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王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第二章 地図から消えた通り

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第二十二話 出口は入口へ戻る


「子供は一人よ」


 向かいの家の女性は、そう答えた。


 ティセラは手帳を閉じずに、もう一度尋ねた。


「今朝は、夫婦と子供が二人と伺ったんです」


「私が?」


「はい」


 女性は困ったように首を傾げた。


「……そんなこと言ったかしら」


 嘘をついているようには見えなかった。


 ただ、本当に思い出せないのだろう。


 白い壁に緑色の窓枠がある家。


 その玄関には、今は赤い靴が一足だけ置かれている。


 俺が朝見た茶色の革靴はない。


「少し、ほかにも聞いてみます」


 ティセラは礼を言い、俺たちと一緒に通りへ戻った。


「どう思う?」


 俺が尋ねると、彼女は手帳を開いた。


「朝の記録には二人と書いてある。でも、今は近所の人も母親も一人だと言っている」


「間違いだった可能性は?」


「残るわ。だから、消えた子供がいると断定するのは早い」


 リゼが頷いた。


「もし本当に誰かがいたなら、ほかにも跡があるかもしれません」


「そうね」


 ティセラは紙の端へ、確認したいことを書き足した。


 俺は玄関を振り返った。


 たった一足の靴から、家族の人数を確かめることになるとは思わなかった。


 その時、リオルが通りの角から現れた。


「セイン。三つの出口を調べる準備ができた」


 俺は頷いた。


 今日はもう一つ、確かめるべきことがあった。


 青鐘通りの住民が、なぜ外へ出られないのか。


 その仕組みを、実際の道で調べる。



     ◇



 青鐘通りには、外へ続く道が三つある。


 北の大通りへ抜ける道。


 西の市場へ向かう路地。


 そして、南三区の住宅街へ出る道だ。


 ガロは青鐘亭の前で待っていた。


「三つとも試すのか」


「はい。ただし、無理はしません」


 リオルが答えた。


「一か所ずつ、同じ条件で確認します」


「分かった」


 ガロは頷いた。


 その顔は少し疲れていたが、昨日のように怒鳴ることはなかった。


 ミレアが前掛けを締め直して出てくる。


「ガロ、何か変だったらすぐ戻ってきなさいよ」


「分かってるって」


「分かってる人は、返事だけじゃなくてちゃんと守るの」


 ガロが苦笑した。


「……はいよ」


 その横を、ニコがすり抜けようとする。


「俺も!」


「あなたは留守番」


 ミレアに襟をつかまれた。


「ええっ!」


「危ない場所へ行くの。あんたは店で荷物を数えるのを手伝って」


「肉の?」


「食材の」


「肉もある?」


「あるけど食べない」


「……分かった」


 ミレアはニコを店へ戻すと、俺たちへ頭を下げた。


「お願いします」


「無事に戻します」


 リオルが答えた。


 俺はその言葉を聞いて、少し安心した。


 昨日、地下の入口でガロを試した時も、リオルはすぐ近くで安全を確かめていた。


 今回も、簡単に結果だけ出そうとはしないつもりだった。



     ◇



 北側の出口からは、大通りが見えた。


 荷馬車が通り、人々が買い物をしている。向かいの店では、男が果物を並べていた。


 ガロはその景色を見つめた。


「あそこの角を曲がると、エマの花屋へ行けるんだ」


 俺は頷いた。


「北一区でしたね」


「ああ。子供の頃は、よくあいつを連れて歩いた」


 ガロは少し笑った。


「大人になってからは、向こうから用事を押しつけてくるようになったけどな」


「どんな?」


「部屋を掃除しろとか、花に水をやれとか」


「それは普通の心配じゃないですか」


「兄貴としての立場がないんだよ」


 少し笑ったあと、ガロは出口へ向き直った。


「じゃあ、行くぞ」


 リオルが位置を確認する。


「ゆっくり。異常を感じたら止まれ」


「分かった」


 ガロが歩き始める。


 一歩。


 二歩。


 外の大通りが近づく。


 境目まで、あとわずか。


 そこでガロの姿が消えた。


「ガロさん!」


 リゼが声を上げる。


 外には出てこない。


 数秒後、青鐘通りの南側から怒鳴り声が聞こえた。


「またこっちだ!」


 俺たちは振り返った。


 ガロが南側の入口に立っている。


 外へ進んだはずなのに、通りの反対側へ戻っていた。


