第49話 言葉にすること
ある日の午後、ファンクラブの集まりの後クラリスが紬をそっと呼び止めた。
「紬様、少しよろしいですか」
「はい、なんでしょう」
紬は少し不思議そうに、クラリスについていった。
庭の隅、誰もいない場所でクラリスは真剣な表情を浮かべた。
「紬様は、お姉様に正式に想いを伝えられましたの」
「え」
紬はその質問に、一瞬言葉に詰まった。
「正式にというのは」
「言葉で。はっきりと。好きです。と」
クラリスの問いは、思いのほか直球だった。
「それは……」
紬は記憶を辿った。
一緒に暮らそうと決めた日、お互いの気持ちを確かめ合った日。
それでも、そのとき交わした言葉を思い返してみると、はっきりと「好き」とは言っていなかった気がする。
「行動では示してる、と思うんですけど」
紬は、そう答えるのが精一杯だった。
「行動と言葉は別ですわ」
クラリスは静かに、そう言った。
「わたくしは思いますの。言葉にすることには、行動だけでは伝わらない意味があると」
その言葉に紬はしばらく何も言えなくなった。
その日の夜、紬はなかなか寝付けずにいた。
「言葉、か」
布団の中で、隣で眠るすずなの寝顔をそっと見つめる。
これまで行動では、いくらでも示してきたつもりだった。手を繋ぐことも抱きつくことも、隣で眠ることも、すべて自然なことのようにしてきた。それでも思い返せば、「好きです」という一番シンプルな言葉を、まだ一度も口にしたことがなかった。
「今更かな」
紬は小さく呟いた。すでに一緒に暮らすことを決め、これからの人生を共に歩むと約束している。それなのに、なぜかその一言だけがまだ心の奥にしまわれたままだった。
「照れくさい、だけなのかな」
紬はそう自分に言い聞かせた。それでも、もう一つ心の隅にあった思いが、頭をもたげてくる。
女性同士の恋愛に、正式な告白なんて必要なのだろうか。男女のように当たり前に語られる形が、自分たちにはそもそも当てはまらないのではないか。そんな迷いが、紬の中に、っとあった。
「私たちの関係に、そういうのいるのかな」
紬は誰にともなく呟いた。それでもクラリスの言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。行動だけでは伝わらない意味がある。
紬はそっと、すずなの手を握った。眠っているすずなは、その手を無意識に握り返してきた。その温かさに紬は少しだけ安心しながらも、同時に新しい迷いを抱え始めていた。
数日後、すずなが一人で街の市場を歩いているとクラリスに声をかけられた。
「お姉様、お一人ですの?珍しいですね」
「紬さんは、今日、配達の依頼で隣町に行ってます」
「ちょうど良かったですわ。少しお聞きしたいことが」
クラリスはそう言って少し真剣な表情になった。
「お姉様は紬様に、正式に想いを伝えられましたの」
「え」
すずなは、その質問に思わず立ち止まった。
「正式に、というのは」
「言葉で、はっきりと。好きです、と」
その問いに、すずなはしばらく考え込んだ。紬との関係は、もう誰の目にも明らかなものだった。それでも改めて問われてみると、確かにその一言をはっきりと口にした記憶がなかった。
「そう、いえば……」
「ございませんの?」
「はい。行動では示してきたつもりですけど」
すずなは少し困ったように、そう答えた。
「行動と言葉は別ですわ」
クラリスは静かに、そう繰り返した。それは以前、紬にも伝えた言葉と同じだった。
「わたくしは思いますの。大切な人には、ちゃんと言葉で伝えるべきだと」
その言葉に、すずなはしばらく何も言えなくなった市場を後にしながら、すずなはずっとその問いを頭の中で繰り返していた。紬に対する気持ちは、もうはっきりしている。それなのに何故かまだ言葉にしたことがなかった。
「言葉、か」
すずなは小さく呟いた。丁寧に生きてきたつもりだった。それでも一番大切なことを、まだ丁寧に伝えられていなかったのかもしれない。
同時に、すずなの心には紬と同じ疑問があった。
女性同士で正式に告白すというのは、どこか、こそばゆい。世間一般で言われる「告白」の形は、男女のものとして頭に浮かびやすい。自分たちの関係に、その形がそのまま当てはまるのか、すずな自身にもよく分からなかった。
それでもと、すずなは思う。形がどうであれ、伝えたい気持ちがあるなら、それをちゃんと言葉にすることに、意味がないはずはない。
その日から、すずなの中で静かに一つの決意が、芽生え始めていた。
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