↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第四章 才能の値札

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/100

第八十三話 四度目の音

 

 ゴンッ!


 四度目の音が響いた時、足元の石畳がわずかに揺れた。


「……まずいね」


 オルネラが水路の向こうを見つめた。


 夕方の光を受けた古い建物から、鳥が数羽飛び立っていく。細長い煙突の横には、窓の少ない石造りの塔がそびえていた。


「あそこが第三搬出路の検量塔だよ。重りを動かす装置が地下にある」


「じゃあ、あの中で何か起きてるのね」


 ティセラが言うと、オルネラは頷いた。


「重りが正常に動いていれば、あんな音はしない。どこかにぶつかっているんだろうね」


「それって、危ないの?」


「重りが外れれば、繋がっている荷台が一気に動く。人が乗っていたら、ただじゃ済まないよ」


 俺は塔を見上げた。


 明日の朝に試運転するはずの設備が、すでに動いている。


 しかも、誰かが安全装置を取り外そうとしていたことは、焼けた倉庫で見つけた紙に書かれていた。


 嫌な予感がした。


「行こう。誰かいるかもしれない」


 俺が歩き出すと、リオルが左手で肩を押さえた。


「待て。先に兵士へ連絡しよう」


「……そうだな」


 俺が足を止めると、親友は少しだけ笑った。


「素直じゃん」


「お前が毎回心配するからだろ」


「そりゃそうだよ。また怪我を増やされたら困るし」


 リオルは同行していた兵士へ向き直った。


「ムラサメさんに状況を伝えてくれ。塔の周辺に人を近づけないよう、警備も頼みたい」


「承知しました!」


 兵士が走り出す。


 残った兵士と俺たちは、水路に架かる古い橋を渡った。


 塔へ近づくにつれ、油と鉄の匂いが濃くなっていく。


 入口の脇には荷車が止められていた。荷台には工具箱が積まれ、まだ新しい車輪の跡が湿った地面に残っている。


「……誰かが最近使ってるんだな」


 俺が呟いた時、中から怒鳴り声が聞こえた。


「もう無理だ! 止めなきゃ人が死ぬぞ!」


「最後まで動かせと言われてるんだ! 余計なことはするな!」


 俺たちは顔を見合わせた。


 リオルが兵士へ合図する。


「王宮の警護隊だ! 中にいる者は手を止めろ!」


 返事はなかった。


 代わりに、何かが激しく軋む音がした。


「……入るぞ」


 リオルが扉を押した。


     ◇


 塔の内部には、巨大な滑車があった。


 天井から垂れ下がる二本の太い鎖が、それぞれ別の縦穴へ続いている。


 片方の穴には大きな石の重りが吊るされ、もう片方には鉄製の荷台があった。


 その荷台に、二人の人間が乗せられていた。


「……助けて!」


 若い女性が声を上げる。


 彼女は床へ座り込み、手すりにしがみついていた。隣には年配の男性がいて、片腕で女性を支えている。


 荷台はゆっくりと上昇していた。


 その上には太い梁が渡されている。このまま上がり続ければ、二人が挟まれてしまう。


「おい! 装置を止めろ!」


 リオルが叫んだ。


 操作台の前にいた男が振り向く。


 顔には布を巻き、片手に短い刃物を持っていた。


「……王宮の連中か!」


 男は舌打ちすると、操作台の横に置かれていた工具箱を蹴り倒した。


 金属の部品が床へ散らばる。


 その隙に、男は奥の通路へ走り出した。


「待て!」


 兵士が追いかける。


 だが、男は振り向きざまに油瓶を投げつけた。


 床で瓶が割れ、油が広がった。兵士は滑りかけて足を止める。


 男は通路の向こうへ消えていった。


「くそっ!」


 兵士が吐き捨てる。


 俺も追いかけようとしたが、頭上から女性の悲鳴が聞こえた。


「お願い! 早く止めて!」


 俺は立ち止まった。


 男を逃がしたくない。


 でも、あの二人を置いていくわけにはいかなかった。


「兵士さん、出口を確認して! こっちは俺たちで何とかする!」


 リオルが指示を出す。


「分かりました!」


 兵士が走っていく。


 俺たちは操作台へ駆け寄った。


 オルネラは古い機械を一目見るなり、顔をしかめた。


「……やっぱりだよ」


「何が?」


 ティセラが尋ねる。


「本来あるはずの制動機が外されてる。あれじゃ荷台を止められない」


「別の方法はないの?」


「非常用の仕組みが残っていればね」


 オルネラは操作台の左右を指さした。


「両側の留め具を同時に解除すると、補助の重りが動いて歯車を止めるんだ。ただし、片方だけ動かすと荷台が傾く危険がある」


「……両側同時解除」


 ティセラが呟いた。


 俺もすぐに思い出した。


 焼けた倉庫から彼女が写し取った図面に、同じ言葉があった。


「じゃあ、あの書き込みは……」


「非常用の操作を残したものだったんだね」


 オルネラは頷いた。


 俺たちは操作台を調べた。


 左側には鉄の取っ手がある。


 しかし、右側は木の板で覆われ、太い釘で固定されていた。


「……こっち、塞がれてる!」


 俺が叫ぶと、ティセラが工具箱から金槌を拾った。


「どいて。釘を抜いてみるわ」


 彼女は板の隙間に金槌の先を差し込み、慎重に力を込めた。


 板が少し浮く。


「……もう少し!」


 もう一度動かすと、釘が外れて床へ落ちた。


 その下から、二つ目の取っ手が現れた。


「……あった!」


 俺が声を上げた時、頭上で大きな音がした。


 ゴンッ!


 荷台が揺れ、女性が悲鳴を上げる。


「父さん!」


 彼女が隣の男性へしがみついた。


 男性は必死に身体を支えていたが、もう立っているのもつらそうだった。


「……急がないと!」


 俺は右側の取っ手へ手を伸ばした。


     ◇


「セイン、俺が左をやる!」


 リオルが反対側へ回った。


 右腕はまだ固定されている。左手だけで取っ手を動かすことになるが、親友はためらわずに鉄を握った。


「……無理するなよ」


「お前にだけは言われたくないね」


 リオルは少し笑った。


 けれど、すぐに真剣な顔へ戻る。


「ティセラ、合図を頼む!」


「分かったわ!」


 ティセラは図面を広げ、オルネラと確認を始めた。


 その間も荷台は上昇している。


 梁まで、もう数メートルもなかった。


「上の二人! 手すりから離れないでください!」


 リゼが声を張った。


「今から止めます! 身体をできるだけ低くして!」


 女性が頷く。


 年配の男性も手すりを握り直した。


 俺は取っ手に両手を添えた。


 鉄は冷たく、表面には錆が浮いていた。


「……いくわよ!」


 ティセラが叫ぶ。


「一、二の……三!」


 俺とリオルは同時に取っ手を引いた。


 ガンッ!


