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王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第四章 才能の値札

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第七十九話 返金


「……二百四十万ルク?」


 テオの病室で、俺は思わず聞き返した。


 青年が差し出した封筒には、グレゴールの商会の紋章が押されていた。中には丁寧なお悔やみの手紙と、固有術の購入代金を全額返金するという通知が入っている。


 その金額が、二百四十万ルクだった。


「今朝、商会の人が届けに来ました」


 テオは寝台に座り、兄の遺品である革袋を膝に置いていた。昨日より顔色は落ち着いているが、目の周りは赤い。


「兄のことは大変お気の毒でした、って。それで、これに署名すれば代金を返すって」


 テオがもう一枚の紙を差し出す。


 そこには、今後この取引について商会の責任を問わず、関係する情報を第三者へ口外しないという条件が書かれていた。


 俺は何度も読み直した。


 昨日、あんなことがあったばかりなのに。


「……これに署名したら、お兄さんのことも調べられなくなるんじゃないですか」


「そうみたいです」


 テオは小さく笑った。


「俺、正直に言うと、お金は返してほしいんです。兄貴を家に帰すにも、葬儀をするにも、お金は必要だから」


「……はい」


「でも、兄貴がどうして死んだのかも分からないまま、もう何も聞くなって言われても……」


 そこで言葉が止まった。


 革袋を握る手が震えている。


「……それだけは、嫌なんです」


 俺は頷いた。


「俺も、そう思います」


 テオは少しだけ安心したように息を吐いた。


 隣ではダグが書面を確認している。黙って読み終えると、彼は丁寧に封筒へ戻した。


「テオさん。こちらは王宮の担当者にも確認してもらいましょう。返金を求める権利と、事件について話すことは、本来別の問題です」


「……お金を受け取っても、兄貴のことを調べられるんですか?」


「少なくとも、この条件をそのまま受け入れる必要はありません」


 ダグはきっぱりと言った。


 テオは何度も頷いた。


「ありがとうございます。俺、一人だったら、どうしていいか分からなかったと思います」


「一人で判断する必要はありませんよ」


 ダグが答える。


 その横顔を見ながら、俺は手元の封筒を睨んだ。


 二百四十万ルク。


 あの商会にとって、どれほどの金額なのだろう。


 グレゴールはきっと、返金すればテオも納得すると考えたのだ。


 兄が死んだことも、帰ってこなくなったことも、全部まとめて金で片づけられると。


 その考え方が、どうしても許せなかった。


     ◇


 第七係へ戻ると、ティセラが机の上に書類を広げていた。


「おかえり。ずいぶんひどい顔をしてるわね」


「……そんなにひどい顔してる?」


「ええ。寝不足と怒りと疲れを、よくそこまで一つの顔に詰め込めたものね」


 俺が返事に困っていると、リオルが笑った。


「俺も昨日から言ってるんだけど、セインが全然休まないんだよ」


「あなたも人のこと言えないでしょう。腕、ちゃんと診てもらってる?」


「それはもちろん」


「返事が早すぎるわね」


 ティセラはリオルを疑わしそうに見たあと、俺の肩にも目を向けた。


「で、そっちもまた悪化させたんじゃないでしょうね」


「大丈夫。昨日より動くから」


「医者がそう言ったの?」


「……そこまでは」


「でしょうね」


 彼女はため息をついた。


 以前なら、もう少しうまくごまかせた気がする。最近は誰にも通用しなくなってきた。


 ただ、そのやり取りのおかげで、少しだけ身体の力が抜けた。


「それで、例の施設についてなんだけど」


 ティセラが声を落とした。


「王宮が押収した資料のうち、確認を許されたものだけ見せてもらったわ。あそこでやっていたのは、固有術を移したあとの身体の反応を調べる試験みたい」


「やっぱり、そうなんだ」


「ええ。でも問題は、その先よ」


 彼女は机を指で叩いた。


「具合が悪くなった人を治すための手順が、ほとんど見当たらないの。発動したか、何日持ったか、身体がどこまで耐えたか。記録は細かいのに、患者を回復させる方法については驚くほど薄い」


