第七十一話 競売会の招待客
「……何で俺が、こんな格好しなきゃいけないんだ?」
特別競売会の当日、俺は第七係の窓に映った自分の姿を見ながら、もう三度目になる文句を言っていた。
いつもの仕事着ではなく、滅多に着ない上着を羽織っている。父さんが以前仕立ててくれたもので、別に窮屈なわけではないのだが、どうにも肩が落ち着かない。
「招待状に、きちんとした服装で来るよう書いてあったじゃないですか」
リゼが俺の襟元を直しながら答えた。
「そうだけど、商会を調べに行くんだろ? 結婚式に出るわけじゃないんだから」
「だったら、なおさら目立たない方がいいでしょう。ほら、動かないでください」
言われるままに大人しくしていると、リゼが少し背伸びをした。
銀白色の髪が頬の近くをかすめ、何だかくすぐったい。いつもより少しきれいな髪留めを使っていることにも気づいたが、本人が真剣な顔で襟を直しているので、話しかけるタイミングを逃してしまった。
「……はい、できました」
「ありがとう。リゼはいつもと違うな」
「え?」
「その髪留め。似合ってると思う」
リゼは一瞬、俺を見たまま固まった。
「……ありがとうございます」
「どうした?」
「何でもありません。セインも、今日はちゃんとして見えますよ」
「普段は?」
「……さあ?」
「そこは答えてほしかったな」
リゼは楽しそうに笑った。
その横で、ティセラが呆れたように息を吐く。
「朝から随分余裕があるのね。競売会へ遊びに行くわけじゃないでしょう?」
「分かってるよ」
「だったら、これを持っていきなさい」
差し出されたのは、薄い紙を何枚か重ねたものだった。
先日、商会で会った女性の契約書について、ティセラが調べた内容をまとめたらしい。
「彼女の体調については、専門の医師に診てもらうよう勧めておいたわ。原因を決めつけることはできないけど、固有術を売ったあとで身体に変化があったという話は無視できないもの」
「うん。ありがとう」
「それと、この契約書には気になる点があるの」
ティセラは紙の一箇所を指した。
「売却後の身体への影響について、商会が責任を負わないと書かれているでしょう。でも、どんな影響が起こり得るか、具体的な説明がほとんどないのよ」
「昨日も、本人はよく分かってなかったみたいだな」
「ええ。契約を守ることと、十分な情報を渡して契約してもらうことは、同じじゃないわ」
俺は頷いた。
昨日の女性は、自分で固有術を売ると決めた。
必要なお金を手に入れたことも、家族を助けられたことも後悔していない。それでも、今の身体がどうなっているのか分からず、困っているのだ。
「今日は、買う側にもどんな説明をしているのか見てくるよ」
「そうして。あと、危ないと思ったら引き返しなさい」
「分かってる」
「本当に?」
「……最近、みんなそればっかり言うな」
「言われる理由を考えなさい」
何だか係長に注意されているような気分になった。
そう思って奥の机を見ると、いつもどおり椅子は空いている。
昨日よりは少し慣れたつもりだったが、やっぱり目が向いてしまう。あの人がいたら、今日の調査についてどんなことを言っただろう。
きっと、面倒な仕事だなと言いながら、結局は俺たちを送り出してくれたと思う。
そこまで考えてから、俺は鞄を持った。
今は、あの人がいなくても仕事を進めなければならない。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
ティセラが答え、エルセも小さく頷いた。
「王宮側には、こちらで確認できたことを報告しておきます。セヴァンについても、何か連絡があればすぐにお伝えします」
「ありがとう。頼むよ」
俺は二人に手を振り、リゼと一緒に第七係を出た。
◇
「お、やっと来た」
待ち合わせ場所にいたリオルが、俺たちを見て笑った。
今日は警護隊の制服ではなく、落ち着いた色の上着を着ている。右腕はまだ固定されたままだが、その服装のおかげか、少し大人びて見えた。
「お前、意外と似合うな」
俺が言うと、リオルは得意そうに胸を張った。
「だろ? これでも護衛の仕事で、こういう場所には何度か行ってるんだよ」
「そうだったのか」
「お前、俺のこと何だと思ってたんだ?」
「剣を振ってるか、飯を食ってるか、どっちかだと思ってた」
「ひどくない?」
リゼが横で笑った。
リオルは少し不満そうだったが、すぐに真面目な顔になる。
「セイン、今日は一つ気をつけよう」
「何?」
「向こうは俺たちの名前を知ってる。グレゴールも、こっちが何を調べてるか大体分かってるはずだろ」
「うん」
