第11話:うら若きアーバンガールの悩み
どこにでもある少し田舎の県立高校。そして、旧校舎の片隅にある歴史研究部。
ここは引退した先輩たちが残してくれた、学内で唯一の静寂なるシャングリラだ。
今日も僕は定位置のパイプ椅子に深く腰掛け、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』のページをめくっていた。
報われぬ想いとディスコミュニケーションを描いた、言わずと知れた世界的古典の名作である。
……まさか、この古ぼけた部室で、これに匹敵するほどの喜劇的な悲劇を見せられることになるとは、あのゲーテも思わなかっただろう。
ギィィッと、少し立て付けの悪いドアが開く音がした。
「やっぱり、男の人って優しくて、知性的な人がいいですよねー」
「はあ、そういうものでしょうか?」
これ見よがしに大きな声を出しながら入室してきたのは、一年生のアーバンガール・花見川若葉と、我らが歴史研究部の厄災・里見結菜だった。
若葉があからさまな『見え透いたネタフリ』を仕掛けているというのに、当の里見さんの頭上にはいくつもの「?」マークが浮かんでおり、まったく会話が噛み合っていない。
人差し指でこめかみを押さえ、明後日の方向を眺めるその仕草が、彼女から放たれる虚無感を際立たせていた。
「あ……千葉先輩、いたんですね」
若葉はチラッとこちらを一瞥し、(今は先輩、いない方がいいんですけど……!)という空気を全身から醸し出してきた。
だが、あいにくここは僕のシャングリラである。席を譲る義理もないので、僕は本から視線を上げずに傍観を決め込むことにした。
僕が動かないと悟った若葉は、軽く咳払いをして、果敢にも里見さんへのアタックを再開した。
「ところで、里見先輩って、どんな男の人がタイプなんですか?」
『普通の女子高生』としてのマウント、あるいは情報収集。いかにも恋バナらしい直球の質問に、里見さんは少し考える素振りを見せた後、ロマンチック(?)な回答を口にした。
「そうですね……やっぱり、国籍も年齢も本名も、すべてが謎に包まれている人がいいです!」
「うん……何か凄くきな臭いですけど、例えば?」
「絶対に『自分の背後に人を立たせない人』とか、最高にカッコイイですね! あと、デートの割り勘をスイス銀行への振り込みで指定してくる人とか!」
「それって、どこかの超A級スナイパーじゃないですか!? しかも割り勘って、せこ! それにスイス銀行経由とか、手数料が高すぎて全くサステナブルじゃありません!」
息を切らして見事なツッコミを入れる若葉。
だが、彼女の『里見さんの恋愛事情を探る』という目的は、まだ果たされていない。
「っていうか、そういうのじゃなくて! もっとこう……身近な人で、気になっちゃうとかないんですか?」
若葉は探るような、少し鋭い視線を里見さんに向けた。
そのあからさまな態度は、どうやっても話の通じない里見さんの真意を聞き出そうとする必死なそれである。
「はあ、身近にですか……?」
「例えば……普段は物静かだけど、物事を的確に指摘するインテリで。なんだかんだ文句を言いながらも、絶対に見捨てないで面倒を見てくれる……一見するとミステリアスな文学少年、とか!」
僕の特徴を並べ立てて、あからさまな誘導尋問を仕掛ける若葉。
すると、里見さんはポンッと手を打って目を輝かせた。
「……あっ! わかりました! つまり、表向きは『文学少年』という無害な隠れ蓑を被りつつ、裏では的確な情報分析でエージェントを支援し、どんな窮地でも絶対に退路(脱出ルート)を確保してくれる人……!」
「……え?」
若葉の顔に、明らかな戸惑いが浮かんだ。
だが、ここで話の腰を折られてなるものかと、彼女は半ばヤケクソ気味にさらに一歩踏み込んだ。
「な、なんか言い回しが物騒だけど……で、どうなんですか? そういう人のこと、その……気になりませんか!?」
「そうですね! 私、気になります!」
よしっ、と若葉が(なぜか)小さくガッツポーズをした。
そして彼女は、わざとらしく天井を仰ぎ見ながら、大仰な身振り手振りで言葉を続ける。
「あれれ! そういえば、そんな人……凄く身近にいたような気がするなーっ!」
「……へ?」
若葉はチラチラ、いや、バッチリと僕の方へ視線を送りながら、里見さんを必死に誘導している。
(……やれやれ。この間は僕の腹を探ってきたと思えば、今度は里見さんへの誘導尋問か。そこまでして僕たち二人の間に『色恋沙汰』を見出したいらしいが……無理やり僕の存在を意識させてどうする。これじゃあ、ただ僕たちを結びつけようとするポンコツなキューピッドじゃないか。完全に目的を見失っているぞ)
他人の関係を詮索したがる女子高生特有の悪癖。それにしても、話の通じない先輩のピントのズレた回答に付き合っているうちに、ムキになったツッコミ側の後輩までIQが低下していくとは。
ミイラ取りがミイラになってどうする。これもまた、この歴史研究部の恐ろしい生態系の一つである。
僕が呆れ果てて生温かい目で見守っていると、若葉の必死のジェスチャーに、ついに里見さんがハッとした顔で僕を指差した。
「ああ、そうか! 千葉くんのことですね!」
「そ、そうです! 千葉先輩です!」
(よし、ついに言わせた!)と、握手でも求めんばかりに、若葉の顔がパァッと明るくなる。
完全な自作自演にも関わらず、彼女は『特大のゴシップ(恋愛感情)』を引き出せたと勘違いし、期待に胸を膨らませて里見さんの次の言葉を待った。
里見さんは、まるで世界の真理に辿り着いたかのように、キラキラと目を輝かせて歓喜の声を上げた。
「私、今まで気が付きませんでした! 千葉くんは、私の最高の『ハンドラー(連絡係)』だったんですね!」
「え…………はんど、らー?」
若葉の顔から、スッと表情が抜け落ちた。
『僕と里見さんの関係を暴きたい』という彼女の下世話で不毛な努力は、一切の恋愛感情が存在しない純度100%の狂気の前に無残にも砕け散り――あろうことか、暴れ馬の『スパイ妄想』に新たな設定(属性)を付与するだけのアシストになってしまったのだ。
「何がハンドラーだ。僕は問題ばかり起こすカオスでポンコツな工作員の飼い主になった覚えはない」
僕が冷ややかにそう言い捨てると、里見さんは「酷いです!」と、全く若葉の意図に気付かず、僕のことをポカポカと叩き出した。
その横で、全く恋愛感情の土俵に立っていない『人外の絆』を見せつけられた若葉は、完全にSDGsな脳がショートしたのか、白目を剥いて硬直している。
「あはは……はんどらー……ははは」
僕は静かにため息をつき、『若きウェルテルの悩み』をパタンと閉じた。
人外(暴れ馬)の狂気に、恋バナを挑んだ哀れなアーバンガール。やはり彼女は、救われなかった……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
千葉くんと里見さんの間に恋愛フラグ(ゴシップ)を立てようと必死に画策した結果、無残にも「ハンドラー(連絡係)」という新たなスパイ設定を爆誕させてしまった若葉ちゃんの空回りっぷり、いかがだったでしょうか?
一切の恋愛感情が存在しない(?)カテゴリーエラーな二人の前に、アーバンな乙女心は今日も無残に砕け散るのでした。
次回(第12話)は、来週火曜日の【12:20】に更新予定です!
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次回、火曜日のお昼にお会いしましょう!




