第八十三話 四度目の音
ゴンッ!
四度目の音が響いた時、足元の石畳がわずかに揺れた。
「……まずいね」
オルネラが水路の向こうを見つめた。
夕方の光を受けた古い建物から、鳥が数羽飛び立っていく。細長い煙突の横には、窓の少ない石造りの塔がそびえていた。
「あそこが第三搬出路の検量塔だよ。重りを動かす装置が地下にある」
「じゃあ、あの中で何か起きてるのね」
ティセラが言うと、オルネラは頷いた。
「重りが正常に動いていれば、あんな音はしない。どこかにぶつかっているんだろうね」
「それって、危ないの?」
「重りが外れれば、繋がっている荷台が一気に動く。人が乗っていたら、ただじゃ済まないよ」
俺は塔を見上げた。
明日の朝に試運転するはずの設備が、すでに動いている。
しかも、誰かが安全装置を取り外そうとしていたことは、焼けた倉庫で見つけた紙に書かれていた。
嫌な予感がした。
「行こう。誰かいるかもしれない」
俺が歩き出すと、リオルが左手で肩を押さえた。
「待て。先に兵士へ連絡しよう」
「……そうだな」
俺が足を止めると、親友は少しだけ笑った。
「素直じゃん」
「お前が毎回心配するからだろ」
「そりゃそうだよ。また怪我を増やされたら困るし」
リオルは同行していた兵士へ向き直った。
「ムラサメさんに状況を伝えてくれ。塔の周辺に人を近づけないよう、警備も頼みたい」
「承知しました!」
兵士が走り出す。
残った兵士と俺たちは、水路に架かる古い橋を渡った。
塔へ近づくにつれ、油と鉄の匂いが濃くなっていく。
入口の脇には荷車が止められていた。荷台には工具箱が積まれ、まだ新しい車輪の跡が湿った地面に残っている。
「……誰かが最近使ってるんだな」
俺が呟いた時、中から怒鳴り声が聞こえた。
「もう無理だ! 止めなきゃ人が死ぬぞ!」
「最後まで動かせと言われてるんだ! 余計なことはするな!」
俺たちは顔を見合わせた。
リオルが兵士へ合図する。
「王宮の警護隊だ! 中にいる者は手を止めろ!」
返事はなかった。
代わりに、何かが激しく軋む音がした。
「……入るぞ」
リオルが扉を押した。
◇
塔の内部には、巨大な滑車があった。
天井から垂れ下がる二本の太い鎖が、それぞれ別の縦穴へ続いている。
片方の穴には大きな石の重りが吊るされ、もう片方には鉄製の荷台があった。
その荷台に、二人の人間が乗せられていた。
「……助けて!」
若い女性が声を上げる。
彼女は床へ座り込み、手すりにしがみついていた。隣には年配の男性がいて、片腕で女性を支えている。
荷台はゆっくりと上昇していた。
その上には太い梁が渡されている。このまま上がり続ければ、二人が挟まれてしまう。
「おい! 装置を止めろ!」
リオルが叫んだ。
操作台の前にいた男が振り向く。
顔には布を巻き、片手に短い刃物を持っていた。
「……王宮の連中か!」
男は舌打ちすると、操作台の横に置かれていた工具箱を蹴り倒した。
金属の部品が床へ散らばる。
その隙に、男は奥の通路へ走り出した。
「待て!」
兵士が追いかける。
だが、男は振り向きざまに油瓶を投げつけた。
床で瓶が割れ、油が広がった。兵士は滑りかけて足を止める。
男は通路の向こうへ消えていった。
「くそっ!」
兵士が吐き捨てる。
俺も追いかけようとしたが、頭上から女性の悲鳴が聞こえた。
「お願い! 早く止めて!」
俺は立ち止まった。
男を逃がしたくない。
でも、あの二人を置いていくわけにはいかなかった。
「兵士さん、出口を確認して! こっちは俺たちで何とかする!」
リオルが指示を出す。
「分かりました!」
兵士が走っていく。
俺たちは操作台へ駆け寄った。
オルネラは古い機械を一目見るなり、顔をしかめた。
「……やっぱりだよ」
「何が?」
ティセラが尋ねる。
「本来あるはずの制動機が外されてる。あれじゃ荷台を止められない」
「別の方法はないの?」
「非常用の仕組みが残っていればね」
オルネラは操作台の左右を指さした。
「両側の留め具を同時に解除すると、補助の重りが動いて歯車を止めるんだ。ただし、片方だけ動かすと荷台が傾く危険がある」
「……両側同時解除」
ティセラが呟いた。
俺もすぐに思い出した。
焼けた倉庫から彼女が写し取った図面に、同じ言葉があった。
「じゃあ、あの書き込みは……」
「非常用の操作を残したものだったんだね」
オルネラは頷いた。
俺たちは操作台を調べた。
左側には鉄の取っ手がある。
しかし、右側は木の板で覆われ、太い釘で固定されていた。
「……こっち、塞がれてる!」
俺が叫ぶと、ティセラが工具箱から金槌を拾った。
「どいて。釘を抜いてみるわ」
彼女は板の隙間に金槌の先を差し込み、慎重に力を込めた。
板が少し浮く。
「……もう少し!」
もう一度動かすと、釘が外れて床へ落ちた。
その下から、二つ目の取っ手が現れた。
「……あった!」
俺が声を上げた時、頭上で大きな音がした。
ゴンッ!
