第44話:花見川家訪問と、結婚相手の条件
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
……ではなく、風雲急を告げる花見川家訪問、夏の陣。
若葉から「親に付き合っている人がいるとカミングアウトした」という地獄のような事後報告を受けた僕は、週末、偽装彼氏として花見川家へ呼び出される羽目になった。
僕は休みだというのに学校の制服に身を包み、駅前で先日の余所行きとは明らかに違った、デート仕様のアーバンな装いの若葉と合流した。
僕の右手には、千葉家家訓『ここぞという時の手土産は、獅子屋の羊羹』がしっかりと握られている。
「先輩! 今日は本当にお願いしますね!」と、露骨に他力本願な若葉に溜息を吐きつつ、どこにも逃げ場のない戦場へと向かう。
やがて案内された花見川家の実家は、大名屋敷のような厳かで堂々たる門構えをしていた。
よく手入れされた松やマキの木が並ぶ広大な日本庭園を歩きながら、僕は心の中で毒づく。
(……玄関までは、一体何マイルあるんだ?)
年配の女性使用人に出迎えられ、巨大な城のような母屋の玄関を潜る。
通されたのは、ガチガチの由緒正しき日本家屋の応接間だった。
立派な木製の大きなテーブルを挟み、和装の厳格そうなお父様と、若葉の面影がある大和撫子なお母様が待ち構えている。
まさにカフカ的迷宮への上陸だ。
「よく来てくれたね。君が千葉くんか。娘から話は聞いているよ。若葉の父の稲生です」
「こんにちは、母の緑です。どうぞ楽にして」
「……初めまして。若葉さんとお付き合いさせていただいております、千葉総亮と申します。こちら、つまらないものですが、どうぞ皆様で」
僕は愛想の良い笑みを浮かべ、隙のない完璧なタイミングで『獅子屋の羊羹』を差し出した。
「あら、獅子屋じゃない! 私も大好きなんですよ」
見事に母親からの好印象を獲得したようだ。
完璧なファーストコンタクト。これなら無難にやり過ごせるかもしれない。
そう安堵しかけた僕に、お父様が深く頷きながら口を開いた。
「うん。高校生とは思えない見事な立ち振る舞い。若葉の言っていたことは本当だったようだね」
「……はい?」
「いやね、娘に千葉くんは花見川家に相応しい男なのかと訊いたら、ずば抜けて頭脳明晰で、大人顔負けの礼節も弁えているという話じゃないか」
「は……え……花見川さん?」
捏造された高すぎるハードルに、僕は困惑して隣の若葉を見た。
すると彼女は、話の腰を折るように父親を捲し立て始めた。
「ほらね! だから言ったじゃない! 私には千葉先輩がいるから、お見合いなんてする必要ないんだって!」
若葉のまさに取って付けたハリボテのマウントが、父親の機嫌を逆撫でさせる。
「何を言ってるんだ! 元々は、お前が花見川家の次期当主だという自覚が足りないのが原因じゃないか!」
「あなた、そんなこと、千葉くんのいる前で……」
「いや、千葉くんにも若葉と付き合うということが、どういう意味だか知っていてもらいたいんだ」
父親の威圧に、しゅんとなる若葉。
僕も、さっきまでの「とりあえず無難に切り抜けられそうな空気」が完全に消え去ったことを感じ取り、顔が強張る。
「千葉くん、知っているかと思うが、若葉は一人娘なんだ。つまり、若葉は花見川の家をいずれは継がなければならない。必然的に、結婚相手にはどういう条件が必要になるかわかるかい?」
「……婿養子、ですか?」
「そうだ。高校生の君に訊くのは酷かもしれんが、君は花見川に婿養子に来る覚悟はあるのかい? 若葉と付き合うということは、そういうことなんだ」
突如として重くのしかかる家督のプレッシャー。
その父親のスタンドプレーに、若葉がムキになって猛抗議を始めた。
「お父さん! そんなこと、今決めなくてもいいでしょ!! 今時、時代錯誤も甚だしいよ!」
