第40話:A5和牛の罠と、岬のソース焼きそば
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
……ではやはりなく、 片田舎の海水浴場にあるバーベキュースペース。
木炭をバーベキュー台に並べ、着火剤で灯された炎が、パチッパチッと音をたててじんわりと赤く炭を色づかせていく。
炭火の熱が、更に僕らの体を火照らせ、期待感を上昇させる。
若葉がクーラーボックスから大量のA5和牛を取り出し、無造作に網に乗せた。
「さあさあ、みなさん! 遠慮せずにどんどん焼いてくださいね!」
本物のA5和牛を提供したことで皆に崇められ、我が世の春とばかりに、ドヤ顔で言い放つ若葉。
途端に、暴力的な脂の音と匂いが広がるが、肉が分厚すぎて誰も正しい焼き方が分からない。
すると、岬が「えへへ」と照れ笑いしながら、ごく自然な動作で若葉からトングを受け取った。
「あ、若葉ちゃん。このままだと表面だけ焦げちゃうよ。……私、焼くね。お父さんがバーベキュー好きだから」
「いや……あの……岬ちゃん……?」
あっさり自身のチートタイムを奪われ、鳩が豆鉄砲を食ったように立ち尽くす若葉。
そんなアーバンガールを尻目に、岬は強火で表面をサッと焼いた後、持参していたアルミホイルで肉を包み、網の端の遠火へ避難させる。
「こうやって少しお肉を休ませるとね、中に肉汁がギュッと閉じ込められて美味しくなるんだって」
見事な手際で完成した完璧なミディアムレア。
その豊潤なステーキ肉にナイフを入れると、実に食欲をそそる淡いピンク色が姿を現す。
岬は手際よくさっと切り分け、満面の笑みで皆に差し出す。
それを一口食べた瞬間、皆示し合わせたかのように口を閉ざした。
噛むたびに口いっぱいに芳醇で強烈な旨味が広がったかと思えば、舌の上で儚く雪のように溶けていく霜降り肉。
夢のような幻想体験に、男陣から大絶賛の声が上がった。
「美味すぎ! 激やばっしょ! 岬ちゃんマージ天使っしょ!」
「美味にござるぅー! 岬殿はなんという良妻賢母にござりますか!」
「ハハハ! 妹は料理にはうるさくてな!」
チャラ井、武石、そして優が次々と歓声を上げる。
僕もその肉を噛み締めながら、心の中で深く感嘆していた。
(家庭的なだけかと思わせて、こんな高級肉をどう焼けば一番美味いか分かってる……沁みるなー、この良い意味での奥ゆかしさ……)
この時点で、若葉は完全に「ただの肉の提供者」へと成り下がっていた。
一方、里見さんは陰謀論をおかずにして、一人だけ泣きながら肉を頬張り続けている。
「ハフッ、ハフッ……! 美味しい……美味しいです……!! もしやこれらもディープステートの罠……!? だとすれば、全て私が処理せねばなりません!」
もう、明日世界が終わってもいいくらいの愉悦に浸り、ただひたすら高級肉を胃に流し込むウェットスーツの狂人。
傍らには、空のタッパーが置かれていて、残ったら詰めて持ち帰る気満々なのが丸わかりだった。
若葉はハイライトの消えた目で岬を怨めしそうに睨むが、岬は全く気づかず「はい、次のお肉焼けたよー」と無自覚にヒロイン力を振り撒き続けていた。
自分が持ってきた最強の武器であるはずのA5和牛なのに、称賛と好感度のすべてが岬に向かっている。
だが、開始から一時間後。資本主義の限界は突如として訪れた。
強靭な高校生の胃袋でも、A5和牛の「圧倒的な脂」には耐えきれず、全員の箸がピタッと止まってしまう。
皆が皆、申し訳なさそうに無言で烏龍茶をすする。
「ふぅ……良質な脂質だが……少し、ホエイプロテインより重いな……」
190cmの巨体を誇る、勝浦 優も思わず弱音をこぼした。
「そうですかね? 私はまだまだA5和牛を取り戻しますよー!」
里見さんだけが狂ったように独走を続けているが、他のメンバーは明らかに胃もたれを起こしていた。
この女、言動だけでなく、胃袋まで規格外の狂気だった。
「ま、まだ特上カルビもありますよ!?」
