第66話 残り三枚
迷宮を進むすずなと紬は、三十分ごとに手の甲に痛みを感じるようになる。浮かんだ薔薇の紋章の花びらが少しずつ減っていることに気づき、同時に魔物がやけに手強く感じられる違和感の正体を悟る——力が弱くなっているのは魔物ではなく自分たちの方だった。
二時間が経過した頃、花びらは十二枚から八枚に。このままでは制限時間内に力を使い果たしてしまう。「未達成時、全ての力の消失」という警告の意味を実感し、二人は焦りを募らせながら、心春を見つけ出すべく迷宮のさらに奥へと足を速める。
時間はすでに四時間以上を経過していた。花びらは残り三枚。強化された能力は、すでに七十五パーセントが失われていた。
「先輩、また来ます」
紬が剣を構えながらそう言った。息が上がり、構えた切っ先がわずかに揺れている。
「Siren's Grace、かけ直します」
すずなは絶え間なくSiren's GraceとForm Veilの両方を発動させ続けていた。魔力の消耗が激しい。頭の芯がじんと痺れるような感覚が、発動のたびに増していく。それでもこれを止めれば、たちまち魔物に押し切られてしまう。
「先輩、大丈夫ですか。顔色すごく悪いです」
「大丈夫です。まだいけます」
すずなはそう答えながらも、内心では焦りを隠せずにいた。かつては一撃で倒せていた魔物が、今では何度も斬りつけなければ倒れない。防御の膜も以前より薄く脆くなっているのが分かる。腕を振るうたびに、肩から先の感覚が少しずつ鈍くなっていくのが恐ろしかった。
「花びら、あと三枚……」
紬が自分の手の甲を見ながらそう呟いた。声が微かに震えている。
「残り時間は、あと一時間半といったところですね」
すずなは頭の中でこれまでのペースを計算していた。順調に進んでいるとは到底言えない。むしろ迷宮の広さと複雑さに、二人は翻弄され続けている。焦りだけが積み重なり、体力と反比例するように膨らんでいった。
「心春さん、絶対見つけないと」
紬の声には焦りと決意が入り混じっていた。
「はい。もう少しのはずです」
すずなはそう言いながら剣を握り直した。柄を握る手のひらに、汗なのか震えなのか分からない湿り気があった。二人がかりでSiren's GraceとForm Veilを常にかけ続けなければ、もうまともに戦えない。それほどまでに力の消耗は深刻なものになっていた。
「行きましょう」
残された力を振り絞るように、二人は迷宮のさらに奥へと足を進めていった。
さらに三十分が経過し二人の手にまた痛みが走った。今度の痛みはこれまでよりも鋭く長く続いた。
「花びら、残り二枚……」
すずなは震える声でそう呟いた。すでに二人は限界に近づいていた。呼吸は荒く、剣を握る手にも力が入りづらくなっている。視界の端がわずかに歪んで見えた。
「先輩、まだ頑張れます」
紬がそう言いながらも、その声には隠しようのない疲労が滲んでいた。膝が一瞬がくりと折れかけ、慌てて踏みとどまる。
それでも二人は足を止めなかった。強い魔獣に苦戦しながらも、一体、また一体と倒しながら迷宮の奥深くへと進んでいく。息を吸うたびに肺が焼けるように痛んだ。
そして、ついに通路の先に紫色に光る石碑を見つけた。
「あれ、何か感じます」
紬が緊張した面持ちでそう言った。疲労の色を押しのけるように、その目にわずかな光が戻る。
「私たちが触れた石碑と色が違いますね」
すずなもその異様な輝きに目を細めた。乾いた喉の奥から、掠れた声がやっと出た。
「もしかしたら、この先に何か手がかりがあるかもしれません」
「行ってみましょう」
二人は迷わず手を繋いだ。しっかりと指を絡め合わせる。互いの手の震えが、そのまま伝わってくるようだった。
「離さないでくださいね」
「はい、絶対に」
二人はそのまま、光る石碑にそっと触れた。
次の瞬間、紫色の光が視界いっぱいに広がった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。すずなたちなら、こんな時きっと「支えてくれる人がいるから頑張れる」と言うはず。
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