「そんなことじゃない! 家を守るということは、お前が思っているよりずっと大事なことだ! 花見川家は普通の家じゃないんだ。いい加減、アーバンだのオーガニックだの、くだらないお遊びはやめて、将来のことに向き合いなさい!」
急所を突かれた若葉は、僕が隣にいるのも忘れて涙目で癇癪を起こす。
「いつもいつも……お父さんはそうやって、家家家……家のことばっかり! 私がホームステイしたいって言ったときも、美浜総合に行きたいって言ったときも……みんなダメダメダメ! 家なんて大っ嫌い!!」
「その分、お前には欲しい物は買い与えてきただろう! お前が今着てる服も、ブランド物のバッグも、こないだの高級和牛だって、普通の高校生には手に入らん高価な物だ! お前が嫌いという家から、どれだけの恩恵を受けているのか考えてみなさい!」
ド正論という名の暴力にいよいよ何も反論できず、若葉はぐっと唇を噛んで黙り込んだ。
(まずいな。お義父さんの筋は通っているが、若葉の感情を完全に無視し過ぎている。これでは軋轢が広がるだけだ……)
僕は地獄のような惨状を見かねて、小さく息を吐いた。
もとは望まぬ偽装彼氏だったとはいえ、後輩のあまりにもいたたまれない状況に、僕はついに話し合いへの介入を決意する。
「……お言葉のようですが」
「部外者の君は黙っていてくれ!」
「いいえ、さっきあなたは僕にも『聞いてもらいたい』と言っていたはずです。僕を巻き込んだということは、それはつまり、僕も部外者ではないということでは?」
「ぐぬぬ……確かに筋は通っている。いいだろう。言ってみなさい」
相手の言葉を逆手にとり、僕は見事に発言権を勝ち取った。
ここで父親を論破することもできるかもしれないが、それでは僕が嫌われるだけで、何の解決にもならない。
僕は沈黙でも共闘でもなく、第三の道を選ぶことにしたのだ。
「若葉さんが家を窮屈に感じるのは、別に本当に家が嫌いなのではなく、結婚相手を決めるという人生にとって最も重要なことですら、彼女に自由な選択肢がないからです。ですから、彼女が一定の年齢になるまでは、自分で花見川家に相応しい結婚相手を見つける猶予を与えてはどうでしょう? その間、彼女に過度な干渉はしない」
「……ほう」
僕のことを「小童が何を言い出すのか」と軽く見ていた、父親の表情が変わる。
いいぞ、僕の話に興味を持ったみたいだ。
「その代わり、リミットまでに理想の相手を見つけられなければ、若葉さんは親の決めた相手とお見合いして結婚する」
「なるほど。若葉の意思を尊重しつつ、最終的な家の存続も担保されるわけだ。だが、千葉くん。君自身はどうなんだ?」
「僕については、今すぐに婿養子になるかは決められません。それに、高校生の交際など将来どうなるか分かりませんから、もし二人が別れても互いに公平な調停であるよう、ご両親と若葉さんの間で、この条件で覚書を交わすのが一番平和的かと……」
スウェーデンとフィンランドの間で起きたオーランド諸島の領土紛争を平和的に解決に導いた『新渡戸裁定』から発想を得た、完璧な折衷案。
僕は真摯な顔を作って言い切った。
(よし、これで彼女の未来も担保しつつ、花見川の御家も守られる。更に、ちゃっかり僕もいずれ当事者から外れて安全圏に逃げられる……完璧だ!)
見事な『千葉調停』に、応接間は静まり返った。
やがて、父親が深く、深く息を吐き出した。
「若葉……すまなかったな。まだまだ子供だと思っていたが、こんなに聡明で思慮深い立派な男を見つけてくるとは……」
「本当ね……ついこないだ幼稚園に入ったばかりだと思っていたのに」
母親は目頭を押さえ、若葉の顔がパーッと明るくなる。
「そ……それじゃあ!」
「ああ、千葉くん。素晴らしい案だったが、そんなものもう必要ない」
「は……はあ」
ん? 必要ない?
