第9話:ロウリュサウナの妖女~不死身の青春特売所~
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラだ。
放課後。定位置のパイプ椅子に深く腰掛けた僕は、カート・ヴォネガットのSF小説『タイタンの妖女』のページをめくっていた。
自由意志の無意味さと、宇宙の壮大な不条理をシニカルな笑いで包み込んだ、僕の愛読書の一つだ。
バンッ!!
「こんにちは歴史研のみんな!! 今日も夢にときめいて元気に青春の汗を流しているかな?」
静寂を物理的に破壊し、暑苦しい声と共に部室に乱入してきたのは、昨日この歴史研の顧問(生贄)に就任したばかりの、国語科新任の佐倉 旭先生だった。
新品のスーツに身を包んだ彼女は、一人でパイプ椅子に座る僕を見るなり、大げさに眉を下げた。
「千葉くん! こんな天気のいい放課後に、薄暗い部室で一人で読書なんてもったいないぞ! ……って、ここは歴史研だったね! あははは!」
「お気遣いなく。僕は今、トラルファマドール星の歴史よりも深い思索の宇宙を旅しているところなので」
「トラルファ……あっ! 君が読んでるその本、『タイタンの妖女』だね! 先生も大学生の時に読んだよ!」
佐倉先生はパッと顔を輝かせ、ズカズカと距離を詰めてきた。
国語教師として、生徒の読んでいる本からコミュニケーションの糸口(青春)を見出そうという算段なのだろう。
「それ、面白いよね! スケールが壮大で、目的のために主人公が頑張る姿が感動的でさ! そして、あのオチがいいよね! 人類の偉大な歴史的遺産が、実は全部――」
「…………」
僕はゆっくりと本を閉じ、この無自覚なテロリストを冷ややかに見つめた。
「先生。僕は一度読んだ本を読み返しているだけだからいいですけど……。結末を知らない人間の前でそれをやったら、万死に値しますよ?」
「えっ!? あ、ご、ごめん! つい嬉しくて……」
「それに、先生のその浅はかな内容理解は、国語教師としていかがなものかと」
「あ、浅はか……!?」
僕は深くため息をつき、不機嫌に無慈悲なテキスト解釈を開始した。
「この作品の根底にあるのは『自由意志の否定』です。人類が自らの意志で築き上げたと思っていた輝かしい歴史や努力が、宇宙の巨大な不条理の前では、取るに足らないことでしかなかったという強烈な皮肉ですよ」
「ひにく……」
「つまりヴォネガットは、先生が今まさに僕に押し付けようとしているような『崇高な目的のための汗と努力(青春)』という人間の盲目的な錯覚を、壮大に嘲笑っているんです。それを『目的のために頑張る姿が感動的』などと薄っぺらい熱血ドラマに変換(誤訳)するのは、作品に対する冒涜だ」
「ぼうとく……っ!」
僕の容赦ないロジカルハラスメントを受け、佐倉先生は目に見えてダメージを負い、よろよろと数歩後ずさった。
彼女の掲げる『熱血学園ドラマ』という薄弱なフィクションは、僕の突きつけたシニカルな宇宙の真理の前に、早くもひび割れ始めている。
(よし、いいぞ。このまま心が折れて、二度とこのシャングリラに足を踏み入れないようになってくれれば……)
ギイイ……。
僕が平穏な勝利を確信した、まさにその時だった。
「……失礼します。今日はなんだか、暑苦しいですね」
半開きのドアから、特注のオーガニックコットンを身に纏った意識高い系アーバンガール、花見川 若葉が、あからさまに不機嫌そうな顔で現れた。
「あ、一年生の花見川さん! や、やあ!」
佐倉先生は必死に教師としての威厳(と平常心)を取り繕い、パッと明るい青春スマイルを浮かべた。
「先生も今年赴任してきたばかりの新米だからね、同じ一年生同士、一緒に頑張ろうね!」
そう言って、親しげに若葉の肩へ手を伸ばそうとした瞬間。
「……一緒にしないでください」
若葉はその手を躱し、佐倉先生に対し、街灯にたかるカメムシでも見るかのような冷たい眼差しを向けた。
「私は本来、最先端の教育プログラムを誇る美浜総合高校のような学校に行くべき、アーバンでサステナブルな人材なんです。それなのに、この学校の教育体制ときたらどうですか? カリキュラムに『グリーンニューディール』の概念もなければ、『ダイバーシティ』を尊重する姿勢も全く見られない」
「えっ……ぐ、ぐりーん……?」
「だいたい、生徒に『青春の汗』を強要するその前時代的な暑苦しいスポ根精神自体が、著しいジェンダーバイアスとグローバルウォーミングの温床です。コンプライアンス意識が決定的に欠如していますね」
(……出たよ、うちの若様の美総コンプレックス。そして、息をするように横文字カタカナマウントを振りかざすSDGsの権化が)
僕はパイプ椅子の上から、その凄惨な光景を冷ややかに実況した。
暴力や暴言ではない。『意識高い系カタカナ語』という見えない鈍器で、顧問に就任したばかりの新米教師を容赦なくタコ殴りにする。これもまた、里見さんとはベクトルの違う『狂気』である。
生徒を導くはずが、全く意味の分からない横文字の連発に脳がショートし、佐倉先生のHPは早くもイエローゾーンに突入していた。
「あ、あはは……花見川さんは、ずいぶん難しい言葉を知ってるんだね……先生、ちょっと勉強不足で……」
涙目で後ずさる佐倉先生。
もはや完全に戦意喪失である。よし、このままトドメを刺して帰ってもらおう、と思った矢先――。
ブルルルルンッ!! ガガガガガッ!!
