だった。


 窓の外では荷車が行き交い、遠くから船の汽笛が聞こえてくる。室内には古い紙と乾いた木の匂いが漂っていて、天井まで届く棚には分厚い帳簿がぎっしりと並んでいた。


 目の前の机には、六年前の第三搬出路の運搬記録が広げられている。


 昨日、検量塔で助けた男性が教えてくれたものだ。


 あの設備では、荷台を動かすたびに積載量を記録し、月ごとに王宮へ提出する決まりがあったらしい。


 現場の図面や記録が消されても、管理課に古い帳簿が残っているかもしれない。


 そう考えた俺たちは、ムラサメに相談し、調査のために閲覧を認めてもらった。


「……これ、全部六年前の?」


 俺が尋ねると、ティセラは頷いた。


「ええ。第三搬出路が正式に使われなくなる直前の記録ね」


 帳簿には、日付と荷台の番号、それから積み荷の重量が細かく書かれていた。


 ただ、俺には数字の羅列にしか見えない。


「……で、何がおかしいの?」


 リオルが横から覗き込む。


 右腕を固定したまま、左手で椅子を引き寄せた。


「同じ日に何度も荷台が動いてるのは分かるんだけどさ」


「そこじゃないの」


 ティセラは帳簿を指さした。


「この日の記録、十二回も荷台を動かしているでしょう?」


「……うん」


「全部、北門方面へ送っているのよ」


 俺は指を目で追った。


 確かに、行き先の欄には同じ区画番号が繰り返されている。


「でも、戻ってくる時の記録がないの」


「……それって、普通じゃないの?」


 俺が尋ねると、オルネラが首を振った。


「荷台は戻さないと次の荷物を運べないだろう? だから、空の荷台を戻した場合も記録する決まりだったんだよ」


「……じゃあ、何で?」


「それを知りたいのさ」


 オルネラは帳簿を見つめた。


「昔の係員が書き忘れた可能性もある。だけど、十二回も続けてとなると、少し気になるね」


 俺は数字を見つめた。


 十二回。


 その数字だけで、何かが分かるわけではない。


 でも、六年前のティセラが止めようとしていた設備で、記録に残らない運搬が行われていた。


 それは、偶然なのだろうか。


     ◇


「……一つ、いいですか」


 リゼが静かに口を開いた。


「どうぞ」


 資料室の管理官が頷く。


「この帳簿、原本ですよね?」


「はい。当時の担当者から提出されたものです」


「少し、確かめてもいいでしょうか」


 許可を得ると、リゼは帳簿へ顔を近づけた。


 銀白の髪が肩から滑り落ちる。


 彼女はしばらく紙面を見つめ、それから眉を寄せた。


「……ここです」


 指さしたのは、運搬記録の右端だった。


「この欄に、不自然な欠け方があります」


 俺も覗き込んだ。


「……何か消されてる?」


「可能性はあります。ただ、何があったかまでは分かりません」


 リゼは首を振った。


「紙が破れているわけではないんです。でも、ここに本来あったはずのものが、なくなっているように感じます」


 〈空白視〉。


 リゼは、目に見えない欠落を見つけられる。


 けれど、消えた文字を元に戻せるわけじゃない。


「……じゃあ、別の記録と比べてみよう」


 俺が言うと、ティセラが頷いた。


「それがよさそうね」


 彼女は別の月の帳簿を手に取った。


 通常の運搬記録には、行き先のほかに荷台の返送確認欄があった。


 荷台を戻した担当者が署名する、小さな枠だ。


「……あれ?」


 リオルが声を上げた。


「さっきの帳簿、その枠自体がなかったような……」


「そうなのよ」


 ティセラが答えた。


「ほかの月にはあるのに、この時期だけ見当たらないの」


 俺は二冊を並べてみた。


 紙の大きさも、欄の並び方もほとんど同じなのに、六年前の一部の記録だけ、返送確認の欄が空白になっていた。


「……誰かが書式を変えたのかな」


「その可能性もあるわ」


 ティセラは慎重に答えた。


「だから、これだけで改竄されたとは決められない。でも、いつから変わったのかは調べられる」


 彼女は前の月の帳簿を開いた。


 そして、何枚かめくったところで手を止めた。


「……ここからね」