荷台が揺れ、女性が悲鳴を上げる。
「父さん!」
彼女が隣の男性へしがみついた。
男性は必死に身体を支えていたが、もう立っているのもつらそうだった。
「……急がないと!」
俺は右側の取っ手へ手を伸ばした。
◇
「セイン、俺が左をやる!」
リオルが反対側へ回った。
右腕はまだ固定されている。左手だけで取っ手を動かすことになるが、親友はためらわずに鉄を握った。
「……無理するなよ」
「お前にだけは言われたくないね」
リオルは少し笑った。
けれど、すぐに真剣な顔へ戻る。
「ティセラ、合図を頼む!」
「分かったわ!」
ティセラは図面を広げ、オルネラと確認を始めた。
その間も荷台は上昇している。
梁まで、もう数メートルもなかった。
「上の二人! 手すりから離れないでください!」
リゼが声を張った。
「今から止めます! 身体をできるだけ低くして!」
女性が頷く。
年配の男性も手すりを握り直した。
俺は取っ手に両手を添えた。
鉄は冷たく、表面には錆が浮いていた。
「……いくわよ!」
ティセラが叫ぶ。
「一、二の……三!」
俺とリオルは同時に取っ手を引いた。
ガンッ!
操作台の奥で何かが外れる音がした。
「……動いた!」
俺が顔を上げた、その瞬間だった。
荷台が大きく傾いた。
「きゃあっ!」
女性の身体が横へ滑る。
年配の男性が彼女を抱き寄せたが、二人とも手すりへぶつかった。
「……何で止まらないんだ!」
リオルが叫んだ。
俺は操作台を見た。
右側の取っ手は下がっている。
だが、左側は途中で引っかかっていた。
「……リオル、左が!」
「分かってる!」
彼はもう一度力を込めた。
しかし、取っ手はびくともしない。
頭上では荷台がさらに傾き、金属が悲鳴のような音を立てている。
「……まずい!」
リオルは取っ手を離すと、荷台を支える支柱へ駆け寄った。
左手を鉄へ当てる。
〈均衡〉。
荷台の左右にかかる力が一時的に釣り合い、傾きがわずかに戻った。
それでも、上昇は止まらない。
リオルの額に汗が浮かぶ。
「セイン! 早く原因を探して!」
「分かった!」
俺は左側の取っ手へ回った。
鉄の根元には、小さな金具がついている。
その一部が不自然に曲がっていた。
「……ここか?」
俺が手を伸ばすと、ティセラが横から覗き込んだ。
「待って。何か挟まってない?」
俺は身を屈めた。
曲がった金具の間に、細い鉄片が押し込まれている。
錆びついて動かなくなったのではない。
誰かが、動かないようにしていたのだ。
「……わざとかよ!」
腹の底が熱くなった。
あの男たちは、人が乗っていると知りながら、止めるための仕組みまで使えなくしていた。
何のためにそこまでするんだ。
怒鳴りたい気持ちを抑え、俺は工具箱から細い鉄棒を探した。
父さんの工房にも、似たような金具を扱う道具がある。
無理に叩けば、余計に噛み込んでしまう。
俺は鉄片の端を確かめ、棒の先を隙間へ差し込んだ。
「……動いてくれ」
少し力を込める。
動かない。
角度を変え、もう一度押す。
手のひらが汗で滑った。
肩の痛みも強くなっていたが、今は手を止められなかった。
「……セイン!」
リゼの声が響いた。
「上、もう限界です!」
見上げると、荷台の上端が梁のすぐ下まで迫っていた。
女性は男性へしがみつき、顔を伏せている。
リオルも必死に〈均衡〉を維持しているが、もう長くは持ちそうになかった。
俺は歯を食いしばり、鉄棒をもう一度押し込んだ。
カチン。
小さな音がした。
鉄片が外れ、足元へ転がった。
「……取れた!」
俺は叫んだ。
「リオル! もう一回!」
親友が顔を上げる。
「……いける!」
リオルは支柱から手を離し、操作台へ戻った。
その瞬間、荷台が再び揺れる。
「急いで!」
リゼが叫んだ。
俺たちは取っ手を握り直した。
「……今度こそ!」
ティセラが声を張る。
「一、二の……三!」
二つの取っ手を同時に引いた。
ガシャンッ!