突如、旧校舎を揺るがすような爆音が廊下に響き渡り、ドアが勢いよく蹴り開けられた。
「千葉くん! 徳川埋蔵金の発掘準備ができました!」
満面の笑みで立っていたのは、我らが歴史研究部が誇る厄災、里見 結菜である。
彼女の両手には、どう見ても高校の部室に持ち込んではいけない代物――土木作業用のガチなエンジン式ドリル(アースオーガー)が握られていた。
セーラー服にエンジン式ドリル……これはもう、狂気を通り越してホラーだった。
「ひぃぃぃっ!? な、なになになに!? なんで女子高生が工事現場の機械持ってるの!?」
「あ、佐倉先生ですね! ちょうどよかったです。引率をお願いします! 家康が実際にこの地を訪れていたという、確たるエビデンスを見つけましたから!」
「エビッ!? いや、そんな機材どこから……ていうか危ない! エンジン切って! お願いだからぁぁぁっ!」
里見さんの放つIQ3の圧倒的カオスと、無情に轟くドリルのエンジン音。
佐倉先生が掲げていた『熱血学園ドラマ』の薄っぺらい炎は、その物理的な暴力の前にあっさりと吹き消された。
「……里見さん」
僕は深くため息をつき、手元の『タイタンの妖女』を机に置いた。
「確かに、家康はこの辺りに鷹狩りに来たという記録は残っているが……なんで幕府の初代将軍が、わざわざ趣味のレジャーに国家の御用金を持って来るんだよ。少しは頭を使え!」
「……ほへっ?」
「『ほへっ?』じゃない。常識だ!」
自身の蒙昧を信じて疑うことなく、キャッキャと無邪気に笑う純真無垢な陰謀論女子と、唸りを上げるエンジン式ドリル。
そして、彼女の狂気に少し耐性ができたのか、若葉は呆れた顔で他人事のように傍観している。
「……先生、今日はなんだか……体調が優れないので、帰ります……」
生徒に寄り添うという理想論が、物理と狂気の前に完全敗北した瞬間だった。
佐倉先生は完全にハイライトの消えた虚無の瞳で、「教師やめたい……」などとブツブツ呟きながら、ゾンビのような足取りで廊下の奥へと消えていった。
(……ああ。これで彼女も、この部室の現実を骨の髄まで理解しただろう。二度とこのシャングリラには来るまい)
僕はエンジン式ドリルを持ったアホを適当にあしらうと、再び本を開き、ようやく訪れた平穏な読書タイムに身を委ねた。
――しかし、翌日の放課後。
バンッ!!
「こんにちは歴史研のみんな!! 今日も明日に煌めいて元気に青春の汗を流そう!!」
そこには、昨日の絶望など嘘のようにHP満タンで部室に乱入してくる、ロウリュサウナみたいに暑苦しい笑顔の佐倉先生の姿があった。
(……不死身かよ?)
僕は心の中で彼女を『不死身の青春特売所』と命名し、この二日間で一番深いため息をついたのだった。
ああ、今日も僕の平穏な読書時間を、簡単には守らせてくれないようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
新任の国語教師・佐倉先生の暑苦しい熱血ぶりと、それに容赦なく浴びせられる歴史研の狂気(ロジハラ&カタカナマウント&エンジン式ドリル)、いかがだったでしょうか?
次回(第10話)は、来週火曜日の【12:20】に更新予定です!
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次回、火曜日のお昼にお会いしましょう!




