第54話 魔王と王の喧嘩
魔王城・会議室➖➖
「お前っ!!妾と喧嘩していけよ!!」
ル・セポネの拳が、オハラの顔面へと迫る。
その拳には、寸前まで抑えていた怒りと、目の前の男への興味が込められていた。対するオハラは、迫り来る拳を前にしても動じない。
「おっと……」
軽く声を漏らし、片手を翳す。
次の瞬間、ル・セポネの拳がオハラの手に触れた。
ドンッ!!鈍い衝撃音が響く。
しかし、拳はオハラの顔面を捉えなかった。
ほんのわずかに軌道を逸らされた拳。
その勢いを利用され、ル・セポネの巨体が宙へと舞い上がり回転する。
「ぐはぁぁっ!!」
ル・セポネの体が床に叩きつけられた。
会議室の床が悲鳴を上げ、衝撃で周囲の椅子がガタガタと揺れる。
「おぉぉ、随分と派手に飛んだの……。お前さん、馬鹿力だな……」
オハラはニヤリと笑い、床に倒れたセポネを見下ろした。
「貴様……反射系か?」
ル・セポネはすぐさま立ち上がり、後方へ飛んで距離を取る。拳を握り直し、オハラの動きを注意深く観察した。魔法による反射か。それとも、こちらの攻撃を利用する特殊な能力か。
どちらにせよ、正面から力をぶつけるだけでは通用しない。そんなル・セポネの思考を見透かしたかのように、オハラは肩をすくめた。
「……ふふ、あいにく私は劣等生でね。魔法は一切使えないんだ……」
「……何?」
「だからお前さんたちみたいに才能あるのが羨ましくてねえ……。そんなお前さんたちに殺されないように、死にたくなくて必死に覚えた私の唯一の防衛手段なんだよ☆」
最後だけ、妙に明るい声だった。
まるで世間話でもしているかのような気軽さ。
だが、その言葉の奥には、決して笑い話では済まされない年月が滲んでいた。
魔法を使えない人間が、魔王と正面から向き合っている。その事実だけでも異常だった。
「さぁ、魔王! 喧嘩の続きをしよう。我らが顔を合わせ茶を飲んでさよならなんて、ドラマチックじゃないからねぇ〜」
オハラは楽しげに笑い、そして翳した手を軽く振る。だが、その目が、わずかに細くなる。
「ただし……俺は痛いぞっ!!」
一瞬の静寂。ル・セポネの口角が、ゆっくりと持ち上がった。
「お前…面白いのぉ……」
その笑みには、先ほどまでの苛立ちとは違う色が浮かんでいた。強い相手を前にしたときの、純粋な高揚。
ル・セポネはカヅチと四天王たちへ顔を向ける。
「お主ら!誰も手出しは無用じゃ!この喧嘩、見届けよ!」
「えっ、ここで世界をかけた喧嘩するの?」
カヅチの言葉はル・セポネは聞いていなかった。
すでに視線は、オハラへと戻っている。
「劣等生か……狸がっ!!」
「はははっ!褒め言葉として受け取っておこう!」
オハラが笑った、その瞬間、ル・セポネが床を蹴った。
「ぬぅぅぅんっ!!」
轟音とともに床が砕け、セポネの巨体が弾丸のように飛び出す。繰り出された拳が、オハラの顔面を狙う。オハラは慌てない。またしても翳した手で拳の軌道を逸らし、ル・セポネの勢いを横へと逃がした。
「ぬおっ!?」
ル・セポネの体が宙を舞う。またしても受け流された。
だが…
「二度も同じ手を食らうかぁっ!!」
ル・セポネは空中で体を捻った。
筋肉が千切れそうなほど強引な動き。
骨が軋み、関節が悲鳴を上げる。
それでも構わず腕を伸ばし、オハラの頭へと手を伸ばした。
「なっ!?」
初めて、オハラの顔から余裕が消えた。
ル・セポネの指が、その髪をがっちりと掴む。
「技の中身が分かればどうということは無い……!」
受け流される瞬間、ル・セポネは見ていた。
オハラは攻撃を跳ね返しているわけではない。
拳がぶつかる寸前に力の向きを変え、相手の勢いを利用しているのだ。ならば、軌道を変えられた先で、こちらから力で掴んでしまえばいい。
単純明快。そして、それを実現できるだけの身体能力が、ル・セポネにはあった。
「ぬおおおおおっ!!」
セポネは受け流された力を利用し、空中でさらに体を回転させる。掴んだ髪を離さぬまま、オハラの体を豪快に振り回した。まるで猛獣がお気に入りのぬいぐるみで遊ぶ様に。
