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王都の返却士 ~その落とし物、世界のものです~  作者: 紙森 灯
第二章 地図から消えた通り

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第十八話 扉のない入口


 水道管の裏へ回るには、横向きになる必要があった。


 先頭のリオルが灯りを片手に隙間へ入り、肩をすぼめながら少しずつ進んでいく。その背中が見えなくなるまで待ってから、俺も後に続いた。


 壁は冷たく、濡れた上着が石に擦れた。


 狭いところは苦手だ。


 地下そのものも好きではないが、せめて両手を自由に動かせるくらいの広さは欲しかった。


「セイン、通れますか」


 後ろからリゼが尋ねた。


「何とか。左の壁に出っ張りがあるから気をつけろ」


「分かりました」


 少し進むと、通路は急に広くなった。


 人が一人ずつ歩ける程度ではあるが、ようやく普通に前を向ける。


 壁には古い鉄の金具が一定の間隔で取り付けられ、天井には使われなくなった灯具の跡が残っていた。


 誰かが通るために作った道だ。


「水道局の今の図面にはなかったわね」


 ティセラが古い図面を広げた。


「二十八年前のものには、ここに細い線が描かれている。たぶん保守用の通路だと思う」


「昔は水道局の職員が使ってたのかな」


 俺が尋ねると、彼女は壁の金具を確かめた。


「可能性はあるわ。でも、今も使われているかどうかは別の話ね」


「足跡はあるぞ」


 リオルの声がした。


 床に灯りを向ける。


 泥の上へ、一人分の靴跡が続いていた。


 石壁の前で見つかった二人分のうち、こちらへ曲がった方だ。


 靴底の形も、歩幅も一致している。


「まだ新しいな」


 リオルがしゃがむ。


「この辺り、泥が踏み荒らされてない。俺たちの前に通った人間は、一人だけみたいだ」


 足跡はまっすぐ進み、途中で急に歩幅が広くなっていた。


 次の曲がり角では、壁の角に泥が付いている。


「走ったのか」


 俺が尋ねると、リオルが頷いた。


「たぶんな。急いで曲がった時に、腕か肩をぶつけたんだろ」


 何のために走ったのだろう。


 青鐘通りの石壁へ向かったもう一人とは、途中で別れている。


 何かを調べていたのなら、こうして慌てて引き返す必要があったのか。


 それとも、追われていたのか。


 俺は後ろを振り返った。


 リゼは足元を見ながら慎重に歩いている。ティセラは図面を確かめ、係長もその隣で通路の壁を見ていた。


 ネイは最後尾にいた。


「ネイ、何か見覚えは?」


 俺が尋ねると、彼は首を振った。


「ここへ来るのは初めてだよ」


「青鐘通りの近くなのに?」


「地上の道を歩いただけだからね。地下までは知らない」


 もっともな答えだった。


 俺は前へ向き直った。


 ここまで来たのは、足跡の持ち主を見つけるためだ。


 ただ、その人物が味方とは限らない。


「リオル」


「ああ。分かってる」


 短い返事だった。


 リオルは剣の柄へ手を添え、歩く速度を落とした。



     ◇



 通路は途中で左へ曲がり、その先から階段になっていた。


 上へ向かうのではない。


 さらに地下へ降りている。


 十段ほど下りたところで、リオルが急に手を上げた。


 全員が止まる。


 俺も息をひそめた。


 聞こえてきたのは、水の音ではなかった。


 金属がぶつかるような、小さな音。


 続いて、石床を踏む足音がした。


 誰かいる。


 リオルが俺を見た。


 俺は頷く。


「王都警備隊だ!」


 リオルが通路の先へ呼びかけた。


「そこにいる者、返事をしろ!」


 足音が止まった。


