↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第三章 誰も覚えていない男

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/100

第五十二話 街の下に、もう一つの街がある

 

 潮が引くと、街が戻ってくる。


 ラヴェルへ来てから、そんな話を何度か聞いた。


 嵐で壊れた橋の柱。海面から突き出す古い屋根。昔は道だったという、海岸沿いの石段。


 満ちた水に隠され、引けば姿を現すものが、この港にはいくつもあるらしい。


 その中でも、俺たちが今日向かう場所は特別だった。


 水底街《みなそこまち》。


 かつて人が暮らしていた街区が、今は海の下に残っている。


 名前を聞いた時には、少し大げさな呼び方だと思った。


 けれど、古い記録を調べるうちに分かった。そこには家があり、店があり、人々が行き来していた道まで、今も残っているのだという。


 そして、その街のさらに下に、俺たちが探しているものへ続く道があるかもしれなかった。


     ◇


 宿を出たのは、まだ空が白みきらない時間だった。


 港の方角には細い朝焼けが見え始めていたが、通りの石畳は薄暗く、軒先の灯具もまだ点いている。


 潮を含んだ冷たい風が吹くたびに、眠気が少しずつ剥がれていった。


「……眠そうですね」


 宿の前で待っていたリゼが言った。


「実際、眠い」


「正直でいいですね」


「褒められてる気がしないんだけど」


「褒めています」


 彼女は笑った。


 昨日、俺たちはセヴァンから二十八年前の事件について聞いた。


 四十四号の札を持っていた第七係職員。


 本人の承認が残っているという、記憶を切り離す手続き。


 その向こうにあるという「最初の記憶庫」。


 ただし、セヴァンの話がすべて正しいとは限らない。


 彼自身、二十八年前の現場を見たわけではないと言っていたし、肝心の申請記録も俺たちは確認できていない。


 分かっているのは、今も四十四号の札を狙っている人間がいて、セヴァン自身もその連中に襲われたということだ。


 右肩を負傷したセヴァンは、今日の調査には同行しない。


 少なくとも、俺たちはそう聞いていた。


「……セイン」


 リゼがもう一度呼んだ。


「何?」


「また考え事ですか?」


「ちょっと」


「だったら、これ」


 差し出されたのは、小さな紙包みだった。


 開いてみると、まだ少し温かい丸パンが二つ入っている。


「……いつ買ったの?」


「宿の人が焼いてくれました」


「こんなに早く?」


「港で働く人はもっと早いから、朝食も早いんだそうです」


 彼女は自分の分を持ち上げた。


「片手で食べられるものがいいと思って」


「……助かる」


「でしょう?」


 得意そうな顔だった。


 俺はパンを一口かじった。


 少し塩気があり、表面が香ばしい。朝の冷たい空気の中で食べると、余計においしく感じられた。


「……うまい」


「よかったです」


 リゼは笑って、自分のパンにもかじりついた。


 その腰には、いつもの真鍮札が下がっている。


 先日、第四保全区(だいよんほぜんく)の装置に引かれかけた札だ。


 今日は紐を短く結び直し、上着の内側へ収めている。


 首元の赤い封蝋は、相変わらずそこにあった。


 地下施設が彼女を『預託状態:継続中』と呼んだことを、俺はまだ忘れられない。


 けれど、リゼは今、パンを食べている。


 薄暗い港の通りで、温かいものをおいしそうに頬張っている。


 目の前にいる彼女と、あの石扉が表示した文字。


 どちらかを信じろと言われたら、考えるまでもなかった。


「……何です?」


 リゼが尋ねた。


「いや、別に」


「今、ちょっと笑いましたよね」


「パンがうまかったから」


「それならいいです」


 彼女は満足そうに頷いた。


 俺も、残りを食べ終えた。


     ◇


 リオルとティセラが来たのは、それから少ししてだった。


 リオルは剣と短い縄、灯具、それから水に濡れても使える携帯用の合図笛を持っている。


 ティセラは、相変わらず大きな資料鞄を肩へ掛けていた。


「……なあ」


 俺が言うと、彼女はこちらを見た。


「何?」


「昨日、地下で何があったか覚えてる?」


「全部覚えてるけど」


「鞄、何回取られかけた?」


「……何が言いたいの?」


 リオルが黙って鞄を受け取った。


「一つは俺が持つ」


「大丈夫よ」


「舟に乗るんだろ。荷物の重さが片側へ寄るのは避けたい」


 ティセラは少し考えた。


「……それならお願い」


 俺は驚いた。


 リオルも驚いたらしい。


「……素直だな」


 彼が言うと、ティセラは眉を寄せた。


