第94話 寄り添うもの
エルフィの家を出た後も、すずなはしばらく口を開けなかった。夕暮れの街並みがいつもより色褪せて見える。隣を歩く紬は何も言わず、ただそっと肩を寄せて、すずなの横を歩き続けていた。
家に着くと、すずなはソファに腰を下ろし、ぼんやりと窓の外を眺めた。乗り越えた者がいたという事実。それでも長くは持たなかったという結末。自分もいつか同じ道を辿るのだろうか。そんな考えが、頭の中で静かに渦を巻いていた。
「先輩」
紬が隣にそっと腰を下ろし、何も言わずに手を重ねてきた。
「大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。ちょっと考え込んじゃって」
すずなはそう答えながらも、自分の声が少し硬いことに気づいていた。重なった紬の手の温もりだけが、その硬さをわずかに和らげてくれる。
翌日、すずなは一人でエルフィの家を訪ねた。どうしてももう少しだけ知りたいことがあった。
「昨日のあの人のこと。もう少し教えてもらえますか」
エルフィはしばらくすずなの顔を見つめた後、静かに口を開いた。
「名前はもう覚えていない。だが、真面目で責任感の強い男だった」
その言葉にすずなは静かに耳を傾けた。
「試練に一人で挑み、一人で乗り越えた。誰にも頼ることをしなかった」
エルフィの視線が、一瞬すずなから逸れて宙をさまよった。指先が、何かを探すように膝の上でわずかに動く。
「その人は寂しかったんでしょうか」
すずながぽつりとそう尋ねる。
エルフィはひと呼吸置いてから、答えた。
「フォローではないぞ」
「はい」
「奴は、孤独だった。寄り添うものがいなかったからだ」
その言葉がすずなの胸に静かに沈んでいく。
「でも、お前は違う」
エルフィはそう言いながら、すずなをまっすぐに見た。
「紬がいるだろう」
すずなはその一言に、思わず息を呑んだ。当たり前のように隣にいてくれる紬の存在が、今、改めて重みを持って心に響いてくる。
「はい」
すずなは静かにそう答えた。詰まっていた息が、ゆっくりと胸の奥からほどけていくのが分かった。
「そうか」
すずなはその言葉を、自分の中でもう一度噛み締めるように呟いた。
「私には紬がいる」
その一言が、胸の奥にすとんと落ちてきた気がした。
家に戻ると紬が心配そうな顔で出迎えてくれた。
「先輩、エルフィさんの所、どうでした?」
「紬」
呼び捨てにされた紬が、驚いたように目を丸くした。すずなは何も言わず、その体をそっと引き寄せて抱きしめた。
「先輩……?」
「紬が一緒にいてくれたら。私は大丈夫だと思う」
腕の中で紬の体温を感じながら、すずなはもう一度、その言葉を確かめるように噛み締めた。紬は驚いたように一瞬体を強張らせたが、すぐに力を抜き、すずなの背中にそっと腕を回した。
「もちろんです。私、ずっと先輩のそばにいますから」
その声は、いつもよりわずかに震えていた。すずなは腕の中の温もりを、もう少しだけ長く感じていたいと思った。
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