 操作台の奥で何かが外れる音がした。


「……動いた!」


 俺が顔を上げた、その瞬間だった。


 荷台が大きく傾いた。


「きゃあっ!」


 女性の身体が横へ滑る。


 年配の男性が彼女を抱き寄せたが、二人とも手すりへぶつかった。


「……何で止まらないんだ!」


 リオルが叫んだ。


 俺は操作台を見た。


 右側の取っ手は下がっている。


 だが、左側は途中で引っかかっていた。


「……リオル、左が!」


「分かってる!」


 彼はもう一度力を込めた。


 しかし、取っ手はびくともしない。


 頭上では荷台がさらに傾き、金属が悲鳴のような音を立てている。


「……まずい!」


 リオルは取っ手を離すと、荷台を支える支柱へ駆け寄った。


 左手を鉄へ当てる。


 〈均衡〉。


 荷台の左右にかかる力が一時的に釣り合い、傾きがわずかに戻った。


 それでも、上昇は止まらない。


 リオルの額に汗が浮かぶ。


「セイン! 早く原因を探して!」


「分かった!」


 俺は左側の取っ手へ回った。


 鉄の根元には、小さな金具がついている。


 その一部が不自然に曲がっていた。


「……ここか?」


 俺が手を伸ばすと、ティセラが横から覗き込んだ。


「待って。何か挟まってない?」


 俺は身を屈めた。


 曲がった金具の間に、細い鉄片が押し込まれている。


 錆びついて動かなくなったのではない。


 誰かが、動かないようにしていたのだ。


「……わざとかよ!」


 腹の底が熱くなった。


 あの男たちは、人が乗っていると知りながら、止めるための仕組みまで使えなくしていた。


 何のためにそこまでするんだ。


 怒鳴りたい気持ちを抑え、俺は工具箱から細い鉄棒を探した。


 父さんの工房にも、似たような金具を扱う道具がある。


 無理に叩けば、余計に噛み込んでしまう。


 俺は鉄片の端を確かめ、棒の先を隙間へ差し込んだ。


「……動いてくれ」


 少し力を込める。


 動かない。


 角度を変え、もう一度押す。


 手のひらが汗で滑った。


 肩の痛みも強くなっていたが、今は手を止められなかった。


「……セイン!」


 リゼの声が響いた。


「上、もう限界です!」


 見上げると、荷台の上端が梁のすぐ下まで迫っていた。


 女性は男性へしがみつき、顔を伏せている。


 リオルも必死に〈均衡〉を維持しているが、もう長くは持ちそうになかった。


 俺は歯を食いしばり、鉄棒をもう一度押し込んだ。


 カチン。


 小さな音がした。


 鉄片が外れ、足元へ転がった。


「……取れた!」


 俺は叫んだ。


「リオル! もう一回!」


 親友が顔を上げる。


「……いける!」


 リオルは支柱から手を離し、操作台へ戻った。


 その瞬間、荷台が再び揺れる。


「急いで!」


 リゼが叫んだ。


 俺たちは取っ手を握り直した。


「……今度こそ!」


 ティセラが声を張る。


「一、二の……三!」


 二つの取っ手を同時に引いた。


 ガシャンッ!