「昨日の調査で、荷物を減らす必要は分かったの。学習くらいするわよ」


「……偉い」


 俺が言うと、睨まれた。


「子供扱いしないで」


 リゼが小さく笑った。


「でも、いいことですね」


「あなたまで」


 ティセラはため息をついたが、口元は少し緩んでいた。


 リオルが地図を広げる。


「港湾管理局には連絡済みだ。小舟を一隻借りられる。水門で監視員が待っているから、帰る時間も確認しておこう」


「昨日の襲撃については?」


 俺が尋ねる。


「現地警備隊へ報告した。旧西倉庫区周辺の警戒も頼んである。ただ、水底街の奥まで警備隊を連れていくのは難しいらしい」


「……そうか」


 水底街へ入る経路はいくつか記録されているものの、普段はほとんど使われていないという。


 しかも、今日は干潮の時間に合わせなければならない。


 応援を大勢連れていけば安全になるとは限らなかった。


「……それで」


 俺はティセラを見た。


「四十四号の札、何か分かった?」


 彼女はすぐに資料筒を開いた。


「見て」


 広げられた紙には、細かい線が何本も写されていた。


「第七係の古い現場札。その表面に残っていた刻印よ。警備隊の立ち会いで確認して、〈転写〉で写しを取ったの」


「……こんな線、前に見たっけ?」


「肉眼では目立たないようになっていたからね。角度を変えると、金属の表面に薄く残っているのが分かるの」


 ティセラは紙を指した。


「この形式が、第四保全区の古い搬入印に似ているの」


「……じゃあ、札が鍵?」


「何らかの通行証だった可能性はあるわ。ただし、何を開けるためのものかは分からないし、今でも使えるとも限らない」


「この写しじゃ駄目?」


 リゼが尋ねる。


「駄目よ。〈転写〉は線を写しただけだから。発行された札の権限まで写せるわけじゃない」


 その説明には納得した。


 地下でエルセの認証札が使えたのは、形が合っていたからというだけではなかったはずだ。


「……じゃあ、何に使う?」


 俺が尋ねると、ティセラは少し笑った。


「同じ印が刻まれた場所を探すのよ。入口や設備の用途を調べる目印にはなるでしょう」


「……なるほど」


「無理に鍵を作るより、ずっと確実だと思う」


 リオルが頷いた。


「俺もそっちがいい。古い施設は何が動くか分からないからな」


 リゼも賛成した。


 俺は三人を見回す。


 どうやら、前の地下調査で経験したことが、少しは役に立っているらしい。


 少なくとも今日は、誰も最初から何かを動かすつもりではなかった。


     ◇


 水底街へ通じる水路の入口は、旧西倉庫区のさらに海側にあった。


 先日、仕立屋の床下から入った第四保全区とは別の経路だ。


 古い石造りの水門をくぐり、その先の水路を進むと、かつての市街地へ入れるという。


 さらに、その下には古い点検区画があるらしい。


 セヴァンが言っていた「潮が引く時にだけ通れる道」も、おそらくその辺りなのだろう。


 もっとも、どこまで通れるかは、現地の監視員にも分からなかった。


「干潮の前後なら、ここまでは舟を出せる」


 港湾管理局の監視員は、地図の上へ指を置いた。


「奥の石段は普段水に沈んでいるが、今朝は姿を出すはずだ」


「帰るなら、いつまで?」


 リオルが尋ねる。


「潮が戻り始める前だな。途中の狭い水路は、満ち始めると流れが強くなる。余裕を持って引き返してくれ」


 監視員はそう言って、細い縄と港の水位表を渡してくれた。


「万が一戻れなければ、入口へ合図を送れ。こちらでも時間を見て確認する」


「ありがとうございます」


 リオルが礼を言った。


 俺は桟橋(さんばし)へ舫(もや)われた小舟を見た。


 四人が乗るには、少し小さく見える。


「……あれ?」


 思わず口から出た。


「大丈夫なのか、これ」


「四人と装備の重さは確認してある」


 リオルが答える。


「本当に?」


「お前が余計な荷物を増やさなければ」


「俺は少ないよ」


「替えの靴、何足?」


「……一足」


 リゼが笑った。


「今回は少ないですね」


「そうだろ」


「最初から二足履いてますし」


「それ普通だろ」


 話しながら舟へ近づく。


 船縁は使い込まれているが、板の継ぎ目には新しい補修が施されていた。船底を軽く踏むと、木がしっかりしているのが分かる。


 俺は少し安心した。


「……丈夫そうだな」


「さっきまで疑ってたのに?」


 リオルが言う。


「見て分かったから」


「靴だけじゃないんだな」


「最近みんな、俺を靴しか見ない人間だと思ってない?」


「そういうわけじゃないよ」


 リオルは笑った。


「ただ、靴の話をする時が一番自信ありそうだから」


 少し考えた。


 否定しづらかった。


     ◇


