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王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第四章 才能の値札

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第七十六話 人を捜す人


 北門を抜けたところで、先頭の兵士が馬を止めた。


「見えますか。あの灯りです」


 指さされた先には、古い石造りの建物があった。


 夕闇の中に浮かぶ大きな煙突と、窓を塞ぐ木板。かつて染物場だったというその建物は、王都の賑やかな通りから少し離れただけなのに、随分と寂しい場所に建っていた。


 裏手には細い水路が流れているらしい。湿った風に混じって、古い染料のような独特の匂いが漂ってきた。


「あそこに、お兄さんが……」


 思わず呟いた。


 青年の兄が最後に荷物を届けた場所。そして、商会で体調を崩した人たちが運ばれているという場所だ。


 同じ建物だと分かったからといって、兄が中にいるとは限らない。それでも救護室で青年が見せた顔を思い出すと、一刻も早く確かめたかった。


「セインさん」


 隣を歩くダグが声をかけてきた。


「兄さんのことは、私にも調べさせてください」


「もちろんです。お願いします」


「ありがとうございます」


 ダグは礼を言うと、建物へ目を向けた。


 今も〈追跡〉を使えないのだろう。けれど、前を見つめるその顔は、初めて第七係へ相談に来た時よりもずっと落ち着いていた。


「俺、こいつが術を使ってない時に仕事するの、久しぶりに見るな」


 リオルが横から言った。


「お前も知ってるだろ。術を使う前は、普通に足で捜してたんだぞ」


「そうだったな。昔は聞き込みで三日かけた相手を、術を覚えてから半日で見つけてたっけ」


「便利にはなったけどな」


 ダグは少しだけ笑った。


「足で歩かなくなったわけじゃない」


 その言葉を聞いて、俺も少し安心した。


 なくしたものが大切であるほど、なくしたあとも自分に何が残っているのか、すぐには分からないのかもしれない。


     ◇


 建物の正門には、すでに大型の幌馬車が一台止まっていた。


 男たちが二人がかりで寝台を持ち上げ、荷台へ押し込もうとしている。乗せられているのは、人間だった。


「止まれ!」


 先行していた王宮兵士が声を上げる。


 男たちは手を止めた。


「何だ、あんたら」


「王宮の調査だ。中にいる人間の安全を確認する。まず、その寝台を下ろしてもらいたい」


「うちは正式な治療施設だぞ。患者を運んで何が悪い!」


 男の一人が怒鳴った。


 俺は荷台を覗こうとして、息を呑んだ。


 寝台の上には、痩せた老人が横たわっていた。目を閉じたまま、まったく動かない。身体には毛布がかけられているが、腕の先だけが外に出ている。


 手首には、太い布紐が巻かれていた。


「……どうして縛ってるんですか」


 思わず声が出た。


「暴れる患者もいるんだよ。転げ落ちたら危ないだろ」


 男は面倒そうに答えた。


 その言葉が本当なのかどうか、俺には分からない。ただ、老人の手首には紐が食い込んだような赤い跡があった。


「医者はどこですか。今すぐ診てもらえる人は?」


 返事の代わりに、男が俺の前へ立った。


「部外者は引っ込んでろ」


 身体が強張った。


 さっき競売会場で襲われた時のことが、嫌でも頭をよぎる。


 それでも目を逸らせなかった。老人の指が、わずかに動いたように見えたからだ。


「下がれ」


 低い声がした。


 ムラサメだった。


 いつの間にか俺たちの横まで来ていた彼は、腰の刀へ手をかけることもなく、男の前に立った。


「王宮は、この施設に強制的な移送が行われている疑いを持っている。現に、本人の拒否を無視した移送と暴行が確認されている。今は目の前の患者の安全を優先する」


「だから何だってんだ!」


 男がムラサメの胸元へ手を伸ばした。


 次の瞬間、その腕は動かなくなっていた。


 ムラサメが片手で手首を押さえている。力任せに捻った様子もないのに、男は身動きが取れず、顔をしかめていた。


「手を離せと言っている」


 男が指を開く。


 ムラサメはそれを確認すると、静かに手を放した。


「兵士たちへ。患者を医師に引き渡せ。建物の正面も確保する。中にいる者の安全が確認できるまで、誰も勝手に連れ出すな」


 兵士たちが一斉に動き始める。


 男たちはまだ何か言いたそうだったが、ムラサメを前にして、とうとう口を閉じた。


 俺は老人が寝台ごと運ばれていくのを見届けた。


 少なくとも、あの人は助かった。