 操作台の奥で歯車が噛み合い、太い鎖が激しく震えた。


 荷台が一度、大きく揺れる。


 そのまま少しだけ上昇して、止まった。


 俺は息を止めたまま、頭上を見つめていた。


 荷台はもう動いていない。


 梁との間には、人の腕ほどの隙間しか残っていなかった。


「……止まった?」


 リオルが呟く。


「……うん」


 ようやく声が出た。


「止まったよ!」


 次の瞬間、荷台の上から泣き声が聞こえた。


 俺はその場へ座り込みそうになり、操作台へ手をついた。


 足が震えていた。


 あと少し遅かったらと思うと、まともに息ができなかった。


     ◇


 荷台が止まっても、救出はまだ終わっていなかった。


 古い装置が再び動かないよう、オルネラの指示で鎖を固定し、兵士たちが別の通路から梯子を運び込んだ。


 俺も手伝おうとしたが、リゼに止められた。


「セインは休んでいてください」


「でも、まだ……」


「肩、また痛めましたよね?」


 俺は口を閉じた。


 彼女は俺の顔を見つめていた。


 怒っているようにも見えたが、声は少し震えていた。


「……本当に、心配しました」


「……ごめん」


「無事だったからいいですけど、次はちゃんと相談してください」


 俺は頷いた。


 さっき、俺が鉄片を外そうとしている間、リゼはずっと荷台の二人へ声をかけていた。


 あの人たちを落ち着かせながら、俺たちの様子も気にしていたのだろう。


「……ありがとう、リゼ」


「……どういたしまして」


 彼女は少しだけ笑った。


 その横でリオルが左手を上げる。


「俺も反省してるから、説教は短めで頼むよ」


「リオルには、あとで別のお話があります」


「……やっぱり?」


 そのやり取りに、俺は思わず笑ってしまった。


 リオルも苦笑している。


 やがて、兵士たちが二人を無事に地面へ降ろした。


 若い女性は足元がふらついていたが、大きな怪我はなさそうだった。


 年配の男性は壁にもたれ、何度も息を整えていた。


「……助かったのか」


 かすれた声だった。


「はい。もう大丈夫ですよ」


 俺が答えると、男性は目を閉じた。


 そして、隣にいる女性の手を強く握った。


「……よかった。お前まで巻き込んでしまって」


「父さんのせいじゃないよ」


 女性は涙を拭った。


「助けてくれて、ありがとう」


 俺たちは顔を見合わせた。


 親子だったのか。


 俺は改めて二人を見た。


 もし間に合わなかったら、この人たちは一緒に死んでいたかもしれない。


 そのことを考えるだけで、指先が冷たくなった。


     ◇


 医者が到着するまでの間、男性は自分の名前と、ここへ連れてこられた事情を話してくれた。


 昔、この検量塔の整備に携わっていた職人だという。


 数日前、見知らぬ男たちが訪ねてきて、古い装置を動かせるかと尋ねられたらしい。


「危ないからやめろと言ったんです。でも、今日になってまた来て……」


 男性は隣の娘を見た。


「断ったら、この子を連れてきたんです。言うことを聞かなければ、先に荷台へ乗せるって」


 俺は拳を握った。


「……それで、あなたも乗ったんですか」


「一人にはできませんでしたから」


 男性は弱々しく笑った。


「最初は、途中で止めるつもりだったんです。でも、操作台の留め具が外されていて……」


「誰が外したんですか?」


「分かりません。私が来た時には、もうありませんでした」


 彼は操作台を見つめた。


「それでも、最後まで動かせと言われました。人が乗っていようと構わないからって」


 俺は奥歯を噛んだ。


 あの検品人を思い出した。


 人が乗った寝台を水へ落とそうとして、俺たちが必死で止める様子を笑っていた男だ。


 ここでも同じように、人の命が何かを確かめるための道具にされていた。


「……そんなことをして、何が分かるんだよ」


 思わず呟いた。


 男性は首を振った。


「私にも分かりません。ただ、あいつらは装置がどこまで動くか、そればかり気にしていました」


 リオルが顔を上げた。


「……誰かから命じられた様子だった?」


「ええ。紙に書かれた手順を何度も確認していました」


