第37話:星と月の遭遇戦〜ヒロインの最適解と不合理な二択〜
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
……ではなく、7月下旬。長くて有意義で不毛なモラトリアム――夏休みが幕を開けて、まだ数日しか経っていないある日のこと。
僕のスマホに、あの歴館デート――もとい、社会見学の付き添いから間を置かずして、里見家次女・智菜からのメッセージが届いた。
――『千葉先輩、先日はありがとうございました。ところで、受験勉強を少し見て欲しいのですが?』
画面に映し出された文字を見て、僕の脳内は瞬時に警鐘を鳴らした。
既に志望校A判定を叩き出している知性の化け物に、僕が教えられることなど何もないはずだ。
これは明らかに不必要な呼び出し……いわば、ディープステートもとい、里見 智菜の陰謀である。
さらに恐ろしいのは、勉強を見る場所として『私の家か、千葉先輩の家』という二択が提示されていたことだ。
(中学生とはいえ、女の子を家に上げるのも、あの厄災(里見さん)が潜む里見家に行くのも、倫理的にも生存戦略的にもリスキーすぎる……!)
何らかのトラップ(ハニー?)を感じ取った僕は、防衛本能をフル稼働させた。
そして「公共の場以外はありえない」と頑なに主張し、不満を漏らす智菜を尻目に、中間地点である駅前のファミレスという安全地帯を指定したのだった。
***
しかし、駅前のファミレスで合流した智菜の姿を見た瞬間、僕は自分の甘さを呪うことになった。
ただの勉強会だというのに、待ち合わせ場所に現れた智菜は、合理性を重んじる彼女にあるまじき、不自然なほど気合の入ったデート服姿だったのだ。
英国老舗スポーツウェアブランドのポロワンピースに、足元は上品なミュール。
露出は控えめで決して背伸びし過ぎていないのに、彼女のしなやかなボディーラインが強調されていて、どこまでもガーリーで魅力的だ。
スポーティーと上品さの完璧なマリアージュ。
恐ろしいのは……それが、精神的英国人を自称する僕の好みを、正確に射貫くかのようにプロファイリングされたコーディネートだということだ。
(一体、こいつは何を狙っているんだ……!?)
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、僕は智菜を連れてファミレスの店内へと足を踏み入れた。
とりあえず落ち着くためにドリンクバーへ向かおうとした――その時である。
「……あれ? 千葉先輩?」
聞き慣れた無邪気な声に振り返ると、そこには一年後輩の勝浦 岬が座っていた。
そして、その向かいの席には。
「うふ……奇遇ですね。どういうことでしょうか、千葉先輩?」
アーバンな余裕を装いながらも、声の震えを隠しきれていない、歴史研の一年生・花見川 若葉の姿があった。目は全く笑っていない。
若葉は、僕の隣に立つ完璧なデート服姿の智菜を上から下まで値踏みするように見つめ、瞬時に戦闘モードへと突入した。
「いや……智菜ちゃんが、どうしても受験勉強を見て欲しいと言うからだな……」
「この子に限って、そんなの絶対に必要ないですよね!!?」
ファミレスの店内に、戦闘モードの若葉の怒号が響き渡り、店員と他の客の視線が集まる。
「まあまあ若葉ちゃん。千葉先輩も、せっかくだから皆でお茶しましょうよ!」
そんな空気を全く読まない(あるいは意に介さない)岬の提案により、なぜか僕たちは四人で同じテーブルを囲むという地獄の構図に陥ってしまった。
もう、嫌な予感しかしない。
テーブルの右側には僕と智菜。左側には若葉と岬。
僕は世界大戦前夜のような緊張した面持ちで着席する。
間髪を入れず、智菜は年上の若葉に対して、一歩も引かずにロジカルな反論を開始した。
「別に、花見川先輩は千葉先輩と付き合ってるわけでもないですよね?」
「うぐっ……! そ、それは……」
「千葉先輩が夏休みにどこで誰と会おうが、先輩の勝手ではないでしょうか。それとも、何か口出しできる法的な権利でもお持ちで?」
「わ、私は同じ歴史研の部員として、サステナブルな関係性を……!」
飛び交う冷徹な正論の前に、若葉のアーバンな語彙力がみるみるうちに削られていく。
防戦一方になる若葉に対し、智菜はトドメとばかりに「隠し玉」を切った。
「ああ、少し冷房が効きすぎですね。首元が冷えます」
智菜はわざとらしくポロワンピースのボタンを留めなおそうと襟元に手をかける。
その胸元でキラリと光る『月のネックレス』を、若葉は見逃さなかった。
「そ、それは……まさか……!」
「ああ……これですか? ……ええ。先日、歴館に行った時に千葉先輩に買っていただいたんです……」
事実であるがゆえに反論の余地がない、最高に都合のいいファクトの切り取り。
「ち、千葉先輩ぃぃぃぃっ! 本当にこの子と二人っきりで歴館へ行ったんですか!?」
「いや……僕はその、付き添いというか、保護……いや、勉強になればと……」
危ない。僕は一瞬、「保護者」という言葉を出そうとして寸前で飲み込んだ。
あの歴館の帰り際、子供扱いしたことで智菜を絶対零度まで拗ねさせたトラウマが、僕の喉元にブレーキをかけたのだ。