操作台の奥で歯車が噛み合い、太い鎖が激しく震えた。
荷台が一度、大きく揺れる。
そのまま少しだけ上昇して、止まった。
俺は息を止めたまま、頭上を見つめていた。
荷台はもう動いていない。
梁との間には、人の腕ほどの隙間しか残っていなかった。
「……止まった?」
リオルが呟く。
「……うん」
ようやく声が出た。
「止まったよ!」
次の瞬間、荷台の上から泣き声が聞こえた。
俺はその場へ座り込みそうになり、操作台へ手をついた。
足が震えていた。
あと少し遅かったらと思うと、まともに息ができなかった。
◇
荷台が止まっても、救出はまだ終わっていなかった。
古い装置が再び動かないよう、オルネラの指示で鎖を固定し、兵士たちが別の通路から梯子を運び込んだ。
俺も手伝おうとしたが、リゼに止められた。
「セインは休んでいてください」
「でも、まだ……」
「肩、また痛めましたよね?」
俺は口を閉じた。
彼女は俺の顔を見つめていた。
怒っているようにも見えたが、声は少し震えていた。
「……本当に、心配しました」
「……ごめん」
「無事だったからいいですけど、次はちゃんと相談してください」
俺は頷いた。
さっき、俺が鉄片を外そうとしている間、リゼはずっと荷台の二人へ声をかけていた。
あの人たちを落ち着かせながら、俺たちの様子も気にしていたのだろう。
「……ありがとう、リゼ」
「……どういたしまして」
彼女は少しだけ笑った。
その横でリオルが左手を上げる。
「俺も反省してるから、説教は短めで頼むよ」
「リオルには、あとで別のお話があります」
「……やっぱり?」
そのやり取りに、俺は思わず笑ってしまった。
リオルも苦笑している。
やがて、兵士たちが二人を無事に地面へ降ろした。
若い女性は足元がふらついていたが、大きな怪我はなさそうだった。
年配の男性は壁にもたれ、何度も息を整えていた。
「……助かったのか」
かすれた声だった。
「はい。もう大丈夫ですよ」
俺が答えると、男性は目を閉じた。
そして、隣にいる女性の手を強く握った。
「……よかった。お前まで巻き込んでしまって」
「父さんのせいじゃないよ」
女性は涙を拭った。
「助けてくれて、ありがとう」
俺たちは顔を見合わせた。
親子だったのか。
俺は改めて二人を見た。
もし間に合わなかったら、この人たちは一緒に死んでいたかもしれない。
そのことを考えるだけで、指先が冷たくなった。
◇
医者が到着するまでの間、男性は自分の名前と、ここへ連れてこられた事情を話してくれた。
昔、この検量塔の整備に携わっていた職人だという。
数日前、見知らぬ男たちが訪ねてきて、古い装置を動かせるかと尋ねられたらしい。
「危ないからやめろと言ったんです。でも、今日になってまた来て……」
男性は隣の娘を見た。
「断ったら、この子を連れてきたんです。言うことを聞かなければ、先に荷台へ乗せるって」
俺は拳を握った。
「……それで、あなたも乗ったんですか」
「一人にはできませんでしたから」
男性は弱々しく笑った。
「最初は、途中で止めるつもりだったんです。でも、操作台の留め具が外されていて……」
「誰が外したんですか?」
「分かりません。私が来た時には、もうありませんでした」
彼は操作台を見つめた。
「それでも、最後まで動かせと言われました。人が乗っていようと構わないからって」
俺は奥歯を噛んだ。
あの検品人を思い出した。
人が乗った寝台を水へ落とそうとして、俺たちが必死で止める様子を笑っていた男だ。
ここでも同じように、人の命が何かを確かめるための道具にされていた。
「……そんなことをして、何が分かるんだよ」
思わず呟いた。
男性は首を振った。
「私にも分かりません。ただ、あいつらは装置がどこまで動くか、そればかり気にしていました」
リオルが顔を上げた。
「……誰かから命じられた様子だった?」
