第47話:山小屋の洗礼と、夏の夜の夢
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
……ではなく、標高3000m級の高山の頂。
悪魔的美味しさのカップ麺と日本アルプスの絶景を堪能した僕たちは、興奮冷めやらぬまま、本日の宿泊地である山小屋へと到着した。
木の看板にでかでかと『院望小屋』と書かれた掘っ立て小屋。木材とトタンのちぐはぐな造りが、下界から隔絶された異世界感を醸している。
「松尾先輩! お邪魔致します!」
「ああ、よく来たな、佐倉。みんな疲れてるだろうから、夕食までゆっくり休んでおくといい」
笑顔で出迎えてくれたのは、素朴で爽やかな短髪の青年だった。
佐倉先生の大学の先輩らしく、なんでもこの山に魅了され、勤め先を辞めて管理人になったのだという。
世間一般から見れば立派な世捨て人なのだろうが、人間嫌いな僕にとっては、その生き方が少しだけ羨ましくも感じられた。
案内された山小屋内で、僕らはトイレや寝室など、一通りの設備を確認していく。
そんな中、周囲をキョロキョロと見渡していた挙動不審な若葉が、不思議そうな顔をして僕に尋ねてきた。
「あれ……千葉先輩……お風呂……は?」
「水が貴重な山の上に、風呂なんてあるわけないだろ。あと、ここで流した水は下に直接流れていくから、歯磨き粉とかも使うなよ」
「そ……そんな!? シャワー楽しみにしてたのにぃぃーー!!」
お風呂があると完全に勘違いしていた若葉は、「シャワーなし」の現実に膝から崩れ落ちて絶望した。
それと同時に、わざわざ汗水たらして運んできた『重いガラス瓶に入ったオーガニック化粧水』やら、『かさばるバスタオル』などの不要なアメニティーが、ただの無用の長物(ただの重り)と化した事実に白目をむいている。
この間抜けな苦行者には、ある意味リスペクトすら感じる。
一方、里見さんはといえば、売店で売られているペットボトルの値段を見て戦慄していた。
「み、水が一本五百円!? こんな山奥にまで、国民から搾取しようという財務省の陰謀が張り巡らされているというのですか……!?」
「ヘリや歩荷で運ぶ輸送コストだ。財務省もそんなミクロな陰謀を企てているほど、暇じゃないと思うぞ」
次々と山小屋の洗礼を浴び、絶望の淵に沈む女子たち。
それとは裏腹に、僕は束の間の静かな読書時間に浸っていた。
それでも、夕食の時間に出されたシンプルなカレーライスを口にした瞬間、二人はまたしても号泣することになった。
「これぞクワッド(Quad)……『自由で開かれたインド太平洋』の賜物ですね!!」
「あぁー! この小麦粉のドロッとした歯触りと、マイルドなスパイスが染み渡りますぅぅーー!!」
インド発祥のスパイスと日本独自のルウ文化の融合を、地政学と陰謀論のフィルターを通して讃える里見さん。
そして、普段なら「本場スパイスの無水カレー」あたりでマウントを取りそうなアーバンガールが、いかにも山小屋らしい素朴な小麦粉カレーを大絶賛している。
もはやアーバンさの欠片もない彼女たちの姿に、僕は大自然の偉大さを改めて思い知るのだった。
* * *
――夜。
消灯時間も近づき、僕は一人、外に出て満天の星空の下で涼んでいた。
街の光が一切届かない標高三千メートル弱の山奥。
その星空は、どんな甘美な言葉を紡いでも足りないくらいに美しかった。
「チーバ先輩! 星空なんか見て黄昏ちゃって。何らしくないことしてるんですか?」
背後からひょっこりと顔を出したのは、ようやく疲労と絶望から回復した様子の若葉だった。
「いや、星座の観察だ。肉眼でここまで正確に観察できるのは、貴重な機会だからな」
「ブレませんね……。せっかくだから、私にもどれが何座なのか教えて下さいよ!」
面倒ではあったが、興味を持った後輩を無下にできないのも事実だ。
僕は燦然と光瞬く星空に指を差して、解説を始める。
「あそこのかなり高い位置で一際明るいのが、『こと座』のベガ……その右下に、次に明るい星が『わし座』のアルタイルで――」