 俺は黙って聞いていた。


 あの部屋で見た革帯のついた寝台が、頭に浮かんだ。


「……最初から、治すつもりがなかったのかな」


「それはまだ断定できない。でも、少なくとも試験を続けることが、患者の安全より優先されていた可能性は高いわ」


 ティセラの声が少し硬くなった。


「技術が未完成なのは仕方ない。研究しているなら、失敗することだってある。でもね、失敗した相手を人間として扱わなくなったら、それはもう研究者の仕事じゃないのよ」


 彼女は珍しく、そのあと何も言わなかった。


 失われた六年間のことが頭をよぎったが、俺は口には出さなかった。


 その時、部屋の扉が開いた。


「セイン。少しいいですか」


 エルセだった。


 彼女の後ろには、王宮の兵士が一人ついている。


「昨日の受付係の方が、もう一度話したいそうです。ただ、商会には知られたくないと」


「……何か思い出したんですか?」


「それも含めて、本人から聞いてください」


 エルセは短く答えた。


 その表情はいつになく険しかった。


     ◇


 受付係の女性は、第七係の奥にある小さな応接室で待っていた。


 昨日、競売会場で倒れた男性の受付票を発行した人だ。商会の記録をあとから書き換えるように言われたと証言している。


 今日は私服だった。


 椅子に座っていたが、俺たちが入ると慌てて立ち上がる。


「あの……すみません。何度もお時間を取らせてしまって」


「大丈夫ですよ。座ってください」


 俺がそう言うと、彼女は小さく頭を下げた。


 部屋には俺とリゼ、ダグ、それから証言を記録する王宮の担当者が入った。リオルは入口の警護を引き受けてくれている。


 女性は膝の上で両手を握りしめていた。


「……昨日、お話しできなかったことがあるんです」


「何でしょうか」


 ダグが穏やかに尋ねる。


 女性はしばらく口を開かなかった。


 窓の外では、馬車が石畳を走る音が聞こえている。


「私、一度だけ、北門の施設でグレゴール様を見たことがあります」


 心臓が跳ねた。


「……グレゴールさんが、あそこに?」


「はい。書類を届けに行った時です」


 女性は顔を上げた。


「その日は、運ばれてきた男性の具合がひどく悪くなっていました。担当の方が、これ以上の試験は危険だと説明していたんです」


 俺は息を詰めた。


「その男性の名前は?」


「……ヨルン・ベルク様です」


 リゼが隣で小さく息を呑んだ。


 テオの兄だ。


「……それで、グレゴールさんは何と?」


 女性の指が震え始めた。


「私は廊下にいたので、全部は聞こえませんでした。でも、担当の方が、これ以上続ければ亡くなるかもしれないとおっしゃったのは、はっきり聞きました」


「はい」


「そしたら……」


 女性は唇を噛んだ。


「グレゴール様は、試験を続けるように命じたんです」


 胸の奥が冷たくなった。


「命に関わると分かっていても、ですか」


「はい」


 女性が頷く。


「担当の方が、男性を休ませた方がいいともう一度言ったら……グレゴール様は、笑って……」


 そこから先は、なかなか言葉にならなかった。


 俺は急かさずに待った。


 やがて、彼女が小さな声で続けた。


「『生きて帰されては困る。必要な反応を取ったら、殺しなさい』と」


 誰も動かなかった。


 俺は聞き間違えたのかと思った。


 いや、聞き間違えたかった。


「……殺せって、言ったんですか」


「はい」


 女性の目から涙が落ちた。


「私も信じられませんでした。でも、あの方は少しも怒っていなかったんです。いつものように穏やかに話していて……」


 彼女は顔を覆った。


「担当の人が顔色を変えたのを見て、楽しそうに笑っていました」


 俺の頭の中で、競売会場のグレゴールの笑顔が浮かんだ。


 立派な上着を着て、誰よりも上品に客へ話しかける男。


 優先交渉権の出品を取り消した時でさえ、その場を商会の宣伝に変えてみせた。


 あの笑顔のまま、人を殺せと命じたのか。


「……どうして、昨日は話してくれなかったんですか」


 俺が尋ねると、女性は顔を伏せた。


「怖かったんです」


 声が震えた。


「グレゴール様に逆らった人が、何人もいなくなっています。私も、家族も、何をされるか分からなくて……」


