第33話:ラブ&ピースと美しき厄災
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラ……のはずだった。
――放課後。
部室の喧騒(IQ3の動物園)から逃れるため、僕は人気のなくなった三年の教室フロアを彷徨っていた。
それは、初夏のじめっとした暑さの中、まるで砂漠の蜃気楼みたいに唐突だった。
オアシスのような涼を感じて、僕は立ち止まる。
心地よいそよ風と共に聴こえてくるのは、どこか寂し気で美しいメロディー。
透き通るようなソプラノ……それでいて力強いソウルフルなアカペラだった。
ボブ・ディラン……いや、ジョーン・バエズの『Forever Young』だ。
黄昏色のグラデーションで彩られた、誰もいないはずのとある教室。
開け放たれた窓でレースカーテンが柔らかに揺れている。
窓際の机の上に腰掛け、暮れ行く空を眺めながら、ノスタルジックな洋楽を口ずさむ風変わりな女の子の姿が目に留まった。
派手なペイズリー柄のベストを羽織り、洗いざらしのロングヘアーに、ヘッドバンド……。
そのいで立ちは、もはや時代錯誤もいいところのサイケデリックなヒッピー少女だった。
そして、古いレコードから聴こえてくるようなソウルフルでブルージーな歌声。
僕は手元の『ライ麦畑でつかまえて』の世界にでも迷い込んでしまったような、たまらない哀愁を感じて聴き入ってしまっていた。
(知っている。この先輩、少し変わった三年生の軽音部歌姫、矢須 汐里さんだ)
歌い終えた汐里先輩が、廊下で聴き入っていた僕の存在に気づき、天真爛漫に微笑みかけてくる。
校内でも噂の歌姫であり、その風変わりなラブ&ピースな装いを差し引いたとしても尚、滅多に見ることのない美人だ。
いや、個性的な風貌が、彼女の特別な美少女感をより際立たせているようにさえ思える。
その無垢でありながらどこか知性的な愛くるしい笑顔は、心の内側を見透かされているような不思議な魅力に満ちていた。
「放課後にこんなところでどうしたの? もしかして、アタシの歌、聴きに来てくれたのかしら?」
「すみません。素晴らしい歌声でしたが、俗世の喧騒から逃れ、本を読むために静寂と涼を求めて彷徨っていただけです」
ただ聴き入ってしまっていた自分が少し恥ずかしくなり、僕は持っていた『ライ麦畑でつかまえて』を、言い訳のように掲げてみせる。
「サリンジャーなんか読んで。君も世界なんてインチキ臭い……って思ってるくちかな?」
この本質を感覚的に捉えたオシャレな切り返しに、僕の口角が少し上がった。
「おかまいなく。僕には世界に反抗したり、ライ麦畑で誰かを捕まえるようなキャッチーな使命感はないので、ただのロクでもない暇つぶしです」
見た目はファンキーな陽キャなのに、ホールデン・コールフィールドの抱えるニヒリズムを的確に突いてくる。
やっぱりこの人、俗っぽい歌姫なんかじゃない。イノセンスの中に高い知性がある。
そして、押し付けがましい全体主義のルールに縛られない、孤高の魂を持っている人だ。
僕は少しだけ彼女に魅了され、警戒を解いてしまっていた。
「暇つぶしできるほど、世界は退屈じゃないわ。アタシはいくら時間があっても、足りないくらい……」
「受験生は大変ですね。もしできるなら、僕の持て余している分もわけて差し上げたいくらいです」
「ふふ……じゃあ、君の時間、私が少しもらっちゃおうかな……♪」
二人の間に流れる、知的だけど少し甘酸っぱい空気。
夕暮れ色に染まる彼女の嬉々とした顔は、天真爛漫であるがどこか危険を孕んでいるような気さえした。
「アタシはこのクラスの矢須 汐里。ボストンメガネくんの名前は?」
机からひょいっと下りると、彼女は明らかに指定のものではないロングスカートをたなびかせ、黄昏色のグラデーションの中を、後ろで手を組んで少し上目遣い気味で歩み寄って来る。
それはイノセントであり、妖艶でもあった。
この先輩、アメリカンなヒッピーだけあって、顔だけじゃなくグラマラスでスタイルもいい。
無意識なのか、上目遣いが胸元を妙に強調していて、目のやり場に困るな。
近づいてくるに連れ、彼女の洗いざらしの長い髪からは、雨上がりの森を思わせるパチョリの香りが漂ってくる。
「二年の千葉 総亮です。しがない歴史研部員です」
「ふーん、あまり見たことないと思ったら、後輩君か。それじゃあ、総亮って呼ぶね。アタシのことは、汐里でいいから♪」
「いや、僕は構いませんけど、流石に矢須先輩は……」
風貌だけじゃなく、距離の詰め方もだいぶぶっ飛んでる。
イノセントの中に高い知性を秘め、そしてコケティッシュな魅力に溢れた彼女に、僕は少し弄ばれてる気がした。
しかし、それ以上にこの空間は心地が良かった。
「いいのよ♪ たかが365日の時間差なんて、階段で1フロア登ってくるくらい微々たるもの……そう思わないかしら?」
「はは……先輩は、宇宙物理学者かそれとも神様かなんかですか? 確かに、そんな感覚なら時間なんてないに等しいですね」
「ふふ……だって、自由に生きたいじゃない? 誰かが決めた窮屈なルールに縛られるなんてナンセンスだもの。なんだかアタシ、君と魂の形が似ているような気がするの……」
僕たちは一見、水と油のように見えて、根底にある『孤高のリバタリアン』としての気質が共鳴しているのかもしれない。
論理という盾で群れを拒む僕と、歌という翼でシステムから自由になる先輩……。
アプローチは真逆でも、本質的なところではきっと同じなんだ。
ガラガラッ!