「だったら、招待した理由があると思うんだ。単に親切だからってわけじゃないだろうし」
俺は頷いた。
それは昨日から気になっていたことだった。
グレゴールは俺たちが固有術の売買について疑問を持っていると知ったうえで、競売会へ招待してきた。
普通なら、そんな人間は近づけたくないと思う。
「だから、何か見つけてもすぐに騒がない方がいい。まず確かめて、必要なら王宮へ知らせよう」
「……そうだな」
「あと、リゼ」
「はい?」
「セインが無茶しそうになったら止めてくれない?」
「任せてください」
「おい、何で俺だけなんだよ」
「一番心配だからだよ」
リオルは平然と答えた。
少し前までなら、こいつの方が真っ先に飛び込んでいそうなものだった。
でも、今のリオルは自分の右腕の状態を分かっているし、ダグに起きたことも見ている。無茶をすれば、自分だけでなく周りの人間まで危険になると考えているのだろう。
そういうところは、やっぱり頼りになる親友だった。
◇
競売会の会場は、商会の本店とは別の建物だった。
高い石壁に囲まれた広い屋敷で、入口には馬車が何台も並んでいる。降りてくる客は皆、上等な服を着ており、俺たちよりずっと場慣れしているように見えた。
「……すごいところだな」
俺が呟くと、リゼも少し緊張した様子で頷いた。
「私たち、浮いてませんか?」
「大丈夫だろ。リオルがいるし」
「何で俺?」
「慣れてるんだろ?」
「護衛としてはな。客として入るのは初めてだよ」
あまり頼りにならない返事だった。
ただ、リオルはすぐに入口の兵士と、周囲を警戒している護衛の配置を確かめ始めた。誰がどこを見ているのか、どの通路が混雑しているのかを、何でもないような顔で観察している。
俺にはよく分からないが、こういうことは普段から仕事で覚えているのだろう。
「セイン、あそこ」
リオルが小さく言った。
「何?」
「奥の門にも人がいる。荷物の搬入口みたいだな」
「何か気になる?」
「いや、今は別に。ただ、何かあったら客は入口へ集中するだろうから、別の出入り口も覚えておいた方がいいと思って」
なるほど。
俺は素直に感心した。
「……本当に警護隊員なんだな」
「お前、今まで何だと思ってたんだよ」
「飯を食ってる人」
「さっきも聞いた!」
リゼが吹き出した。
少し緊張が和らいだところで、俺たちは入口へ向かった。
その時だった。
「危ない!」
前方から女の子の声が聞こえた。
振り返ると、年配の男性が馬車から降りようとして、足を滑らせていた。
転びそうになったところへ、一人の少女が駆け寄る。
少女は男性の腕を掴んで支えようとしたが、勢いに負けて自分までよろけてしまった。
俺が動くより早く、リオルが二人のそばへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
左手で男性の身体を支え、転ばないように姿勢を整える。
右腕は使えないので、無理に抱え込もうとはせず、男性が自分で立てるように手を貸していた。
「す、すまない。助かったよ」
「いえ。足元、滑りやすいですから気をつけてください」
男性は何度も礼を言い、近くの従業員に付き添われていった。
俺もほっとしたが、少女の方を見ると、何だか困った顔をしていた。
「あー……やっちゃった」
蜂蜜色の短い髪をした少女だった。
年齢は俺より少し下だろうか。琥珀色の瞳が印象的で、きれいな服を着ているのに、どこか親しみやすい雰囲気がある。
「大丈夫?」
俺が尋ねると、少女は顔を上げた。
「あ、うん! 私は平気。あのおじいさんも怪我がなくてよかった」
そう言って笑う。
でも、足元を見た俺は、少しだけ眉を寄せた。
「……靴、壊れてるよ」
「え?」
「右足の留め具。さっき踏ん張った時に外れたんじゃない?」
少女が足元を見る。
革靴の細い留め紐が切れ、歩くたびに踵が浮いてしまう状態になっていた。
「あ、本当だ。どうしよう」
「歩ける?」
「歩けるとは思うけど……うーん、ちょっと格好悪いかな」
少女は笑ってごまかしたが、試しに一歩踏み出したところで、また靴が脱げかけた。
「無理しない方がいいよ」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと結べば何とかなると思うから」
そう言って屈み込む。
でも、切れた紐を何度結び直しても、すぐにほどけてしまうようだった。
俺は少し考えてから、鞄を開いた。
「ちょっと見せてもらっていい?」
「え?」
「靴。簡単な修理ならできると思う」
少女が不思議そうに俺を見た。
「……あなた、靴屋さん?」