「その紙は?」


「逃げた男が持っていったと思います」


 リオルは頷き、兵士へ事情を伝えた。


 その時、男性がティセラを見た。


「……あれ?」


 彼の表情が変わった。


「あなた、もしかして……」


 ティセラが顔を上げる。


「……私?」


「ティセラさん、じゃありませんか?」


 俺は息を呑んだ。


 彼女も驚いたように目を見開いている。


「……私を知ってるの?」


 男性は何度も頷いた。


「ええ。六年ほど前、ここへ何度も来ていたでしょう」


 ティセラの指先が止まった。


 六年前。


 彼女が失った記憶の中にある時間だ。


「……私、ここで何をしてたの?」


 ティセラの声は、いつもより小さかった。


 男性は少し考え、操作台へ目を向けた。


「……あの装置を止めようとしていたんです」


「……止めようと?」


「ええ」


 男性は頷いた。


「昔、この設備をもう一度使う話が出たんです。私たちは荷物を運ぶためだと聞いていました。でも、あなたは反対していた」


「……どうして?」


「人を運ぶつもりだと知っていたからです」


 俺はティセラを見た。


 彼女は男性の言葉を聞き逃すまいと、じっと顔を見つめている。


「あなたは何度も言っていました。人間を乗せるために造ったものじゃない、安全装置も足りないって」


 男性は続けた。


「それから、図面を調べて危険な箇所を記録していたんです」


 ティセラが鞄から焦げた図面を取り出した。


「……これ?」


 男性は紙を見るなり、驚いた顔をした。


「まだ残っていたんですか」


「知ってるの?」


「ええ。あなたが調べていた図面です」


 男性は赤い線を指さした。


「この部分も、あなたが危険だと言っていたところですよ」


 ティセラは紙を見つめた。


 俺も横から覗いた。


 第三搬出路を示す赤い線。


 非常用の操作について書かれた注意書き。


 それらは、六年前のティセラが残したものだったのかもしれない。


「……じゃあ、私は」


 ティセラが呟いた。


「この設備を動かすためじゃなくて、止めるために調べてたの?」


「私が知る限りでは、そうです」


 彼女はしばらく何も言わなかった。


 やがて、小さく息を吐いた。


「……そっか」


 その声を聞いて、俺も少しだけ安心した。


 覚えていない時期の自分が、危険な設備に関わっていた。


 ティセラがそのことをどれほど気にしていたか、俺にも分かっていた。


 けれど、少なくともここでは、誰かを守ろうとしていたらしい。


「……よかったね」


 俺が言うと、ティセラは小さく頷いた。


「……まだ、全部分かったわけじゃないけどね」


 その横でオルネラが、そっと孫の肩へ手を置いた。


     ◇


「……ただ、一つ気になることがあります」


 男性が言った。


 俺たちは顔を上げた。


「当時、私は荷物を運ぶ設備だと聞いていました。ほかの整備員も同じです」


「……それが?」


 ティセラが尋ねる。


「でも、あなたは最初から人を運ぶ計画だと知っていたようでした」


 彼女の表情が変わった。


「……どうして?」


「分かりません。ただ、一度だけ、こんなことを言っていたんです」


 男性は少し考えた。


「『あの人たちを、もう二度と運ばせない』って」


 ティセラの手が止まった。


 俺も息を呑んだ。


 あの人たち。


 誰のことだろう。


「……その人たちが誰なのか、聞いた?」


 ティセラが尋ねる。


 男性は首を振った。


「いいえ。ただ、あの時のあなたは、ひどく怒っていました」


 ティセラは図面へ目を落とした。


 俺も何も言えなかった。


 六年前、彼女は誰かを守ろうとしていた。


 それも、一度ではなく、もう二度と運ばせないと言っていたのだ。


 その言葉の意味が、今になって重く感じられた。


「……ティセラ」


 俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「大丈夫よ」


 少しだけ笑う。


「怖くないって言ったら、嘘になるけど」


 彼女は図面を丁寧に折りたたんだ。