 俺は何も言えなかった。


 昨日までこの人は、あの商会で働いていたのだ。


 不正を知りながら黙っていたことを責めたくなる気持ちも、正直なところ、少しはあった。


 でも、昨日あの通路で武器を持った男たちに襲われたことを思い出すと、簡単に勇気を出せと言えるはずがなかった。


「……話してくれて、ありがとうございます」


 俺が答えると、女性は驚いたように顔を上げた。


「でも、もっと早く言っていれば……」


「今、話してくれたことが大事だと思います」


 隣でリゼも頷いた。


「ご家族の安全についても、王宮の方に相談しましょう。無理に商会へ戻る必要はありません」


 女性は堪えきれなくなったように泣き出した。


 王宮の担当者が記録を取りながら、落ち着いた声で話しかける。


 俺はその横で、何度も拳を開いたり握ったりしていた。


 手のひらが痛くなるほど力を入れても、怒りは少しも収まらなかった。


     ◇


「……あいつを、今すぐ捕まえられないんですか」


 応接室を出たところで、俺はムラサメに尋ねた。


 報告を受けて駆けつけた彼は、廊下の窓際に立っていた。


「証言は重大だ。だが、それだけで全容が分かったわけではない」


「でも、直接殺せと言ったんですよ!」


「その言葉を裏づける記録や、同席した者の証言を集める必要がある。検品人もまだ逃走中だ」


 ムラサメの声は落ち着いていた。


 それが、今の俺には少し腹立たしかった。


「……じゃあ、まだ何もできないんですか」


「違う」


 ムラサメが俺を見た。


「証人を守る。残された施設を調べる。逃げた実行犯を追う。できることはいくらでもある」


「でも、グレゴール本人はまだ商会にいるんですよね」


「ああ」


 俺は歯を食いしばった。


 あの男は今日も立派な店で商売をしている。


 その間にも、あの施設にいた人たちは病室で苦しんでいる。テオはもう、兄と話すことができない。


「……俺、あいつに会ってきます」


 言った途端、隣のリオルが俺を見た。


「セイン」


「話を聞きたいだけだよ」


「今のお前の顔で、それは信じろって方が難しい」


「……」


 言い返そうとして、言葉が止まった。


 リオルは俺の左肩へ手を置いた。


「俺だって腹が立ってる。でも、今あいつに殴りかかったら、喜ぶのは向こうだぞ」


「分かってるよ!」


 思わず声を荒げてしまった。


 廊下にいた兵士が振り向く。


 リオルは手を離さなかった。


「……分かってるなら、俺の目を見ろよ」


 俺は顔を上げた。


 親友は笑っていなかった。


「お前が捕まってる間に、証人が狙われたらどうする。逃げた検品人は、まだどこにいるか分からないんだぞ」


 その言葉で、胸の奥がひやりとした。


 あの灰色の服の男。


 人が死にかける様子を楽しみながら、俺たちの前から逃げた男だ。


 あいつが、もう一度誰かを狙うかもしれない。


「……ごめん」


 声が小さくなった。


 リオルはようやく手を離した。


「謝らなくていいって。俺も、あいつの顔を見たらどうなるか分かんないし」


「お前まで怒ってたら、誰が止めるんだよ」


「そこはダグに頼む」


「勝手に任せるな」


 後ろからダグの声がした。


 振り向くと、本人が呆れた顔で立っている。


「お前ら、二人とも同じ顔してるぞ」


「……そんなに?」


「してる」


 ダグは短く答え、それから俺へ向き直った。


「セインさん。私もグレゴールに聞きたいことがあります。ただ、彼に問い詰める前に、証人の方を安全な場所へ移す手配を終えましょう」


「……はい」


「それが済んだら、私も一緒に行きます」


 俺は顔を上げた。


 ダグの表情も硬かった。


 この人は、あの商会に〈追跡〉を奪われた。


 それでも昨日はテオに兄の死を伝え、最後までその場から逃げなかった。


 俺が一人で怒っている場合じゃない。


「……お願いします」


 そう答えると、ダグは静かに頷いた。


     ◇


 夕方、グレゴールの商会を訪れると、店はいつもどおり開いていた。


 入口には花が飾られ、客を迎える従業員が丁寧に頭を下げている。昨日の競売会場で起きた騒ぎなど、最初からなかったかのようだった。