「いやー、千葉先輩も私も、実に有意義な時間でした。……まあ、頭がお星様などこかの誰かさんとは違って、私は落ち着いた月のモチーフの物にしましたが」
絶対零度の知性の化け物が放つ、残虐極まりないシニカルなキラーフレーズ。
この皮肉が、若葉のアーバンなプライドの炎に、容赦なく油を注いだ。
「はぁーーーい……?」
ピキリ、と。若葉の額に青筋が浮かぶ音が聞こえた気がした。
こうして、1,500円のチープなメッキを巡る、世界一不毛な血で血を洗うキャットファイトが勃発したのである。
「そもそも、ただ勉強を見てもらいに地元のファミレスに行くのに、そんな背伸びした服を着て、サステナブルじゃないし、実用性皆無じゃなーい?」
「エシカルなタンブラーを持ち歩きながら、ドリンクバーでメロンソーダを飲んでいる認知的不協和な先輩に言われたくありませんね」
両耳から飛び込んでくる「アーバン」「サステナブル」「エシカル」「認知的不協和」などの飛び交う単語に胃を痛めた僕は、そっと視線を逸らした。
その先には、争いに一切参加せず、無邪気にフライドポテトを食べている勝浦岬の姿があった。
「あはは……それにしても、似てると思ったら、里見先輩の妹さんだったんだ! 千葉先輩って、いつもこんな感じで大変なんですね。どうぞ、私のポテト食べますか?」
彼女は、ケチャップを少しつけたポテトを無造作にこちらへ差し出してくる。
「あ……いや、ありがとう」
(……ああ、温かい。ドリンクバーのダージリンの香りが、干からびた脳細胞に染み渡る……)
マウントもない。論破もない。陰謀論もサステナブルもない。
ただ『ポテト、食べますか?』と微笑んでくれる、等身大の優しさ。
何の飾りっけもないジャガイモのフライ……ケチャップの程よい酸味と合わさって、気が付くとなくなってるやつだ。
(これだよ……薄っぺらいマウントも絶対零度の論破もいらない。やっぱりヒロインってのこういうのでいいんだ。こういうので……)
戦場と化したファミレスで、僕は一人、何気ない街角のオアシスへと到達していた。
僕がポテトを受け取ろうと手を伸ばした、その時。
「ああ! いけない、ケチャップつけて渡したら、手が汚れちゃいますよね。良かったら、このままどうぞ!」
下心など1ミリも存在しない、ただ純粋な善意と実利から来る、無自覚な『あーん』。
完全に癒されて警戒心がゼロになっていた僕は、つい自然な流れで、彼女の指先からそのポテトを口の中へと迎え入れてしまった。
「「…………ッ!!」」
ピタリ、と。
テーブルを挟んで展開されていた、苛烈な口論が止まった。
僕はハッとして視線を戻す。
そこには、先ほどまでいがみ合っていたはずの若葉と智菜が、完全に休戦協定を結び、絶対零度の目でこちらを見据えていたのだ。
女同士の醜い争いをしている間に、岬の天然と僕の油断が招いたショッキングな光景。
彼女たちは一瞬にして、最大の脅威を正確に認識したらしい。
「……智菜さん。私たち、少し身内の争いに夢中になりすぎていたみたいね」
「ええ、花見川先輩。どうやら、私たちの与り知らないところで、不要なバグ(モブ)が紛れ込んでいたようです」
「えっ? いや、バグって……」
それは、国共合作に匹敵するような水と油の歴史的和解だった。
ドンッ! と音を立ててテーブルに身を乗り出し、二人は完全に僕の退路を断った。
「先輩! 答えてください。星と月、どっちが先輩にとっての『一番』なんですか!?」
「実用性ゼロの星屑か、神秘的な月か。先輩のロジックで明確な解を出してください!」
(……助けてくれ)
脳内のロジックをフル回転させても、この理不尽な二択をノーダメージで切り抜ける最適解は導き出せない。
星を選べば絶対零度のロジハラが降り注ぎ、月を選べばアーバンなヒステリーが爆発する。
どちらも選ばなければ、両方からの集中砲火だ。
(もはや、人類に逃げ場なしってやつだ……)
「あはは、千葉先輩、大人気ですねー。もっとポテト食べます?」
そんな気苦労など露知らず、相変わらず天然な岬が、追い打ちのように僕にポテトを差し出してくる。
僕が求めているのは、平穏な癒しの時間だけのはずなのに。
(……誰か教えてくれ。このフィールズ賞をとった数学者でも解けないような、世界で最も理不尽で非論理的なバグを修正する数式を……!)
「「千葉先輩!!」」
まるで奇跡のようなユニゾンを重ねる若葉と智菜……。
平穏だったはずの田舎のファミレスは、よもや宗教裁判の様相を呈していた。
ファミレスの冷房が、冷や汗ダラダラの僕の身体を容赦なく冷やしていく。
ああ、こうして――僕の胃がキリキリと痛む、カオスで非論理的な夏休みが幕を開けたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
【第37話】は、夏休みのファミレスを舞台にした、ヒロインたちの苛烈なマウントバトルと、千葉くんの胃痛が爆発するお話でした。
1,500円のチープなメッキアクセサリーを巡る、血で血を洗うキャットファイトはいかがだったでしょうか?
次回【第38話】の更新も、ぜひお楽しみに!
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