焦った若葉が少し涙目になりながら、まだ大量に残った高級肉を勧めるが、誰も目を合わせようとしない。
そんな空気を読んだ岬が、「そうだ!」と微笑み、網を鉄板に変えて再びトングを握った。
「あ、みんなお肉きつくなってきたよね。じゃあ、シメに焼きそば作っちゃうね!」
クーラーボックスから取り出したのは、一番初めに買った『特売の切り落とし肉』と『安いソーセージ』だった。
そして、あらかじめ切って持参してあったキャベツやもやしを取り出すと、鉄板に油をひいて慣れた手つきで肉から具材を焼き始める。
鉄板で濃厚なソースが焦げる、ジャンクで香ばしいB級グルメの悪魔的芳香。
高級和牛の脂でやられた胃袋が、強制的に再起動させられるような、嗅覚へのダイレクトアタックだ。
完成した焼きそばを取り分けてもらい、口に運びながら、僕は今日一番の笑みを浮かべる。
(塩や香辛料を使った変わり種もいいけど、やっぱり焼きそばはシンプルなソースに限るよな。酸味のあるソースとこのチープなこま切れ肉、ソーセージにしか出せないアンサンブル。少しもたれた胃でもいくらでも入ってしまうやつだ……。家焼きそばサイコー! こういうのがいいんだ。こういうのが……)
無心で焼きそばをすする僕の中で、岬の好感度がストップ高を記録する。
他の男陣も、ベタでありながら一番食欲をそそる大定番に、絶賛の嵐だ。
「うっひょー! 岬ちゃん、料理スキルマジ天元突破っしょ! 箸止まんねーし!」
「ううぅ……この唐物のそば……某、毎日食べたいでござるぅ!」
「ハハハ! 妹は料理にはうるさくてな!」
しかし、そんな歓喜の輪の中で、若葉は一人だけ憔悴しきっていた。
「そうなんだ……岬ちゃんはそうやって私の大切なものを全て奪っていくんだね……」
ハイライトの消えた目で、絶望したような笑みを浮かべ、ボソボソと訳の分からぬことを呟く若葉。
A5和牛を提供し、このバーベキューの立役者だったはずの彼女の栄光は、もはや完全に荒波にさらわれて太平洋の藻屑となっていた。
そんな惨いNTRに打ちひしがれる彼女へ、岬が追い打ちのように、無自覚な満面の笑みで焼きそばを差し出す。
「はい、若葉ちゃんの分! 口に合えばいいんだけど……」
「た……確かにいい匂いで美味しそうだけど、こんなチープな炭水化物なんて、アーバンでオーガニックな私には……」
絶望に打ちひしがれながらも、最後まで意地を張っていた若葉……。
しかし、一口食べてその美味しさとソースの安心感にあっさりと陥落する。
「ぐぬぬ……悔しいけど、このソースの酸味が胃に沁みるぅぅ……!」
むせび泣きながら特売こま切れ肉とソーセージ入り焼きそばを頬張る姿には、もはや哀愁が漂っていた。
「良かった! 皆んな喜んでくれて! おかわりあるからね!」
自らの圧倒的財力で用意したマウントステージは、岬の『無自覚な家庭力(と特売ソーセージ)』によって、ヒロインとしての立ち位置を完全に寝取られるという結末を迎えたアーバンガール。
その傍らで、昇天せんとばかりの恍惚とした表情で、A5和牛と焼きそばを交互に貪り続けるウェットスーツの狂人を見て、僕は深いため息を吐く。
ああ、確かに資本主義の権化であるアーバンガール(ディープステート)の三日天下(A5和牛)は、純真無垢で家庭的なヒロインによってNTR(取り戻す)されたようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
【第40話】は、BBQあるある(高級肉の脂もたれ)が生み出した、アーバンガール最大の悲劇(NTR)でした!
資本力で圧倒的優位に立ったはずの若葉ちゃんが、岬ちゃんのコンサバヒロイン力によって全てを奪い去られていく絶望感、いかがだったでしょうか?(笑)
次回【第41話】の更新も、ぜひお楽しみに!
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