第53話 妾と喧嘩していけよ
魔王城・会議室➖➖
長机を挟み、四天王たちが見守る中、ル・セポネとオハラはカヅチを挟んで睨み合っていた。
セポネは腰に両手を当て、目の前の老人を鋭く見据えている。一方のオハラは、上半身裸という場違いな格好にもかかわらず、どこ吹く風といった様子だった。
その二人に挟まれたカヅチは、身動きひとつ取れずにいる。
しばしの沈黙。すると突然、オハラがぷっと吹き出した。
「まぁ、そんなに熱くなるな……。彼氏が窒息するぞ?」
「あぁん?彼氏?……」
セポネが首を傾げる。視線を下げると、自分の胸の谷間で何やらモゾモゾと動くものがあった。
「……ん?」もぞっ、もぞもぞっ。
やがて、胸の谷間からカヅチの顔が現れる。
「……んぱぁっ!!はぁはぁ…」
カヅチは大きく息を吸い込み、ようやく呼吸を取り戻した。
「……魔王様、とりあえず話だけでも聞いてあげてください……。たぶん、聞いても悪い話じゃないと思います……」
息を整えながら、カヅチは必死に仲裁を試みる。
すると、会議室の隅からヘルデスの呆れたような声が飛んできた。
「えぇぇ? 人間の話なんて、良い話も悪い話も全部悪い話でしょ?…もう殺しちゃおうよ……」
椅子の背にもたれたまま、両手の黒い鞭をゆらゆらと揺らしている。口元には、獲物を見つけた子供のような笑みが浮かんでいた。
その指先が、今にも鞭を振るいそうにぴくりと動く。
「……ヘルデス」
ル・セポネが低い声で名を呼んだ。
ヘルデスは、にこっと笑って鞭を止める。
セポネはくるりと向きを変えると、空いている椅子を引いた。
「座れ……」
短く告げ、オハラに席を示す。
それからカヅチの手を引き、自分の席へと戻っていった。カヅチはその手に引かれながら、ほっと胸を撫で下ろす。
オハラは促されるまま椅子に腰を下ろした。白髪のオールバックを後ろに流し、会議室をぐるりと見渡す。そして、ふと思い出したように口を開いた。
「ん〜、お茶はでるのかな?」
……。会議室にいた全員が、揃ってオハラをジト目ではぁ?とした顔で見た。
「……嘘、冗談。あはは」
オハラは悪びれる様子もなく笑う。
「では、真面目にいくかの……」
ようやく背筋を伸ばした老人に、セポネが頬杖を突いた。
「魔王よ……北への作戦を教えてくれるか?」
「はぁ?お前は寝惚けておるのか?言うわけなかろうが……」
セポネは間髪入れずに言い放った。
そもそも、敵か味方かも分からぬ人間に、こちらの作戦を教える理由などル・セポネにない。
オハラは“そりゃそうか”とでも言いたげに笑っていた。
そのときだった。大きな影が、オハラの横にヌウッと立った。羅刹鬼夜叉が、湯気の立つ茶碗をそっと机に置いたのだ。
そして、ル・セポネに向かって小さくウィンクする。
ル・セポネは茶碗に目を落とした。
中身は、羅刹が用意した苦茶。
その意図を察したセポネの口元が、にやりと吊り上がる。……飲めるものなら、飲んでみろ。
そんな視線を向けられているとも知らず、オハラは茶碗を手に取った。
香りを確かめることもなく、ためらいもなく口をつける。
ごく、ごく、ごくっ。
あっという間に、茶碗の中身を飲み干した。
「……にっがっ!何だ?これは毒か!?」
顔をしかめ、舌を出すオハラ。
セポネは笑みを消すと、老人の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前…なぜ……それが毒ではないと分かった?」
オハラは手元の空になった茶碗を見下ろした。
それから、セポネへと視線を戻す。
その顔には、先ほどまでと変わらぬ笑みが浮かんでいた。
「あははっ!もし、これが毒なら私の命などここまでの物……。出された物も受け入れられないで、話を聞いてもらおうなどと最初から思ってもないわ!あははっ!」
豪快な笑い声が会議室に響く。
けれど、その言葉にふざけた様子はなかった。
自分の命を危険にさらしてでも、まずは相手に向き合う。それが、オハラなりの礼儀なのだろう。
「では……話を聞いてもらえる準備はこれでいいかな?ん?魔族諸君?」
オハラは、まるで孫にでも向けるような優しい微笑みを浮かべた。
その表情を見たル・セポネは、ほんのわずかに目を細め四天王たちを見る。
四天王たちも、その視線に張り詰めていた肩の力を少しだけ抜いた。
少なくとも、この老人は何も考えずに魔王城へ乗り込んできたわけではないらしい。
オハラは空の茶碗を机に置き、表情を改めた。
「作戦を聞いたとしても、本当のことを教えてもらえる保証が無い……。ならば、ここからは年寄りの独り言でも聞いてもらうかな……」
その言葉を受け、セポネが羅刹に指先を軽く動かした。すぐに、別の茶碗がオハラの前へ運ばれてくる。
今度は、香り豊かな紅茶だった。
オハラは茶碗を手に取り、一口すする。
「……うむ… 美味いのう」
オハラの目尻が緩んだ。先ほどまでの苦茶がよほど堪えたらしい。
そんな様子を横目で見ながら、セポネは静かに口を開いた。
「……それで?年寄りの独り言とやらを聞かせてもらおうか」
オハラは茶碗を置いた。
そして、会議室にいる全員を見渡す。
「はっきり言う。今回の北との戦いに兵を用いての戦争は無意味だ」