 一瞬、静かになる。


 こちらの灯りが届かない場所で、何かが動いた。


「……誰かいるな」


 リオルが呟いた。


 次の瞬間、足音が遠ざかり始めた。


「待て!」


 リオルが走った。


 俺も反射的に後を追う。


「セイン!」


 後ろでリゼの声がした。


 振り返る余裕はなかったが、ティセラと係長がいる。リオルも無理に追わせるつもりはないだろう。


 階段を下り切ると、前方に小さな灯りが見えた。


 俺たちのものではない。


 暗い外套を着た人間が、通路の奥へ走っている。


「止まれ! 警備隊だ!」


 リオルが叫ぶ。


 人影が一度だけ振り返った。


 顔は見えなかった。


 頭には深く布をかぶり、片手に灯具を持っている。


 背丈は俺より少し高いくらいだった。


 その人物は返事をせず、再び走り出した。


 リオルが追う。


 俺も全力で走ったが、みるみる距離を離されていった。


 足元には水が溜まり、滑らないようにするだけでも精一杯だ。


 その間に、人影は通路の突き当たりへ近づいていた。


 前は行き止まりだった。


 古い石壁があり、横へ抜ける道もない。


「逃げられないぞ!」


 リオルが声を上げた。


 その時、人影が壁際へ手を伸ばした。


 何かを引く。


 金属音が響いた。


 足元の床板が跳ね上がり、人が一人入れるほどの穴が開いた。


「なっ……!」


 俺が声を上げるより早く、人影はその穴へ身を滑り込ませた。


 リオルが飛び込むように手を伸ばす。


 指先が外套の端をかすめた。


 しかし、つかめなかった。


 男とも女とも分からない人物は、そのまま穴の下へ消えた。


 直後、床板が閉まる。


 重い音が通路へ響いた。


「くそっ!」


 リオルが膝をついた。


 壁際の仕掛けを確かめ、床板の縁へ指をかける。


 俺も追いついたが、息が切れてすぐには声が出なかった。


「……開くか?」


 ようやく尋ねると、リオルは首を振った。


「今の位置からは動かない。向こう側で止めたのかもしれない」


 床へ手を当てる。


 石の上には、薄い金属板が重ねられていた。


 その隙間から、低い水音が聞こえる。


「この下も水道局の設備なのか?」


「分からない。ただ、無理に開けるのはまずそうだな」


 リオルが立ち上がった。


 俺はもう一度、床板を見た。


 誰かが、こんな場所へ逃げ込む道を知っている。


 しかも、あの人影は仕掛けの位置を迷わなかった。


 偶然見つけた通路ではないのだろう。


「……最初から知ってたんだ」


 俺が呟く。


「何が?」


「ここに逃げ道があること」


 リオルも頷いた。


 壁際の金具を灯りで照らす。


 周囲の鉄は赤黒く錆(さ)びているのに、床板を動かした仕掛けの一部だけが新しかった。


 留め具の表面には、最近工具を当てたような跡まである。


「誰かが整備してる」


 リオルが言った。


 その言葉を聞いて、少し背筋が冷たくなった。


 二十八年前の第七係が調べた地下通路。


 今では水道局の新しい図面にも載っていない場所。


 そこを、現在も誰かが使っている。



     ◇



 ほどなくして、係長たちが追いついてきた。


「人は?」


 係長が尋ねる。


「逃げられました」


 リオルが床板を指す。


「この下へ降りていったんです。仕掛けを開ける方法も知っていました」


 係長はしゃがみ込み、金具を確かめた。


「……古い排水路につながっている可能性があるな」


「開けられますか」


 俺が尋ねる。


「壊せば開くだろう。だが、ここは水道局の設備だ」


 係長は床の隙間を指した。


「この先がどの管につながっているか分からん。間違って壊せば、地下へ水が流れ込むかもしれないぞ」


