第73話 肉三昧の宿
すずなは心春に、明日日本へ渡って父に会わないかと提案する。二年間押し殺してきた想いに涙をこぼしながら、心春は同行を決意した。翌朝、緊張と不安を抱えながらも、すずなたちに支えられて日本へ渡る。懐かしい街並みに心を震わせつつ中村さんの家へたどり着くと、震える手でインターホンを押した心春に、中村さんは涙で応えた。二年分の想いが溢れる再会を果たした後、中村さんはすずなたちに深々と頭を下げ、娘の命を救ってくれたことへの感謝を伝えた。
しばらく和やかな時間が流れた後、すずなはそろそろと切り出した。
「そろそろ失礼しますね」
「え、もう行かれるんですか」
中村さんが少し名残惜しそうにそう言った。
「はい。実はこれから温泉に行く予定で」
「温泉ですか」
「はい、エルフィさんのリクエストで」
すずながそう言うと、エルフィがこくりと頷いた。目の奥にはすでに肉料理への期待がありありと浮かんでいる。
「肉が食べたい」
「肉三昧の宿を予約してあるので」
紬がそう補足すると、中村さんは少し微笑んだ。
「それは楽しみですね」
「帰りに、また、寄らせていただきますね」
すずながそう言うと、中村さんは嬉しそうに頷いた。
「はい、ぜひ」
心春はその様子を少し離れた場所で静かに見守っていた。指先で自分の袖口をそっと握り、まだ慣れきらない父娘の距離をどう埋めればいいのか、確かめるような表情を浮かべている。
「心春さんは、お父様とゆっくり過ごしていてください。帰りに、またお会いしましょう」
「はい……ありがとうございます」
心春はそう答えながら父の隣にそっと寄り添った。その頬にはわずかな照れと、それを上回る安堵の色が滲んでいた。
三人は二人に見送られながら家を後にした。
「また来ますね」
すずながそう言うと、中村さんは手を振りながら答えた。
「いつでも待ってます」
その笑顔は以前会った時よりも、ずっと明るいものだった。かつて心春の行方も知れず不安に沈んでいた表情とは、まるで別人のようだった。
家を出たところで、すずなは改めて今日の予定を確認した。
「今回の宿、初めて行く場所ですよね」
「はい。前と違う宿を予約しました。肉料理が有名なところで」
紬がそう答えた。
「じゃあMoon Returnは使えませんね。一度行ったことのある場所じゃないと」
「そうなんです。なので今回はレンタカーを借りて向かいましょうか」
「はい、お願いします」
近くのレンタカー営業所で車を借り受ける。運転席には紬が座った。
「エルフィさん、後ろ座ってください」
「ん」
エルフィは少しそわそわとした様子で後部座席に乗り込んだ。シートベルトを何度も確かめるように引っ張り、居心地悪そうに座り直している。
「エルフィさん、車、久しぶりですか」
すずながそう尋ねると、エルフィはこくりと頷いた。
「いつも、転移で直接来てたからな」
「そういえば、そうですね」
車は高速道路を進んでいった。窓の外を流れる景色にエルフィは興味深そうな視線を向けていた。ガードレールの向こうを飛ぶように過ぎていく標識に、長命種らしからぬ子供っぽい好奇心が覗いている。
宿に到着すると案内された部屋には、すでに豪華な肉料理の準備が整えられていた。湯気の立つ皿から漂う香ばしい匂いが、部屋いっぱいに満ちている。
「わぁ、すごい量ですね」
紬が目を輝かせながらそう言った。テーブルには様々な部位の肉料理が所狭しと並んでいる。
「これは」
エルフィも、その量に驚いた様子を見せた。普段は物事に動じないその表情が、珍しく大きく見開かれている。
「たくさん召し上がってください」
すずながそう促すと、エルフィはさっそく一切れ口に運んだ。噛みしめた瞬間、肩から力が抜けたように表情が緩んだ。
「美味い」
「気に入っていただけて良かったです」
エルフィはその後も次々と肉料理に手を伸ばしていった。牛肉、豚肉、鶏肉。様々な調理法の肉が次々とその口に運ばれていく。皿の減っていく速さに、給仕係が思わず二度見するほどだった。
「エルフィさん、本当に肉好きですね」
紬が少し呆れたように、そう言った。
「何が悪い」
「悪くないですけど。海鮮の時と反応も全く同じですし、勢いもすごいので」
「美味いものは美味い」
エルフィのその率直な言葉に、すずなと紬は思わず笑ってしまった。肩を寄せ合うように笑う二人を横目に、エルフィはまた次の一切れへと箸を伸ばしている。
夜が更けるまで三人は、その豪華な食事を心ゆくまで楽しんだ。テーブルの上に積み重なっていく空の皿の数だけ、笑い声も重なっていった。
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