「ええ。紙に書かれた手順を何度も確認していました」
「その紙は?」
「逃げた男が持っていったと思います」
リオルは頷き、兵士へ事情を伝えた。
その時、男性がティセラを見た。
「……あれ?」
彼の表情が変わった。
「あなた、もしかして……」
ティセラが顔を上げる。
「……私?」
「ティセラさん、じゃありませんか?」
俺は息を呑んだ。
彼女も驚いたように目を見開いている。
「……私を知ってるの?」
男性は何度も頷いた。
「ええ。六年ほど前、ここへ何度も来ていたでしょう」
ティセラの指先が止まった。
六年前。
彼女が失った記憶の中にある時間だ。
「……私、ここで何をしてたの?」
ティセラの声は、いつもより小さかった。
男性は少し考え、操作台へ目を向けた。
「……あの装置を止めようとしていたんです」
「……止めようと?」
「ええ」
男性は頷いた。
「昔、この設備をもう一度使う話が出たんです。私たちは荷物を運ぶためだと聞いていました。でも、あなたは反対していた」
「……どうして?」
「人を運ぶつもりだと知っていたからです」
俺はティセラを見た。
彼女は男性の言葉を聞き逃すまいと、じっと顔を見つめている。
「あなたは何度も言っていました。人間を乗せるために造ったものじゃない、安全装置も足りないって」
男性は続けた。
「それから、図面を調べて危険な箇所を記録していたんです」
ティセラが鞄から焦げた図面を取り出した。
「……これ?」
男性は紙を見るなり、驚いた顔をした。
「まだ残っていたんですか」
「知ってるの?」
「ええ。あなたが調べていた図面です」
男性は赤い線を指さした。
「この部分も、あなたが危険だと言っていたところですよ」
ティセラは紙を見つめた。
俺も横から覗いた。
第三搬出路を示す赤い線。
非常用の操作について書かれた注意書き。
それらは、六年前のティセラが残したものだったのかもしれない。
「……じゃあ、私は」
ティセラが呟いた。
「この設備を動かすためじゃなくて、止めるために調べてたの?」
「私が知る限りでは、そうです」
彼女はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐いた。
「……そっか」
その声を聞いて、俺も少しだけ安心した。
覚えていない時期の自分が、危険な設備に関わっていた。
ティセラがそのことをどれほど気にしていたか、俺にも分かっていた。
けれど、少なくともここでは、誰かを守ろうとしていたらしい。
「……よかったね」
俺が言うと、ティセラは小さく頷いた。
「……まだ、全部分かったわけじゃないけどね」
その横でオルネラが、そっと孫の肩へ手を置いた。
◇
「……ただ、一つ気になることがあります」
男性が言った。
俺たちは顔を上げた。
「当時、私は荷物を運ぶ設備だと聞いていました。ほかの整備員も同じです」
「……それが?」
ティセラが尋ねる。
「でも、あなたは最初から人を運ぶ計画だと知っていたようでした」
彼女の表情が変わった。
「……どうして?」
「分かりません。ただ、一度だけ、こんなことを言っていたんです」
男性は少し考えた。
「『あの人たちを、もう二度と運ばせない』って」
ティセラの手が止まった。
俺も息を呑んだ。
あの人たち。
誰のことだろう。
「……その人たちが誰なのか、聞いた?」
ティセラが尋ねる。
男性は首を振った。
「いいえ。ただ、あの時のあなたは、ひどく怒っていました」
ティセラは図面へ目を落とした。
俺も何も言えなかった。
六年前、彼女は誰かを守ろうとしていた。
それも、一度ではなく、もう二度と運ばせないと言っていたのだ。
その言葉の意味が、今になって重く感じられた。
「……ティセラ」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫よ」
少しだけ笑う。
「怖くないって言ったら、嘘になるけど」