 ティセラが地図へ線を引く。


「北から南ね」


 リオルはガロのもとへ歩いていった。


「痛みやめまいは?」


「何もない。気づいたらあっちにいた」


「途中で立ち止まれたか」


「いや。一歩踏んだら、もう戻ってた」


 リオルが頷いた。


「分かった。次は西だ」



     ◇



 西の出口は狭かった。


 建物の間を通る路地で、昔は市場への近道だったという。


 ガロが歩く。


 角を曲がった瞬間、姿が消えた。


 今度は北側から声がする。


「……こっちかよ!」


 少し遅れて戻ってきたガロは、呆れた顔だった。


「今度は北だな」


 リオルが言った。


 ティセラは地図へ線を加える。


 最後に南側を試した。


 青鐘亭の裏から住宅街へ抜ける、普段なら何でもない道だ。


 ガロが境目を越える。


 その姿が消え、西側の路地から現れた。


「全部戻るのか」


 俺が呟く。


 ティセラは地図を広げた。


 北から南。


 西から北。


 南から西。


 三本の線を引くと、出口同士が輪になった。


「……道が閉じてるんじゃない」


 リゼが言った。


「つながる先が変わってるんですね」


 ティセラが頷く。


「可能性は高いわ。少なくとも、今のガロは三つとも外へ出られない」


 ネイが地図を覗き込んだ。


「まるで、外へ出ようとする度に、別の入口へ案内されてるみたいだね」


「案内って言うには、随分乱暴だけどな」


 ガロが吐き捨てる。


「それはそうだね」


 ネイは静かに答えた。


 ティセラが地図を折り畳む。


「今日はここまでで十分な情報が取れたわ」


「……もう一つだけ」


 俺は口を開いた。


 ガロが顔を上げる。


「俺と一緒なら、出られないかな」


 リオルの表情が変わった。


「セイン」


「手をつないだままならどうなるか、確かめたいんだ」


「それは危険だ」


「分かってる。だから、少しずつ」


 リオルは首を振った。


「境界の中でガロが別の入口へ戻されるなら、つないだ手に何が起きるか分からない」


 正論だった。


 それでも、俺には考えがあった。


 外へ出られる人間と一緒なら、異変の起きる位置が分かるかもしれない。


「止まれるところで止まる。無理には引っ張らない」


 俺が言うと、ティセラが顔を上げた。


「それなら、境界の手前まででいい。越える瞬間に違和感があったら、すぐ離して」


 リオルは少し迷った。


 それから答えた。


「俺が後ろにつく。少しでも危険なら中止だ」


「分かった」


 ガロは俺たちを見ていた。


「……俺もやりたい」


 その声は静かだった。


 俺は頷いた。



     ◇



 北側の出口へ戻ると、外では夕方の光が伸び始めていた。


 俺は右手を差し出した。


 ガロが握る。


 厨房で毎日働いてきた、硬い手だった。


「ゆっくり行きます」


「ああ」


 リオルは俺の左後ろへ立ち、いつでも引き戻せる位置を取る。


 リゼは境界の脇へ移動した。


「……セイン、気をつけて」


 俺は頷いた。


 一歩。


 ガロも並んで進む。


 もう一歩。


 外の大通りが近づいた。


 ガロが境界へ足を出した瞬間、俺の右腕が強く引かれた。


「っ!」


 見えない何かが、腕を遠くへ引っ張っていく。


 ガロの姿は目の前にあるのに、握った手だけが離れていくような感覚だった。


「セイン、離せ!」


 リオルが叫ぶ。


 俺は反射的に踏ん張った。


「待って、もう少し!」


 その時、嫌な音がした。


 ガロの上着の袖が、急に張りつめる。


「痛え!」


 ガロが叫んだ。


 その顔を見て、ようやく自分の間違いに気づいた。


 俺が手を離さないせいで、ガロの体に無理な力がかかっている。


「セイン!」


 リゼの声が響く。


「もう駄目です!」


 俺は手を離した。


 次の瞬間、ガロの姿が消える。


 勢い余って体が前へ傾いた。


 リオルが胴を抱え、強引に引き戻す。


 足元の石畳を踏み直すと、右肩が鈍く痛んだ。


「……くそ」


「何が『もう少し』だ!」


 リオルが怒鳴った。


 俺は何も言えなかった。


「止まるって言っただろ。違和感があったら中止する約束だった!」


「……ああ」


「一人で判断を変えるな。ガロも危険になるんだぞ」


 俺は顔を上げた。


「……ごめん」


 リオルはまだ怒っていた。


 けれど、俺の右肩を確かめる手は慎重だった。


「動くか」


「ああ」


「痛みは?」


「少し」


「あとで冷やせ。左腕まで悪くしたら困る」


 リゼも近づいてきた。


 表情は硬い。