 舟が水門の奥へ進むと、港の音が急に遠くなった。


 最初は岸壁の両側に倉庫が並んでいるだけだった。


 だが、しばらく進むうちに、石壁の高さが増していく。水路の上に架かる橋も、今使われているものではなくなった。


 錆びた鉄の欄干。


 欠けた石の橋脚。


 文字がほとんど消えた古い道標。


 人が通るために作ったはずのものが、使われなくなったまま残っている。


 やがて、上の方から差し込んでいた朝の光が途切れた。


 俺たちは低い石橋の下へ入った。


 天井すれすれに舟の縁が通り、水の音が狭い空間で反響する。


「……頭、下げて」


 リオルが言った。


 俺も身体を屈めた。


 次の瞬間、舟は橋の向こうへ抜けた。


 そして、目の前が開けた。


「……え」


 思わず声が出た。


 建物があった。


 一つや二つではない。


 古い石造りの家々が、細い水路の両側へずっと続いている。


 水面に浮かんでいるのは、崩れた屋根や二階の窓だった。下半分は海水に沈み、かつて通りだった場所を、今は小舟が通っている。


 家と家の間には、石の階段が見えた。


 階段は途中から水の中へ消えている。


 低い橋の先には、もう使われない街灯が立っていた。


 窓にはガラスが残っていない。


 けれど、壁の一部には塗装が残り、木の看板が揺れている建物まであった。


 俺は櫂(かい)を動かすのを忘れた。


「……本当に、街だ」


 呟く。


 隣で、リゼが息を呑んでいる。


「……ここが、水底街」


 ティセラが静かに言った。


 彼女は古地図を広げ、目の前の建物と見比べている。


「記録にあった石橋と、水路の曲がり方が一致してる。街区の並びも同じね」


 今まで紙の上でしか知らなかった名前が、突然、広がりと深さを持って目の前に現れた。


 俺は舟の両側を見た。


 水面には建物の影が揺れている。


 石壁の古い看板も、どこかの家の壊れた窓も、すべて水底街に残されたものだった。


 王都の地下施設は、人が何かを保管するために作った場所だった。


 だが、ここは違う。


 家がある。


 店がある。


 道があり、階段があり、窓がある。


 誰かが朝起きて、仕事へ出かけて、夕方に帰ってきた場所だ。


 その全部が、今は海の下にある。


「……ここに、人が住んでたんですね」


 リゼが言った。


「ああ」


 声を出した後も、景色から目が離せなかった。


「……どうして沈んだんだろう」


 俺が尋ねると、ティセラが答えた。


「古い港湾記録には、地盤が下がった時期や、大きな嵐で水路が変わった時期が記されてるわ」


「じゃあ、一度に沈んだわけじゃない?」


「そういう可能性もある。ただ、水底街のすべてが同じ理由で使われなくなったのかは、まだ分からない」


 彼女は少し考えて続けた。


「少なくとも、ここで暮らせなくなった人たちが、別の場所へ移っていったことは記録に残っているわ」


 俺は頷いた。


 なぜ沈んだのか。


 いつ最後の住人が去ったのか。


 その事情が分からなくても、目の前にある街は確かに存在していた。


 それだけは、もう疑いようがなかった。


     ◇


 舟をゆっくり進めると、左手に低い商店の跡が見えた。


 壁には、麦の穂を描いた石の飾りが残っている。


 その下にあったはずの入口は、完全に水の中だった。


「あれ、パン屋さんですかね」


 リゼが言った。


「……お前、よく見つけるな」


「麦の絵があるので」


「粉屋かもしれないぞ」


「じゃあ、おいしいパンになる前のお店です」


「便利な説明だな」


 彼女は少し笑った。


 けれど、その笑顔はすぐに静かなものへ変わった。


「あそこにも、お客さんが来たんでしょうね」


「そうだな」


「朝になったら店を開けて、昨日と同じようにパンを焼いて」


 リゼは水面へ目を向けた。


「……いつか、もうここで暮らせなくなるって分かったんでしょうか」


 俺はすぐに答えられなかった。


 知っていた人もいただろう。


 知らずに暮らしていた人もいたかもしれない。


 もう帰れないと分かっていても、最後までここを離れたくなかった人間だっていたのかもしれない。


 舟が麦の飾りのそばを通り過ぎる。


 水面に映った古い家の窓が、櫂の波でゆっくり歪んだ。


「……家を出る時、何を持っていったんだろうな」


 俺が呟いた。


「何を?」


 リゼが尋ねる。


「全部は運べなかっただろ。家具も、食器も、仕事道具も」


 俺は近くの、水に沈んだ窓を見た。


「置いていくものを、選ばなきゃいけなかったんだと思う」


 リゼは少し考えた。


「……私は、名前の札を持っていきます」


 そう言って、上着の内側へ手を添えた。


「セインは?」


「……靴かな」


「やっぱり」


 彼女が笑った。