 リオルも頷いた。


「俺たちが勝手に壊していい場所じゃないな」


 悔しそうな顔だった。


 あと少しで届いたはずの相手が、目の前で逃げていった。


 リオルは警備隊員だ。


 追えるなら追いたいに決まっている。


「……戻ろう」


 俺は言った。


 リオルがこちらを見る。


「いいのか?」


「捕まえたい。でも、青鐘通りの水まで止めたら、今度は中の人たちが困るだろ」


 ここで見つかった水道管は、青鐘通りへ今も水を送っている可能性がある。


 実際にどうつながっているかは、まだ確かめられていない。


 それを壊してまで追いかける理由はなかった。


 リオルは床板をもう一度見た。


「……分かった。位置を記録して、水道局の技師と調べ直そう」


 そう言って、手帳へ仕掛けの位置と形を描き始めた。


 逃げた相手への手がかりを残しておくためだ。


「リオル」


 俺が呼ぶ。


「何だ」


「次に来る時は、警備隊の人も増やした方がいいな」


「ああ。一人で追うより、その方が確実だ」


 簡単なやり取りだったが、少し安心した。


 リオルも俺も、相手を逃したことには腹を立てている。


 それでも、今は自分たちが何を優先すべきか分かっていた。


「さっきの人、青鐘通りのことを知ってるんでしょうか」


 リゼが尋ねた。


「可能性は高いと思う」


 俺は答えた。


「でも、二人分の足跡と関係があるかまでは、まだ断定できない」


「同じ靴跡だったんじゃないですか」


「そこも確かめたいな」


 リオルが、逃げた人物の足跡を指した。


 石壁の前から続いていたものと、靴底の形がよく似ていた。


 少なくとも同じ種類の靴を履いている。


 足跡の持ち主を追ってここへ来た俺たちが、その先で同じような靴跡を見つけたのだから、無関係とは考えにくい。


 けれど、顔を見ていない以上、本人だと決めつけるわけにはいかなかった。


「セイン」


 ネイが声をかけた。


 彼は床板ではなく、周囲の壁を見ていた。


「何か気づいた?」


「この通路、誰かが隠そうとしてるみたいだね」


「どうして?」


「古い場所なのに、仕掛けだけ手入れされてるから」


 俺は頷いた。


 それは、俺も気になっていたところだった。


「誰かが使いたいけど、見つけられたくないのかもしれない」


 ネイはそこまで言って、壁の金具へ指を伸ばした。


 触れる前に、リオルが止める。


「動かすなよ」


「見てただけだよ」


 ネイは手を引いた。


 その動きは素直だった。


 ただ、少しだけ考え込んだような顔をしていた。



     ◇



 元の石壁へ戻ると、俺は七・二八六の札を取り出した。


 古い手帳に描かれていた通り、表を壁へ向け、端の切り込みを石の印へ合わせる。


 小さな金属音がした。


 昨日と同じように、長方形の輪郭が壁へ浮かび上がる。


 それ以上は変わらない。


 取っ手もなければ、押して開きそうな隙間もなかった。


「形が見えるだけですね」


 リゼが言った。


「ああ」


「札が一枚じゃ足りないのかな」


 俺が呟くと、ティセラが近づいてきた。


「その可能性はあるわ」


 彼女は札の表裏を確かめ、手帳へ描き写した図と比べた。


「箱を開けた時は、この札を差し込んだでしょう。でも、壁には差し込む場所がない」


「じゃあ、どう使うんだ」


「まだ決めつけられない。ただ、札を向けた時に壁の方が反応しているなら、こっちから扉を開けているというより、境界に何かを認識させているのかもしれない」


「認識?」


 リゼが尋ねる。


「例えば、建物の入口で身分札を見せることがあるでしょう。札を見せたからといって、壁そのものが開くわけじゃない。でも、入っていい人間かどうかを確かめることはできる」


