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第76話 拠点移動の決意

 中村さんの家で心春の今後について話し合った翌日、中村さんは「あちらで築いてきたものを大切にしてほしい」と娘の背中を押した。すずなから、加護を使えばいつでも自由に日本へ帰れることを聞かされた心春は、その気軽さに驚きながらも安堵の色を見せる。覚悟を決めた心春は再び異世界で頑張ることを父に約束した。翌日、すずなから拠点を同じ地域に移す提案を受け、心春は少し考え込みながらも前向きな表情を見せていた。

 朝の食堂には、いつもより賑やかな声が響いていた。心春はテーブルの端に座り、ソレイユのメンバーを順に見回す。長い付き合いのある顔ぶれを一人ずつ確認するたびに、これから告げる言葉の重さが少しずつ胸にのしかかってくるようだった。ガレットが、いつも通りの調子で笑いかけてきた。


「で、ミハル。今日は何の話だ」

「実は皆さんに、お伝えしたいことがあって」


 心春は一度息を吸い、それから言葉を続けた。膝の上で組んだ両手に無意識に力がこもる。


「拠点を移そうと思ってます。すずなさんと紬さんと、同じ街に」


 テーブルが、一瞬静かになる。誰かが息を呑む音が聞こえた気がした。心春は皆の反応を確かめるように、視線をゆっくりと巡らせた。


「そうか」


 最初に口を開いたのはガレットだった。表情に驚きはあっても、翳りはない。


「まあ、元々うちは臨時みたいなもんだったしな」

「臨時、というのは」

「お前が来る前から、俺たちはずっと五人だった。お前が加わったのは、あくまで応援だ。それ自体は嬉しかったが、お前を縛るつもりは最初からなかった」


 心春はその言葉に少し目を伏せた。応援として迎え入れてもらった時のことを、思い出す。あの頃は、まだ帰る手段すら分からず、ただこの街で生きていくしかなかった。その記憶が胸の奥をちくりと刺した。

 ガレットは、椅子の背にもたれながら続けた。


「それに、街を移ったって縁が切れるわけじゃないだろ」

「はい」

「困った時は呼べ。逆にこっちが困った時も呼ぶかもしれんがな」


 軽い口調だった。けれど、その奥にある本音が、心春にはちゃんと伝わった。込み上げてくるものを堪えるように、心春は小さく唇を結んだ。

 テーブルの端で、ずっと黙っていたメイアが小さく手を挙げた。


「私、あの二人と一回だけ組んだことあるけど。すごかったよ」

「知ってる。話は聞いた」


 心春は思わず笑ってしまった。すずなと紬の噂は、この街のギルドでも度々耳にする。


「ミハルがあの二人と近くにいられるの、正直ちょっと羨ましいけどな」


 メイアがそう言うと、周りから小さな笑いが起きた。


「そんな大したものじゃないですよ、多分」


 心春はそう答えながらも、内心では少し違うことを考えていた。あの二人と過ごした時間はまだ数日にすぎない。それでも、あの安心感は忘れられなかった。心の奥に灯った小さな温かさは、この場を離れても消えることがなかった。


 食事を終え、心春はギルドへ向かった。依頼の整理と、拠点移動の手続きを済ませておく必要がある。窓口には、見慣れた受付嬢がいた。


「あら、ミハルさん。今日はどうされました」

「拠点移動の手続きをお願いしたくて」

「南の街から、ですか」

「はい。すずなさんたちと、同じ地域に」


 受付嬢は少し目を見開いてから、すぐに柔らかい表情に戻った。


「あちらのお二人と一緒だなんて、心強いですね」

「はい。色々とお世話になりっぱなしなので」

「手続きは、こちらで進めておきます。数日で完了すると思いますので」


 受付嬢はそう言いながら、書類を手早く準備していく。手続き自体は思ったよりあっさりと済んだ。拍子抜けするほどの早さに、心春はどこか実感の湧かないまま頷いた。


「ありがとうございます」


 心春はそう言ってギルドを後にする。翌日、心春はすずなと紬に連れられて、二人の住む街へと転移した。加護を使えば一瞬だと聞いていたが、実際に景色が切り替わる瞬間には、何度経験してもまだ慣れない。視界が切り替わる一瞬、胸の奥がふわりと浮くような感覚だけが残る。


「ここが、お二人の街ですか」

「はい。私たちの家は、あっちの方にあります」


 すずなが指差した先には、こぢんまりとした家が並んでいた。


「心春さんの家も、この辺りで探せたらいいなと思ってます」


 紬がそう言いながら街の地図を広げる。


「一緒に住むわけじゃないので、あまり気を遣わないでください」


 心春がそう言うと、紬は少し首を傾げた。


「気を遣ってるわけじゃないですよ。近くにいてくれた方が、私たちも嬉しいので」


 すずなも隣で小さく頷いた。


「何かあった時すぐ会えるのは心強いですから」


 心春はその言葉に少しだけ照れくさくなった。頬にじんわりと熱が集まるのを感じながら、視線を少しだけ逸らした。


 三人は街の中心から少し離れた通りを歩き始めた。石畳の道の両脇には、こぢんまりとした家が並んでいる。


「このあたりは、家賃も落ち着いてますよ」


 紬が説明しながら、一軒の空き家を指差した。


「静かでいい雰囲気ですね」


 心春は辺りを見回しながら呟いた。日本とは違う街並みだったが、不思議と落ち着く空気があった。


「良かったら中も見てみますか」


 すずながそう提案した。


「はい、お願いします」


 三人は空き家の中へと足を踏み入れた。すずなが先に立ち、心春の後ろを歩いていく。


「ここ、日当たりも良さそうですね」


 すずなが窓の外を見ながらそう言った。


「本当ですね」


 心春はすずなの隣に並び、同じように窓の外を眺めた。その距離がいつもより少しだけ近かった。腕が触れそうな距離に、心春は不思議と落ち着かない気持ちになった。


「心春さんここ気に入りました?」


 紬がそう尋ねると、心春は少し考えるように視線を巡らせた。


「良さそうです。でも、まだ他も見てから決めたくて」

「そうですよね。焦らなくていいと思います」


 すずながそう頷いた。


「最初は、賃貸で始めるのもいいかもしれません。買うのは住んでみてからでも」

「はい。私もそう思います」


 心春はその提案に少しほっとしたような表情を見せた。まだこの街に根を下ろすと決めたわけではない。それでもこうして選択肢を残してもらえることが、ありがたかった。


 三人はその後もいくつかの空き家を見て回った。歩くたびに心春はすずなの近くに寄り添うように立つことが増えていった。


「心春さん、あっちの家も見てみましょうか」


 すずながそう声をかけると、心春はすぐに頷いた。


「はい行きましょう」


 その返事は、心なしか早すぎた。頬の熱がまだ引いていないことに、心春自身は気づいていない。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


すずなたちの物語を、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。皆さんに読んでいただけることが、この物語を書き続ける力になっています。

もしよろしければ、ブックマークや評価もいただけると嬉しいです。

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