「いや、履いて出られるだろ。大事だよ」


「それはそうですね」


「あと、父の使ってた道具を一つくらい」


 言ってから、自分でも少し驚いた。


 王都へ置いてきたものが、頭に浮かんだからだ。


 父の工房にあった古い木槌(きづち)。


 持ち手の一部分だけ、長く使ったせいですり減っていた。


 あれを持って逃げるだろうか。


 分からない。


 でも、誰かが同じことを考えたかもしれないと思った。


 リゼは小さく頷いた。


「……じゃあ、私も二つにします」


「何を?」


「札と、セインにもらったもの」


「何かあげたっけ?」


「今は思いつかないので、これからもらいます」


「……後から決めるのかよ」


「楽しみにしています」


 彼女は笑った。


 俺も笑い返した。


 その向こうで、ティセラが古い壁へ灯りを向けている。


「……二人とも、少し静かにして」


「何かあった?」


 俺が尋ねる。


「壁の線を見たいの。舟をもう少し右へ寄せられる?」


 リオルが櫂を動かし、舟をゆっくり横へ寄せた。


     ◇


 壁には細い金属の溝が何本も走っていた。


 見た目は雨水を流すためのものに似ている。


 だが、溝の間には小さな文字があり、途中には古い金具が取りつけられていた。


「……搬送用の設備ね」


 ティセラが言った。


「荷物を運ぶための?」


「たぶん。水位を使って動く形式だと思う」


 彼女は慎重に文字を読み続けた。


「……でも、少し変ね」


「何が?」


「この設備、今の潮位なら一部が動き始めてもおかしくない」


「……動いてない?」


「少なくとも、今は」


 俺はすぐ周囲を見た。


 古い建物。


 静かな水面。


 壊れた橋。


 どれも動く気配はない。


 ただ、壁の溝だけが妙に新しく濡れている。


「……じゃあ、離れようか」


 俺が言うと、リオルが頷いた。


「賛成」


 舟を動かそうとした、その時だった。


 水面の下で、金属が擦れ合う音がした。


 次に、舟の右側から細い鎖が上がってくる。


「……何だ?」


 俺が声を出すより早く、鎖の先についた鉤が、舟の後ろへ積んでいた予備道具の箱へ引っかかった。


「……まずい!」


 リオルが叫ぶ。


 箱が横へ引かれる。


 舟が傾いた。


 俺は反射的に船縁へ手をついたが、濡れた木の上で身体が滑りそうになる。


「真ん中へ!」


 リオルがリゼとティセラへ声をかけた。


 二人が重心を低くする。


 俺も反対側へ体重を移した。


 舟は少し戻ったが、鎖はまだ箱を引いている。


「……これ、切る?」


 俺が尋ねる。


「箱と舟をつないでる縄を先に外して!」


 リオルが答えた。


 俺は後ろを見た。


 箱は安全のため、舟の床へ固定されている。


 その縄が、今は舟まで引っ張る原因になっていた。


「……結び目、固い!」


「濡れてるからね!」


 リオルもこちらへ手を伸ばす。


 俺は首を振った。


「舟を支えてて!」


「分かった!」


 リオルは舟の中央で片膝をつき、〈均衡〉で自分の姿勢を保ちながら、反対側の船縁を押さえた。


 舟自体を術で止めているわけではない。


 それでも、彼が不用意に重心を動かさずにいてくれるだけで、かなり助かった。


 俺は腰から作業用の小さなナイフを抜いた。


 縄を切る。


 結び目がほどけ、箱が舟から離れた。


 鎖が一気に引き戻される。


 箱は水路の奥にある古い搬入口へ向かって滑り、石の縁へ引っかかった。


 そのまま動かなくなる。


 舟もようやく安定した。


「……終わった?」


 リゼが尋ねた。


 俺は周囲を見た。


「今は、かな」


 ティセラが灯りを上げる。


「……やっぱり、搬送設備が動いてる」


「止められる?」


 リオルが尋ねる。


「仕組みが分かれば。ただ、勝手に触るのは危険ね。箱も設備も、どこへ運ぶ設定なのか分からないから」


 俺は左手を見た。


 〈返却〉を使えば、何かできるかもしれない。


 けれど、戻す先が分からない。


 今ここで確かめずに使う気にはなれなかった。


「……箱、回収しない方がいい?」


 俺が尋ねると、ティセラは頷いた。


「今はね。予備道具だけだから、無理に取り戻して誰かが落ちる方が困る」


「……珍しく、諦めがいいな」


「研究者だって、命と資料なら命を取るわよ」


「……資料と?」


「命」


 返事まで少し間があった。


 リゼが笑った。


 俺も笑おうとしたが、その前に声が聞こえた。


「その判断で正解です」


     ◇


 声は、水路の向こうにある古い建物の二階から聞こえた。


 振り向く。


 薄い色の外套。


 短い灰色の髪。


 壊れた窓枠へ片手を掛けて立っているのは、エルセ・ヴァンデルだった。