「通行証みたいなものですか」


 俺が言うと、ティセラは頷いた。


「今のところは、それに近いと思う」


 俺は札を持ち直した。


 二十八年前の第七係は、こんなものを使って境界の内側を調査していた。


 ただ、この札一枚では入口の位置が分かるだけだ。


 調査には必ず二人で入ること。


 札は帰還するまで手放さないこと。


 古い手帳には、そう書かれていた。


「もう一枚が必要なのかもしれないな」


 俺が言うと、リオルが頷いた。


「七・二八五か」


 あの札は、まだローディスが残した木箱の蓋に埋め込まれている。


 俺たちが地下へ持ってきたのは、七・二八六だけだった。


「係長、もう一枚を取り寄せられますか」


 俺が尋ねると、係長は少し考えた。


「箱は第七係にある。蓋の内側からなら固定を外せるかもしれん」


「壊さずに?」


「開けたあとは金具の裏側へ手が届く。固定の状態を確かめれば、外せる可能性はある」


 係長は石壁を見た。


「ただし、あの札は二十八年も箱に残っていたものだ。無理に外すつもりはないぞ」


「分かってます」


「一度水道局へ戻って、使いを出そう。俺が手配する」


 俺は頷いた。


 ここで無理に壁を押しても、何も変わらないだろう。


 地下で逃げた人間がいることも分かった。


 今できることは、もう一枚の札を確かめることだった。



     ◇



 第七係から七・二八五の札が届いたのは、それからしばらく後だった。


 水道局の夜勤の職員が地下の入口を開け、警備隊の使いが小さな布包みを係長へ渡してくれた。


 包みの中には、見覚えのある金属札が入っていた。


「外れたんですか」


 俺が尋ねると、係長は頷いた。


「箱を開けた状態で蓋の裏を確かめたら、留め金があったそうだ。壊さず取り外せた」


 俺は少し安心した。


 ローディスが残した箱は、そのまま第七係に保管されている。


 二十八年前の記録を、これ以上傷めずに済んだ。


 係長は七・二八五をティセラへ渡した。


「これで確かめられるか」


「やってみます」


 ティセラは二枚の札を並べた。


 大きさも厚みも、ほとんど同じだった。


 違うのは番号だけかと思ったが、彼女は裏側へ目を向けた。


「……ここ」


 短い刻印がある。


 七・二八六では右側へ伸びていた線が、七・二八五では左側へ伸びていた。


「対になってるみたいね」


「二枚で一組ということか」


 リオルが尋ねる。


「そう考えるのが自然だけど、使い方までは分からないわ」


 ティセラは慎重に答えた。


「ただ、少なくとも左右の違いには意味がありそう」


 俺は七・二八六を持ち、リオルへ七・二八五を渡した。


「試してみよう」


 リオルが頷く。


 ほかの全員には数歩下がってもらった。


 俺たちは石壁の前へ立つ。


 左にリオル。


 右に俺。


 二枚の札の表を壁へ向け、それぞれの切り込みを対応する石の印へ近づけた。


 最初に反応したのは、俺の札だった。


 昨日と同じ細い線が壁に浮かぶ。


 その隣で、リオルの札も小さく震え始めた。


「……来た」


 リオルが呟く。


 石壁の長方形が、さっきよりはっきり見えるようになった。


 縁の線が濃くなり、その内側だけ石の色が薄れていく。


「動くな」


 係長の声がした。


 俺たちはそのまま待った。


 壁の中央が揺れた。


 水面に映った景色が風で乱れるような、小さな揺れだった。


 俺は息を止めた。


 揺れが静まると、石の向こうに何かが見えた。


 黄色い灯り。


 その奥に、建物の輪郭。


 窓があり、軒先には洗濯物が吊るされている。


「……セイン」


 リゼの声が震えた。


「見えます」


 俺も頷いた。


 壁の向こうに、道があった。


 細い石畳(いしだたみ)が奥へ続き、その両側に家々が並んでいる。


 青い屋根の家も、ずっと先に見えた。


 間違いない。


 ネイが第七係へ標識を持ってきた、あの通りだ。


「青鐘通り……」


 リゼが呟いた。


 今まで声でしか確かめられなかった場所が、初めて俺たちの目の前に現れていた。


 さらに耳を澄ますと、人の話し声が聞こえた。


 遠くを歩いている誰かが、別の誰かへ挨拶をしている。


 家の窓から、食器を重ねる音もする。


 そして、何かを煮込むような匂いまで漂ってきた。


 ネイが小さく息を吐いた。


「……まだ、あったんだね」


 俺は横顔を見た。


 いつものように笑っていると思ったが、そうではなかった。