 ただし、奥には王宮の調査員たちの姿があった。資料の確認が進められているらしく、従業員が何度も書類を運んでいる。


 グレゴールは応接室にいた。


 俺たちを見ると、嬉しそうに両手を広げた。


「これはこれは、セインさん。皆様もご一緒とは。お怪我はもうよろしいのですか?」


 その声を聞いただけで、肩に力が入った。


「……おかげさまで」


「それは結構。昨日は大変なことがあったようで、私も心を痛めております」


 俺は思わず男の顔を見た。


 心を痛めている。


 本当に、そんなことを思っているのだろうか。


「……ヨルン・ベルクという人を知っていますか」


 俺が尋ねると、グレゴールは少し首を傾げた。


「さて。多くのお客様とお取引しておりますので、お名前だけでは」


「北門の施設で亡くなった人です」


「……ああ」


 男は頷いた。


「その件ですか。誠に痛ましいことです。施設の管理体制については、私も厳しく確認させております」


「その人が死んだあと、弟のテオさんに〈追跡〉を売っていますよね」


「ええ。契約については確認いたしました」


「兄が死んだって、分かっていたんじゃないんですか」


 グレゴールは俺を見つめた。


「セインさん。ご家族の悲しみについては、私も十分理解しているつもりです」


「聞いているのは、そこじゃありません」


 声が震えた。


「死んだことを知りながら、兄を捜したい人に術を売ったんですか」


 男は少し考えるような仕草をした。


「……担当部署間の情報共有に不備があった可能性はございますね」


「不備?」


「大きな商会ですから。すべての情報が、常に同じ速度で伝わるとは限りません」


 胸の奥が熱くなる。


「……テオさんは、二百四十万ルクも払ったんですよ」


「ですから、返金を提案しております」


「金が戻ればいいって話じゃないだろ!」


 気づいた時には、机へ手をついていた。


 肩に痛みが走ったが、構っていられなかった。


「テオさんは兄さんを捜したかったんです。金を払いたかったわけじゃない! あの人にとって、兄さんがどれだけ大事だったか……!」


 言葉が詰まった。


 ヨルンが寝台を二回叩いていたという話を思い出す。


 家へ帰る時の合図。


 あんな小さな約束さえ、もう守れないのに。


 グレゴールは俺の顔をじっと眺めていた。


 怒りも、悲しみも、焦りも。


 まるで珍しい品物を眺めるように。


「……なるほど」


 やがて男が微笑んだ。


「セインさんは、実に興味深い方ですね」


「……何がですか」


「ご自身が損をしたわけでもないのに、そこまで怒れる」


 男は楽しそうに目を細めた。


「人間というのは不思議なものです。自分の痛みより、他人の不幸に激しく反応する方がいる。特に、取り返しのつかないことが起きた時ほどね」


 俺は言葉を失った。


 男の口元に、笑みが浮かんでいる。


「……楽しいんですか」


 思わず尋ねた。


「何がでしょう?」


「俺たちが、こうして怒ったり、苦しんだりしてるのが」


 グレゴールはしばらく俺を見つめた。


 それから、声を立てずに笑った。


「人の心というものは、値段をつけるのが難しい。それが商人として惜しいと思うことはありますよ」


 ぞっとした。


 この男には、何を言っても届かないのかもしれない。


 怒りが消えたわけじゃない。


 むしろ、今すぐ殴りたい気持ちはさっきより強くなっていた。


 でも、目の前の男がそれを待っているように見えて、俺は拳を握ったまま動けなかった。


「グレゴールさん」


 その時、リゼが口を開いた。


「今回の取引について、私たちは今後も調べます」


「もちろん。王宮の調査には全面的に協力するつもりです」


「それなら、消えた人たちの行き先も、亡くなった人たちの記録も、すべて明らかにしてください」


 リゼは一歩も下がらなかった。


「それから、返金を条件に口を閉ざすよう求めるのはやめてください。テオさんが欲しかったのは、お金だけじゃありません」


 グレゴールは彼女へ顔を向けた。


「……お嬢さんも、随分と強い方だ」


「強いかどうかは関係ありません」


 リゼの声は冷たかった。


「人を殺したかもしれない商売を、何もなかったことにしないでください」


 ほんの一瞬、グレゴールの笑みが薄くなった。