二人の退廃的で甘酸っぱい空気を打ち破るように、背後の教室の扉が勢いよく開いた。
「見つけましたよ千葉くん! こんなところで黄昏れている場合じゃないです。CIAのエージェントがこのエリアにいるという情報をキャッチしました! ディープステートの魔の手がすぐそこまで――」
いつものようにIQ3の陰謀論を叫びながら、夏服のセーラー服を翻して駆け込んでくる里見さん。
(……僕の数少ない知的でノスタルジックな時間が台無しだ)
僕がため息をつきながらこめかみを押さえた次の瞬間。
矢須先輩が、突然乱入してきた里見さんに目を輝かせ、嬉々としながら詰め寄って行く。
「ああ♪ あなたが有名な里見さんだよね? なになに! 何をキャッチしたの!?」
「な、なんですかこのサイコな恰好の人は! ヒッピーに偽装したCIAの刺客ですか!?」
「うふふ♪ そうか、私ってCIAの工作員だったんだ! 道理で学校生活が少し物足りなく感じるわけよね♪」
他の人と何かが違う。人外の暴れ馬も、このサイコでラブ&ピースなヒッピーに何か違和感を抱いたようだった。
しかし、振り上げた陰謀論を落とさないわけにもいかず……。
「え……あ! やはりそうだったんですね! CIAの暗躍を利用したディープステートの陰謀……今日こそ私が突き止めてみせます!!」
「……ああ、なんて無垢で純真な美しき魂なの……! あなたこそが、このインチキな世界に舞い降りた天使ね……♪♪」
矢須先輩の目が急にヤバい光を帯びた。
知的で詩的なオーラはどこへやら、圧倒的なイノセンスと情熱のまま、彼女は里見さんに猛ダッシュする。
自分を違う世界へ誘おうとする陰謀論者のサイコパス的な熱量にシンパシーを抱いたのか、矢須先輩のラブ&ピースが限界突破したようだ。
「カワイイ♪ カワイイねぇキミ!! アタシを捕まえに(キャッチしに)来てくれたんでしょ!!」
「ひぃぃぃっ!? な、なんですかこのサイコパスな工作員は!? やめて! 離れて下さい!! 私にハニートラップは通じませんからぁぁー!!」
矢須先輩の過剰なスキンシップに完全にキャッチされ、パニックになって逃げ惑う里見さん。
『セーラー服の悪魔』と恐れられる無敵の陰謀論者が、ただの「愛」の抱擁の前に完全敗北していく。
僕は再びサリンジャーを開き、揺れるレースカーテン越しに夕焼けのグラデーションを見上げながら、優雅に傍観を極めこむことにした。
(……世界はインチキばかりじゃない、か)
論理という盾で群れを拒む僕と、愛と歌という翼でシステムから自由になる矢須先輩。
アプローチは真逆でも、同じ『孤高のリバタリアン』である絶滅危惧種のヒッピーが、この人外の狂気を『ライ麦畑で捕まえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』いてくれるのなら、インチキ臭いラブ&ピースも悪いもんじゃない……。
ああ、今日の僕の読書時間は、(ちょい百合の)美しき厄災によって守られたのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
【第33話】は、歴史研の厄災(里見さん)が、さらに上を行く『ちょい百合の美しき厄災』によって完全にキャッチされてしまうお話でした!
論理という盾を構える千葉くん、陰謀論という剣を振り回す里見さん。
そして新たに登場した、無敵の陰謀論者すらもドン引きさせるラブ&ピースな矢須 汐里ちゃん。
実は彼女は、過去2作品に登場する、いわゆるスターシステムの思い入れあるキャラクターなのです。
次回【第34話】は、来週火曜日に更新予定です!
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今後ともよろしくお願いいたします!