「……何でいるの?」


 俺は思わず尋ねた。


「それ、こちらの台詞でもあります」


「昨日、別の仕事があるって言ってたろ」


「あります」


「じゃあ、今は?」


「その仕事です」


 エルセは当然のように答えた。


 俺は少し顔をしかめた。


「……水底街で?」


「ええ」


「偶然?」


「目的地が近かっただけです」


「……随分便利な偶然だな」


「そういうこともあるでしょう」


 彼女は答えを濁すつもりらしい。


 それ以上聞いても同じだろうと思い、俺は口を閉じた。


 エルセは俺たちの舟を見た。


「怪我人は?」


「いない」


 リオルが答える。


「箱を一つ取られただけだ」


「なら、よかったです」


 エルセは本当に安心したような顔をした。


 それから、壁の搬送設備へ視線を向ける。


「古い自動荷役系統がまだ生きています。干潮の時だけ再起動することがあるんです」


「……知ってたの?」


 ティセラが聞いた。


「以前、記録で見ました」


「だったら先に教えて」


「あなたたちがここへ来るとは知らなかったので」


「……それ、さっきセインにも言ってた?」


「似たことは」


 ティセラは不満そうだった。


 けれど、それ以上言い争うつもりもないらしい。


「……その設備、止められる?」


 彼女が尋ねると、エルセは首を振った。


「私の認証札で、全部は止められません。水底街の古い搬送区画は、第四保全区とは管理系統が違うので」


「じゃあ、進めるの?」


「左側の建物に沿って進めば、搬送線を避けられます」


 エルセは少し先の水路を指した。


 そこには、崩れた石橋の下を通る細い流れが見える。


「次の広場までは、その道が比較的安全です」


「……詳しいな」


 俺が言うと、彼女はこちらを見た。


「来る前に調べたので」


「仕事?」


「ええ」


「回収?」


「そうです」


「何を?」


「言えません」


 予想通りだった。


 俺は少し笑った。


「……相変わらずだな」


「あなたも」


 彼女が言った。


「何で?」


「聞けば答えてもらえると思っているところです」


 リゼが横で笑っている。


「……セイン、言われてますね」


「聞かないと分からないだろ」


「でも、答えてもらえてません」


「……それはそう」


 エルセは窓枠から離れ、建物の外壁に残る細い通路へ足を掛けた。


「あなたたちと目的地は途中まで同じです。そこまでは案内できます」


 リオルが舟の後ろへ目を向けた。


「乗る?」


 エルセは小舟を見た。


 四人。


 荷物。


 残りの空間。


 少し考えて、首を振る。


「遠慮します」


「……狭いから?」


 リゼが尋ねた。


「ええ。それと、上から周囲を確認した方が都合がいいので」


 彼女は建物の細い庇(ひさし)へ移った。


 石と木の足場を確かめながら、舟より少し先を進む。


 俺はその後ろ姿を見た。


 第四保全区の認証を止めるために協力した相手。


 今日も同じ方向へ進んでいる。


 ただし、それだけで味方になったと決めるのは早い。


 エルセはエルセの仕事をしに来ている。


 俺たちには、俺たちの調査がある。


 今は、その道が少し重なっているだけなのだろう。


     ◇


 エルセの案内に従って進むと、水底街の景色が少しずつ変わっていった。


 さっきまでの水路には、かつて商店だった建物が多かった。


 今度は、幅の広い道路や大きな石の建造物が増えている。


 壁には、今のラヴェルでは見ない形の印が刻まれていた。


 ティセラでも、すぐに読めないものがあるらしい。


「……ずいぶん古い形式ね」


 彼女が呟く。


「どれくらい?」


 俺が尋ねる。


「はっきりした年代は分からない。でも、第四保全区に使われていた文字より古いものが混ざってる」


「……つまり、あそこより前から、この街があった?」


「少なくとも、一部の建物はその可能性が高いわ」


 俺は周囲を見た。


 大きな水門の跡。


 崩れた石柱。


 そして、建物の壁に残された幾重もの線。


 何度も修理され、違う時代のものが重ねられている。


 地上のラヴェルと同じだ。


 ただ、こちらは人が去った後も、いくつかの仕組みだけが動き続けているらしい。


「……セイン」


 リゼが小声で呼んだ。


「何?」


「この先、何かあります」


 彼女の視線は水路の奥へ向いていた。


「……なくなった跡?」


「はい」


 少しだけ、声が硬い。


「今までより、ずっと大きい感じがします」


「場所が分かる?」


「正確には分かりません。ただ、奥の方から……下へ続いているように感じます」


 俺は前方を見た。