嫌な予感がして背筋が冷たくなる僕に向けて、お父様はこれ以上ないほど温かい、全幅の信頼を寄せる笑顔を向けた。
「花見川家は、君の婿入りを全力で歓迎する! ご両親を説得する必要があれば、我々からも頭を下げよう!」
「いや……は……ええぇぇぇーー!?」
どうやら、安全圏への逃げ道として用意した完璧すぎる調停案が仇となり、両親の好感度が天元突破してしまったようだ。
自ら退路を断ち、更なる窮地(婿入り確定ルート)に陥った僕の絶叫が、応接間に虚しく響き渡る。
「えーと……うん、そうそう! 私は別に千葉先輩がその気なら、今から将来を約束してあげなくも……!」
と、目まぐるしい展開にやっと追いついた若葉が、妙な上から目線で親子揃って僕を追い詰めにかかる。
そんな時だった。若葉の母親が慌てた様子で声を上げる。
「あなた、そういえば、今日は確か先方の!」
母親の言葉に、お父様が「しまった!」とポンと手を打った。
「口約束の高校生の交際に、花見川家の未来を託すわけにはいかないと思って、実は我が家が総力を挙げて見繕った、将来有望で由緒正しい家柄の若葉の『お相手』を呼んでしまっているんだった!」
「お父さん! だから私、そんなお見合い絶対にお断り――」
「仕方ないだろ! 今日すべて決めるつもりだったんだから! まずいな、そろそろご挨拶にいらっしゃる手筈になっている……」
(聞いてないぞ! なぜ僕が偽装彼氏として乗り込んだ当日に、本命の許嫁がエンカウントするデバッグ漏れみたいな仕様になっているんだ!)
逃げ出す間もなく、廊下からドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。
そして、ついに応接室の襖が勢いよく開かれ、花見川家が太鼓判を押す「由緒正しい、将来有望な青年」が入室してきた。
「お初にお目にかかりまする! 某は由緒正しき武家の家系、武石 胤久にござりまする――って、ん? おや? 何故上総介(千葉)様と若狭(若葉)がここにおられまする?」
そこに立っていたのは、いつも通り烏帽子を被り、紋付き袴に身を包んだ不審者全開の落ち武者・武石だった。
「…………」
「…………」
僕と若葉の思考回路が完全に停止する。
(この厳格な父親が、家柄と血筋という肩書きだけで、こんな不審者全開の男を「将来有望なお相手」だと本気で信じ込んでいたのか……)
偉そうに家督や伝統を語っていた両親の、あまりにも壊滅的な見る目のなさ……。
僕は、一つのある真理に辿り着いた。
若葉のあの薄っぺらいアーバンへの執着や、どこかポンコツで不憫な性質は……どうやら間違いなく、この両親からの『遺伝』だったようだ。
「ええと……某、来る家を間違えましたかな?」
事態を飲み込めぬまま首を傾げる武石。
「こんなのとなんて絶対に嫌!!」と、露骨に拒絶し始める若葉。
完璧な婿候補の僕と、自分たちが見繕った男がなぜか顔見知りで、どうして娘が発狂しているのか分からず右往左往する両親。
カフカ的迷宮の応接間に広がる、逃げ場のない地獄のカオス空間。
僕はただ天井を仰ぎ見て、深いため息を吐いたのだった。
ああ、若葉の望まぬ婚約と僕への経済制裁、そして花見川家の未来は、無事に救われたようだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
【第44話】は、花見川家・実家潜入編!
完璧な『千葉調停』による華麗なる自爆と、まさかの許嫁エンカウント回でした。
もし「千葉調停の自爆ww」「武石、お前かよ!」「ポンコツは遺伝だった草」と楽しんでいただけた方は、
ぜひ、ページ最下部にある
【ブックマークに追加】と、
その下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!
皆様からの温かい応援(星やコメント)が、千葉くんと若葉の偽装恋人関係を、引き返せなくさせていきます!
今後ともよろしくお願いいたします!