 けれど、あの建物の中にいる人が、全員あの馬車へ乗せられるとは限らなかった。


     ◇


「……おかしいな」


 ダグが呟いた。


 彼は門の前から少し離れ、湿った地面を調べていた。


「どうした?」


 リオルが声をかける。


「裏にも荷を運んだ跡がある」


「荷車の?」


「ああ。しかも、ついさっきだ」


 俺たちも近づいた。


 地面には車輪の跡がいくつも残っていた。染物場だった頃から使われていた道なのだろう。石畳の間には青黒い泥が溜まり、ところどころに新しい擦れ跡が見える。


「ここを見てくれ」


 ダグが地面を指した。


「右側の車輪だけ、一定の間隔で線が深くなってるだろ」


 確かに、右の跡には小さな窪みが繰り返しついていた。


「車輪の鉄輪が一か所欠けてるんだと思う。回るたびに、そこだけ強く地面を削る」


「そんなことまで分かるんですか?」


「荷車を追う仕事もありましたから」


 ダグはそう言って立ち上がった。


「それに、こっちは荷台を積んでいる時の跡です。車輪が深く沈んでる。でも戻る時の跡は、ほとんど残っていない」


「荷物を下ろしてきた?」


「その可能性が高いです」


 ダグは建物の東側へ顔を向けた。


 そこには細い道があり、古い塀に沿って奥へ続いていた。


「問題は、正門で降ろさず、わざわざ裏へ運んでいることです」


 リオルの表情が引き締まる。


「裏口があるのか」


「たぶんな。それと……」


 ダグは少し離れた石畳を指した。


「足跡が四人分。うち一人は、ほかの三人よりかなり歩幅が狭い」


「怪我をしてる人かもしれませんね」


 リゼが言うと、ダグは頷いた。


「あるいは、誰かに連れられて歩いている」


 嫌な想像が浮かんだ。


 あの受付の女性が話していた、家へ帰りたいと泣いていた人。


 その人も、こんなふうに連れられていったのだろうか。


「……行ってみましょう」


 俺が言うと、リオルが頷いた。


「ムラサメさんに伝えてからな。正面を押さえてもらって、こっちは裏を確認する」


 リオルはすぐに近くの兵士へ声をかけた。


 ムラサメは俺たちの話を聞き、兵士を二人同行させることにした。彼自身は正面に残り、患者の救出と武装した者への対応を続けるらしい。


「ダグ、現場の判断はお前とリオルに任せる。ただし、危険があればすぐに知らせろ」


「はい」


「セインとリゼは、兵士より先へ出ないように。コレットもだ」


 ムラサメの視線が、俺の肩へ向けられる。


「特にお前はな」


「……分かりました」


 さっきから、俺だけ注意される回数が多い気がする。


 けれど今度は反論しなかった。あの老人と同じように、助けを必要としている人がまだいるのなら、俺が怪我を増やして足手まといになるわけにはいかない。


 コレットは少し迷ったあと、救護を担当する兵士と一緒に残ると申し出た。


「もし誰かを助けたら、こっちへ連れてきて。お医者さんを呼ぶの、手伝うから!」


 それから俺たちを見回し、少し照れたように笑った。


「私まで勝手に突っ込んだら、またリゼに心配かけちゃうしね」


「……分かっているなら、安心です」


 リゼが笑う。


 コレットは頷いたが、その手が膝のあたりへ伸びたのを俺は見逃さなかった。


「痛いなら、ちゃんと座って休んでね」


「もう、セインってば!」


 彼女はそう言って笑った。


 俺たちは東側の細道へ向かった。


     ◇


 道は建物の外壁に沿って曲がり、やがて水路の方へ下っていた。


 足元の石は湿っていて滑りやすい。俺は肩を庇いながら歩き、前を行くダグと兵士の背中を追った。


 途中で風向きが変わった。


 湿った木材の匂いに混じって、薬品のような鼻につく臭いがした。


「……ここ、まだ使ってるんでしょうか」


 リゼが呟く。


「染物場だった頃の設備が残ってるのかもしれません」


 ダグが答える。


「川から水を引いて、染め終わった布を洗っていたんでしょう。裏の水路は、そのためのものだと思います」


 塀の向こうから、何かが軋む音がした。


 ダグが足を止める。


 俺たちも動きを止めた。


 しばらく耳を澄ますと、もう一度、小さな金属音が聞こえた。


 カタン。


 少し間が空いて、


 カタン。


「……車輪だ」


 ダグが囁いた。


「さっきの荷車だと思う。欠けた鉄輪が、回るたびに鳴ってる」


 俺は驚いて彼を見た。


 足跡だけじゃない。音まで覚えていたのか。


 ダグは兵士へ合図を送り、ゆっくりと道の先を覗いた。


 そこには、古い水門があった。


 水路は建物の下をくぐり、幅の狭い船着き場へつながっている。石壁に囲まれた薄暗い場所で、小さな平底船が一艘、岸へ寄せられていた。


 その横に、二台の手押し荷車がある。


