第29話 ルールは一つ
マシューに促され、カヅチとサルヴェナは山小屋の中へ入った……瞬間。
「……うっ」カヅチは思わず鼻を押さえた。
薬品のような、何とも言えない臭い。
薄暗い室内には、壁や天井から何かが吊るされている。
腕の様な物。脚の様な物。何かの顔の様な物。
何の生物のものかも分からない部位。
マシューは二人を気にする様子もなく……
「適当に座れ……」そう言って、奥の部屋へ消えていった。
サルヴェナがカヅチの服を、そっと引っ張った。
二人は顔を見合わせる。
「ねぇ……」「はい?」
「なんかお友達暗いやつだね……」
「うん。昔からあんな感じです」カヅチは即答した。
「へぇ、昔からなんだ……。よく友達になれたね…」
「いや、まぁ、友達っていうか…知り合い…?」
「あの人どこ行ったの?」
「まぁ……お茶でも飲めってことじゃないですか?」
「え?この状況で?」「昔からそういう人なので」
「そっかぁ……」「少し待ちましょう…」
そんなたわいもない話をしているとしばらくして、マシューが戻ってきた。手には三つのカップ。
「ほら、とりあえず話の前に飲め…」
「ありがとうございます」
カヅチとサルヴェナの前にカップを置き、マシュー自身も椅子に座る。
そして一言。
「急にどうした?その子との結婚の報告か?」
「ぶっっっっっ!!」
カヅチが盛大にお茶を吹き出した。
「ちょ、カヅチ!?」
「けほっ……!な、なんでそうなるんですか!?」
マシューは無表情のまま数秒後。
「……ははっ」「なんで笑うんですか!?」
「くくく、いや、悪い悪い。お前が女連れで来るなんて珍しいからな」マシューが肩を震わせる。
「そういう言い方やめてくださいよ……」
カヅチは濡れた机を布で拭きながら、ため息をついた。
「結婚の報告じゃないですよ」
「じゃあ何だ?」
「昔、マシューさんが言ってた……黒匣會について少し聞きたくて…」
その瞬間。マシューの笑顔が消えた。
「……売るのか?」「え?」「買うのか?」
カヅチは少しだけ間を置いた。
「……買いの方です…」
カヅチを見るマシューの目が細くなる。
「少し、欲しい物がありまして……」
そして…カヅチはサルヴェナを少し見た。
「……魔女の何かを」
マシューの視線が、サルヴェナへ移る。
サルヴェナは黙って見返した。
「……魔女…か」マシューが低く呟く。
「“450750部隊”だぞ……分かってるのか…?」
「分かっています」カヅチは静かに答えた。
マシューはしばらくカヅチを見つめ……
「ふぅ、……覚悟はできてるって顔だな」
椅子からゆっくり立ち上がる。
「分かった」そしてサルヴェナを見る。
「でもその女は家に置いていけ…。“命の保証”はできない」
「はぁ?いらない心配だね!」
サルヴェナが勢いよく立ち上がる。
「自分の身は自分で守れる!」
マシューはサルヴェナをじっと見た。
「ふふ……勇ましい女だな」そして小さく笑う。
「なら、準備が出来次第行くか」「お願いします」
「それと……」マシューがカヅチを見る。
「“今回の報酬は?”」
「マシューさんの……望みの金額で」
「なら……後払いでいい」「え?」
「お前なら信用できる」
「……ありがとうございます」
カヅチは少しだけ笑った。
昔からこの男との取引は、いつもこんな感じだった。
◇◇◇
山小屋の外➖➖
マシューは古びた馬車を用意していた。
「さぁ乗れ」「これで行くんですか?」
「あぁ、明日の朝には着く」
マシューが手綱を握る。
「しばらく後ろでゆっくりしていろ」
「ありがとうございます。助かります」
カヅチとサルヴェナは荷台へ乗り込んだ。
ガタッ。馬車が動き出す。二人しばらく沈黙。
「ねぇ、カヅチ」「はい?」
「人間の馬車って、こんなに揺れるの?」
「……たぶん」「魔族の馬車は揺れる?」
「えっ?知りませんよ!」「乗ったことないの?」
「俺、魔族じゃないので」「……そうだった」
「そこ忘れないでくださいよ……」
また少し進む。今度はサルヴェナが、窓の外を眺めながら言った。
「ねぇ?」「……」「ねぇ?」
「今度は何ですか?少し寝かしてください」
「だめ…寝かさない。人間の町って、面白い?」
「ふぐっ!まぁ、場所によりますね」
「美味しいものは?」「ありますよ」
「甘いものは?」「それもあります」
「じゃあ帰りにお土産で買おう」
「……黒匣會に行った帰りですよ?」
「はぁ?だから何?問題あるの?」
「いや……強いなぁと思って」カヅチは苦笑した。
「ふふん!何と言っても私は魔王四天王だからね!」
「その人間姿で言われると、ただの可愛い女の子にしか見えませんけどね」
「今、何て言った?……可愛い?私が?」
「え?なんか地雷踏んだ?」
「今、私を可愛いって言ったのか?」
「…………」カヅチは前を向いた。
「いやっ!聞き間違いじゃないですか?」
「ちゃんと聞いた!」「いえいえ、聞き間違いです」
「絶対言った!」「あー、馬車、揺れますねぇ」
「こらっ!話を逸らすなー!もっと目を見て上から下まで舐めるように見て褒めろ!」
「どんな要求だよ…。てか、寝かしてくれ……」
そんな会話をしながら二人を乗せた馬車は、森の奥へと進んでいった。
途中、何度か町や村に立ち寄った。
食事をして、水を補給して、馬を休ませた。
何気ない旅だった。少なくともこの町に着くまでは。
◇◇◇
森の中の悪路を進む馬車➖➖
木々の隙間から、小さな町が見えてきた。
「おい、見えてきたぞ。……あれが目的地だ」
マシューが馬車を止める。
カヅチとサルヴェナが身を乗り出した。
「ここが……?」「ああ」サルヴェナも町を見る。
だが、何かがおかしい。
人の姿はある。家もある。店もある。それなのに。
誰も笑っていない。誰も喋っていない。
そして……路地の奥から、ギラッ。何かが光った。
カヅチは黙った。サルヴェナも気付いている。
マシューが振り返った。「さぁ、着いたぞ……」
そして、低い声で二人を見て言う。
「さて、ルールを一つ決めよう」
「ルール?ですか?」
「ああ、今からこの町での一人歩きは禁止だ!」
「「…………」」
カヅチとサルヴェナは、無言で頷いた。
その直後。路地の奥。また一つ。二つ。三つ。
三人を見つめる不気味な視線が光った。
黒匣會。その小さな町の入口は思っていたよりずっと深く、それでも近くにあった。
続