 同じ書式が並んでいた帳簿の途中で、突然、返送確認欄だけが消えていた。


 日付は六年前。


 ちょうど、ティセラが検量塔へ出入りしていた時期だった。


「……誰が変更を認めたんだろう」


 俺が呟くと、管理官が資料棚へ目を向けた。


「書式変更の申請書なら、別に保管しているはずです」


「本当ですか?」


「ええ。少しお待ちください」


 管理官は棚の奥へ歩いていった。


 俺たちは顔を見合わせた。


 初めて、少し先へ進めそうだった。


     ◇


「……セイン」


 待っている間に、リオルが小声で話しかけてきた。


「何?」


「昨日のことなんだけどさ」


「うん」


「お前、また肩を痛めてない?」


 俺は思わず目を逸らした。


「……少しだけ」


「少しだけ、って便利な言葉だよな」


「お前だって右腕を治してる途中だろ」


「俺はちゃんと診てもらったよ」


「……本当に?」


「本当。今朝もね」


 リオルは得意そうに笑った。


 その顔を見る限り、どうやら今回は嘘ではなさそうだ。


「……じゃあ、俺も帰りに診てもらうよ」


「そうしろって」


 リオルは頷いた。


「それにしても、ティセラの過去がこんなところに繋がるとはな」


 俺は彼女の方を見た。


 ティセラはオルネラと並んで、古い帳簿を確認している。


 昨日の検量塔では、覚えていない自分が装置を止めようとしていたと聞いて、少し安心したように見えた。


 けれど、安心できたのはそこまでだ。


 六年前に誰を運ぼうとしていたのか。


 なぜ、その人たちを守ろうとしたのか。


 肝心なことは、まだ何も分かっていない。


「……怖いだろうな」


 俺が呟くと、リオルが顔を向けた。


「何が?」


「自分が何をしてたか、覚えてないって」


 リオルは少し黙った。


「……そうだな」


 彼はティセラを見つめた。


「でも、あいつは調べるって決めたんだろ?」


「うん」


「なら、俺たちができるのは手伝うことだよ」


 俺は頷いた。


 そうだ。


 ティセラの過去を、俺たちが勝手に決めることはできない。


 どんな事実が出てきても、本人が知りたいと思うなら、そのために力を貸したかった。


     ◇


「……見つかりました」


 しばらくして、管理官が一冊の薄い記録簿を持って戻ってきた。


「第三搬出路の書式変更に関する申請です」


 俺たちは机へ集まった。


 書類には、変更理由が短く記されている。


『運搬業務の効率化に伴い、返送確認欄を廃止する』


「……効率化?」


 俺は思わず聞き返した。


「荷台を戻したかどうか、確かめなくてよくなるんですか?」


 オルネラが苦々しい顔をした。


「本来なら、そんな理由で省いていい欄じゃないよ。設備の異常を見つけるためにも必要な記録なんだから」


「じゃあ、どうして認められたの?」


 ティセラが尋ねる。


 管理官は書類の下部を確認した。


「当時の管理責任者が承認しています。理由が妥当だったかどうかは、今となっては別途調べる必要がありますが……」


 俺は書類を見た。


 そこには見慣れない名前と、古い王宮の印が押されていた。


 グレゴールの名前ではない。


 それも当然なのかもしれない。


 六年前、あの商会がどこまで関わっていたのかは、まだ分かっていないのだから。


「……これで分かるのは、誰かが正式な手続きで返送記録をなくしたってことね」


 ティセラが言った。


「そうです」


 リゼが頷く。


「ただ、その理由が本当だったかどうかは分かりません」


「ええ」


 ティセラは書類を見つめた。


「でも、変えた日付は分かったわ」


 俺は顔を上げた。


「……それが大事なの?」


「昨日の整備員が言ってたでしょう。私が人を運ぶ計画に反対していたって」


「ああ」


「この書式変更、私が検量塔へ来るようになった時期と重なるのよ」


 その言葉で、俺もようやく繋がった。


 誰かが返送記録をなくした。


 同じ頃、ティセラが危険な設備を調べ始めた。


 そして、人を運ぶことに反対していた。


「……ティセラは、この変更に気づいてたのかな」


