第97話 何かが変だ
その日、心春はすずなと二人でギルドを訪れていた。紬は別の依頼で朝から出かけている。
「心春さん、こちらに依頼が届いています」
受付嬢が羊皮紙を差し出した。
「南の街からですか?」
心春の眉が、わずかに上がる。以前のパーティー、ソレイユからの応援要請だった。
「調査依頼ですね」
封を開け内容に目を通していく。
「南の街まで、行くんですね」
「はい。ちょっとした違和感があるみたいで、詳しい調査を手伝ってほしいと」
「違和感、ですか」
「詳しいことは現地に行ってみないと、分からないみたいです」
心春はそのまま帰り支度を始めることにした。使い慣れた短剣を確認し、収納鞄に必要なものを詰めていく。
「送ろうか?」
すずなが加護を使えば一瞬で送れることを、心春は知っている。少しだけ心が動きかけたのを、悟られないうちに首を振った。
「大丈夫です」
心春は小さく笑って首を振った。
「便利に慣れすぎるのも、良くないので。たまには自分の足で行かないと」
すずなの顔に、驚いたようなそれでいて納得したような表情が浮かんだ。
「心春さんらしいですね」
「昔からの癖、みたいなものです」
鞄を背負い直しながら、心春は静かに頷いた。
南の街までは、徒歩と乗り合い馬車を乗り継いで、数日の距離がある。依頼を挟まず寄り道もしない一人旅は、慣れた道のりをまっすぐに進むだけの、久しぶりに感じるゆっくりとした時間だった。
数日後、南の街に着くと以前と変わらない賑やかさが広がっていた。それでもどこか空気が違う。上手く言葉にできない、けれど確かに感じる違和感があった。
ギルドに入るとガレットたちが険しい表情で顔を突き合わせていた。
「ミハル、来てくれたか」
「はい。それで、詳しい状況を教えてもらえますか」
テーブルの上の地図を覗き込む。
「ここ最近、周辺の魔獣の様子がおかしい」
地図の一点に、ガレットの指が置かれる。
「おかしい、というのは」
「普段は縄張りから出てこないはずの個体が、やたらと徘徊するようになった。それに」
一度、言葉が切られる。
「気配が以前より濃くなっている気がする」
その説明を聞きながら、心春の眉根が無意識に寄った。何かが引っかかる。けれどそれが何なのか、はっきりとは掴めない。
「調査、始めましょう」
地図を手に、心春は立ち上がった。
街の外れ、森の入り口に差し掛かったところで足が止まった。風の匂いがいつもと違う。肌に感じる空気の重さも、微妙に変わっている気がした。
「何か、変だ」
小さく、そう呟く。
ただ、それが具体的に何なのか言葉にはできなかった。長年培ってきた勘が、静かに警鐘を鳴らしているような感覚だけが、胸の奥に残っている。森の中を進むにつれて、その違和感は次第に輪郭を持ち始めた。
木々の葉が、風もないのに小さく揺れている。地面に落ちた枝葉が、時折、誰も踏んでいないのに、かすかな音を立てる。魔獣の気配は確かにある。けれど、それだけではない。何か別のものが、この森の奥に潜んでいるような気がした。
「ミハル、どうした」
同行していた仲間の一人の声だった。
「いえ、少し様子を見てただけです」
心春は視線を森の奥へと向け続けたままだった。
Silent Stepを発動し、気配を殺しながら慎重に足を進める。木々の隙間から差し込む光が、揺らめくように瞬いた。まるで空間そのものが、わずかに歪んでいるようだった。
「この先に何かある」
確信を抱きながらさらに奥へと進む。
開けた場所に出ると、そこにはこれまで見たこともない光景が広がっていた。地面の一部が、うっすらと発光している。魔獣たちが、その場所を避けるように周囲をうろついていた。
「これは……何?」
心春は思わず息を呑んだ。地面から漏れ出す光は、これまで見たどの魔法とも異質な色をしていた。
何かが、この森の奥で静かに目覚めようとしている。そんな予感が背筋を這い上がってきた。
ただ、それが何なのか。心春にはまだ分からなかった。これまでに感じたことのない種類の緊張感が確かにそこにはあった。
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