第37話 小さな家
「先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど」
紬がギルドの受付カウンターの前でそう切り出した。
「拠点のこと、ですよね」
「はい。そろそろ宿暮らしも、大変ですし」
すずなは頷いた。毎回宿を手配する手間や費用を考えると、拠点を持つことはこれからの生活を考えても理にかなっているように思えた。
「あの、すみません」
すずなが受付嬢に声をかけた。
「この辺りで家を借りたり買ったりできる場所って、ご存知ですか」
「まあ、すずな様!」
受付嬢は目を輝かせながら、すずなの手を両手でそっと包み込んだ。
「もちろんです、ご存知ですとも。私が責任を持って、ご案内しますね」
受付嬢は、そのまま紬の方へ、ちらりと勝ち誇ったような視線を向けた。
「だから、近すぎるんですって!」
紬が、すかさず受付嬢の手を、すずなの手から振りほどいた。
「まだ、何もしてませんけど」
「これからする気、満々だったので」
その様子を、すずなは、少し困ったように眺めていた。
そのとき少し離れたカウンター席から、エルフィが、こちらに声をかけてきた。
「近くに空き家がある」
「エルフィさん」
「私の家の隣。前の住人が引っ越した」
その一言に受付嬢の勢いが一瞬、止まった。
「あら、エルフィ様。それは初耳ですね」
「……今、言った」
エルフィはそっけなく答えると、また串焼きに視線を戻した。紬はその様子を見て、少しほっとした表情を浮かべた。
「エルフィさんの近くなんですね。それなら安心です」
「はい。今度、見に行ってみましょうか」
その日の午後、二人はエルフィの案内でその空き家を訪れた。小さいながらも、しっかりとした造りの家だった。
「悪くない家です」
すずなは家の中を見回しながら、そう呟いた。
「値段、聞いてみましょうか」
そう言うと、エルフィが、懐から小さな紙を取り出した。
「……これを、不動産を扱う商店に渡すと、いい」
「これは、何ですか」
「……文字が、読めないので、分かりません」
すずなは、素直にそう答えた。エルフィは、少しだけ、口の端を動かした。
「……知らなくていい。渡せば、分かる」
二人は、その紙を持って、街の不動産商店を訪ねた。店主は、紙を一目見るなり、態度をがらりと変え、かなりの値引きを提示してきた。
「エルフィ様のご紹介とあらば、これくらいは」
店主は、深く頭を下げながら、そう言った。
「あの、一体、何が書いてあったんでしょう」
すずなが、小声で紬に尋ねた。
「分かりません。でも、エルフィさんの顔って、色んなところで効くみたいですね」
おかげで、金額は、二人がこれまでに貯めた金貨で、なんとか手が届く範囲になった。ただし、家そのものを買えば、家具や生活用品まで揃える余裕は、ほとんど残らない。
「先輩、どうしましょう。家具、ほとんど買えなさそうです」
「そうですね……」
二人がそう困っていると、紬が、ふとあることを思い出したように顔を上げた。
「あ、おばあちゃんの蔵の金貨」
「そういえば」
すずなも、はっとした顔になった。それでも少し躊躇うように続けた。
「でも、あれは、おばあ様の物では」
「はい。でも」
紬は、少し考えるように間を置いた。
「多分、これもめぐり合わせなんだと思います。私が、あの蔵にまた辿り着いたのも。おばあちゃんが、それを望んでる気がするので」
その言葉に、すずなはそれ以上、何も言わなかった。ただ静かに頷いた。
「じゃあ、ありがたく使わせてもらいましょうか」
「はい。取りに行きましょうか」
幸いMoon Returnがあれば、いつでも自由に現実世界へ戻ることができる。二人はその日のうちに紬の祖母の家を再び訪れ、蔵に残されていた金貨を回収してきた。
「これで少しは余裕ができそうです」
「はい。おばあちゃんに感謝ですね」
金貨を合わせた結果、家具を揃える分の資金もなんとか確保できることが分かった。
「じゃあ、この家、買いましょうか」
すずながそう言うと、紬は嬉しそうに頷いた。
「はい。私たちの家です」
家具の調達には、それでも慎重にならざるを得なかった。
「先輩、ベッドはきっと一台しか買えないと思うので。一台でいいですよね」
紬が、真剣な顔でそう提案した。
「え、それは流石に」
「予算的に、仕方ないので」
「二台目、私がなんとか出しますから」
「もったいないですよ、先輩」
結局、最低限のベッドと簡単な調理器具、テーブルと椅子を揃えるので、資金はほとんど底を突いた。ベッドは、すずなが最後まで粘って二台確保することができた。
「ちっ」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」
「少しずつ揃えていきましょう」
「はい。焦らなくても大丈夫ですよね」
それでも生活は少しずつ形を作っていった。すずなは現実に戻るたびに、こっそりと小さな日用品を持ち込むようになっていた。使い慣れた文房具、お気に入りの茶葉、読みかけの本。
「先輩、また何か持ってきたんですか」
「あ、はい。少しずつ揃えておこうと思って」
紬はその様子を見ながら、笑みを浮かべた。
「なんか本当に暮らしてる感じ、しますね」
「はい」
小さな家の中、二つの世界から集められたささやかな品々が、静かに増えていく。それは二人にとって、確かな生活の証だった。