「でも、分かったこともあるわ」


「……何?」


「私、六年前も、誰かに怒ってたみたいね」


 その言い方があまりにティセラらしくて、思わず笑ってしまった。


「……何よ」


「いや。今と変わらないなって」


「失礼ね」


 ティセラはそう言いながらも、少し嬉しそうだった。


 オルネラが横から口を挟む。


「まったく。あんたは昔から怒りっぽかったからねえ」


「ばあちゃんに言われたくないわ!」


 リオルが吹き出す。


 俺も笑いながら、二人を見た。


 記憶はまだ戻っていない。


 誰を守ろうとしていたのかも、なぜその六年間を失ったのかも分からない。


 それでも、今日初めてティセラは、覚えていない自分の行動を誰かから聞くことができたのだ。


     ◇


 その後、ムラサメが兵士たちを連れて到着した。


 逃げた男はまだ見つかっていなかったが、検量塔の周囲は警備され、装置も動かないよう固定された。


 俺たちは救出した親子を医者へ引き渡し、事情を報告した。


「……なるほど。試運転の予定を早めたのか、あるいは別の目的があったのか」


 ムラサメは操作台を見つめた。


「いずれにせよ、人を乗せた状態で安全装置を外していたのは重大だ。施設の管理者も含め、調査を進める」


「……お願いします」


 俺が答えると、ムラサメは頷いた。


「お前たちもよくやった。ただし、今回は運がよかっただけの部分もある。無理はするなよ」


「……はい」


 返事をすると、隣でリオルが小さく笑った。


「ほら、また言われた」


「お前もだろ」


「まあね」


 ムラサメは二人を見て、呆れたように息を吐いた。


 そのあと、ティセラが写し取った注意書きと、オルネラの持ってきた図面も、王宮の調査で確認されることになった。


 俺は検量塔の外へ出た。


 夕暮れの水路には、細い光が伸びていた。


 さっきまで何度も鳴っていた金属音は、もう聞こえない。


 荷台に乗せられていた親子も、無事に帰れるだろう。


 けれど、あの装置を動かさせた人間は、まだ捕まっていなかった。


 そして六年前にも、同じ場所で誰かを運ぼうとしていた人間がいる。


 俺は塔を振り返った。


「……ティセラ」


「何?」


「これから、どうする?」


 彼女は少し考えた。


「決まってるでしょ」


 いつもの調子で答える。


「調べるわよ。六年前に何があったのか、ちゃんと知りたいもの」


 俺は頷いた。


「……俺も手伝うよ」


「ありがとう」


 ティセラは笑った。


 その横で、オルネラも杖を握り直した。


「私も付き合うよ。今度こそ、あんたを一人にはしないからね」


「……ばあちゃん」


「何だい」


「……ありがとう」


 オルネラは少し驚いた顔をした。


 それから、照れくさそうに笑った。


「まったく。そんな素直なこと言われると、調子が狂うじゃないか」


 ティセラも笑った。


 俺は二人を見ながら、今日助けた親子のことを思い出した。


 あの二人が家へ帰れるように、ティセラにも取り戻してほしいものがある。


 ただ、俺の〈返却〉では記憶を返すことはできない。


 だからこそ、一緒に調べるしかないのだろう。


 その時、ティセラがふと足を止めた。


「……ねえ、セイン」


「何?」


「さっきの人、言ってたわよね。私が『もう二度と運ばせない』って」


「うん」


 彼女は検量塔を見上げた。


「……もし、その言葉が本当なら」


 俺は続きを待った。


 ティセラはゆっくりと顔を上げた。


「六年前にも、誰かが実際に運ばれていたってことよね」


 俺は何も答えられなかった。


 その可能性に、今になって気づいた。


 第三搬出路は、単なる古い荷物運びの設備ではなかったのかもしれない。


 六年前、ここからどこかへ連れていかれた人たちがいる。


 そしてティセラは、その人たちを知っていた。


 俺は静かになった検量塔を見上げた。


 もう金属の音は聞こえない。


 けれど、あの装置が過去に何を運んでいたのか。


 その答えは、まだどこにも見つかっていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。