「え? え? どれですか? 小さすぎて琴だかワシだか分かりませんよ!」
星空を指差す僕の右腕に顔を近づけ、若葉が少しわざとらしく目を凝らす。
シャワーを浴びていないはずなのに、彼女からはアーバンな甘い香水の香りが漂ってきて鼻腔をくすぐる。
「あとでネットで調べろ。……ベガの左下のもう一つの星が『はくちょう座』のデネブ。それで、ベガ・アルタイル・デネブを結んだのが、有名な『夏の大三角』だな」
僕の解説に、目を凝らしながら分かったような分らんような顔をする若葉。
やはり薄っぺらいアーバンガールには難しかったのか、彼女は白々しく話題を変えようとしてきた。
「そういえば先輩! うちの両親が、また先輩を家に連れてくるように言ってました。どうしましょうか……?」
ああ、そういえばこないだの一件以降、彼女の家族の中では、僕らは偽装交際を続けていることになっていたんだったか。
何だか、妙に気に入られてしまって、すぐに別れたなんて言いにくい……。
「ああ、結局まだ付き合ってることになってたな……。まあ、ほとぼりが冷めたら、別れたことにでもしよう」
「ふふ、そうですね……。ほとぼりが冷めたらにしましょう!」
若葉は少し含みを持たせたように微笑み、何故だかとてもご機嫌のようだった。
「ところで先輩、星も綺麗ですけど……月もほら!」
「え……ああ、そうだな。空気が澄んでて、普段より良く見えるな」
「えーと、そうじゃなくて! 普段より良く見えて、どうなんです?」
僕の顔を覗き込み、こぶしを握って必死に何かをアピールしてくる若葉。
何となく彼女の意図はわかったが、文学リテラシーの高い僕に対してそういう方向に仕向けるのは、愚策でしかない。
(どうせ『月が綺麗ですね』って、夏目漱石のエピソードを持ち出して、僕に文学的なマウントをとろうって魂胆なんだろ?)
生意気に、僕に文学マウントを取ろうとするとは。
他のことでならいざ知らず、僕の土俵でいい度胸だ。軽く蹴散らしてやる。
「そうだな。普段より良く見える分、表面のクレーターなんかも鮮明に見えるな」
「違ーう! そうじゃないんですぅー!!」
顔を真っ赤にしてムキになるアホな後輩を揶揄っていると、その騒ぎ声を聞きつけてか、山伏姿の武石がご機嫌そうに歩み寄って来た。
「これは上総介(千葉)様! 今宵は誠に月が綺麗にござりまするな!」
「「お前が言うんかい!!」」
明後日の方から完璧なフラグを回収していく武石に対し、僕と若葉のツッコミが見事にユニゾンした。
「え……あ? 某、何かよからぬことを言いましたかな?」
理不尽なツッコミを浴びて不思議そうに首を傾げる武石を尻目に、僕と若葉は堪らずケラケラと笑い出す。
美しい星空の下、南アルプスの稜線に僕らの笑い声が静かにこだましていった。
その後、消灯時間を迎えて自分の布団に入った僕は、微かな寝息が聞こえる暗闇の中でゆっくりと目を閉じた。
(……ハチャメチャだったが、悪くないな……)
ああ、無意識のうちに少し口角を上げている自分に気づきながら、大自然に抱かれた静かな山の夜が、ゆっくりと更けていくのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
【第47話】は、山小屋での洗礼と、星空の下のすれ違いラブコメ(?)編でした!
無用の長物と化したデバフ装備の絶望と、完璧なフラグをへし折るバグ(武石)の襲来回でした。
もし「シャワーなしで若葉ちゃん涙目草」「クワッド(日米豪印戦略対話)カレーww」「武石、お前が言うんかい!」と楽しんでいただけた方は、
ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!
あわせて【ブックマーク追加】もしていただけると、とても嬉しいです!
皆様からの温かい応援(評価やご感想)が、このあとの下山でも若葉ちゃんに更なる不憫な試練を与えるかもです。
今後ともよろしくお願いいたします!