彼女は図面を丁寧に折りたたんだ。
「でも、分かったこともあるわ」
「……何?」
「私、六年前も、誰かに怒ってたみたいね」
その言い方があまりにティセラらしくて、思わず笑ってしまった。
「……何よ」
「いや。今と変わらないなって」
「失礼ね」
ティセラはそう言いながらも、少し嬉しそうだった。
オルネラが横から口を挟む。
「まったく。あんたは昔から怒りっぽかったからねえ」
「ばあちゃんに言われたくないわ!」
リオルが吹き出す。
俺も笑いながら、二人を見た。
記憶はまだ戻っていない。
誰を守ろうとしていたのかも、なぜその六年間を失ったのかも分からない。
それでも、今日初めてティセラは、覚えていない自分の行動を誰かから聞くことができたのだ。
◇
その後、ムラサメが兵士たちを連れて到着した。
逃げた男はまだ見つかっていなかったが、検量塔の周囲は警備され、装置も動かないよう固定された。
俺たちは救出した親子を医者へ引き渡し、事情を報告した。
「……なるほど。試運転の予定を早めたのか、あるいは別の目的があったのか」
ムラサメは操作台を見つめた。
「いずれにせよ、人を乗せた状態で安全装置を外していたのは重大だ。施設の管理者も含め、調査を進める」
「……お願いします」
俺が答えると、ムラサメは頷いた。
「お前たちもよくやった。ただし、今回は運がよかっただけの部分もある。無理はするなよ」
「……はい」
返事をすると、隣でリオルが小さく笑った。
「ほら、また言われた」
「お前もだろ」
「まあね」
ムラサメは二人を見て、呆れたように息を吐いた。
そのあと、ティセラが写し取った注意書きと、オルネラの持ってきた図面も、王宮の調査で確認されることになった。
俺は検量塔の外へ出た。
夕暮れの水路には、細い光が伸びていた。
さっきまで何度も鳴っていた金属音は、もう聞こえない。
荷台に乗せられていた親子も、無事に帰れるだろう。
けれど、あの装置を動かさせた人間は、まだ捕まっていなかった。
そして六年前にも、同じ場所で誰かを運ぼうとしていた人間がいる。
俺は塔を振り返った。
「……ティセラ」
「何?」
「これから、どうする?」
彼女は少し考えた。
「決まってるでしょ」
いつもの調子で答える。
「調べるわよ。六年前に何があったのか、ちゃんと知りたいもの」
俺は頷いた。
「……俺も手伝うよ」
「ありがとう」
ティセラは笑った。
その横で、オルネラも杖を握り直した。
「私も付き合うよ。今度こそ、あんたを一人にはしないからね」
「……ばあちゃん」
「何だい」
「……ありがとう」
オルネラは少し驚いた顔をした。
それから、照れくさそうに笑った。
「まったく。そんな素直なこと言われると、調子が狂うじゃないか」
ティセラも笑った。
俺は二人を見ながら、今日助けた親子のことを思い出した。
あの二人が家へ帰れるように、ティセラにも取り戻してほしいものがある。
ただ、俺の〈返却〉では記憶を返すことはできない。
だからこそ、一緒に調べるしかないのだろう。
その時、ティセラがふと足を止めた。
「……ねえ、セイン」
「何?」
「さっきの人、言ってたわよね。私が『もう二度と運ばせない』って」
「うん」
彼女は検量塔を見上げた。
「……もし、その言葉が本当なら」
俺は続きを待った。
ティセラはゆっくりと顔を上げた。
「六年前にも、誰かが実際に運ばれていたってことよね」
俺は何も答えられなかった。
その可能性に、今になって気づいた。
第三搬出路は、単なる古い荷物運びの設備ではなかったのかもしれない。
六年前、ここからどこかへ連れていかれた人たちがいる。
そしてティセラは、その人たちを知っていた。
俺は静かになった検量塔を見上げた。
もう金属の音は聞こえない。
けれど、あの装置が過去に何を運んでいたのか。
その答えは、まだどこにも見つかっていなかった。