「セイン、私も怖かったです」


「……ごめん」


「ガロさんの手が、見えている位置と違う方向へ引かれてました」


「違う方向?」


「はい。体が伸びたわけじゃないと思います。でも、あのまま続けたら怪我をしたかもしれません」


 俺は頷いた。


「もう、このやり方はしない」


 リゼはそれを聞いて、ようやく息を吐いた。



     ◇



 ガロは南側の入口から戻ってきた。


 右手首を擦っている。


「大丈夫ですか」


 俺が尋ねると、彼は頷いた。


「……痛むけど、動く」


「すみません。俺が引っ張りました」


「俺もやりたいって言ったからな」


「でも、止めるべきでした」


 ガロは少し黙った。


 それから外の大通りへ目を向けた。


「妹がさ」


 不意に、そう言った。


「子供の頃、俺の後をずっとついてきたんだ」


 俺は黙って聞いた。


「市場へ行けば市場まで来るし、友達と遊ぼうとしたら勝手についてくる。面倒で何度も帰れって言った」


 ガロは少し笑った。


「大人になったら、今度は会わなくなった。王都の中にいるんだから、いつでも会えると思ってたんだろうな」


 その声は、いつもより低かった。


「昨日、エマが俺を覚えてないって聞いた時も、何だか他人の話みたいだった」


 彼は右手を開いた。


「俺の方は全部覚えてるから」


 しばらく沈黙があった。


「……いつか俺も、あいつを忘れるのかな」


 リゼが顔を上げた。


 ガロは続けた。


「だったら、その前に一回だけ会いたい。顔を見るだけでもいい」


 俺は返事を探した。


 けれど、確かなことは何も言えなかった。


「今のやり方では駄目でした」


 俺は答えた。


「次は、怪我をさせない方法を探します」


 ガロは俺を見た。


「それしか言えないのか」


「今は」


 しばらくして、ガロは苦笑した。


「……格好つけるのが下手だな」


「よく言われます」


 リゼが横から口を挟んだ。


「私も、会えるようにしたいです」


 ガロが彼女を見た。


「何でだ?」


「ガロさんが、そう望んでいるからです」


 リゼはまっすぐ答えた。


「私には、昔の名前を取り戻さないという選択が合っていました。でも、誰もが同じ答えを出す必要はありません」


 少し間を置く。


「ガロさんは、妹さんに会いたいんですよね」


「……ああ」


「だったら、そのために手伝いたいです」


 ガロは何も言わなかった。


 けれど、しばらくして小さく頷いた。


「……頼む」


 俺も頷いた。



     ◇



 ティセラは三つの出口を結んだ地図を見つめていた。


「道はある。歩くこともできる。でも、外へ進む動きが、青鐘通りの別の入口へ向けられている」


 彼女は指で線をなぞった。


「ガロが強引に引っ張られたのも、その対応が変わる瞬間だったのかもしれない」


「〈返却〉に似てるな」


 俺が言うと、リゼが頷いた。


「帰る場所を決められてるみたいです」


 ただし、俺の術は物の本来の持ち主や場所へ返すものだ。


 人を所有物として返すことはできない。


「ガロさんは、青鐘通りの持ち物じゃない」


 俺が言うと、ティセラも頷いた。


「そうね。所有とは別の、場所との結びつきかもしれない」


 俺は石畳を見た。


 ガロはここで暮らし、働いてきた。


 この通りが帰る場所であることと、ここから出られないことは、本来別の話だ。


「……帰ろうぜ」


 ガロが言った。


 全員が顔を上げる。


「青鐘亭へ?」


「ああ。ミレアが一人で仕込みをしてるだろ」


「腕は?」


 リオルが尋ねる。


「重い鍋は持たねえよ。野菜なら切れる」


 ガロはそう言って歩き出した。


 その背中を見ながら、俺は少し考えた。


 この通りは、ガロが帰りたい場所でもある。


 だからといって、ここに閉じ込めていい理由にはならない。


 むしろ、そういう場所だからこそ、自分の意思で出入りできなければおかしい。


 俺たちは青鐘亭へ向かった。


 店の入口ではニコが木箱を運び、ミレアに何か言われている。


 ガロが近づくと、ニコはすぐに箱を押しつけた。


 ガロは文句を言いながらも、受け取っていた。


 俺はその様子を見て、少しだけ安心した。


 失敗した。


 でも、今日の調査で分かったこともある。


 道がなくなったのではなく、道の先が変わっている。


 そして、その力は人間の意思とは関係なく働いている。


 俺たちが次に探すべきものは、少しずつ形を持ち始めていた。

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