第13話:カラマーゾフな里見三姉妹 II(愛の章)
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部……ではなく、田舎町のサビれたファミレス。
ざわめく店内で、僕たちが陣取ったボックス席だけが、お通夜のような重苦しい空気に包まれていた。
僕は精神的イギリス人として優雅にティーカップのダージリンを啜っているが、目の前に座る若葉はいつものアーバンな覇気を完全に失い、死んだ魚のような目でメロンソーダをストローでかき混ぜていた。
「千葉先輩……先輩って、なんだかんだ実は凄く優しい人だったんですね……」
「藪から棒になんだ?」
「だって、先輩のツッコミって、私を再起不能にはしなかったじゃないですか。あの冷血女の……あれは、私の『存在の定義』ごと消し飛ばす核攻撃でした……」
先日の下校時、里見家の次女・智菜によって自尊心を跡形もなく粉砕された若葉は、すっかり深刻なトラウマを抱え込んでいた。
僕が今まで彼女を、「生かさず殺さず」で放置していた(単に面倒だっただけだが)ことに、ようやく気づいたらしい。
「どうせ私なんて、サステナブルの意味すらわからず、横文字振り回すだけの空っぽな人間だったんです……シビリアンコントロールすらできないデフォルトなモブなんですよ……」
もはや横文字の使い方が完全に崩壊している。若葉はテーブルに突っ伏し、かつてないほど卑屈に沈み込んでいた。
すると、隣でドリンクバーのグラスに並々注がれた謎の褐色液体――メロンソーダとカルピスとエスプレッソの混合物――を美味しそうに飲んでいた里見家長女・里見 結菜が、ふうっと呆れたようなため息をついた。
「……それにしても、うちの智ちゃんが、なんかすいませんね。あの子、ほんとに理屈っぽくてどうしようもないんですよ!」
さも『自分は常識を弁えた保護者です』と言わんばかりの、やれやれ顔。
「「…………」」
僕と若葉の間に、重たい沈黙が落ちた。
((……どの口が言ってんだ、この歩くカオスが))
僕と若葉の心が、出会って以来初めて完璧にシンクロした瞬間だった。
「さて! オリュンポスの神々の飲み物、ネクタルの次は、もっと世界の深淵に迫るスペシャルなドリンクを作って来ます!」
僕らの冷ややかな視線を全く意に介さず、自分のヤバさを完全に棚に上げた里見さんは、意気揚々と席を立ち、ドリンクバーへと向かっていった。
数分後。ドリンクバーの周辺から「ガチャン!」「シュゴォォォ!」という、ファミレスにあるまじき異音が響き渡る。
振り返ると、里見さんが複数のグラスとストローを複雑に連結させている。
「今度はヴェーダ聖典のソーマを再現してみます! 儀式には多少の生贄が必要です!」
「ああっ! お客様、困ります! ドリンクバーを荒らすのはおやめください!」
完全にドン引きする他のお客さんたちと、悲鳴のような声で本気で止めに入る店員さん。厄災の歩みはファミレスの平和な日常をすっちゃかめっちゃかに破壊していく。
「お、お姉ちゃん、何やってるの!? やめてよぉ!」
その時だった。
騒ぎを聞きつけ、店内の別の席から一人の少女が駆け寄ってきた。
「――――ひっ!?」
若葉の喉から、カエルが潰れたような悲鳴が漏れた。
無理もない。その少女の声は、先日若葉のアイデンティティを惨殺した冷酷な論破マシーン……次女の智菜と、聞き分けるのが困難なほど全く同じ声質だったのだから。
「お姉ちゃん」という言葉と、その声を耳にした瞬間、若葉の脳内で智菜の絶対零度の三白眼が鮮烈にフラッシュバックした。
「ひっ、ひぃ……! 来た、また来た……! あのサイコパスが私の語彙力を殺しに来たぁ……っ!」
若葉は悲鳴を上げるのも忘れ、反射的にテーブルの下へとダイブした。隣に座っていた僕のズボンの裾を藁をも掴むような必死さで握りしめ、ガタガタと震えている。
僕は深いため息をつき、騒ぎの中心へと視線を向けた。
駆け寄ってきた中学生の少女の頭で揺れていたのは、結菜の赤でも、智菜の青でもなく、ペールピンクのリボンで結ばれたポニーテールだった。
まだ幼さの残る顔立ちで、長女や次女のような誰もが振り返る「美人」というオーラこそ薄いが、その立ち振る舞いは聖母のように謙虚だった。
少し野暮ったい長めのスカート丈が、彼女の純粋で擦れていない人間性を如実に表している。
