第40話 ほな、またね
サルヴェナの指を口に入れたバイスト。
バイストは、噛まなかった。
そのまま、ゆっくりと飲み込む。
「……相変わらず……“まっずいのぉ”……」
そう呟いた瞬間、バイストの白目に広がっていた黄色い濁りが、さらに濃くなっていく。
「バイスト!やめろっ!!」カヅチが叫ぶ。
「もうそれ以上は……本当に戻れなくなるぞっ!!」
バイストは、少しだけ目を伏せた。
「……どこに……どこに戻るって言うんや……?」
その声から、いつもの軽さが消える。カヅチが黙る。
バイストは、自分の手を見つめる。
「ワイかて……キラキラしとる勇者に憧れてたんや……みんなに褒められて……みんなに崇められて……きゃー、素敵~……なんて声かけられてなぁ……」
少しだけ笑う。だが、その笑みはすぐに歪んだ。
「……今、見てみい」
黄色く濁った瞳。魔族を喰らい続けた身体。首には450750の数字の刺青。
「目は汚れ……口からは魔族の臭いがして……首に数字の刺青まで入れとるわ……どのツラ下げて、戻れっちゅうねん」自嘲するように笑う。
「バイスト……」カヅチは必死に声を絞り出す。
「それでも……それでも、今ならまだ間に合う!」
バイストは、ゆっくりとカヅチを見る。
そして、少し寂しそうに笑った。
「あかんなぁ……カヅチちゃんは……何も分かっとらん。えぇか……カヅチちゃん……」
バイストが声を落とす。その目には、もう笑みがなかった。
「本当に悪いのは……黒匣會ちゃう……世界や…。この世界が腐っとるんやわ……」
カヅチの目が揺れる。「……」
「その腐りが……どんどん広がって……全部を蝕んどる」
バイストは、ゆっくりと空を見上げる。
「血の300年……分かってる」カヅチが呟く。
そして、まっすぐバイストを見る。
「だから俺は……魔王に会った、魔王を見て、魔王と戦い、ボコボコにされて、魔王に頭を下げた」
バイストの目が、大きく見開かれる。
そして、ニヤリ。「……そっか」
その顔には、ほんの少しだけ昔のバイストが戻っていた。
「分かっとったんやな……。なら…次は5%(ファイブパーセント)を探すんや…」
「5%…?」
「そうや…世界の90%は“何も知らんと生きてる者”…。残り10%の半分は“知っていても何も出来ない者”…。そしてその残りの5%…通称5%(ファイブパーセント)……合言葉は…“真実はいつも裏側”や…。あはは、少し喋りすぎやな…」
そして、身体を軽く動かし、バイストは笑った。
「ふぅ、そろそろ……魔力満タンや…。ほな、終わりにしよか?カヅチちゃん☆」
バイストはしゃがみ込み地面に手を当てる。
「カヅチちゃんも……さっき、とっておき見せてくれたやん?ワイも……とっておき見せたるわっ!!【月蝕晦域】!!」
魔力が渦を巻く。瞬間、黒い光が地面を走った。
魔法陣から吹き出した魔力が、まるで海のように倉庫全体へ広がっていく。
「なっ!?」ドルンハイムの身体が止まる。
「ぐっ……!?」マシューも。
「「何だ!体が!」」兵士たちも。
その場の全員の動きが、完全に封じられた。
「きっ……貴様ぁ!!」ドルンハイムが叫ぶ。
「我々を裏切るつもりか!!恩を仇で返すつもりなんだな!!」
「裏切る?」バイストは振り返り、ケラケラと笑う。
「あはは!そない怒んなや……間違えてもうただけやんか……」
そして笑いながら肩をすくめる。
「貴様ぁぁぁ!!必ず上に報告してやるからな!」
「はいはい。どうぞご勝手に…」バイストは聞き流す。
そしてカヅチを見る。カヅチを縛っていた【月蝕拘界】が、ゆっくりと消えていく。
「……ワイの気が変わらんうちに行けや…まだ逃げられる魔力……残してるんやろ?……“南の夢見る勇者様”」
そして、少しだけ笑う。カヅチはバイストを見つめる。そして…カヅチはふっと笑った。
「ふふ……あぁ、もちろん。バイスト……礼は言わないよ…」
箒を握る。一瞬だけ、バイストの笑みが止まる。
「じゃあな!“北の期待の勇者様”」
カヅチは魔力を箒へ流し込む。【飛行】!!
カヅチの身体が、一気に宙へ飛び出した。
「くそっ!逃げるぞ!!」「逃がすなぁぁぁ!!」
動けないドルンハイムたちが叫ぶ。
その声を背に、カヅチは飛んでいく。
バイストは、その背中を見つめていた。
そして…… 小さく笑う。
「……昔の呼ばれ方で呼ぶなや…。照れくさいやんなぁ……」
カヅチの姿が、遠ざかっていく。
バイストの頬を、一筋の涙が伝った。
「……“ほな、またね”……カヅチちゃん☆」
そして、カヅチは振り返らない。
ただ、箒に乗って魔王城に向かって真っ直ぐ飛び続ける。
やがて➖➖
【月蝕晦域】の黒い光が、ゆっくりと薄れていく。
ドルンハイムたちの身体が、少しずつ動き始める。
「……っ!!あかん…もう魔力切れや…」
バイストは、その場で仰向けに倒れた。
夜空を見上げながら……
「……なんやぁ……ごっつい怒ってるやん……」
ふふふ、と笑う。誰に向けた言葉なのか。それは分からない。
そして「もうえぇ……」バイストはゆっくり目を閉じる。
「なんか……疲れたわ……」それだけ言って静かに横たわった。
バイストの【月蝕晦域】が完全に切れた直後。
マシューが倒れているバイストへ歩み寄る。
「……この裏切り者がぁっ!!」ドゴッ!!
マシューがバイストを蹴り上げる。
「ぐっ……!」
さらに周囲の兵士たちが一斉に剣を突き立てる。
ドスッ!!「ぐあっ……!!」
何度も何度も、容赦なく。
その様子を見ながら、ドルンハイムが冷静に口を開く。
「その辺にしておきなさい……。今回はこいつの独断だったということにして、あの人に報告しましょう……」
そして兵士たちへ視線を向ける。
「こいつは捕まえておきなさい」「はっ!」
バイストの身体が、兵士たちに引き摺られていく。
バイストは痛みすら感じなくなってきた。
視界がぼやける。音も遠くなっていく。
響くのは自分の心臓の音だけ…。
そんな中、バイストはふと昔のことを思い出していた。
◇◇◇
それはどこかのギルド➖➖
そこにいたのは、まだ何も知らない頃のカヅチだった。
「えっと……君も転生勇者??」
少年のような無邪気さを残した笑顔。
目は、今とは比べ物にならないほどキラキラしている。
「……あっ、初めまして!」カヅチが頭を下げる。
「南から来たカヅチです!マシューさんの紹介で来ました!よろしくお願いします!」
その眩しい笑顔を見つめる、一人の青年。
「あははっ!そないかしこまんなや!ワイはバイスト!北の期待の勇者なんやでぇ〜」
胸を張って、ニヤッと笑う。
あの頃のバイストも。まだ、自分が“キラキラした勇者”だと思っていた。
◇◇◇
そして現在➖➖
バイストは、兵士たちに引き摺られていく。
もう、何も言わない。ただ、ぼんやりと遠くの月を見つめる。そして、小さく呟いた。
「ごっつい……眩しいのぉ……」
誰にも聞こえないほど、小さな声。
「眩しすぎて……眩しすぎて…目が眩みそうやわ……」
その顔には、ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
続




