第5話 一つだけ簡単な依頼
「先輩、明日お仕事なんですよね」
「はい。さすがに無断欠勤するわけには」
すずなは真剣な顔で頷いた。異世界に来てしまったとはいえ、社会人としての責任感は揺るがない。
「でも、ここまで来るのに結構時間かかりましたよね。準備とか諸々」
「そうなんです。だから」
紬は掲示板を指差した。
「一つだけ、簡単なやつをこなして帰りましょう。実績も欲しいので」
掲示板には様々な依頼の紙が貼られている。紬はその中から一枚を選び取った。
「これどうですか。薬草採取。町の外れの草原で五本集めるだけです」
「それなら、そんなに時間もかからなそうですね」
「あ、これ二人分で受けられるので十本集めましょう。実績、多い方がいいので」
「なるほど、そうですよね」
二人は受付でその依頼を受け、町の外れへ向かった。
草原は風が気持ちよく吹いていた。すずなは教えられた薬草を一本ずつ丁寧に摘んでいく。
「これで合ってますか、紬さん」
「あ、はい、それです。上手ですね先輩」
紬は隣にぴったりと寄り添いながら、すずなの手元を覗き込んだ。必要以上に近い距離だったが、すずなは特に気にする様子もなく作業を続けている。
「紬さんこっちにも生えてます」
「あ、本当ですね。じゃあ一緒に行きましょう」
紬はすずなの腕にするりと自分の腕を絡めた。
「紬さん?」
「危ないので。足元ちゃんと見ててあげます」
「そんなに危ない道でもないような……」
「いいんです。念のためです」
すずなは少し困ったように微笑みながらも、振りほどくことはしなかった。紬はそのまま腕を離さずに草原を歩き続けた。
「紬さん今日はいつもより近いような」
「そうですか?気のせいです」
気のせいではなかった。受付嬢に手を握られていたあの光景が、まだ頭の隅に残っている。誰かが先輩に触れるたび、紬の中で小さな警戒心が疼く。それが自分でも少し大人げないと分かっていても止められなかった。
「紬さん、薬草あと二本です」
「あ、はい。すぐ終わらせましょう」
十本目を摘み終えた頃には、日が少し傾き始めていた。二人はそのままギルドに戻り、薬草を受付に提出し報告した。
「確認しました」
受付嬢は書類に目を通すと、すずなの手をまた両手でそっと包み込んだ。
「初日からこれだけ丁寧な仕事ぶり、素晴らしい実績ですよ」
「あ、いえ、そんな十本集めただけなので」
「いいえ、この摘み方、傷が一つもありません。丁寧なお仕事は貢献度にも反映されるんです」
受付嬢はすずなの手を握ったまま、紬の方へ勝ち誇ったような視線を向けた。
「だから近すぎるんですって!なんなんですか!」
紬は受付嬢の手をすずなの手から振りほどいた。すずなは突然のことに目を丸くする。
「紬さん、あの」
「はい確認終わったので、もう帰ります」
「あら、せっかちですね」
「先輩、忙しいので」
紬はすずなの手を引いて、そそくさとその場を後にした。すずなは少し戸惑いながらも大人しくついていく。
「紬さん少し急いでいませんか」
「気のせいです」
ギルドを出る前、紬は食堂の方に足を向けた。カウンターの隅でエルフィが串焼きを片手にお酒の入った杯を傾けている。
「エルフィさん、帰りますね」
「……ん」
エルフィは杯から視線を上げずに、軽く手を挙げた。
「先輩は明日お仕事なので、また来ます」
「ああ」
「あの、エルフィさんお世話になりました」
すずなが丁寧に頭を下げると、エルフィはちらりとだけこちらを見た。
「気をつけて帰れ」
それだけ言うと、また視線は串焼きに戻っていった。まだ夕方だというのにこれから飲むつもりらしい。
「紬さんエルフィさんって、お酒大丈夫なんですか。あの見た目的に」
「先輩、エルフィさんの見た目に騙されがちですけど」
紬は少し笑いながら続けた。
「あの人、師匠なんですよ。私たちよりずっと年上です」
「そうなんですか……」
すずなは目を丸くした。あの幼い容姿からはまったく想像がつかない。
「見た目、あれで実際は何歳なんですか」
「それは私も聞いたことないです。多分聞いても教えてくれないと思います」
すずなはもう一度ギルドの方を振り返った。串焼きを頬張るエルフィの姿は、もう見えなかった。
街の外れ、石碑のある場所へ向かう道すがら、紬はずっとすずなの手を離さなかった。すずなはそれを不思議に思いながらも、特に何も言わずに繋がれた手の温かさを静かに受け止めていた。
「また来られますよね」
「はい。鍵もまだたくさんあるので」
紬の声には、少しの安堵が滲んでいた。
「じゃあ今日は帰りましょう」
石碑に鍵が差し込まれ、光が二人を包んだ。
現実の世界に戻ると、辺りはすっかり夕暮れの色に染まっていた。紬が車を停めた駐車場までは歩いて三十分ほどかかる。
「先輩、日が暮れる前に急ぎましょう」
「そうですね。真っ暗になる前に」
二人は、足早に山道を下り始めた。異世界での出来事がまだどこか現実味を持たないまま、それでも確かに二人の一日は続いていく。