 そこには古い石橋があり、その向こうへ水路が曲がっている。


 何か特別なものは見えない。


 リゼが何を感じているのか、俺には分からなかった。


 けれど、彼女が分からないものを無理に説明しようとしていないことは分かった。


「……分かった。ありがとう」


 俺が答えると、リゼは小さく頷いた。


 首元へ触れかけた指が、途中で止まる。


「……どうした?」


「いえ」


 彼女は少し迷ってから言った。


「封が、変な感じです」


「痛い?」


「痛くはありません。ただ、少し温かい気がします」


 俺は赤い封蝋を見た。


 特に変化はない。


 少なくとも、目で分かるほど光ってはいなかった。


「……無理そうなら、戻ろう」


 俺が言うと、リゼは頷いた。


「はい。でも、今は進みたいです」


「分かった」


 それ以上、止めるつもりはなかった。


 ただ、何かあった時にすぐ対応できるよう、彼女の隣へ座り直した。


     ◇


 舟が石橋を抜けると、円形の広場へ出た。


 ここだけ、周囲の建物が少し離れている。


 水面の下には石畳が広がり、中央には壊れた噴水らしいものがあった。


 噴水を囲むように、かつて店だった建物が並んでいる。


 壁の一部には、古い装飾が残っていた。


 人が暮らしていた頃は、きっと賑やかな場所だったのだろう。


 ここで待ち合わせをしたり、買い物をしたり、噴水の縁へ座って休んだり。


 今は、その足元を海水が覆っている。


「……ここです」


 エルセが建物から下りてきた。


 舟を広場の端へ寄せる。


 水はさっきより浅く、石畳の一部が水面から出ていた。


 俺たちは順番に舟を降りる。


 リオルが舟を古い係留柱へ固定し、ティセラが地図を広げた。


「……この広場、後の時代の地図では形が変わってるわね」


「どういうこと?」


 俺が尋ねる。


「古い水底街の図面では、ここが円形の広場になってる。でも、地上の街ができた後の地図では、区画番号だけが残っているの」


「街そのものが沈んだから?」


「一つの理由かもしれないわ。水路の扱いも変わっているでしょうし」


 俺は頷いた。


 今、俺たちが立っている場所には、確かに広場がある。


 地図にどう記録されていても、そこにあった人々の暮らしまで消えるわけではない。


 エルセは噴水の跡へ近づき、古い石組みを眺めていた。


「……ティセラさん」


「何?」


「四十四号の写し、ありますか」


 ティセラが顔を上げる。


「持ってるわ」


「では、あの石の左側を見てください」


 指された場所へ、ティセラが灯りを向ける。


 噴水の根元に、小さな印が刻まれていた。


 三本の細い線。


 その横に、円形の窪み。


 ティセラは写しを広げ、見比べる。


「……同じ形式ね」


「やっぱり?」


 俺が尋ねる。


「完全に同じじゃない。でも、四十四号の現場札にあった線と、刻み方の規則が似ている」


 彼女は少し考えた。


「……これ、道案内の印じゃない?」


 エルセが頷いた。


「古い保全区画では、管理者用の入口と点検用の入口を分けていたそうです。四十四号の札は、こちらへ入る作業に関係していたのかもしれません」


「……確かめられる?」


 俺が尋ねる。


「設備を見れば、もう少し」


 ティセラは噴水の周囲を歩いた。


 その途中、石組みの一部へ手を伸ばしかける。


「……待って」


 俺が言った。


 彼女が止まる。


「何?」


「触る前に、何なのか確認しよう」


「……そうね」


 ティセラは素直に手を引いた。


 俺は少し驚いた。


 彼女はその顔を見て、眉を寄せる。


「何よ」


「いや。今日は本当に学習してるなって」


「……後で怒るわよ」


「ごめん」


 エルセが横で小さく笑っていた。


 珍しいこともあるものだ。


     ◇


 噴水の根元には、古い金属板が埋め込まれていた。


 ティセラが表面の文字を〈転写〉で写し、手帳へ残す。


 すぐには読めない部分もあるため、エルセと二人で照らし合わせていた。


 しばらくして、ティセラが言った。


「……点検用の開閉設備みたい」


「動かせるの?」


 リオルが尋ねる。


「機械的な開閉装置は残っている。ただ、管理用の封がまだ掛かってる」


「……私の札で解除できる可能性はあります」


 エルセが答えた。


 回収係の認証札を取り出す。


「ただし、点検用の封までです。奥の区画の管理権限があるわけではありません」


「……そこは分かってる」


 俺が言う。


「この前、散々聞いたから」


 エルセは少し笑った。


「覚えていてくれて助かります」


 認証札を金属板の小さな溝へ当てる。


 薄い光が走り、古い文字が浮かんだ。


『点検許可を確認』


『水位条件:適合』


