第20話:烏帽子の工作員と、狂気と時代錯誤の頂上決戦
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラだ。
放課後。定位置のパイプ椅子に深く腰掛けた僕は、歴史書の現代語訳『フロイス日本史』のページをめくっていた。
宣教師ルイス・フロイスが外側から冷徹に日本の風習を記録したその視点は、精神的英国人である僕のスタンスと非常に共鳴する部分がある。
「……お父さんが市会議員の田中くんは、ディープステートの臭いがしますね。お母さんが行員の佐藤さんは、きっと国際金融資本の手先です……」
少し離れたホワイトボードの前では、我らが歴史研部長・里見 結菜が、クラスメイトの親の職業を国家規模の陰謀に結びつけるという、理不尽極まりない『海外諜報員候補リスト』を真顔で作成していた。
そして僕の向かいの席では、一年生のアーバンガール、花見川 若葉がスマホの画面を食い入るように見つめている。
どうやら最近、『気になる男性を振り向かせる大人な女性の立ち振る舞い』というトレンドにはまっているようだ。
(我が歴史研の若様も、アーバンレディーなお年頃だな。まあ、年相応で微笑ましいが……)
僕が心の中で密かにツッコミを入れた、その時だった。
「頼もう!!」
廊下から、時代劇のセットから迷い込んできたような時代錯誤な声が響いた。
若葉がビクッと肩を揺らし、迷惑そうに開き戸をギイィッと開ける。
そこに立っていたのは、時代劇でしか見たことがない高級な絹の紋付き袴に烏帽子を被った、圧倒的不審者だった。
「ああ、うちそういうの間に合ってますんで」
背伸びの時間を邪魔された若葉は、宗教勧誘を断るテンションで、無慈悲にピシャリと扉を閉めた。
「待て待て待てぇーい!」
しかし不審者は諦めない。強引に扉をこじ開け、部室へと乱入してきた。
「某、入部希望にてござ候!」
高らかに宣言する不審者。その古めかしい響きに、リストを作成していた里見さんがパッと振り返った。
「『ござそうろう』? 入部の手土産に今川焼き(回転焼き)の差し入れですかぁ? いいですね! 食べますよぉ♪」
「違います! デパ地下スイーツの話じゃありません! それより先に、突っ込みどころ満載ですよね!?」
陰謀論そっちのけで、食い意地全開のポンコツなボケをかます部長。
アーバンな放課後を台無しにされ、若葉が素のトーンで的確なツッコミを入れた。
「……で? 君は誰だ」
僕が冷ややかに問うと、不審者はふんぞり返ってドヤ顔を決めた。
「某は一年、武石 胤久! 由緒正しき武家の血筋にて候!」
(……会話で『にて候』を使う奴、初めて見たな。書き言葉と話し言葉がごっちゃになっている。歴史ガチ勢特有の痛い奴だ)
僕は内心で強烈な史料批判を行ったが、ツッコむのも面倒なので完全にスルーすることにした。
「弓道部の軟弱な稽古は、由緒正しき武家の血筋たる某には到底相応しくないゆえ、自ら見限って退部してやったでござる!」
(いや、今はもう6月だ。きっと厳しい稽古と自分の圧倒的なセンスのなさに絶望して、今までズルズルと逃げ遅れたヘタレの言い訳だな……)
見透かされているとも知らず、武石の視線が僕と女子二人の間を舐めるように往復した。
――(ふふっ。この部活なら公家のような軟弱男子とか弱き女子ばかり。由緒正しき武家の某なら、簡単に実権を握れるはず!)