 ネイはただ、通りの奥を見つめていた。


 前に消えた町でも、誰かを助けようとしたと話していた。


 その時のことを思い出しているのかもしれない。


 けれど、今は何も聞かなかった。


「本当にあるんですね」


 リゼが言った。


「ああ」


 俺は自分の目で見えているものを確かめた。


 標識を返した時も、秤を戻した時も、向こうに何かがあるという感覚しかなかった。


 それが今、目の前にある。


 地上では石壁にしか見えない場所へ、地下からたどり着いた。


 道は、確かに残っていた。


「入れますか」


 リゼが尋ねた。


 俺は一歩近づきかけた。


 けれど、その足を止めた。


 リオルも同じことを考えたらしい。


「……待とう」


 彼が言った。


「今、入口が見えたばかりだ。通れるかどうかも分からない」


「でも、中には人がいるんですよね」


 リゼが言った。


「そうだ。だからこそ、確かめる」


 俺は二枚の札を見た。


 札を持っていれば、入口を開けられるらしい。


 ただし、戻る方法はまだ分からない。


 通った先で札を失ったらどうなるのかも不明だ。


 何より、二十八年前の第七係は二人で入り、一人しか帰ってこなかった。


 今ここで焦って踏み込む理由はない。


 少し時間を使うことで、向こうにいる人たちを助けられる可能性が高まるなら、その方がいい。


「一度、準備を整えよう」


 俺が言うと、リオルが頷いた。


「同感だ。道具も食料も、今は足りてない」


「縄も必要だな」


 俺は壁の向こうを見る。


 青鐘通りは見えている。


 けれど、普通に歩いて外へ出られる場所ではない。


 その中へ入ったあと、戻れる保証もない。


「係長」


 俺は呼んだ。


「何だ」


「一時間ください」


 係長が少し眉を上げた。


「一時間?」


「準備して戻ってきます。帰り方を確かめるための道具も必要ですし、向こうの人たちへ持っていける物も考えたい」


 係長はしばらく俺を見ていた。


「明日まで待つ気はないんだな」


「ありません」


 俺は答えた。


「今夜のうちに、できるところまで進めたいんです」


 係長は一度、石壁の向こうへ目を向けた。


 そこには青鐘通りがあった。


 俺たちが何日も声を聞き続けた場所だ。


「……分かった」


 係長が頷く。


「必要な物は第七係から持ち出していい。ただし、何を持っていったか記録しておけ」


「はい」


「それから、俺は外に残る」


 俺は少し驚いた。


「一緒に行かないんですか」


「外側で何かあった時、誰も連絡できなかったら困るだろう」


 その通りだった。


 もし俺たちが戻れなくなれば、外の人間が調べ直す必要がある。


 全員で入るより、誰かが外へ残った方がいい。


「分かりました」


 俺が答えると、係長は小さく頷いた。


 その横で、ティセラが手帳へ札の反応を書き込んでいる。


 リオルは壁の前に立ったまま、向こうの道を確かめていた。


「セイン」


 リゼが呼んだ。


「何?」


「入ったら、ミレアさんに会えるんですよね」


「多分な」


「ニコにも?」


「ああ」


 リゼは少しだけ笑った。


「じゃあ、頑張りましょう」


 俺は頷いた。


 その時、ネイが壁へ近づいた。


 青鐘通りを見つめながら、ぽつりと言う。


「約束、守れそうだね」


「何の?」


 俺が尋ねると、ネイは振り返った。


「煮込みを食べに行く約束」


 その返事に、俺は少し笑った。


 そうだった。


 この男は、最初からそのつもりだった。


「食べられるといいな」


「うん」


 ネイは今度こそ、いつもの笑顔になった。


 俺たちは札を壁から離した。


 長方形の向こうに見えていた通りが、ゆっくりと石の色へ戻っていく。


 もう一度札を合わせれば、また現れるはずだ。


 今度は、ただ眺めるためではない。


 そこに暮らす人々に会い、何が失われているのかを直接確かめるためだ。


 俺は七・二八六の札を布で包み、ポケットへしまった。


 第七係に勤めてから、何人もの落とし物を受け付けてきた。


 財布をなくした人も、鍵をなくした人もいた。


 帰る場所が分からないと、泣きながら訪ねてきた子供もいた。


 でも、道をなくした人に会いに行くのは初めてだった。


 俺たちは来た地下通路へ向き直った。


 一時間後。


 今度は、この石壁の向こうへ進む。

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