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第46話:森林限界の彼方と、ディープステートですら届かない神域

 どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。

 ……ではなく、下界から遠く離れた天界への入り口。

 


目指すは日本アルプス屈指の霊峰、院望岳(いんぼうだけ)。

 先程までの薄っぺらいマウントはどこへやら。

 登山口から一歩足を踏み入れた瞬間から、若葉の『涙の行軍』は幕を開けた。



「ひぐッ……はぁ、はぁ……む、ムリー! 千葉先輩ぃ……!」



 開始早々、文字通り涙目になりながら僕のザックの端を掴んで泣きついてくる若葉。

 あまりのペースダウンに、仕方なく一行は予定外の休憩を余儀なくされた。



「……とりあえず、一回荷物降ろせ」



 半泣きの若葉から強引にザックを奪い取り、僕はため息をつきながら中身を改める。

 すると、出てくるわ出てくるわ。重いガラス瓶に入ったオーガニック化粧水、絶対に山では使えない(そもそも電源がない)コードレスヘアアイロン、無駄にかさばる大判のバスタオル……。

 不要な着替えやアメニティーがこれでもかと詰め込まれている反面、肝心な水や行動食はほんの気休め程度しか入っていなかった。



「……あのな。なんだこの舐めプ装備は?」

「だってぇ……山小屋でも、アーバンな清潔感は保ちたいじゃないですかぁ……っ」

「そんなもん、そのおこがましさと一緒に麓のコインロッカーに叩き込んでこい!」



 壊滅的なパッキングに呆れ果てて壮大な溜息を吐きつつも、僕は仕方なく若葉の荷物の一部(比較的マシな衣類など)を自分のザックに移し、軽量化を図ってやった。



「うう……ありがとうございますぅ! 千葉先輩!!」

「容量を増やせるザックにしといて、初めて良かったと思ったよ……」

「ふふっ。ピンチの仲間との助け合いとは、絵に描いたような青春だね!」



 と、顧問の佐倉先生が気楽に笑うが、これはもう助け合いというか、一方的な『介護』である。

 肩への負担がいくらか軽減され、何とか息を吹き返した若葉に自分の水を与え、僕は必死の介護で彼女を引っ張り上げて行く。

 それでも、足元のアルパインブーツの激重デバフはどうにもできず、僕らは多めの休憩を挟みながら、樹林帯の急登をノロノロと進んでいく。



 初登山で早くも虫の息となっている若葉とは対照的に、フィジカルチートの里見さんと、普段から無駄に着込んで鍛えている(?)武石は、意気揚々と登山道を駆け上がっていた。



「見ましたか武石くん! この岩肌の不自然な削れ方……一万年前の超古代日本文明が残した、宗教施設の残骸ですね!」

「なな……なんと! 流石は安房守(里見)様! かような山奥の秘境で古《いにしえ》の痕跡を見抜かれるとは、博識でござりまするな!」



 こっちは若葉の介護で胃に穴が開きそうだというのに、こいつらときたら……。

 僕の当初の予感は見事に的中し、大自然に浸って心が洗われるどころか、周りのアホどもに振り回されっぱなしだった。



 出発して一時間ちょっと。

 ようやくルートの三分の一を踏破したあたりで、佐倉先生が「水場があるよー」と声を上げた。

 登山地図を確認して少しわき道に入ると、苔生した岩の間に通された細い塩ビ管から、冷たい水がちょろちょろと湧き出ていた。

 まさに、登山道におけるオアシスである。



「ふう、水場が枯れてなくて助かったな」

「ごくごく……はあー! 生き返りますぅー!」



 若葉が涙目になりながら、岩肌に手をつき、乾いた喉に湧水を直接流しこむ。

 出処のわからない水など普段なら絶対に口にしないアーバンガールが、野生動物のように水を貪っている。



 空になったペットボトルに水を補給し、僕は密かに胸をなでおろしていた。

 出発早々に水を飲み干した若葉に自分の水を分けてやったことで、予想以上に水を消費してしまっていたからだ。



 僕が分けてやった行動食 (ミックスナッツとドライフルーツ)の詰め合わせを、若葉は無言で貪り食っている。

 花見川家のブルジョアな財力など、この過酷な山では全く役に立たない。

 大自然の前では、人間など等しく無力なのだ。



(まあ、遭難した時の捜索費用だけは心配なさそうだが……)



