第35話 月に隠れた過去
黒い石から溢れ出した闇が、すずなの手のひらから剣全体へと広がり、ショートソードの刃が深い漆黒に染まっていく。
「これは」
すずなはその剣を月の遣いに向けて構え直した。
闇をまとった刃が、月の遣いの光のヴェールに触れた瞬間、これまでとは違う鈍い音が響いた。光の膜に亀裂が走る。
「なっ…」
月の遣いの声に初めて動揺の色が滲んだ。
「今です!」
すずなはその隙を逃さず一気に踏み込んだ。闇の刃が光のヴェールを真っ二つに斬り裂く。月の遣いが後方へと弾き飛ばされた。地面に片膝をつき信じられないという表情でこちらを見上げている。
「馬鹿な。人間の身で闇の力を、それほどまでに」
「紬さんを返してください」
すずなの声は静かだったが有無を言わせぬ強さを持っていた。
月の遣いはしばらくすずなを見つめていた。それからゆっくりと立ち上がった。
「お前の力、認めよう。今日のところは退く」
「今日のところは」
「この者の血は消えることはない。いずれ、また」
月の遣いはそう言い残すと光の中に溶けるように姿を消した。紬を縛っていた見えない力も同時に緩んだ。
「紬さん、大丈夫ですか」
すずなが駆け寄って紬を抱き起こした。
「先輩……勝ったんですか」
「はい、多分」
その瞬間、すずなの中にこれまでにない感覚が流れ込んできた。頭の中に直接、何かが刻まれるような不思議な感覚だった。
**Moon Returnを取得しました**
「これが」
すずなは自分の手を見下ろした。まだ闇の名残が微かに揺らめいている。
試しに意識を集中させてみる。すると足元に黒い霧のようなものが静かに渦を巻き始めた。
「先輩、これ」
「多分、これがMoon Returnです」
黒い霧は月光を吸い込むように広がっていく。実際に転移するには至らず、そのまま数秒で静かに消えていった。
「今のは、発動しただけみたいですね」
「試すのは、また今度にしましょうか」
二人は、まだ確かめきれていないその力を、顔を見合わせながら見つめていた。
翌日、エルフィの家を訪れるとエルフィはいつも通り素っ気ない様子で迎えた。
「無事だったか」
「はい、エルフィさんの指輪のおかげです」
すずなは深く頭を下げた。
「あの、この指輪の力って一体」
「ああ、それか」
エルフィは串焼きを頬張りながらあっさりと答えた。
「マスターランクで魔法を使えるものは、ほとんどが全属性使える。指輪には私の闇の力を少し込めておいた」
「全属性、ですか」
「当然だろう」
その言葉に、すずなも紬もしばらく言葉を失った。規格外すぎる説明にもはや驚く気力もなかった。
「でも、なんで、こんなに私たちのために」
紬がそう尋ねると、エルフィは少し間を置いた。
「お前の祖母のことだ」
「おばあちゃんの」
「知り合いだった。長い付き合いだ」
エルフィは静かにそう語り始めた。
「お前の祖母は、こちらの世界から日本に渡った者の一人だった。金貨を日本円に換える手伝いもしてくれていた」
「そんな」
紬は目を見開いた。
「お前が初めて、ここに落ちてきたとき」
エルフィは少し遠い目をした。
「すぐに分かった。顔立ちがあの人によく似ていた」
「最初から気づいてたんですか」
「ああ」
「じゃあ、なんで黙って…」
「言う必要がなかった」
エルフィの答えはいつも通り素っ気なかった。それでも、その言葉の奥に静かな優しさが確かにあるように感じられた。
「あの人には世話になった。だから、その孫にも少しくらい返しておきたかった」
その言葉に紬はしばらく何も言えなかった。目の奥がじんわりと熱くなっていた。
数日後、紬とすずなは紬の祖母の家を訪れることにした。もう長い間、誰も住んでいない古い家だった。
「ここ久しぶりです」
紬が少し懐かしそうに庭を見渡した。
「蔵、まだ残ってるんですね」
二人は敷地の奥にある小さな蔵に足を運んだ。埃をかぶった扉を開けると、中には古い家具や荷物が静かに眠っていた。
「あ、これ」
紬が奥の棚から小さな木箱を見つけた。開けてみると、中には見覚えのある金貨がいくつも入っていた。
「これ」
「向こうで見た金貨と同じですね」
すずなはその金貨を手に取った。ずっしりとした重みが、確かにあの世界と繋がっていることを物語っていた。
「おばあちゃん、本当に最後まで」
紬の声が少し震えていた。
「亡くなる直前まで、繋がりを持ち続けていたんですね」
すずなはその金貨をそっと箱に戻した。
「今度、エルフィさんにもお伝えしましょう」
「はい……そうですね」
古い蔵の中、薄暗い光の中で、二人は静かにその事実を受け止めていた。祖母の存在が、思っていたよりもずっと二人の物語の近くにあったことを知った日だった。




