第25話:危険分子(チャラリスト)の煽動と、IQ3のBBQ同盟
どこにでもある少し田舎の県立高校。
旧校舎の片隅にある歴史研究部の部室は、今日もそれぞれの狂気が静かに共存する、奇妙な多民族国家として機能していた。
部長の里見結菜は、机いっぱいに広げた『校内潜伏・海外諜報機関の手先リスト』なる怪文書を真顔で整理している。
一年生の若葉は、サステナブルなタンブラーを片手に、スマホで『女子力を上げるアーバンな生活習慣』を熱心に検索中だ。
そして僕は、いつものパイプ椅子に深く腰を下ろし、カミュの『異邦人』のページをめくりながら、つかの間の平穏な読書時間を貪っていた。
(……悪くない。不条理な生態系にも、時には凪の時間があるものだ)
僕がそう静かに達観し、安どのため息をつきかけた、まさにその時だった。
「うぇーい! チバっち、歴史研サイコーじゃん!」
バンッ! と無駄に高いテンションで部室の重い扉が開け放たれ、チリチリのツイストパーマが躍り込んできた。
スクールカーストの最上位に君臨するダンス部の陽キャ、チャラ井(本名:白井 栄斗)である。
「げっ、……チャラ井先輩、また来たんですか?」
若葉が親の仇でも見るかのように、露骨な軽蔑の眼差しを向ける。彼女のアーバンなオーラが、明確な嫌悪感に染まっていた。
しかし、そんな虫けら扱いの塩対応すら、チャラ井のチタン合金製メンタルにはノーダメージである。
「またまたー! そういうツンツンしてる若葉ちゃんもキャワうぃーよッ!」
「はいはい……チャラ男乙。タイパ最悪なんで話しかけないでもらえます?」
若葉の意識高い系の壁に完全に弾き返されながらも、チャラ井はヘラヘラと笑っている。
僕は関わり合いを避けるため、本で顔を隠して息を潜めた。
その時、半分開いたままになっていた部室の扉が、ギイイ……とさらに重々しく開いた。
「ふう……遅れて申し訳ござりませぬ。授業の後、どうしてもこの正装(紋付き袴)に身を清めるのに手間取ってしまいますれば――」
現れたのは、我が歴史研が誇る時代錯誤の落ち武者、武石だった。
ただでさえ暑苦しい放課後に、わざわざフル装備の『紋付き袴』に着替え、腰にはプラスチックの模造刀を差しているという重度の厨二病っぷりである。
「えっ……何それ! マジカッケー! ガチのサムライじゃん!」
チャラ井の目が、チカチカと星を飛ばすように輝いた。
「ふ……フン、其方、派手な南蛮坊主のようだが、よく分かっておるではないか」
「うっひょー! 喋り方までモノホンじゃん! わざわざ着替えてきたの!? プロ意識高ッ! マジリスペクトっしょ!」
(……信じられない光景だ)
僕は本から片目だけを覗かせ、戦慄した。
一切の偏見を持たないチャラ井の『薄っぺらい全肯定』が、武石の『肥大化した承認欲求』を完璧に満たしてしまったのだ。
陽キャと落ち武者という、本来なら絶対に交わらないはずの二つのバグが見事にエンゲージしてしまった。
「いやー、歴史研ってなんだか自由だしさ、女の子も可愛いし、俺もダンス部辞めてこっちに入っちゃおーかな!」
「なっ……!?」
僕と若葉の顔から、スッと血の気が引いた。
冗談じゃない。ただでさえ最近は騒がしくて仕方ないのに、この多国籍国家へ、更にウェーイ系という名の危険分子が入国してしまう。
しかし、僕たちの顔面蒼白をよそに、チャラ井はさらに致死量の追撃を放った。
「そんでさ、俺が入ったら、夏休みはみんなで海に行ってバーベキューとかやっちゃってさ、アゲアゲっしょ!」
「ビ、ビーチでバーベキュー!? 日焼け最悪! なんてIQの低いレジャーなんですか……っ!」
即座に若葉が噛み付く。そうだ、やれ若葉。君のそのオーガニックな毒舌で、この枯れ井戸の脳みそを粉砕してくれ。
「えー? でも若葉ちゃんも夏は水着で、好きな男子にアピールして、アゲアゲっしょ!」
「み……水着?」
ピタ、と若葉の動きが止まった。
彼女の視線が、不自然なほどチラチラと泳ぎ、何故か僕の方を向く。
「い、いや……私は、その……そうそう! 千葉先輩がどうしてもって言うなら、行ってあげないことも……」
「うん……言ってない」
僕のフラットな拒絶を無視して、若葉が一人で顔を赤らめてはしゃぎ始めた。
ダメだ、このアーバンガール。チョロすぎるし、わけが分からん。