 一台には木箱が積まれていた。


 もう一台には、寝台が載っていた。


 そして、その上に横たわる人間の姿が見えた。


「……いた」


 声が漏れた。


 水門の近くでは、男たちが船を引き寄せている。別の男が寝台を押し、船へ乗せようとしていた。


「急げ。表が騒がしくなってる」


「まだ一人残ってるぞ」


「先に運べるものを運べ。あとは向こうでどうにかなる」


 男たちの声が、水面に反響した。


 リオルが俺の肩へ左手を置いた。


「落ち着け。まず、逃げ道を塞ぐ」


「でも、寝台に人が……」


「分かってる。船を出されたら、あの人ごと逃げられるんだ」


 その通りだった。


 俺は唇を噛み、兵士たちの動きを待った。


 ところが、男の一人が寝台の毛布を掴んだ時だった。


「……やめて」


 かすかな声が聞こえた。


 寝台にいた人が、顔を動かした。


 女性だった。


「お願い……帰して……」


 その声を聞いた瞬間、胸が熱くなった。


 あの人はまだ、自分で話せる。


 帰りたいと言っている。


 なのに男は聞こえなかったように、寝台を船の方へ押し続けた。


「リオル……!」


「分かってる!」


 リオルは短く答え、兵士へ合図した。


「そこの者たち、動くな!」


 兵士が剣を抜いて姿を現す。


 男たちは驚いて振り向いた。


「王宮兵だ! 患者から離れろ!」


 一瞬、全員の動きが止まった。


 次の瞬間、一人の男が手押し荷車を強く突き飛ばした。


 寝台を載せた車輪が、石畳の上を勢いよく滑り始める。


「危ない!」


 船着き場の端には低い段差があった。その向こうは水路だ。


 男は荷車を突き落とすつもりだった。


 俺は思わず駆け出した。


 肩が痛む。


 けれど、目の前の寝台が水へ落ちる方が、ずっと怖かった。


「セイン、右へ回れ!」


 リオルの声が飛ぶ。


 彼は俺より先に動き、荷車の横へ回り込んでいた。


 荷台の重みが片側へ寄り、車輪が浮きかける。


 リオルは左手を荷車の縁へ当てた。


 〈均衡〉。


 傾きかけた荷台の左右の重みが釣り合い、持ち上がりかけた車輪が石畳へ戻った。


 だが、荷車そのものはまだ動いている。


「ダグ!」


「分かってる!」


 ダグが荷車の前へ飛び込んだ。


 車輪へ足を差し入れるような危険なことはせず、横に置かれていた木製の輪止めを拾い、進路へ押し込む。


 車輪が輪止めにぶつかった。


 鈍い衝撃が響き、荷車が大きく揺れる。


 俺も反対側から荷台へ手を伸ばし、肩を庇いながら車体を支えた。


「止まれっ……!」


 車輪が石畳を擦った。


 水路まで、あと一歩もない。


 ようやく荷車が止まった時、俺は自分が息を止めていたことに気づいた。


 寝台の女性が、毛布の下で小さく震えている。


「……大丈夫ですか」


 声をかけると、女性は薄く目を開けた。


「……落ちるかと、思った」


「もう大丈夫です。俺たちがいます」


 そう言った途端、女性の目から涙がこぼれた。


 俺は胸の奥が痛くなった。


 さっきの男は、この人が乗っていると知っていて荷車を押した。


 逃げるためなら、人が水へ落ちても構わなかったのだ。


 腹の底から怒りが湧いてきたが、今は女性を安全な場所へ移す方が先だった。


     ◇


 兵士たちは男たちを取り押さえていた。


 一人は抵抗して水路へ飛び込もうとしたが、逃げ道を塞いでいた兵士に捕まった。残りも武器を捨て、石畳に膝をつかされている。


 船を操ろうとしていた男が、悔しそうにこちらを睨んだ。


「余計なことをしやがって。お前ら、何を止めたのか分かってるのか!」


「人を乗せた荷車を水へ落とそうとしたのは、あなたでしょう」


 リゼの声が鋭かった。


 俺は驚いて振り向いた。


 彼女は男をまっすぐ見つめている。


「どうしてそんなことができるんですか。この人たちだって、帰りたいと言っているじゃありませんか」


「知らねえよ。上から言われた通り運ぶのが仕事だ!」


「それで人が死んでも?」


 男は口を閉じた。


 リゼはそれ以上言わず、寝台の女性へ向き直った。


 その横顔が、いつもよりずっと厳しく見えた。


「セイン、この方を運びましょう。お医者さんに診てもらわないと」


「うん」


 俺は頷いた。


 ダグと兵士が寝台を支え、慎重に持ち上げる。


 女性は痛むのか、時折顔をしかめていた。手首には、さっき正門で助けた老人と同じような布紐の跡があった。


「……助けてくれたんですね」


 女性が呟く。


「はい。もう無理に連れていかせません」


 ダグが答えた。


「お名前を伺ってもよろしいですか」


