第52話:ラプラスの箱と、絶対零度の国家戦略
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
……ではなく、お盆も過ぎた、閑静な住宅街の魔窟――里見家。
リビングでの狂ったホームドラマ(結納)から逃れ、僕はモッドガール姿の智菜に手を引かれて二階へと続く階段を上る。
その途中、明らかに禍々しいオーラを放つ部屋の前を通りかかった。
おそらく破損跡を何か所も木のボードで塞いだドアには、黄色と黒のバリケードテープがバツ印に貼られ、『極秘・立入禁止』という物々しい警告書きがされている。
「えーと……ここは、もしかしなくても里見さんの部屋?」
「ええ。まさか『ラプラスの箱』を開けたいんですか?」
「いや……大丈夫」
開けたら最後、世界(日常)が崩壊する。
そんな確信めいたものを直感し、僕は何も見なかったことにして静かに首を振った。
そうすると、隣の智菜の部屋の扉が静かに開かれる。
そこは、中学生の部屋とは思えないほど小綺麗な空間だった。
しかし、その内装を見て僕は思わず息を呑む。
大きな本棚には実用書や哲学書の類が整然と並んでおり、床にはユニオンジャックの敷物。
壁には、英国発祥のモッズカルチャーの象徴であるターゲットマークが吊り下げられている。
そして、ダークウッドの机や椅子も、クラシカルな英国風で隙なく揃えられていた。
(……まるで舞台セットみたいに僕好みこの上ない空間だ。一体どれだけプロファイリングすれば、こんな部屋が作れるんだ?)
精神的英国人を自称する僕のトラディショナルな美学を、完璧にハッキングしたかのような理想郷。
戦慄する僕に対して、智菜はおもむろに自分のベッドを指差した。
「先輩、とりあえずそこに座ってください」
「いや……僕は床で」
「先輩を地べたに座らせるわけにはいきませんから」
嫌な予感はしつつも、もてなしを断る理由もなく、僕は仕方なくベッドに腰掛ける。
すると、智菜も当然のように、肩が触れ合うほどの至近距離で僕の隣に座ったではないか。
(な……何を考えているんだ、この中学生は?)
僕が全身を硬直させていると、智菜は僕の方を向き、秘密を打ち明けるように小さく溜息を吐いた。
「さっきはすみませんでした。ああでも言わないと、両親は先輩と姉を無理矢理くっつけるまで帰さなかったでしょうから……」
「ああ……そういうことか。助かったよ」
やはりあれは、狂った両親の圧力と里見さんから僕を救い出すための、彼女なりの機転だったのだ。
疑心暗鬼にかられながらも、僕が安堵の息を漏らした、その時。
「千葉先輩、それでなんですが……」
智菜は真剣な眼差しで、とんでもない提案を口にした。
「両親を完全に安心させ、姉とのフラグを折るために……私を、先輩の『偽装彼女』ということにしませんか?」
「…………は?」
僕は思わず、デジャブを感じて遠い目をした。
花見川 若葉の婚約騒動に続き、今度は里見 智菜も全く同様の提案をしてきたのだ。
(もしかして、偽装恋人って最近流行ってるのか……?)
使い古されたラブコメのお約束(天丼)に対して、完全に枯れたツッコミを心の中で呟く僕。
しかし、アーバンで隙だらけだった若葉と違い、目の前の絶対零度の知能犯は、完璧なロジックで僕の退路を断ちにかかってきた。
「流石にそれは、過剰防衛じゃないか? 何かあったとき(家族や周りにバレたとき)のリスクの方が大きすぎる」
「いいえ、『汝平和を欲さば、戦争に備えよ』……。抑止力というのは、一見過剰すぎるくらいでないとダメなんです」
たかが、中高生の偽装恋愛関係に、国家規模の生存戦力を主張してくる智菜。
しまった。若葉とは違って、ロジックで否定するのは悪手だな。
「しかし……終わりのない戦争(嘘)に突入してしまう可能性がある」
「『嘘も方便』です。誰かを救ったり、守ったりする美しい嘘は、残酷な真実よりもかえって人の為だったりします」
「いや……そもそも僕は救われない気が……?」
根本的な矛盾に気づきかけた僕に対し、智菜はついに身を乗り出し、顔を至近距離まで近づけてきた。
「いいですか、千葉先輩。これは里見家という不条理なシステムから先輩を保護するための、最も合理的かつ強固な安全保障条約なんです」
「ちょ、近い! ちょっと待って……」
「千葉先輩! 絶対にそうすべきです! バスに乗り遅れるなです!」
ベッドの上で、智菜が僕を押し倒さんばかりの勢いで迫ってくる。
彼女のほのかな甘い香りと、逃げ場のない絶対零度の圧に、僕の最終防衛ラインが限界を迎えようとした――その瞬間だった。
――ガタガタ! ギュイーーーーーンッ!!
隣の部屋(ラプラスの箱)から、室内にあるまじき重たいエンジン音が鳴り響いた。
――バリバリバリッ!!
次の瞬間、僕たちのもたれかかっていた背後の壁を、鋭い『チェーンソーの刃』がぶち抜き、上から下へ向かって石膏ボードごと乱暴に切り刻んでいったのだ。
「な……なんだ!?」
ホラー映画のような惨状に驚愕し、僕は悲鳴を上げてベッドから飛び退く。
しかし、智菜は全く動じることなく、ただ呆れたように深く溜息をついた。
「姉さん、また? いい加減にして!」
すると、チェーンソーの轟音が止まり、ドタドタと激しい足音を立てながら、智菜の部屋の扉がガチャリと開く。
体裁の悪そうな笑みを浮かべて入って来た里見さんの手には、しっかりとオイルまみれのエンジン式チェーンソーが握られていた。
「智ちゃん、ごめんなさい。対敵国・ディープステート用に室内戦闘訓練をしていたら、間違って壁に当たっちゃいました!」
頭を掻いて苦笑いをしながら申し訳なさそうにする姉と、「姉さん、家の中でチェーンソー振り回すなっていつも言ってるでしょ」と日常茶飯事と言わんばかりに慣れた様子で姉を詰めだす妹。
ぽっかりと一直線に口を開けた壁の切断痕からは、隣の部屋(ラプラスの箱)の得体の知れないカオスな惨状がチラリと見えている。
(……どんなに理路整然とした正論を並べようと、こんなチェーンソーが壁を突き破ってくる狂気のインフラにだけは、絶対に組み込まれてはいけない)
ああ、この世の終わりみたいな惨状を目の当たりにし、僕は『光栄ある孤立』を貫こうと、強く、そして固く心に決意したのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
【第52話】は、魔窟・里見家の最深部(智菜の部屋)での密室劇でした。
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千葉くんの『光栄ある孤立』はいつまで守られるのか……!?
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