 俺が尋ねると、彼女は苦笑した。


「覚えていれば答えられるんだけどね」


 そう言ってから、少しだけ視線を落とした。


「……本当に、厄介な話だわ」


 俺は何も言えなかった。


 過去の自分が残した名前を見つけても、その時何を考えていたのか分からない。


 それは、きっと俺が思う以上に苦しいことだった。


     ◇


「……一つ、思い出したことがあるよ」


 オルネラが口を開いた。


 ティセラが顔を上げる。


「何?」


「六年前、あんたがうちへ来た夜のことさ」


「……私が?」


「ああ。ひどい雨の日だった」


 オルネラは遠くを見るように目を細めた。


「あんた、ずぶ濡れになって帰ってきたんだよ。何か言いたそうにしていたけど、結局何も話さなかった」


「……そうなの?」


「覚えてないだろうね」


 ティセラは黙って頷いた。


「私も無理には聞かなかった。あの頃のあんたは、何かに追われているみたいだったからね」


「……何かに追われていた?」


「そう見えただけだよ。実際に誰かが追っていたかどうかは分からない」


 オルネラは一度、言葉を切った。


「ただ、その時あんたは、こんなことを言ったんだ」


 ティセラは息を止めた。


「……何て?」


「『今は話せない。でも、いつかちゃんと話す』ってね」


 俺はティセラを見た。


 彼女は祖母の顔をじっと見つめている。


「……そんなこと、言ったんだ」


「ああ」


 オルネラは小さく笑った。


「私はずっと待ってたよ。あんたが話してくれる日をね」


 ティセラの指が、帳簿の端を握った。


「……ごめん」


「何を謝るんだい」


「だって、結局何も話せないままだったんでしょう」


「そうだね」


 オルネラは頷いた。


「でも、あんたが悪いわけじゃない。話したくても、思い出せないんだから」


 ティセラは唇を噛んだ。


 俺は二人から少しだけ視線を外した。


 六年間の記憶を失ったあと、ティセラは祖母へ手紙を書いていた。


 けれど、その手紙はまだ渡されていない。


 昨日、第七係の机の引き出しで見かけた封筒が頭に浮かんだ。


 あれを渡すかどうかも、彼女自身が決めることだ。


     ◇


 調査は昼過ぎまで続いた。


 俺たちは六年前の帳簿を何冊も見比べ、第三搬出路が使われていた時期を絞り込んでいった。


 やがて、ダグが一冊の記録を持ってきた。


「……こちらも確認していただけますか」


 午前中、別件の報告を終えて合流してくれたのだ。


「何か見つかったんですか?」


 俺が尋ねると、ダグは頷いた。


「当時の荷物の受け渡し先について、別の帳簿がありました」


「……受け渡し先?」


「はい。河岸管理課では運搬の記録を残しますが、荷物を受け取った場所でも確認印を押す決まりだったようです」


 ダグは帳簿を開いた。


「こちらは、受け取り側から提出された控えです」


 俺は身を乗り出した。


 そこには、運搬日と荷台の番号が書かれていた。


 最初の数件は、普通の倉庫や商店の名前だった。


 しかし、途中から同じ区画番号が何度も繰り返されている。


「……これ、さっき見た番号だ」


 俺が言うと、ティセラも顔を上げた。


「本当ね」


 オルネラが眼鏡をかけ直す。


「……ちょっと見せておくれ」


 彼女は帳簿を受け取り、じっと見つめた。


 やがて、表情が変わった。


「……ああ、そういうことかい」


「どうしたの?」


 ティセラが尋ねる。


「この区画番号、今の地図には載ってないけど、昔は別の名前で呼ばれていた場所だよ」


「……どこ?」


 オルネラは顔を上げた。


「北門の染料倉庫さ」


 俺は息を呑んだ。


 北門。


 染料倉庫。


 その二つの言葉が、嫌なほど聞き覚えのある場所を指していた。


「……もしかして」


 俺が言いかけると、オルネラが頷いた。


「そうだよ。今は使われなくなった、あの染物場のことさ」


 背筋が冷たくなった。


 ヨルンが連れていかれ、命を落とした施設。


 あの建物へ、六年前にも荷物が運ばれていたのだ。


     ◇