 女性はしばらく迷い、震える声で名乗った。


「……マーレです」


「マーレさん。私はダグと申します。警護隊の者です」


 ダグさんは少し屈んで、女性と目の高さを合わせた。


「今から医者のところへお連れします。その前に、ほかに助けを必要としている人がいれば、教えていただけますか」


 マーレの顔色が変わった。


「……まだ、いるんです」


 ダグは静かに頷いた。


「どこですか?」


「奥の部屋です。私と同じように具合が悪くなった人たちが……」


 マーレの呼吸が速くなる。


「何人かは、もう運ばれていきました。でも、まだ一人だけ……」


「無理に話さなくて大丈夫です」


 リゼが声をかけた。


 マーレは首を振った。


「……今、言わないと」


 そして、建物の奥を見つめた。


「あの部屋に連れていかれたら、誰も戻ってこないんです」


 誰も戻ってこない。


 救護室で聞いた言葉が、また頭の中に響いた。


     ◇


 マーレを兵士と一緒に正門側の救護場所へ送ったあと、俺たちは船着き場の奥へ続く扉を調べることになった。


 ムラサメからも、正面で保護した患者の搬送が進んでいると知らせが届いた。武装した男たちの一部は取り押さえられたが、建物全体の確認はまだ終わっていないらしい。


「この奥にも部屋があるんだな」


 リオルが灯りを掲げる。


 船着き場の横には、石壁に埋め込まれたような鉄の扉があった。錆びた蝶番(ちょうつがい)と、古い鍵穴。壁には部屋番号を示す小さな金属板が並んでいる。


 一、二、四。


 俺は首を傾げた。


「三がない?」


「……本当ですね」


 リゼが壁を見つめた。


 しばらくして、彼女の表情が変わる。


「この部分、空白があります」


「〈空白視〉か?」


「はい。三番目の札があったはずの場所です。外された跡とは別に、何かが欠けているように見えます」


 リゼは壁へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。


「何が書いてあったのかは分かりません。ただ、ここを隠そうとした人がいるのかもしれません」


 俺は鉄の扉を見つめた。


 冷たい石壁の向こうに、かすかな物音がする。


 カチャリ。


 何か金属を置いたような音だった。


「……誰かいますか!」


 思わず呼びかけた。


 返事はない。


 代わりに、奥から何かを引きずるような音が聞こえてきた。


 リオルが俺の前へ出る。


「セイン、下がって」


 その声に、さっきまでの軽さはなかった。


 俺は一歩下がった。


 兵士たちも剣を構え、扉の左右へ分かれる。


 ダグが扉の下を見ていた。


「……床に跡がある」


「何の?」


「重い物を引きずった跡です。まだ新しい」


 灯りを近づけると、鉄の扉の下から、細い筋がこちらへ伸びていた。


 水路の泥とは違う、黒ずんだ擦れ跡だ。


 ダグはそれを指で確かめ、顔を上げた。


「何度も、同じものを出し入れしてるんだと思います」


 俺の胸がざわついた。


 マーレは、この奥へ連れていかれた人が戻ってこないと言っていた。


 青年の兄も、この建物へ来たあと姿を消している。


 もしかしたら、ここに何か手がかりがあるかもしれない。


 そう考えた時だった。


 扉の向こうから、男の声がした。


「……今日は随分と騒がしいな」


 低く、落ち着いた声だった。


 俺たちは息を止めた。


 男は誰かに話しかけるような調子で続けた。


「まだ終わってないんだが。困るなあ、途中で邪魔されると」


 金属の触れ合う音がした。


 それから、扉の向こうで誰かが小さく呻いた。


 俺は反射的に一歩踏み出しかけた。


 リオルが左手で俺の胸を押さえる。


「……待て」


「でも、中に人がいる!」


「分かってる。俺にも聞こえた」


 リオルは扉を睨んだまま、低い声で言った。


「今度は絶対に、勝手に入るな」


 俺は頷いた。


 怖くないわけじゃない。


 この扉の向こうに何がいるのか、まったく分からないのだから。


 それでも、あの声を聞いてしまった。


 誰かが、まだ生きている。


 ダグが兵士へ短く合図した。


 扉の前で剣が構えられる。


 俺は痛む肩を押さえ、目の前の鉄扉を見つめた。


 青年が何度も聞きたかったはずの、兄が帰ってくる時の二度のノック。


 あの音を、もう一度聞かせてやりたいと思った。


 けれど今、扉の向こうから聞こえてくるのは、金属が擦れる音と、誰かの苦しそうな息遣いだけだった。


 俺は拳を握りしめた。


 今度こそ、間に合ってほしかった。

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