 だが、すぐに元の表情へ戻った。


「……承知しました。では、そのように」


 俺には、それが本心だとは少しも思えなかった。


     ◇


 商会を出ると、外の空気がひんやりと感じられた。


 俺は何度も深呼吸した。


 結局、グレゴールからは大した答えを引き出せなかった。


 けれど、あの男の顔を見て分かったことがある。


 俺たちがどれだけ怒っても、あいつはそれを怖がらない。


 むしろ、楽しんでいる。


「……あいつ、本当に嫌なやつだな」


 リオルが呟いた。


「うん」


「俺、途中で口を挟んだら、もっとひどいこと言いそうだった」


「珍しく黙ってたもんな」


「お前を止めるので忙しかったんだよ」


 リオルはそう言って笑おうとしたが、うまく笑えなかった。


 ダグも黙ったまま歩いている。


 その姿を見て、俺は足を止めた。


「……ダグさん」


「はい」


「すみません。結局、俺ばかり話してしまって」


 ダグは少し驚いた顔をした。


「いいえ。私も、あの場で何を聞いてもまともに答えてもらえるとは思っていませんでした」


「……そうですか」


「ですが、あの人がどういう人間かは、よく分かりました」


 声が低かった。


「私の術を奪ったのが誰なのかは、まだ証明できていません。でも、あの商会がほかの人たちに何をしたかは、もう見過ごせません」


 ダグは俺を見た。


「セインさん。これからも、力を貸していただけますか」


 俺は迷わず頷いた。


「もちろんです」


 リオルがダグの肩を軽く叩いた。


「俺もいるぞ」


「分かってるよ」


「ならいいけど」


「お前も、その右腕が治るまでは大人しくしろ」


「……今その話する?」


「今だからだろ」


 二人のやり取りを聞いて、ようやく少しだけ笑えた。


 でも、笑って終わりにはできない。


 俺は商会の建物を振り返った。


 あの中には、まだ多くの人が働いている。今日も誰かが契約を結び、誰かが固有術を買おうとしているのだろう。


 グレゴールを止めなければ、またヨルンのような人が出るかもしれない。


 またテオのように、帰ってこない人を待ち続ける家族が生まれるかもしれない。


「……俺、あの商会を止めたい」


 口に出すと、思っていたよりも声がはっきりした。


 リゼが頷く。


「はい。私もです」


「俺も」


 リオルが続けた。


 ダグも静かに頭を下げた。


「……私も、同じ気持ちです」


 その時、後ろから声がした。


「セイン」


 振り向くと、エルセが立っていた。


 どうやら第七係からこちらへ向かってきたらしい。手には王宮の封蝋(ふうろう)が押された書簡を持っている。


「ちょうどよかった。皆さんにも関係する話です」


「何かあったの?」


 俺が尋ねると、エルセは封筒を差し出した。


「今回の固有術移転事業について、王宮の上級執務官が正式に事情を聞きたいそうです」


「……王宮の?」


「はい。グレゴールの商会と王国が進めてきた事業を、取りまとめている人物です」


 俺は書簡を受け取った。


 そこには、面会の日時と場所が記されている。


 そして、署名があった。


『上級執務官 カイエン・ローデル』


「……この人が?」


 エルセは頷いた。


「商会の不正が明らかになり始めたことで、王宮も正式に判断を迫られています。ただ、彼は研究そのものを簡単に止めるつもりはないようです」


 俺は書簡を見つめた。


 研究を止めない。


 あんな場所で人が死んでいるのに、まだ続ける理由があるのだろうか。


 けれど、会ったこともない人間を、グレゴールと同じだと決めつけるわけにもいかない。


「……分かりました。会いに行きます」


 俺は答えた。


 ヨルンはもう帰ってこない。


 テオが払った金を返しても、失われた時間や命まで戻るわけじゃない。


 それでも、同じことを繰り返させないために、俺たちにはまだできることがある。


 グレゴールがどんなに大きな商会を持っていても、王宮の偉い人がどんな理屈を並べても、そこだけは譲りたくなかった。


 俺は書簡を鞄へしまい、仲間たちと並んで歩き出した。

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