 ティセラが読み上げる。


「……干潮だから開けられるのね」


 エルセが頷いた。


「水圧が高い時には動かせない仕組みです」


 続いて、金属板の下から低い音がした。


 石組みの一部が動き、古い鉄の取っ手が現れる。


「……これを?」


 リオルが尋ねる。


「ええ。ただし、先に周囲から離れてください。下にどれだけ空間があるか分かりません」


 俺たちは少し下がった。


 リオルが取っ手を握る。


 力を加えると、金属が軋んだ。


 最初は動かなかった。


 しかし、何度か角度を変えて引くと、古い機構がゆっくり回り始めた。


「……重いな」


 リオルが呟く。


「手伝う?」


 俺が尋ねる。


「いや、大丈夫。少しずつ動く」


 彼は無理に引かず、機構の動きへ合わせて力を加えていった。


 やがて、噴水の下で石が擦れる音がした。


 広場の中央に、細い隙間が現れる。


 それが少しずつ広がり、古い石段が姿を見せた。


 階段は暗い地下へ続いていた。


「……まだ下があるのか」


 思わず呟いた。


 リゼが隣で頷く。


「はい」


 彼女の声は少し小さかった。


「……さっき感じたもの、そっちです」


 俺は階段を見た。


 奥は暗い。


 携帯灯を向けても、途中から見えなくなる。


 水底街の、さらに下。


 かつて街を歩いていた人々は、この階段の存在を知っていたのだろうか。


 それとも、彼らが暮らしていた頃から、ここは誰にも知られない場所だったのだろうか。


     ◇


 リオルは水位表をもう一度確かめた。


「……戻る時間もある。奥を調べられるのは長くないぞ」


「分かった」


 俺が頷く。


 ティセラは手帳へ開放時刻を書き留め、エルセは認証札を回収した。


 石段は開いたままだが、いつまで保持されるのかは分からない。


「……ここ、閉じちゃわない?」


 リゼが尋ねた。


 エルセが答える。


「点検中は開放状態を保つ形式です。ただ、水位が上がれば自動的に閉鎖する可能性があります」


「……じゃあ、急がないと」


「急いで転ぶ方が危険です」


 俺が言うと、リゼはこちらを見た。


「セインに言われると説得力がありますね」


「そう?」


「何度も転びかけているので」


「……そういう意味か」


 リゼは少しだけ笑った。


 俺も笑い返したが、すぐに階段へ視線を戻した。


「……リゼ」


「はい」


「さっき、首の封が変な感じだって言ってたよな」


「はい」


「今はどう?」


 彼女は首元へ指を添えた。


 少し考えてから答える。


「……まだ温かいです。でも、痛くはありません」


「怖い?」


「少し」


 素直な返事だった。


「……戻りたいなら戻ってもいいぞ」


 俺が言うと、彼女は首を振った。


「行きます」


「本当に?」


「はい」


 そして、少しだけ笑う。


「何があるのか、自分で確かめたいので」


 俺は頷いた。


「……分かった」


 彼女の考えを、俺の不安で変えるつもりはなかった。


 ただ、何か起きたらすぐに引き返せるよう、入口の位置と地上までの道を覚えておこうと思った。


 靴底で石段を確かめる。


 濡れているが、表面には滑り止めの溝が残っていた。


「……ここは歩けそう」


 俺が言うと、リオルが笑った。


「靴屋の息子のお墨付き?」


「信用していいぞ」


「分かった。じゃあ俺が先へ行く」


 リオルが灯具を持ち、石段へ足を下ろした。


 その後にティセラ。


 続いてリゼと俺。


 最後尾をエルセが歩く。


 五人分の足音が、古い階段へゆっくり響き始めた。


     ◇


 階段を降り切ると、想像していたより広い空間へ出た。


 石造りの通路だった。


 ただ、第四保全区の通路とは作りが違う。


 天井は高く、壁には大きな円形の窪みが幾つも並んでいる。窪みの奥には金属の輪があり、そのさらに向こうへ細い管が伸びていた。


 水の音は近くに聞こえるのに、足元は乾いている。


 施設のどこかで水位を調整しているのかもしれなかった。


「……すごいな」


 俺は呟いた。


「上の街とは、全然違いますね」


 リゼが言う。


 確かに、そうだった。


 水底街には家があった。


 人が働き、帰っていくための道があった。


 けれど、ここにはそういうものが見当たらない。


 壁も床も、何かを分類し、運び、保管するために作られたように見える。


 ティセラは壁を見上げた。


「……第四保全区とは形式が違う。こっちの方が古い設計かもしれないわ」


「何の施設?」


 俺が尋ねる。


 彼女はすぐには答えなかった。


 灯りを近づけ、石壁に刻まれた文字を一つずつ読んでいく。


『名称』


 その隣に、


『帰属』


 少し先には、


