第15話:重症中二病患者の治療は眼科まで
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラだ。
放課後。定位置のパイプ椅子に深く腰掛けた僕は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』のページをめくっていた。
「……ねえ千葉先輩。昨日から始まったあの月9ドラマ見ました? 出てた女の子がすごく可愛くて――」
「そうだな」
「あと、最近星型のアクセサリーがトレンドらしくて、私も欲しいなーって思ってるんですけど……」
「そうだな。知らんけど」
「……もう。本当に、1ミリも興味ないって顔してますね?」
「そうだな」
「……」
隣に座り、身を乗り出すようにして僕に話しかけてくる一年生のアーバンガール、花見川 若葉。
彼女の箸にも棒にも掛からないような話題に対し、僕は本から目を離さず、NPCのような定型文の相槌だけを返し続けていた。
構ってもらえない不満からか、ついに若葉が僕の手元を覗き込んで文句を言ってきた。
「だいたい、先輩はいつもいつも本ばっかり! 歴史研なのに小説ばっかり読んで……そんなに本が好きなら、文芸部に入ればよかったじゃないですか?」
「……」
「『ドン・キホーテ』……って、それ、頭のおかしいお爺ちゃんが風車に突撃するだけのギャグ小説ですよね? もしかして先輩、里見先輩の生態を理解するためにそんなの読んでるんですか?」
「……アホか」
ドンピシャな嫌味を言われ、僕はため息をついて本に栞を挟み、顔を上げた。
「小説をただの娯楽だと勘違いしているようだな。いいか、当時の社会に蔓延していた空気、民衆のリアルな不安や精神性といった『生きた歴史』を読み解くための歴史学的アプローチにおいて、その時代に書かれた文学ほど雄弁で嘘の少ない一次史料は存在しないんだ」
「うっ……」
「この作品は17世紀スペインの経済破綻と、インフレに苦しむ没落貴族の精神的崩壊を記録した、極めて解像度の高い『一次史料』だ。あの暴れ馬の奇行と一緒にするな」
「……もう! わかりました! 私が悪かったです!」
歴史研らしいぐうの音も出ないロジックでエビデンスを突きつけられ、秒で撃沈する若葉。
まったく、古典文学をただの娯楽だとしか捉えられないとは嘆かわしい。
僕が再び『一次史料』に視線を戻し、部室に平穏な日常が戻ろうとした――まさにその時だった。
バンッ!
「今日は、お友達を連れてきました!」
いつものように元気よくドアを開け放ち、我らが歴史研究部の厄災、里見 結菜が姿を現した。
その後ろには、見慣れない女子生徒が一人、おずおずと続いている。
「えっ!? 里見先輩って、友達いたんだ!」
「花見川さん……気持ちは痛いほど分かるが、それはガチで失礼だからな」
素で驚愕する若葉に一応のツッコミを入れつつ、僕はその『お友達』を観察した。
指定のセーラー服の上からダボッとした黒いパーカーを着込み、フードを深く被っている。右目には眼帯、そして両手にはバイカーがつけるようなレザーの指ぬきグローブという、あまりにも隙のないフル装備だった。
「千葉くん、若ちゃん、こないだお友達になった、文芸部の黒姫 凰香ちゃんです!」
「クククッ……案内ご苦労、我が眷属よ。我は黒姫 凰香……人呼んで『クイーン・クリムゾン!』。この目には、我に封印されし“虚無の魔王”が宿っているのだ! 下手に触れれば、その心すら虚無に支配されるであろう!」
片手で顔の半分を覆うという、教科書通りのテンプレポーズをキメながら、文芸部の黒姫 凰香は高らかに言い放った。
「うわぁ……ガチでヤバいの来たぁ……」
ドン引きして呆然とする若葉。
僕はその横で、極めて冷静に問いかけた。
「僕が文芸部に入らなかった理由が、分かってくれたか?」
「……はい。痛いほど分かりました」
虚無の顔になった若葉が同意し、これで厄介な来訪者の処理は終わるはずだった。
……歴史研の誇る『本物の狂気』が、目をキラキラと輝かせて食いつかなければ。
「目に封印された、虚無の魔王……それは『プロビデンスの目』、つまりフリーメイソンの暗喩……。今わかりました! 凰ちゃんは、フリーメイソンの会員だったんですね!」
「え……? い、いや、我の目に封印されてるのは、き、虚無の魔王であって……」
「フリーメイソンと言えば、世界を陰で牛耳るディープステートとも密接な関係ですよね! 凰ちゃん、ディープステートの真の目的について、詳しく教えて下さい! 私、気になります!」
純度100%の無垢な陰謀論で詰め寄られ、凰香がジリジリと後ずさる。
「い……いや、だから、フリー何とかでもディープステートでもなくて、私のは虚無の……!」
「虚無の魔王……分かりました! つまり、人類の思考を奪い、家畜化する『愚民化政策(3S政策)』の隠語ですね!? さすが秘密結社、恐ろしい計画です! 今すぐ凰ちゃんの目を調べさせてください!」
「あ……え、ちょっと!」
里見さんは逃げ腰の凰香の肩をガッチリとホールドすると、あろうことか無理やり眼帯を引っぺがし、彼女の瞼を指で力強く押さえつけた。
「これは大変です! 凰ちゃんの瞳の色が紫色です! しかも目が真っ赤です! ああ、だから『クリムゾン(真紅)』なんですね! これはいよいよ、プロビデンスの目が開眼されますね! 凰ちゃん、大事なところなので、絶対に瞬きはしないでください!」
「あ……え、ちょっと! ちか、近いっ……! 痛たたた……!」
「千葉くん! 良く調べたいのでペンライトを取って下さい!」
オカルトから物理的な拷問へと移行しかけた地獄の空間を、僕は見かねて一刀両断した。
「……里見さん、離してやれ。それはカラコンの手入れができてなくて、目が充血してるだけだ。早く眼科に連れて行ってやれ」
極めて現実的で痛すぎる医療ファクト(図星)を突かれ、凰香の動きがピタリと止まる。
「え? 眼科? プロビデンスの目なのにですか?」
「ひっ……!? わ、我が眷属よ! 我のこ、この目に封印されし“虚無の魔王”が急用の為、あ、暗黒第六天魔界(文芸部)へ帰るのだっ!!」
ガタッ!!
椅子を蹴り倒し、涙目になった黒パーカーの背中が、文字通り逃げるように部室を飛び出していった。
嵐が去った後の、カビ臭い静寂。
「行ってしまいました……」と不思議そうに首を傾げる里見さんと、未だに事態を飲み込めず呆然としている若葉。
……やれやれ。
騎士道物語をこじらせた重症の中二病患者も、ガチの人外の狂気を前にしては、ただのか弱い普通の女の子だったというわけか。
僕は一人で長いため息をつき、再び手元の『一次史料』に視線を落とした。
ああ、今日やっと、暗黒第六天魔界へ帰還した重症中二病患者の結膜炎が、近所の眼科医によって救われたらしい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は歴史研の部室に、文芸部から重症の中二病患者こと「黒姫 凰香」ちゃんがゲスト出演しました。
※実は、過去作からのゲスト出演です。
設定(痛いキャラ)を作り込んできたはずなのに、本物の狂気(里見さんの物理攻撃と陰謀論)を前にしては、哀れな子羊でしたね。
中二病すら駆逐する里見さんの恐ろしさに、同情を禁じ得ません。
次回(第16話)は、来週火曜日の【12:20】に更新予定です!
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それでは次回、来週火曜日のお昼にお会いしましょう!