「違うけど、父親が靴職人なんだ。子供の頃から手伝わされてたから、こういうのは結構得意なんだよ」
「へえ!」
少女の顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「もちろん」
俺は鞄に入れていた細い革紐を取り出した。
仕事の道具をまとめるために持っていたものだが、今はちょうどよさそうだった。
壊れた留め具の代わりに紐を通し、歩いても緩まないように結び直す。
「これでどうかな。ちゃんと直すなら靴屋へ行った方がいいけど、今日一日くらいなら大丈夫だと思う」
少女が立ち上がり、何度か足を動かした。
「……すごい!」
嬉しそうな声が上がった。
「本当に直った! ありがとう!」
「どういたしまして」
「あなた、いい人だね!」
「……靴を直しただけだけど」
「それが嬉しいんだよ」
少女は当たり前のように答えた。
その笑顔があまりに自然だったので、俺もつられて笑ってしまった。
「そういえば、名前を聞いてなかったね」
少女が言った。
「セイン・アルケット。こっちはリゼと、リオル」
「よろしくお願いします」
リゼが軽く頭を下げ、リオルも左手を上げた。
「よろしく。私はコレット!」
少女は明るく笑った。
「三人も競売会に来たの?」
「うん。まあ、ちょっと調べたいことがあって」
「へえ、そうなんだ」
コレットは興味深そうに俺たちを見る。
「私も初めて来たんだ。すごい人たちが集まるって聞いて、どんなところなのかなと思って」
「買いたい固有術があるの?」
俺が尋ねると、コレットは少しだけ目を丸くした。
「……ううん。買いたいわけじゃないよ」
それから、小さく笑った。
「でも、見ておきたいものはあるかな」
その答えが少し気になった。
ただ、初めて会った相手に詳しく聞くのも変だろうと思い、それ以上は尋ねなかった。
◇
会場の入口では、招待状の確認が行われていた。
係員は俺たちの名前を一人ずつ確かめ、入場者名簿へ記入するよう求めてきた。
「こちらへお名前をお願いいたします」
俺は差し出された紙へ目を落とした。
普通の登録用紙に見える。
ただ、下の方に小さな文字が並んでいることに気づいた。
「……これ、何ですか?」
「参加規約でございます」
係員が答えた。
「ご参加いただく方には、こちらの条件に同意していただいております」
俺はその文章を読み始めた。
会場内での行動や、競売の進行について書かれている。
その中に、一つ気になるものがあった。
『参加者は、会場内で提示される査定および取引条件について、所定の手続きに従うものとする』
「……これって、どういう意味ですか?」
俺が尋ねると、係員は微笑んだ。
「競売会の円滑な運営のための規定でございます」
「でも、俺たちは見学に来ただけなんです。固有術の査定を頼むつもりはありません」
「ご見学のみでしたら、特に問題はございません」
「じゃあ、査定には同意しなくてもいいんですよね?」
係員は少しだけ返事に迷った。
「……通常は、そのようなご心配は必要ございませんが」
その時、リオルが横から口を開いた。
「確認してもいいですか?」
「はい」
「この紙に名前を書いたあと、本人が知らないうちに査定の対象になることはありませんよね?」
係員の表情が変わった。
「そのようなことはございません」
「でしたら、見学だけに同意する形で登録しても問題ありませんよね」
リオルは落ち着いた声で続けた。
「俺たちは売却も査定も希望していません。そこははっきりさせておきたいんです」
係員はしばらく考えたあと、奥にいる責任者らしい男へ相談に行った。
俺は隣のリオルを見た。
「……助かった」
「いや。昨日のことがあるからさ」
リオルは小さく笑った。
「もう勝手に予約されるのはごめんだからな」
「それは本当にそうだな」
少しして係員が戻ってきた。
今回の招待客については、見学のみの登録で構わないという。
俺たちはその旨を記録してもらい、ようやく会場へ入ることができた。
「……何だか大変だったね」
後ろで見ていたコレットが言った。
「いつもこうなの?」
「いや、俺たちも初めてだよ」
「そっか」
コレットは少し考えた。
「でも、ちゃんと聞いておいた方がいいことってあるよね」
「そうだな」
「私も気をつけようっと」
彼女はそう言って、受付の用紙を丁寧に読み始めた。
俺たちは先に進もうとしたが、リゼが少し立ち止まった。
「……セイン」
「何?」
「コレットさん、変わった人ですね」
「そう?」
「初めて会った人のお手伝いをして、靴が壊れても笑ってましたから」
「確かに」
俺も少し笑った。
