第8話:サファリパークのコモンピープル
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラ……のはずだったのだが、昨日のアーバンガール入部騒動から一夜明け、僕らは新たな顧問(生贄)を求めて、職員室の前に立っていた。
「さあ、行きましょう千葉くん! 我々歴史研の輝かしい未来(新顧問)を手に入れるために!」
職員室という空間は、さながらよく管理されたサファリパークだ。
僕は扉の前に立ち、廊下側の窓越しにそこに生息する大人たちの間抜けで平和な生態系を観察していた。
窓際では、定年目前のベテラン教師が、湯呑みを片手に虚空を見つめながら、ひたすら人生の消化試合をこなしている。
中央のデスクでは、若手の体育教師が、生徒の成績表よりもプロテインの成分表を真剣な顔で睨みつけていた。
そして、生徒が質問に来そうな気配を察知すると、誰もがサッと視線を落として、書類を探すフリ(擬態)を完璧にこなす。見事な防衛本能だ。
彼らは波風を立てず、文科省が掲げる『働き方改革』という薄弱なフィクションを信じるフリをしながら、終わりの見えないサービス残業(定額働かせ放題)というサバイバルを必死に生き抜いている。
だが、そんなギリギリのバランスで保たれているサファリパークに、『セーラー服の悪魔』こと、里見 結菜という劇薬(外来種)が投下される。
僕の隣では、なぜか『顧問募集中』と書かれたタスキを掛けた里見さんが意気揚々と鼻息を荒くし、昨日フライドチキンに陥落したばかりの若鳥が、周囲の目を気にして最高級オーガニックコットンの袖を噛み締めながら震えている。
「……なんで私までこんな目立つ真似を。オーガニックじゃない……全くサステナブルじゃないわ……」
僕は小さくため息をつき、サファリパークの扉に手をかけた。
さあ、厄介な害獣(僕ら)のお通りだ。大人たちの醜い生存競争(ババ抜き)を始めよう。
「失礼します。歴史研究部ですが」
ガラリ、と扉を開けた瞬間。
――ピタリ。
それまで和やかだったサファリパークの空気が、文字通り凍りついた。
僕らの姿を視界の端に捉えた教師たちは、一瞬にして目を逸らし、ある者は引き出しを無意味に開け閉めし始め、ある者は急に電話の受話器を取って存在しない相手と話し始めた。
「あ、あー……もしもし? はい、ええ、そうです。ですからその件は……」
「うーん、この数式は実に難解だな……」
見事なまでの危機回避行動だ。ちなみに数式を睨んでいるのは現代文の教師である。
彼らの頭の中には『歴史研=不発弾と鯉の狂人=関わったら胃に穴が開く』という悪夢の方程式が完全にインプットされているのだ。
僕らが一歩足を踏み入れると、モーセの十戒のごとく、スゥーッと見事なまでに教師たちの間の道が開けた。
「な、なんなんですか、このあからさまな避けられ方は……!?」
若葉が震える声で呟く。
「そりゃそうさ。誰だって、ババ抜きの『ジョーカー』は引きたくないからね」
「ちょっと先生方! GHQによる愚民化政策の洗脳から私たちの輝かしい青春を解放してくれる、熱意ある顧問の先生はいませんかー!?」
里見さんが無邪気に声を張り上げると、ベテラン教師たちがビクッと肩を揺らした。
「あー、里見さん。僕は今年から、ほら、花壇の水やり係という重責があってね……」
「私は最近、痛風の兆候が……いや、五十肩が酷くてね……」
いい大人たちが、中学生レベルの言い訳で必死にババを回避しようとしている。
そんな中、僕の視線は、部屋の奥で必死に息を潜めている一人の男を捉えた。以前、浮気写真で弱みを握った、地理歴史科の柏葉先生だ。
僕と目が合った瞬間、柏葉先生の顔面が蒼白になった。
――(ヒッ……あいつ、また何か脅しにきたのか!?)