 そんな黒いロジックを脳内で展開しながら、僕らは再び重い足を踏み出した。



* * *



 単調で過酷な樹林帯の急登。

 湧き水でなんとか一命を取り留めた若葉を引っ張り上げながら、さらに二時間……。

 次第に周囲の木々の背が低くなり、ゴツゴツとした岩肌が目立ち始めた。



「みんな、もう少しだよ! ここを抜けたら……『森林限界』だ!」



 先頭を歩く佐倉先生の明るい声と共に、視界を遮っていたハイマツ帯を抜ける。

 慣れないガレ場に四苦八苦する瀕死の若葉を尻目に、里見さんと武石がワーッと駆け出す。



 ――その瞬間、強烈な太陽の光と、冷たく澄んだ強風が一行を包み込んだ。



「うわぁ……さぶ!」



 突如として目の前に広がったのは、どこまでも連なる日本アルプスの壮大な稜線と、果てしなく高い青い空。

 西の空の眼下には、まるで天国のように真っ白な雲海が広がっていた。

 暗く鬱蒼とした樹林帯から一転、別世界のような絶景に、僕らは思わず言葉を失う。



 初登山で文句ばかりだった若葉も、疲労を忘れたように膝から崩れ落ち、ただ呆然とその景色を見つめている。



「これが……ディープステートの手でも及ばない、真の世界の姿……!」



 里見さんでさえも、いつもの狂ったテンションを忘れ、神妙な顔で景色に見入っていた。



(※相変わらず言っていることはおかしいが、彼女なりに感動しているらしい)



「さあ、みんな! ここが霊峰院望岳の山頂……標高2929mだ!!」



 山の名前が力強く彫られた木のオブジェ。

 そしてその傍らにひっそりと設置された一等三角点が、ピークハントの興奮と達成感をわき立たせる。



 ヘロヘロだった若葉でさえ、疲れを忘れて目を輝かせ、スマホを取り出しては絶景をバックに自撮りと風景写真を撮りまくっている。



「こらこら、はしゃぐ前に、まずはこの山の神様にご挨拶だよ!」


 

 興奮冷めやらぬ面々を制止するように、佐倉先生が声を上げた。

 山頂のオブジェの先にひっそりと佇む、石と木で作られた簡素で小さなお社。

 院望神社の奥の院へ向かって、僕らは二礼二拍手一礼してお参りをする。



 嫌に様になってる山伏姿の武石。

 そして、IQ3の面々にも清々しくも厳かな雰囲気が漂う。



「みんな、いくら青春でも、山に登らせてもらっているって気持ちを忘れちゃダメだよ!」



 と、珍しく常識的な大人ムーブの佐倉先生。



「お参りも済んだことだし。後は皆一緒に青春の一ページ……いや、青春の一枚を撮ろうじゃないか!」



 再び山頂のオブジェ前に集まり、近くにいた登山客に若葉がスマホを預ける。



「いいよ僕は。自分たちだけで撮っておけ」

「何言ってるんですか! せっかくみんなで来たんだから、先輩も空気読んでくださいよ!」

「千葉くん! これは単なる一枚の記念写真ですが、人類にとっては偉大なる一枚なのです!」

 


 あまり気の進まない僕の両手を、若葉と何を言ってるか分からない里見さんが強引に引っ張り、紆余曲折ありながら、結局は全員で山頂の記念写真を撮ることになったのだ。




* * *




 その後、絶景を見渡せる見晴らしの良い岩場に腰を下ろす。

 下界は真夏日だというのに、ここは岩陰にいないと強風で肌寒いくらいだ。



「さあ、お待ちかねの山頂グルメの時間だよ!」



 佐倉先生がザックから取り出したのは、コンパクトな登山用ガスバーナーとコッヘル(鍋)だった。



 カチッ、ゴォォォォォ!