それにしても、今日は初めて会う人間が多い。
できれば、悪い意味で驚かされることは少ない方がありがたいのだが。
◇
競売会の会場は、想像以上に広かった。
階段状に並んだ座席の先には大きな舞台があり、壁際には高価そうな装飾品が飾られている。客たちは思い思いの場所へ座り、手元の冊子を眺めながら楽しそうに話していた。
まるで劇場のようだった。
「……本当に、ここで固有術を売るんだな」
俺が呟くと、リゼが頷いた。
「そうみたいですね」
俺たちも席へ案内された。
渡された冊子を開くと、いくつもの固有術が紹介されている。
用途や特徴、取引条件が丁寧に書かれ、金額の目安まで載っていた。
「……何だか、普通の商品みたいだな」
リオルが小さく言った。
「そう見せたいんだと思う」
俺は答えた。
並んでいるのは、誰かが生まれた時から持っていた力だ。
でも、冊子の中では便利な道具とほとんど変わらない扱いになっている。
俺は一つずつ説明を読んでみたが、元の持ち主について詳しいことはほとんど書かれていなかった。
「……買う人には、必要ないってことなのかな」
思わず呟いた。
「何がです?」
リゼが聞く。
「元の持ち主のこと。どんな人が使ってたのか、どうして売ったのか、あんまり書いてないだろ」
リゼも冊子を覗き込んだ。
「本当ですね」
「買う人にとっては、どう使えるかの方が大事なのかもしれないけど」
「でも、気にはなりますよね」
「うん」
俺はページをめくった。
すると、リオルが急に手を伸ばしてきた。
「……セイン、ちょっと待って」
「何?」
「ここ」
リオルが指差したのは、冊子の後ろの方だった。
『特別紹介枠』
その下に、見覚えのある文字が記されていた。
『固有術:均衡』
俺は思わず顔を上げた。
「……リオル?」
「俺も今気づいた」
リオルは笑っていなかった。
さらに下には、小さくこう書かれている。
『原保持者との優先交渉権』
「……交渉権?」
リゼが首を傾げた。
「固有術そのものじゃないんですか?」
「そうみたいだな」
俺は説明を読み直した。
どうやら、固有術の売却を希望する人間と優先的に交渉できる権利らしい。
ただ、リオル本人は売却を希望していない。
昨日、王宮で正式に拒否したことまで記録に残している。
「……おかしくない?」
リオルが言った。
「俺、売らないって言ったよな」
「言った」
「それなのに、交渉する権利を売るの?」
「……そう書いてあるな」
俺も納得できなかった。
本人が断っている以上、どれだけ優先して話せると言われても、取引が成立するはずはない。
それなのに、こんなものに金を出す客がいるのだろうか。
「リオル、これをムラサメさんに報告しよう」
俺が言うと、リオルは頷いた。
「うん。ただ、今すぐ騒ぐのはやめよう。実際に何を売ろうとしてるのか、確かめてからだ」
その声は、いつもの軽口を叩いている時とは違っていた。
俺も頷き、冊子を閉じた。
その時、舞台の方から鐘の音が響いた。
◇
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
競売会が始まった。
舞台へ現れた司会者は、よく通る声で挨拶し、固有術の取引について説明を始めた。
客たちは慣れた様子で冊子を開き、番号の書かれた札を手元へ置いている。
俺は周囲を見回した。
商人らしい男もいれば、上等な服を着た貴族らしい女性もいる。中には、俺たちとそれほど歳の変わらない若者までいた。
どんな事情でここへ来たのかは分からない。
ただ、皆が楽しそうにしていることに、少し驚いた。
舞台では最初の取引が始まり、金額を示す声が次々に上がった。
司会者は落ち着いた調子で条件を説明し、客たちは何でもないように札を掲げていく。
「……本当に買うんですね」
リゼが小さく言った。
「うん」
俺は頷いた。
それが悪いことなのかどうか、今は簡単に決められなかった。
誰かが自分の意思で固有術を売り、その対価を受け取る。
それを必要としている人が買う。
そういう取引まで、全部間違いだと言うつもりはない。
でも、ここにいる客たちは、元の持ち主がどんな気持ちで売ったのかを知っているのだろうか。
昨日の女性のように、売ったあとで困っている人間がいることも。
少なくとも、舞台の上ではそんな話は一度も出なかった。
しばらくして、司会者が新しいページを開いた。
「それでは、続いて特別紹介枠へ移らせていただきます」
会場の空気が少し変わった。
客たちが顔を上げ、何人かは身を乗り出している。
「今回ご紹介するのは、王立警護隊に所属する優秀な隊員が保持する固有術に関する、優先交渉権でございます」