「バーベキュー……! それはつまり、特権階級であるディープステートが独占しているA5ランク和牛を、我々で奪還するということですね!?」
今度は、リストの整理をしていた里見さんがガタッと立ち上がった。その瞳が、危険な光を帯びてギラギラと輝いている。
「ディープステートから『A5和牛を取り戻す!』 やりましょう栄斗くん! 私、お肉大好きです!!」
「そうそう、ディープにウェーイ・ゴー(A5)っしょ! 里見ちゃん、分かってるーぅ!」
「海辺で陣を敷き、肉を喰らう……まさに野戦の宴! 血が騒ぎまするな!」
武石までもがおもちゃの模造刀を天に掲げ、雄叫びを上げた。
「うぇーい! 夏休みはビーチでアゲアゲの戦っしょ!!」
「打倒、ディープステート! 霜降り肉の解放です!!」
「いざ、出陣でござるぅぅ!!」
「……仕方ないですね。アーバンなリゾートビーチでお願いしますよ!」
……終わった。
IQ3の陰謀論者、IQ3の落ち武者、IQ3の陽キャと、ついでにチョロいアーバンガールが、「肉を焼く」という原始的な欲望の前で奇跡の同盟を結んでしまったのだ。
部室は完全に「IQ3のバーベキュー同盟」に支配され、不条理のるつぼと化した。
(……カミュ。助けてくれ。僕の夏休みが、未開の部族合戦に乗っ取られてしまう――)
僕が胃痛に耐えかねて本を握りつぶそうとした、まさにその時だった。
「ふーん……栄斗、部活に来ないと思ったら、こんなところで女の子と遊び惚けてたんだー」
半分開けっ放しになっていたドアの隙間から、一人の女子生徒が音もなく滑り込んできた。
首からタオルを下げたダンス部のジャージ姿。そして彼女の背後には、明らかな『般若の幻影』が浮かび上がっていた。
「あ、アキホ!? 違う、誤解だ! 俺は今、合戦の陣立てを……痛い痛い痛い痛い!! 耳ちぎれる!!」
「うるさい、このアホ! 大会前なのに何が合戦よ! 脳みそ湧いちゃったんじゃない! ほら、さっさと部室に戻るよ!」
有無を言わさぬ圧倒的な物理力。
彼女はチャラ井の耳を容赦なくねじり上げると、そのままズルズルと廊下へ引きずり出していく。
「ああっ! 栄斗くん! 闇のエージェントに連れ去られて……! 夏休みには必ずA5和牛を取り戻しましょう……!」
「なな……何という武勇! あの女子、ただ者ではござりませぬな!」
「す、すいませーん! うちのバカがご迷惑おかけしましたー!」
名も知らぬダンス部女子の元気な謝罪の声と共に、部室の扉がピシャリと閉まる。
嵐が、去った。
(……見事だ。生態系の頂点たる猛獣(名も知らぬダンス部女子)によって、部室の秩序は保たれた。ありがとう、名も知らぬ救済者よ。君の強権的な独裁政治が続く限り、僕の読書時間は守られるだろう――)
「……はぁ。やっと空気が浄化されたな……」
僕は静かに姿勢を正し、疲労困憊の表情で深いため息をついた。
そして、先ほどまで読んでいた『異邦人』のページを開き直す。
「千葉先輩、参考までにお聞きしたいんですけど……」
不意に、横から甘ったるい声がした。
見れば、若葉が両手で頬を押さえ、一人で顔を真っ赤にしてモジモジと身悶えしている。
「今年の夏に向けて、海洋プラをリサイクルした水着を検討してまして……ヘルシーな肌見せのビキニと、アーバンな魅力のワンピースなのか……先輩の率直な意見としては、どっちを着てほしい……あ、いえ、どっちが正解だと思いますか……?」
「……はあ?」
僕は眉間にしわをよせ、ただ一言だけ、感情の抜け落ちた声で返した。
不条理は去り、また別の不条理が残る。
一人でわけの分からぬ妄想に耽る若葉を尻目に、僕は三度カミュの不条理の世界へ意識を投じた。
こうして、今日久方ぶりに僕の読書時間が守られたのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は「陽キャ」「落ち武者」「陰謀論者」という交わるはずのない三つのバグが、『肉を焼く』という一点のみで奇跡の同盟を結ぶ【第25話】、いかがでしたでしょうか。
次回【第26話】は、来週火曜日お昼に更新予定です!
もし「自分もディープステートからA5和牛を取り戻したい!」と少しでも思っていただけた方は、
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