口には出していないが、そのゲスな下心が顔にデカデカと書いてある。
若葉が「前時代過ぎて、アーバンどころじゃない……」と、時代錯誤の暴力にドン引きしているのを完全に無視し、武石は現部長である里見さんにビシッと指を突きつけた。
「歴史研の領地(部長の座)、某がいただく! いざ尋常に勝負でござる!」
きょとんとしていた里見さんであったが、この頭のおかしい悪乗り感に妙な波長が合ってしまったようだ。
完全にスイッチが入った里見さんが、やる気満々で立ち上がった。
「これは歴史研の権力を奪取し、自らの管理下に置こうとする懐古主義的思想結社の政治工作ですね! いいでしょう! 部長として歴史研は私が守ります!」
「ふふふ……女子にしては、良き心構え」
対する武石が懐から取り出したのは――ガチの絹の着物とは対極にある、刀身が真っ白な観光地の土産コーナーで売っている『子供用のプラスチック模造刀(しかも二刀流)』だった。
そして、「この刀にて、いざ尋常に勝負!」と言って、プラスチックの模造刀を里見さんへ一本差し出す。
「うわぁ……何あれ。今時、小学生でもこんな幼稚なことしないし……」
若葉の瞳は、幻滅を通り越して大腸菌でも見るような軽蔑の眼差しを向けている。
僕は自分の平穏な読書環境を守るため、無慈悲に二人を廊下へと追い出した。
「どうでもいいが、部室を荒らすな。表でやれ」
廊下に出るなり、武石は自信満々にプラスチックのおもちゃ刀を上段に振りかぶった。
(女子相手なら楽勝でござる!)という侮りが透けて見える。
「きえぇぇぇーいっ!!」
武石が踏み込み、真っ白な刃を振り下ろす。
――しかし、勝負は一瞬だった。
里見さんが流れるような動きで、武石のゲスな下心丸出しの一撃を回避する。
日頃の埋蔵金探索やディープステートへの諜報活動(という名の奇行)で鍛え上げられた、彼女の人外の身体能力が発動したのだ。
「えいっ!」
里見さんは背後に回り込むと、模造刀の峰で、武石の膝裏を正確に、かつ無慈悲に強打した。
カックン。
「い……痛いでござる!?」
武石は悲鳴を上げ、前のめりに崩れ落ちて廊下に這いつくばった。瞬殺である。
「……む、無念」
「ふふふ……どうやら、私の対ディープステート用の秘奥義(膝カックン)を受けては、流石の工作員も一溜りもないようですね!」
まさに、歴史研の人外の狂気に格の違いを見せつけられた武石は、床に這いつくばったまま、悲痛な声を漏らした。
「まさか斯様な女子に後れを取るとは……某、責任を取って腹を切り申す!」
そう叫ぶと、武石は懐からこれまたプラスチック製の安っぽい短刀を取り出し、悲壮な顔で自分の腹に突き立てようとした。
「ひとんち(部室)の前で何やってんだ!」
「ああっ……!」
僕は真顔で言い放ち、そのおもちゃの短刀をあっさりと没収した。
武器をすべて奪われ、見せ場である切腹ごっこすらも物理的に阻止された武石の心は、完全にポッキリと折れた。
彼は顔を真っ赤にして立ち上がると、脱兎のごとく廊下の奥へと駆け出したのだ。
「お、覚えておれ! かの神君・家康公でさえ負けたことはあり申す! 今日のところは戦略的撤退でござるぅぅぅーっ!!」
袴の裾を踏んで転倒しながら廊下の奥へと消えていく、小物感溢れる情けない叫び声。
「今日のところは……って、あいつ、また来るの……?」
若葉は心底呆れ果てて、ぼやきながらスマホの画面に戻った。
そんなことはそっちのけで、里見さんは、僕が没収した白い刀と短刀をまじまじと見つめ、またしても頓珍漢な推理を展開している。
「この透き通るような白さと、圧倒的な軽量性……まさか、この模造刀、戦国期に既に開発されていたロストテクノロジー!?」
「……ただの子供のおもちゃだ」
僕は深くため息をつき、静寂を取り戻した部室で『フロイス日本史』のページを開き直した。
ああ、今日も僕の平穏な読書時間は、哀れな落ち武者の戦略的撤退によって、こうして守られたのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
歴史研の静寂なるシャングリラに、新たな(そして極めて残念な)刺客・武石胤久が乱入してまいりました。
由緒正しき武家の血筋を名乗り、紋付き袴に烏帽子というガチ勢スタイルで道場破りにやってきた武石くんでしたが……。
第21話は、金曜日のお昼に更新予定です!
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