「……六年前から?」


 リオルが低い声で言った。


「でも、あの施設がいつから今みたいに使われていたかは、まだ分かってないよな」


「そうですね」


 ダグが頷く。


「この記録だけでは、当時運ばれたものが人間だったとまでは言えません」


「……でも、ティセラは人を運ぶ計画に反対してたんだよね」


 俺が言うと、ティセラは頷いた。


「ええ。昨日の整備員の証言が本当ならね」


 リゼは帳簿へ目を落とした。


「六年前の記録と、今の施設を結びつける場所が見つかった。それだけでも、大きな手がかりです」


 俺は黙って頷いた。


 ここから先は、まだ分からないことばかりだ。


 六年前、あの染物場で何が行われていたのか。


 誰が設備を使い、人を運ぼうとしていたのか。


 そして、ティセラが誰を守ろうとしていたのか。


「……ダグさん」


 俺は声をかけた。


「はい」


「今の商会の記録にも、同じ場所が出てきますよね」


「ええ。北門の施設は、現在の調査対象ですから」


「じゃあ、昔の運搬記録と照らし合わせることはできますか?」


 ダグは少し考えた。


「すべての資料が残っているかは分かりません。ただ、運搬業者や設備の管理記録を比較すれば、何か分かるかもしれませんね」


「……お願いします」


「分かりました。ムラサメさんにも報告しておきます」


 俺はもう一度、帳簿を見た。


 同じ場所へ、何年も前に荷台が向かっていた。


 それを知って、胸の奥が落ち着かなくなった。


 あの施設で苦しんでいた人たちは、今回だけの被害者なのだろうか。


 もし、もっと前にも同じようなことが起きていたとしたら。


「……セイン」


 リゼが俺の袖を軽く引いた。


「顔が怖いですよ」


「……そう?」


「はい」


 彼女は少しだけ笑った。


「でも、今日は急いで飛び出さなくて済みそうですね」


「……さすがに帳簿相手には飛び出せないよ」


「それなら安心です」


 俺は思わず笑った。


 リゼも小さく笑う。


 その横でリオルが口を挟んだ。


「いや、セインなら帳簿を抱えて走り出すかもしれないぞ」


「お前、俺のこと何だと思ってるんだよ」


「最近、何でも全力で突っ込む人」


「……否定しづらいな」


 ダグまで笑いをこらえている。


 俺は少しだけ肩を落とした。


 けれど、こうして仲間たちと話していると、張り詰めていた気持ちが少し和らいだ。


     ◇


 資料室を出た頃には、もう夕方になっていた。


 オルネラは階段をゆっくりと降りながら、隣を歩くティセラへ話しかけていた。


「……それで、今日はちゃんと夕飯を食べるんだよ」


「分かってるわよ」


「昨日も同じことを言ったじゃないか」


「ばあちゃん、私はもう子供じゃないの」


「子供じゃないから心配しないってわけじゃないさ」


 ティセラが呆れたように息を吐く。


 俺はその後ろを歩きながら、少し笑った。


 昨日まで、ティセラは祖母との距離を測りかねていたように見えた。


 今日もまだ、何でも話せるわけではないのだろう。


 でも、二人のやり取りは少しずつ自然になっている気がした。


「……ばあちゃん」


 階段を降りきったところで、ティセラが足を止めた。


「何だい?」


「私、手紙を書いたことがあるの」


 オルネラが振り向いた。


「……手紙?」


「ばあちゃんに宛てて」


 ティセラは少し視線を落とした。


「でも、結局出せなかった」


 俺も足を止めた。


 昨日、引き出しにあった封筒のことだ。


「……そうかい」


 オルネラは静かに答えた。


「何が書いてあるの?」


「……いろいろ」


 ティセラは苦笑した。


「思い出せないことが怖いとか、ばあちゃんに会うのが怖いとか。そんなことばっかり」


 オルネラは何も言わなかった。


「六年間のことを知りたいって思ってた。でも、知ったら自分が変わってしまうんじゃないかって、ずっと怖かったの」


 ティセラの声が少し揺れた。


「だから、手紙を書いたのに、出せなかった」


 オルネラはしばらく孫を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと頷いた。


