第93話 なぜそこまで知っているのか
エルフィの家を辞去した後も、すずなの頭からは、先ほどの言葉が離れなかった。
「マスターランクが数名手伝っても、足りるかどうか怪しい」
あの一言の重みが、じわじわと胸に沈んでいく。
「そこまで厳しいものなんでしょうか」
帰り道、すずなはぽつりとそう漏らした。
「私も正直ちょっと想像つかないです」
紬が隣で腕を組みながら首を傾げる。
「マスターランクの人が数名がかりでも危ういって、どれくらいの規模なんですかね」
二人はしばらく無言で歩いた。夕暮れの街並みが、いつもより静かに感じられる。
「それに気になったことがもう一つあって」
すずながふと足を止めた。
「エルフィさんって、なんであんなに詳しいんでしょう」
「あ、それ私も」
紬の声に驚きの色が滲む。
「試練のことあんなに具体的に語れるものなんですかね」
考えてみれば、そもそもエルフィは異世界人だ。すずなの持つFable Unboundは、こちらの世界特有の力のはずだった。それなのに、まるで内部事情を知っているかのような口ぶりだった。
結局、二人はその足でエルフィの家へと引き返すことにした。
扉を叩くと、少し間を置いて顔を出したエルフィは、意外そうに眉を上げた。
「戻ってきたのか」
「すみません、もう一つ聞きたいことがあって」
すずながそう切り出す。
「なんだ」
「エルフィさんは、どうしてThorn bound Fateについて、あんなに詳しいんですか」
エルフィの表情がわずかに変わった。普段のそっけなさとは違う、何かを測るような間があった。
「入れ」
短くそう言うとエルフィは扉を大きく開けた。
案内されたのはこれまで通したことのない、家の奥の部屋だった。棚には見慣れない古い書物や、小さな道具が並んでいる。埃をかぶった空気には、他の部屋とは違う、時間の止まったような静けさが漂っていた。
「ここは……」
紬が物珍しそうに辺りを見回した。
「昔集めたものをしまってある場所だ」
エルフィはそう言いながら、一冊の古びた本を棚から取り出した。表紙には掠れた文字で何かが記されている。
「これは」
すずなが目を凝らす。
「過去に発生した試練の記録だ。私が挑んだものではないが記録として、目を通したことがある」
エルフィはそう言いながら、古びた本のページをゆっくりとめくっていった。
「この試練を実際に乗り越えた者がいる」
「乗り越えた……?」
すずなが思わず身を乗り出す。
「お前たちと同じ日本から来た者だ」
その一言に紬とすずなは顔を見合わせた。すずなの中で、これから自分が挑むはずの五つの試練という言葉が、急に輪郭を持ち始めた。
「日本人が、Thorn bound Fateを?」
「ああ。ずっと昔の話だ」
エルフィはそう言いながら、ページの一点に視線を落とした。指先が、そのページの端を無意識になぞっていた。
「私もその現場にいた」
部屋にしばらく沈黙が落ちた。
「その人は、今も……」
すずなが恐る恐る尋ねる。
「もういない」
エルフィの声はいつもより低かった。
「試練は乗り越えたが代償が大きすぎた。生き延びはしたが、長くは持たなかった」
「そんな……」
紬が思わず声を詰まらせる。すずなは何も言えなかった。乗り越えたのに、生き延びられなかった。その言葉が、これから自分が挑む道の先に、静かに横たわっているような気がした。
「だから私は詳しい」
エルフィは静かに本を閉じた。指先がまだ、表紙の上に置かれたままだった。
「あの試練がどれほどのものか、身をもって知っている者の数少ない一人だからだ」
その声には、これ以上踏み込ませない硬さがあった。すずなも紬も、それ以上は何も聞けなかった。棚の隅で、古い本の背表紙だけが、静かに埃をかぶっていた。
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