彼の心の声が、手に取るようにわかる。
柏葉先生は脂汗を流しながら、隣のデスクに座っていた人物――今年赴任してきたばかりで、まだこの学校の裏事情を何も知らない『新任の国語教師』の肩を、ガシッと力強く掴んだ。
「佐倉先生!!」
「へ? は、はい。なんですか柏葉先生」
「君の情熱! 若さ! まさにこの歴史研の顧問にふさわしい! 私から教頭に推薦しておこう! さあ、彼らの熱い思いを受け止めてやってくれたまえ!!」
「えっ!? あ、いや、私、まだ右も左も……」
「素晴らしい! 決定だ!!」
柏葉先生は汚い大人の笑みで、クズなファインプレーを炸裂させる。
何も知らない哀れな新米教師を、歴史研という名の祭壇に生贄として捧げたのだった。
「えっ? えっ? 顧問? 私がですか?」
突然の無茶振りに、今年大学を卒業したばかりだという、国語科新任の佐倉 旭先生は、丸い目をパチパチと瞬かせている。
いかにも熱血ドラマに憧れて教師になりました、というような、短く切り揃えたショートヘアにスーツ姿の、ハツラツとした23歳の新米女性教師だ。
サファリパークに迷い込んだ、哀れで純粋なバンビ(小鹿)である。
だが、この千載一遇のチャンス(生贄)を、歴史研のカオスな猛獣たちが見逃すはずがなかった。
「本当ですか!? 佐倉先生、ありがとうございます!!」
「あ、あの! これに入部届のハンコをお願いします! 何でもいいですから、早く!」
佐倉先生が状況を飲み込む前に、里見さんと若葉が左右から一気に距離を詰める。
特に若葉の必死さは異常だった。彼女にしてみれば、入学早々、自らのオーガニックな尊厳を売り渡した上に、職員室でこんな腫れ物扱い。不本意でしかない。
要は、とっととハンコを貰って立ち去りたいのだ。
「わわっ、ちょっと待って! 君たち、すごい熱気だな……ええと、ここに入部届の印だね?」
若葉が用紙を押し付け、里見さんが背後への逃げ道を塞ぐ。
他のベテラン教師たちは「佐倉先生、すまん……!」という同情の視線を向けながらも、誰一人として助け舟を出そうとはしない。見事なトカゲの尻尾切りだ。
しかし、佐倉先生は嫌がるどころか、ポンッと胸を叩いて、眩しいくらいの笑顔を向けた。
「うん! 歴史研究部だね! 君たちの燃えるような青春の熱意、この佐倉 旭がしっかりと受け止めたよ! 一緒に素晴らしい青春の歴史を刻んでいこうじゃないか!」
……しまった。どうやらこの新米教師、ただの気弱な小鹿ではなく、重度の『学園ドラマ病(熱血理想論者)』を患っているらしい。
彼女の目には、里見さんの狂気も若葉の必死さも、「部活動に打ち込む生徒たちの純粋な輝き」としてスーパーポジティブに変換(誤訳)されているのだ。
佐倉先生は根本的に人が良いのだろう。
よく確認もせず、若葉の差し出した入部届だけでなく、里見さんがドサクサに紛れて差し出した『顧問就任承諾書』に、スラスラとサインをしてしまった。
「……ああ、やっちまったな」
僕は職員室の扉の近くで、小さく十字を切った。
一度サインをしてしまえば、最後。彼女はこれから、不発弾処理から他国のスパイ疑惑、そしてKGBの昆虫型盗聴器の処理まで、あらゆる不条理の責任(尻拭い)を負わされることになるのだ。
「ふう、これで面倒な手続きも終わりました」
「ありがとうございます佐倉先生! さっそくですが、明日は徳川埋蔵金を探しに近所の湖畔で地面を掘削しますので、ご引率をお願いします!」
「えっ……? 地面……くっさく?」
佐倉先生の『生徒に寄り添う熱血教師』の笑顔が、ピシリと固まった。
しかし、もう遅い。インクは乾いてしまったのだ。
僕は静かにサファリパークの扉を閉め、この残酷な生存競争の結末に背を向けた。
全体主義的な学校社会において、安売りされた薄っぺらい青春は、本物の狂気の前にはあまりにも無力だ。
ああ、今日も歴史研の輝かしい未来は、一人の善良なコモンピープルの犠牲により、守られたのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
皆様、GWはいかがお過ごしでしょうか?
お休みでリラックス中の方も、お仕事・学校でお忙しい方も、歴史研のドタバタ劇で少しでも日々の疲れ(不条理)を笑い飛ばしていただけたら嬉しいです!
ついに歴史研に新たな生贄……もとい、学園ドラマのような熱血青春を夢見る新任の佐倉先生が顧問として就任してしまいました(笑)
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皆様からいただく温かい星(評価)とご感想が、佐倉先生の教師生活を前途多難にしていきます。
それでは、金曜日に次回のエピソードでお会いしましょう。引き続き、良いGWをお過ごしください!