「……無理に渡さなくていいよ」


 ティセラが顔を上げる。


「……いいの?」


「ああ」


 オルネラは笑った。


「手紙をもらわなくても、こうして話せるじゃないか」


 ティセラの目が揺れた。


 しばらく何も言わなかったが、やがて小さく頷いた。


「……そうね」


「それにね」


 オルネラは杖を握り直した。


「覚えていない六年間に、あんたが何をしていたとしても、私の孫であることは変わらないよ」


 ティセラは俯いた。


 俺はその横顔を見つめた。


 泣いているわけではなかった。


 ただ、何かを必死にこらえているように見えた。


「……ありがとう、ばあちゃん」


 ようやく声が出た。


 オルネラは少しだけ目を細めた。


「まったく。今日は随分素直じゃないか」


「……今だけよ」


「そうかい。じゃあ、今のうちに覚えておくよ」


 二人は顔を見合わせ、笑った。


 俺も少し笑いながら、ゆっくりと歩き出した。


     ◇


 その時、背後から声が聞こえた。


「……皆さん、少しよろしいでしょうか」


 振り向くと、さっきの管理官が駆け寄ってきていた。


 手には小さな書類の束を抱えている。


「どうかしましたか?」


 ダグが尋ねる。


「実は、先ほど確認していただいた第三搬出路の記録について、気になることがありまして」


 俺たちは足を止めた。


「……何でしょうか」


「今朝、同じ記録を閲覧したいという申請が届いていたんです」


 ティセラが眉を寄せた。


「……誰から?」


 管理官は書類を開いた。


「六年前の運搬記録を調べたいという依頼でした。かなり古い資料なので、珍しいことだと思っていたのですが……」


 俺は胸の奥がざわつくのを感じた。


 昨日、倉庫が襲われた。


 古い図面が盗まれ、火までつけられた。


 その翌朝に、同じ頃の記録を調べたいという申請があった。


「……それ、誰が出したんですか?」


 俺が尋ねると、管理官は書類の下を指さした。


「こちらです」


 俺はそこに書かれた名前を読んだ。


 見覚えのある商会名だった。


『ザント商会』


 喉の奥が乾いた。


「……グレゴールの商会?」


 俺が呟くと、ダグの表情が変わった。


「……この記録は、もう見せたんですか?」


 管理官は首を振った。


「いいえ。現在、北門の施設に関する調査が進んでいますので、関係する資料の外部閲覧は一時的に制限されています。申請は保留にしています」


 ダグは頷いた。


「ありがとうございます。その書類も、調査資料として確認させていただけますか」


「もちろんです」


 管理官が書類を渡す。


 俺はティセラを見た。


 彼女は何も言わず、申請書を見つめていた。


「……偶然だと思う?」


 俺が尋ねると、ティセラはゆっくりと首を振った。


「分からないわ。でも、今になって六年前の記録を調べたがる理由は、確かめたいわね」


 リオルも頷いた。


「商会が当時から関わってた証拠にはならないけど、今この記録に興味があるってことは分かったな」


 俺はもう一度、申請書を見た。


 六年前、ティセラは誰かを運ばせまいとしていた。


 その設備は、今も北門の施設に繋がっている。


 そして、グレゴールの商会が、古い運搬記録を調べようとしていた。


 どうしてだろう。


 何を知りたいのだろう。


 俺たちがまだ気づいていないことを、あの男は知っているのだろうか。


「……ティセラ」


「何?」


「六年前のこと、もっと調べよう」


 彼女は俺を見た。


 それから、静かに頷いた。


「ええ。もちろんよ」


 夕暮れの光が、王宮の窓を赤く染めていた。


 俺は手元の申請書を見つめた。


 グレゴールが何を隠しているのかは、まだ分からない。


 でも、あの男が目を向けている場所へ、俺たちもようやくたどり着いたのかもしれない。


 そして今度は、記録を消される前に、確かめなければならないと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。