その一言に、空気が変わった。
イグニートが食べる手を止め、リゼルカは眉を上げる。サルヴェナも、眠たげだった目をわずかに開いた。ヘルデスはニヤニヤとオハラを見ている。
「奴らが今回欲しいのは、魔族の亡骸……。大きな戦争になればなるほど、喜ぶのはラグナード。そして西のクリンケット、この二人だ……」
オハラの声には、もう笑いがなかった。
そしてまた紅茶を啜る。
「北と西には、“魔族を薬として使うこと”が許されている地域があるからな……」
言い終えると、オハラはギロリとヘルデスを見た。
ヘルデスは、頬杖を突いたまま老人を見返している。その口元から、笑みが消えることはなかった。
だが、両手の鞭を弄んでいた指先は、いつの間にか止まっていた。
オハラは再びセポネへと視線を戻すと、片手を持ち上げた。指を三本立てる。
「奴らの徴兵が完了するのは三日後だ……。戦争に紛れて黒匣會は魔族を捕まえに走る。当然、魔族対抗の【聖なる力】も加わる」
指を一本ずつ折りながら、淡々と告げていく。
「そして東と南は、“今回”は動かない……」
最後の一言だけ、妙に強調された。
その言葉にル・セポネの眉がぴくりと動く。
「……賢いお前さんたちなら、この意味が分かるな……?」
会議室に沈黙が落ちた。北と西が動く。
黒匣會が魔族を狙う。東と南は動かない。
それに対抗するための【聖なる力】まで用意されている。
それらの情報が、ル・セポネの頭の中で一つにつながっていく。
やがて、ル・セポネはゆっくりと口を開いた。
「……お前……妾たちに北へ奇襲をかけろと言うのか?」
「ふふふ……“かけろ”とは言わない……」
オハラは、穏やかに首を振った。
「だが、“これが全て本当の話”ならどうする?と言う年寄りの独り言だよ……あははっ!」
再び、いつもの笑い声が響く。
まるで、ここまでの話など大したことではないと言わんばかりに。
そしてオハラは残っていた紅茶を飲み干した。
「うん!……美味かった。ごちそうさま☆」
茶碗を机に戻すと、何事もなかったかのように立ち上がる。
そして、そのまま扉へと向かった。
「……待て!」セポネの声が背中に飛ぶ。
オハラは足を止めたが、振り返らなかった。
「一つ聞かせろ。なぜ……我らにその情報を流す? 情報を流して、お前に何のメリットがある?」
しばらく、オハラから返事はなかった。
そしてオハラは扉の前で立ち止まったまま、静かに答えた。
「……メリット……?そんな物は無い……。ただ、あの血の300年を繰り返すわけにはいかない……それだけだ……魔王よ」
その声からは、先ほどまでの軽さが消えていた。
ル・セポネの目が細くなる。
四天王たちも、互いに顔を見合わせた。
血の300年……その言葉が何を指しているのか。
この場にいる誰もが、詳しく知っているわけではない。
だが、オハラの口からその言葉が出た瞬間、会議室の空気は明らかに変わっていた。
オハラが、ゆっくりと振り返る。
その顔から、笑みは消えていた。
「あの〜もしかして、お前さんたちは……“生きてると思ってるのか!?”」
老人の目が、セポネを捉える。ドンッ!!
その瞬間、目に見えない何かが会議室を押し潰した。その何かに四天王たちが一斉に身構える。
サルヴェナの両手に魔力が集まり、羅刹は反射的に大剣へと手を伸ばす。イグニートでさえ、言い返すことを忘れていた。カヅチもまた、息を呑んだ。
目の前にいるのは、つい先ほどまで苦茶に顔をしかめ、紅茶を美味そうに飲んでいた老人だ。
なのに今は……その姿が、ひどく大きく見えた。
上から見下ろされているわけでもない。
実際に身体が大きくなったわけでもない。
それでも、誰もが本能的に理解していた。
目の前の老人は、決して侮っていい相手ではない。
オハラは、身構える一同を見渡した。
「あははっ!違う……お前さんたちは、“生かされておるんだ”…… あの“血の300年以降”な……」
低い声が、静まり返った会議室に響く。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
セポネだけが、ゆっくりと立ち上がり歩き出す。
その瞳は、オハラから一瞬たりとも逸れていなかった。
「……生かされてる……だと?」
一歩。セポネが、オハラへと近付く。
「妾たちがか?」
さらに一歩。その足音が、やけに大きく聞こえた。
「妾も舐められたものだな……」
セポネはオハラの目の前で足を止めた。
その拳が、ぎゅっと握られる。
体中の筋肉が盛り上がっていく。
「血の300年?くだらんなぁ…そんな昔話など、どうでもいいのじゃ……」
低く、押し殺した声。セポネは老人を上から見下ろすように真正面から睨みつけた。
自分たちが何者かに生かされている?
そんな言葉を、はいそうですかと受け入れられるはずがない。誰が何を知っていようと。どれほど昔に何があろうと。今ここにいる自分たちの生き方まで、勝手に決められてたまるものか。
怒りが沸点に達したその時、ル・セポネの口元が獰猛につり上がった。
「お前っ!!妾と喧嘩していけよ!!」
次の瞬間。セポネの拳が、オハラの目前へと迫った。
続