「ああっ、本当にすみませんすみません! 姉がご迷惑を……っ! こぼれたところ、私が拭きますから!」
その少女は、顔を真っ赤にして店員さんに直角の綺麗なお辞儀を繰り返し、自前のハンカチで必死に床や台を拭き始めた。
「おい、花見川さん」
「いやぁぁっ! 私はサステナブルなモブですぅぅっ!」
「落ち着け。あれは三女だ。里見家における、唯一の良心であり、最大の被害者だ」
僕はテーブルの下で丸まり続ける若葉の頭を面倒そうに小突いて、強引に席へと引っ張り出した。
「さ、三女……?」
ようやく顔を出した若葉の前に、事態の収拾(物理)を終えた少女が、申し訳なさそうに歩み寄ってきた。
「お久しぶりです、千葉先輩。それに、初めまして……妹の里見 愛菜です。いつも姉が、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません……っ」
消え入りそうな声で、深く頭を下げる愛菜。その姿は、まるで少女漫画の不遇なヒロイン並みに健気で、あまりにも不憫だった。
そのあまりの申し訳なさそうな様子を見た若葉の目から、先程までの恐怖がスッと消え去る。代わりに、強烈なシンパシーの炎が宿った。
自分と同じく、「里見家のカオス」に理不尽に振り回される者同士としての連帯感。若葉は勢いよく立ち上がり、震える両手で愛菜の手をガシッと握りしめた。
「愛菜ちゃん……っ! わかる、わかるよ! あんな氷点下サイコパスの『冷血女』と同じ家で暮らすなんて、毎日が地獄だよね!? 大丈夫、先輩がついてるから! 一緒にあのラスボスを倒して、愛菜ちゃんにサステナブルな平穏を取り戻してあげるね!!」
謎の連帯感を燃やし、完全に次女を里見家の「真の脅威」に認定して熱弁を振るう若葉。
しかし、その熱意に対し、愛菜はハッと顔を上げてブンブンと首を横に振った。
「せ、先輩……っ! ありがとうございます、でも違うんです! 智菜お姉ちゃんは冷血なんかじゃなくて、その……『愛情の表現方法が、人より少しだけ論理的で皮肉っぽいだけ』なんです……っ!」
「いやいや! あんなのただのターミネーターだから! 血も涙もないから! 愛菜ちゃんは完全に洗脳されてるんだよぉぉっ!」
必死に姉を庇おうとする愛菜の悲しき盲目っぷりに、若葉はさらにヒートアップしていく。
(……いや、どう考えても里見家のラスボスは、今まさにドリンクバーで『インド神話の伝説の飲み物』の精製を諦めきれず、店員に怒られている長女の方だろ。なぜそっちの実害MAXの狂気を完全にスルーできるんだ、お前の目は節穴か)
僕はティーカップを傾けながら、見当違いの方向に絆を深めようとするアーバンガールに、心の中で冷たいツッコミを入れた。
ドリンクバーで怒られながらも「KGBの妨害工作が!」と喚くポンコツ長女。絶対零度の論理で世界を切り刻む冷酷な次女。そして、狂った姉たちを愛するがゆえに、涙目で庇い続ける聖母のような三女。
(ドストエフスキーが描いたカラマーゾフ家は、ミステリーな愛憎劇だったが……里見家の三姉妹は、より不条理な『知性の欠如と過剰、ときどき良心』という地獄を体現している)
僕は空になったティーカップをソーサーに置き、鞄の中で眠る分厚いロシア文学の重みを感じた。
(……ドストエフスキー、あなたの作品の一番有名な兄弟たちが、まさか日本の片田舎の一般家庭に姉妹として転生するなんて、夢にも思わなかったろう)
僕は深く、深くため息をつき、ファミレスの喧騒の中で静かに目を閉じた。
ああ、今日も僕の平穏なティータイムは、13歳の不憫な聖母によって守られたのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
『カラマーゾフな里見三姉妹』中編、いかがだったでしょうか?
ついに全貌を現した里見家の三姉妹。狂気の長女、冷酷な次女に続き、最後に登場したのは、圧倒的ヒロイン力と不憫さを併せ持つ天使のような三女・愛菜ちゃんでした。
目の前の「最大の厄災」を完全にスルーして、不在の次女をラスボス認定してしまう若葉ちゃんのポンコツっぷりも健在です。
次回(第14話)は、来週火曜日の【12:20】に更新予定です!
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次回、火曜日のお昼にお会いしましょう!