『預託』


 そして、


『管理』


『回収』


 最後の言葉を見た時、俺はエルセへ目を向けた。


「……お前の仕事、あるな」


「ええ」


「昔から、そう呼んでたんだ」


 エルセは文字を見上げた。


「現在の保全院が使う分類にも、古い施設から引き継いだ言葉があります」


「……じゃあ、昔の人が考えた仕事を、今も続けてる?」


「少なくとも、一部は」


 彼女は慎重な言い方をした。


 俺はそれ以上聞かなかった。


 何を保管し、何を回収する場所だったのか。


 その違いも、まだよく分からない。


 ただ、一つ気になった。


「……人の名前や記憶も、ここに運ばれてきたのかな」


 誰へともなく呟く。


 返事はなかった。


 俺は石壁へ目を戻した。


 そこに刻まれた文字は、ずっと昔からここにあったのだろう。


 水底街の人々が去っても、海水が家々の窓を覆っても、今のラヴェルが上に広がっても、こうして文字だけは残っている。


 何かを忘れないために残したのか。


 それとも、忘れられた後も動き続けるために作られたのか。


 今は分からなかった。


     ◇


「……セイン」


 リゼが呼んだ。


「何?」


「ここ、変です」


 彼女は通路の奥を見つめていた。


 首元の赤い封蝋に、指が触れている。


「……痛い?」


「いいえ。でも」


 言葉が途切れる。


 リゼは少しだけ眉を寄せた。


「……何か、近いんです」


「何が?」


「分かりません」


 彼女は首を振った。


「なくなったものの輪郭が、あちこちにあります。でも、どれが何なのかは分からなくて」


 俺は周囲を見回した。


 壁に並ぶ円形の窪み。


 薄暗い通路。


 長い間、使われていないはずの装置。


 何もないように見えるのに、リゼには違って感じられるらしい。


「……何かした方がいい?」


 俺が尋ねる。


 彼女は少し考えた。


「……いえ。今は、見ていたいです」


「分かった」


 俺は頷いた。


 その時だった。


 通路の壁に並んでいた古い灯具が、一つだけ点いた。


「……誰か触った?」


 俺が尋ねる。


 全員が首を振った。


 次の灯具が点く。


 さらに、その隣。


 光は奥から順番に近づいてくるのではなかった。


 俺たちの周囲から、外側へ広がっていた。


 まるで、五人の立っている場所を中心に、施設が目を覚ましていくようだった。


「……まずい」


 エルセが低く呟いた。


 俺は彼女を見た。


「何が?」


「認証が始まっています」


「また?」


「第四保全区とは別のものです」


 エルセは認証札を取り出した。


「まだ何も操作していません。施設の方が、私たちを認識したんです」


 床に薄い線が現れる。


 一本。


 また一本。


 足元の石板を横切り、それぞれ違う方向へ伸びていく。


「……全員、動かないで」


 エルセが言った。


 ティセラは灯りを下げ、床の文字を確かめている。


「……名称確認。帰属照合……」


 声が少し速くなった。


「待って。これ、移動先を決めるための分類かもしれない」


「移動先?」


 リオルが聞き返す。


 その直後、古い声が通路へ響いた。


『預託対象を確認』


 リゼの前に、淡い光が現れた。


 俺は思わず一歩近づきかけた。


 だが、エルセがすぐに言った。


「動かないで!」


 足を止める。


 床の線は、今も伸び続けている。


『管理者候補を確認』


 今度は、俺の前に文字が浮かんだ。


 その隣で、エルセの認証札も淡く光り始める。


「……何だよ、それ」


 俺が呟く。


 答える者はいなかった。


 ティセラは必死に文字を追っている。


 リオルは剣の柄へ手を添え、周囲を確かめていた。


 リゼは動かない。


 ただ、首元の封蝋を押さえたまま、目の前の光を見つめている。


 俺も左手を自由にしておいた。


 ただし、〈返却〉を使うつもりはまだない。


 何が動こうとしているのかも分からないうちに、返す先を決めることなんてできないからだ。


 床の線が、俺とリゼの間を横切った。


 それから、リオルとティセラの間にも。


 細い光は次第に太くなり、それぞれの足元へ違う形の枠を作っていく。


「……エルセ」


 俺が呼んだ。


「何です?」


「これ、止められる?」


 彼女は足元の文字を見た。


「……まだ分かりません」


 初めて、少し焦った声だった。


 その直後。


 通路の奥から、石が擦れるような低い音が響いた。


 古い声が、もう一度告げる。


『区画分離を開始します』


 足元の石板が、ゆっくりと震え始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。