俺は息を呑んだ。
隣でリオルの表情が険しくなる。
「その固有術の名は、〈均衡〉」
司会者が声を張った。
「極めて珍しい特性を持ち、実戦における応用も期待される力でございます」
客席から、感心したような声が上がった。
俺はリオルを見た。
本人は黙って舞台を見つめている。
司会者はさらに説明を続けた。
「現在、原保持者との正式な譲渡契約には至っておりませんが、将来的な交渉において優先的な立場を得られる権利となっております」
それを聞いて、俺は少しだけ安心した。
少なくとも、まだ売却が成立していると説明しているわけではない。
だが、次の言葉で、その安心は消えた。
「なお、原保持者の方は現在負傷療養中であり、今後の活動方針について検討されていると伺っております」
「……は?」
リオルが小さく声を漏らした。
俺も司会者を見た。
そんな話は、本人から一度も聞いていない。
むしろリオルは、腕が治ったら警護隊の仕事へ戻るつもりだと言っていたはずだ。
司会者は続ける。
「今後、譲渡が実現する可能性を見据え、まずは優先交渉の権利をご案内いたします」
客席の何人かが、早くも札を持ち上げ始めた。
「……セイン」
リオルが呼んだ。
「うん」
「俺、ちょっと話してくる」
「大丈夫か?」
「大丈夫。怒鳴り込みに行くわけじゃないよ」
リオルはそう言って、ゆっくり立ち上がった。
右腕はまだ固定されている。
でも、その顔には迷いがなかった。
俺とリゼも一緒に席を立つ。
「すみません」
リオルは通路に立っていた係員へ声をかけた。
「今、紹介されている固有術の件で確認したいことがあります」
「ご質問でしたら、競売終了後に承りますが」
「できれば、今お願いしたいです」
「しかし、進行中でございますので」
リオルは少しだけ考えたあと、落ち着いた声で言った。
「俺が、その固有術の持ち主なんです」
係員の表情が変わった。
俺も隣から口を開く。
「本人は昨日、王宮の調査で譲渡を拒否しています。その記録も残っています」
「……少々お待ちください」
係員は慌てて奥へ向かった。
その間にも、舞台では金額の提示が続いている。
「……止まらないな」
俺が呟くと、リオルは静かに頷いた。
「うん。多分、今までの記録だけじゃ足りないんだ」
「どういうこと?」
「相手は、固有術そのものを売ってるわけじゃないって言うつもりなんだと思う」
リオルは舞台を見た。
「でもさ、俺と話す権利なんて、俺が許さなきゃ意味ないだろ」
その言葉には、俺も納得した。
固有術を売るつもりがない人間に、優先して交渉できる権利を売る。
少なくとも、本人に何も知らせず進めていい話ではないと思う。
「……リオル」
「何?」
「必要なら、俺も一緒に説明するよ」
「ありがとう。でも、まずは俺が言う」
リオルは少し笑った。
「俺の話だからさ」
俺は頷いた。
その時、会場の奥から数人の従業員が近づいてきた。
「リオル様でいらっしゃいますね」
「はい」
「責任者より、お話を伺うよう申しつかりました。こちらへお願いいたします」
案内された先は、舞台裏へ続く通路だった。
リオルは一度、俺とリゼを振り返る。
「一緒に来てくれる?」
「もちろん」
俺が答えると、リゼも頷いた。
「行きましょう」
俺たちは従業員のあとについて歩き始めた。
背後では、まだ競売が続いている。
リオルの〈均衡〉について、次々と金額が上がっていく声が聞こえた。
それが何だか、妙に腹立たしかった。
本人が目の前にいるのに。
売らないと答えているのに。
それでも、誰かがリオルの才能に値段をつけようとしている。
俺は隣を歩く親友を見た。
リオルは前を向いていた。
右腕を怪我しても、誰かを助けようとすることをやめなかった男だ。
ダグが困っていると聞けば、朝から第七係へ連れてきたし、今日だって知らない老人が転びそうになれば、真っ先に駆け寄っていた。
そういうところが、俺は昔から好きだった。
だからこそ、あいつが大切にしているものを、勝手に誰かの商売へ使われるのは嫌だった。
通路の奥で、一つの扉が開く。
「どうぞ、こちらへ」
従業員に促され、リオルが先に足を踏み入れた。
俺もそのあとを追う。
そして、部屋の中にいた人物を見て、思わず足を止めた。
「……グレゴールさん?」
昨日、商会で会った男だった。
グレゴール・ザントは大きな机の向こうに座り、俺たちを見ると楽しそうに微笑んだ。
「お待ちしておりましたよ、皆様」
その声には、少しも驚いた様子がなかった。
まるで、俺たちがここへ来ることまで、最初から分かっていたようだった。