「ちょっ、おまっ!それは!強引!過ぎ!」
「五月蝿いっ!!どぉぉぉりゃああああっ!!」
ズガァァァンッ!!オハラの体が床に叩きつけられた。会議室全体が揺れ、石造りの床が大きくへこむ。
「ぐはぁぁぁぁっ!!」
オハラの悲鳴が会議室に響き渡った。
ル・セポネもまた、着地した瞬間に顔をしかめた。
無茶な体勢で力をねじ込んだせいか、全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、それを顔に出すわけにはいかない。
ル・セポネは胸を張り、口元を吊り上げた。
「どうした? 終わりか? 小手先の力では妾を倒すことはできぬぞ……あははっ!!」
床にめり込んだオハラが、苦笑いを浮かべながら起き上がる。服についた埃を払おうとしたが、あまりの痛みに顔をしかめた。
「ははは、まいったなぁ……。久しぶりに地面にキスをしたわ……」
「ほう?まだ立てるのか?」
「お前さんが手加減してくれたおかげだろうよ……」
「手加減じゃと?馬鹿を言うな!」
ル・セポネが鼻を鳴らす。
「妾は全力じゃ!!」
「……それはそれで恐ろしい話だな…」
オハラは首を回し、肩をほぐした。
その動作だけでも、全身が痛んでいるのが見て取れる。それでも、オハラは笑っていた。
「しかし、魔法も使わず、追い打ちもかけないとは……魔王ってのは意外と優しいんだな」
「……何じゃと?」
「これが私を殺せる最後のチャンスだったかもしれんぞ……」
その言葉に、ル・セポネの眉がぴくりと動いた。
「ほざけっ!いつでも殺してやるから寝言はその後言えっ!!」
「おお、怖い怖い!」オハラが笑う。
次の瞬間、セポネは床を蹴り、飛び蹴りを放った。
「死ねぇぇぇぇっ!!」
オハラは両手を翳す。セポネの足が受け流され、体が横へ流れる。だが、今度はセポネも勢いを殺さない。受け流された力に逆らわず、むしろそれを利用して体を回転させる。
「ぬぅぅぅんっ!!」
回転の勢いを乗せた拳が、オハラの脇腹へと迫った。
「ぐおおおっ!?なんのっ!!」
オハラは間一髪で腕を差し込み、拳の向きを逸らす。しかし、ル・セポネは止まらない。
拳、蹴り、肘。投げ技。ありとあらゆる打撃。
その次々と繰り出される攻撃を、オハラは紙一重で受け流していく。一撃でもまともに食らえば、ただでは済まない。
それを理解しているからこそ、オハラの動きには無駄がなかった。大きく避けず、必要最低限の動きで攻撃を逸らす。力を受け止めず、流す。
相手が踏み込んだ瞬間を狙い、体勢を崩す。魔法も、派手な技もない。
ただ、愚直に長い年月をかけて磨き上げた技術だけがあった。
「ぬぅっ!ちょこまかとぉっ!!急所を外しおってっ!!」
「あはは!お前さんの攻撃が大振りすぎるんじゃよっ!」
「うるっさいわっ!!死ねっ!!」
ル・セポネの拳が壁を砕く。
オハラが床を滑るように回避する。
砕けた石片が飛び散り、椅子が吹き飛び、テーブルが真っ二つに割れた。
「ちょっと待てぇぇぇぇっ!!このテーブルは妾のお気に入りじゃぞぉぉぉっ!!」
「だったら、もう少し手加減せんかぁぁぁっ!!」
「嫌じゃああああっ!!死ねぇぇぇ!!」
二人の喧嘩を見てカヅチは額に手を当てた。
「……ああ、もう。あとで掃除するの俺なんだけどな……」
その隣では、四天王たちが戦いを見守っていた。
イグニートは拳を握りしめ、興奮した様子で叫ぶ。
「おおおっ!魔王様ぁぁぁ!押してるぞぉぉぉっ!!」
「当たり前でしょ…あの人が喧嘩に負けたら何が残るのですか…」
リゼルカが紅茶を飲みながら冷静に突っ込む。
サルヴェナは欠伸を噛み殺しながら、目だけは戦いを追っていた。
「早く魔法ぶっ放して、あの斧でぶった斬ればいいのに…」
ヘルデスは笑顔のまま、床を砕く二人をじっと見つめている。その三つの頭で、ゴンタが飛んできた石片を器用に食べていた。
「ゴンタ〜、お腹壊すよ〜」
誰一人として魔王ル・セポネが負けることなど想像もしていなかった。
続