 と、バーナーが力強い音を立てて湧き水のお湯を沸かし始める。



 疲労困憊で座り込む若葉たちの前に、満を持して差し出されたのは――。

 スーパーの特売で買ってきたような『激安のカップ麺』だった。



「え……お昼って、カップラーメンですか?」


 

 今までの涙と鼻水の行軍は何だったのか……。

 若葉が信じられないという、悲壮感全開の顔をする。 



「添加物とか、塩分、油分、化学調味料の塊じゃないですか……。全然オーガニックじゃないし、サステナブルでもないし、身体に悪いです……」

「お前はさっきまで死にかけてたんだ。山頂の低気温と疲労した身体には、塩分とカロリーと温かい汁こそが『正義』だ。四の五の言わずに食べろ」



 文句を垂れる若葉の手に、僕は強引にホカホカのカップ麺を押し付けた。

 一方、里見さんはといえば、真剣な顔でカップ麺の粉末スープを凝視している。



「ま、待ってください千葉くん! この白い粉……まさか、ビッグテック企業が開発した、大衆洗脳用のナノマシンでは……!?」

「日本の食品メーカーが作ったただの化学調味料だ。伸びる前に食べろ」



 僕は淡々と陰謀論をへし折り、全員に割り箸を配った。

 恐る恐る、カップ麺のスープを一口すする若葉。



「っ……!!」



 その瞬間――限界まで疲労し、塩分が枯渇した身体の全細胞に、ジャンクな旨味と強烈な塩分が染み渡っていくのが分かったのだろう。

 若葉の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。



「な、なにこれ……っ、美味しすぎ……! 悔しいけど、こんな化学調味料と塩分が、ボロボロの体に染み渡りますぅ……っ!」



 アーバンなプライドもサステナブルな信条もすべて山の彼方へ投げ捨て、涙をスープにこぼしながら、ズズズッ! と無我夢中で激安カップ麺を貪る若葉。

 隣では、里見さんも麺をすすりながら涙を流していた。



「ああっ……脳が……ディープステートの旨味成分に支配されていきます……! これは、抗えません……っ!」

「おおお! これぞまさに、戦場《いくさば》で食す武士の陣中食!!」



 武石に至っては、戦国武将が湯漬けを食べるように、岩の上に立ちあがって仰々しく麺をかきこみ、汁まで飲み干している。

 カオスな部員たちが、ただ一心不乱にカップ麺をすする音だけが、標高2929mの山頂に響いていた。



「ふふ! いいじゃないか、汗と涙に塗れた青春だね! このインスタントコーヒーで少しほろ苦くなっちゃうかな!」



 僕は、佐倉先生が淹れてくれたインスタントコーヒーを口に運ぶ。

 普段は紅茶派の僕だが、登山の後、山頂で飲む飲物はコーヒーだと古来より相場が決まっている。

 絶景を前に冷たい風の中で飲むそれは、どんなバリスタが淹れた一杯よりも美味く感じられた。



(……まあ、たまにはこういうのも、悪くないか)



 どこまでも広がり、幾重にも連なる壮大な山々の稜線と、彼方に薄っすらと見える下界の街並み。

 そして、たった数百円の三ツ星グルメに、粉をお湯で溶いただけの極上のカフェ……。



 ああ、僕らのカオスな夏休み合宿は、確かな感動と共に、青く澄んだ山頂の空へ溶けていくのだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


【第46話】は、歴史研の夏山合宿・山頂到達編!

アーバンガールの完全敗北(介護)と、絶景の山頂で食す究極の三ツ星グルメ(激安カップ麺)回でした。


もし「若葉ちゃんの荷物リアルに腹立って草」「千葉くんの圧倒的介護ww」「ディープステートの旨味成分で草」と楽しんでいただけた方は、


ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!

あわせて【ブックマーク追加】もしていただけると、とても嬉しいです!


皆様からの温かい応援(評価やご感想)が、まだまだ続く登山旅行編をサステナブルに彩ります。

今後ともよろしくお願いいたします!

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