第34話 満月の夜
お互いを大切な人だと、はっきり意識するようになった二人。土曜日の朝、再び異世界へと渡った。
「今回で残りは、一回になっちゃいますよね」
紬が鍵を確認しながら、少し不安げに呟いた。
「はい。だからこそ、今日はしっかりと調べておきたいです」
「まずは竹林のような場所を探しましょう」
石碑の周囲を、二人でゆっくりと歩き回る。しばらくすると、以前エルフィが言っていた通り、竹によく似た植物が密集している一角が見つかった。
「ここですかね」
「多分そうだと思います」
二人は竹林の中へと、慎重に足を踏み入れた。竹の隙間から差し込む光が細かな影を落としている。
「静かですね」
「はい。少し緊張します」
少し進んだ先に開けた場所があった。円を描くように竹が周囲を囲んでいる。その中央近くに一本だけ他とは違う、ほのかに光る竹があった。
「なんでしょう……これ」
紬は何かに引かれるように、その竹に近づいていく。
「紬さん、あまり近づかない方が」
すずながそう言いかけた瞬間だった。竹が一段と強く光を放った。
「痛っ」
紬が小さく声を上げた。一瞬の痛みだった。
「紬さん!」
すずなが慌てて駆け寄る。紬の手の甲に、月のような丸い輪の形をした光る紋様が浮かび上がっていた。
「大丈夫ですか、紬さん」
「あ、はい。一瞬だったので今は大丈夫です」
紬は自分の手の甲を、まじまじと見つめた。紋様はしばらくすると光を弱め、うっすらと肌に馴染むように消えていった。
「今のなんだったんでしょう」
「分かりません。でも、すごく嫌な予感がします」
すずなは紬の手をそっと握った。まだその場所には微かな熱が残っていた。
夜になるまでの間、二人はエルフィの家を訪ねたが、扉を叩いても応答はない。
「留守みたいです」
「珍しいですね、エルフィさんがこの時間にいないなんて」
仕方なく二人はギルドに向かう。何か情報が得られるかもしれないという、淡い期待もあった。
ギルドに着くと受付嬢がすずなに気づいて声をかけてきた。
「すずな様、エルフィ様からお預かりしているものがあります」
「私にですか」
受付嬢はカウンターの下から、小さな箱を取り出した。
「はい。こちらです」
すずなはその箱を受け取り確認すると、中には一通の手紙と、黒い石のついた指輪が入っていた。
「手紙……」
すずなは、その手紙を開いて文面に目を通そうとした。だが、そこに並ぶ文字は全く読めなかった。
「え」
「先輩どうしました」
「これ読めません」
紬も横から覗き込んだ。だが同じように、その文字を読むことができなかった。
「本当だ、読めないですね」
そこで二人は、今更ながらあることに気付く。
「こっちの人たちと話すのは普通にできてたのに」
「言葉は通じるのに文字は読めないんですね」
「ステータスの文字とか、依頼書の文字は普通に読めるんですけどね」
紬がふと思い出したように言った。
「本当ですね。あれは読めるのに」
すずなも首を傾げた。
「多分、ギルドの制度に関わるものは何か魔法的な力が働いてるんだと思います」
受付嬢がそう補足してくれた。
「ステータスとか掲示板の依頼書とか。あれはギルドの魔道具を通して表示されるものなので、誰でも読める仕組みになっているんです。でも個人が書いた普通の手紙とかは、その仕組みの外なので」
「なるほど。そういうことなんですね」
すずなは、その説明に少し納得した。魔法とは無縁の存在だと思っていた自分の生活にも、ずいぶんこういう仕組みが入り込んでいたらしい。
「あの、すみません。これ読んでいただけますか」
すずなは困り顔で受付嬢に手紙を差し出した。受付嬢は快く受け取り目を通した。
「ええと……『この指輪はすずなが身につけておけ。きっと役に立つだろう』と、書いてありますね」
「私にですか」
すずなは指輪を手に取りしげしげと眺めた。黒い石が、鈍く光っている。
その様子を見ていた紬が身を乗り出した。
「私には?私には無いんですか?」
受付嬢は箱の中をもう一度確認した。それから申し訳なさそうに首を振った。
「……特に無いですね」
「なんなんですかー!」
紬の声がギルドの中に響いた。すずなはその隣で指輪を見つめながら少し困ったように微笑んだ。
その日の夜、月が満ちる頃に二人は再び先程の場所を訪れていた。
「本当に今夜、来るんでしょうか」
紬が少し緊張した声で言った。
「エルフィさんの話だと条件は揃っています。あとは来るかどうか、だけです」
すずなは腰に下げた剣の柄に、そっと手を添えた。今日は剣だけでなく弓も背負ってきている。左手の中指には、エルフィから贈られた黒い指輪をはめていた。
竹林の中は月明かりだけが差し込みとても静かだった。風が吹くたび竹の葉が乾いた音を立てる。
「先輩、なんか変な感じしますね」
「はい。空気がいつもと違う気がします」
竹林の奥、あの開けた場所まで進む。光る竹の周辺は月の光がまっすぐに差し込んでいる。そのとき、辺りの空気がふっと静まり返った。虫の声も風の音もいつの間にか消えている。
「紬さん」
「はい。感じます」
二人は背中合わせに周囲を警戒する。先程より、月の光が一段と強くなったように感じられたその時、白い衣を纏った性別の判別しがたい人影が光の中に浮かび上がる。表情は穏やかだが、どこか人間離れした静けさを湛えている。
「見つけた」
その声は鈴のように澄んでいたが、同時にどこか冷たさを含んでいた。
「あなたは……」
すずなが剣を構えながら問いかけた。
「私は月の遣い。血を継ぐ者を迎えに来た」
月の遣いを名乗る者の視線が紬に向けられた。紬の手の甲、あの紋様があった場所が、再びうっすらと光り始めていた。
「え?私?ですか」
紬は困惑した様子で自分の手を見た。
「お前の中には月の民の血が流れている。祖母の代から受け継がれてきたものだ」
「祖母……」
その言葉に紬の中で何かが小さく引っかかった。
祖母のことは、あまりよく覚えていない。会えたのは数えるほどしかなかった。それでも記憶の奥に断片的な光景が残っている。
縁側で祖母と二人で座っていた、夏の午後。祖母がぽつりと言った言葉。
「紬は少し変わったものを持って生まれてきたのかもしれないね」
あの時は子供心に、ただの昔話だと思っていた。祖母はいつも少し不思議な雰囲気のある人だった。ぼんやりと月を眺めては、何かを懐かしむような目をしていたことも覚えている。
「あの話……本当だったんですか」
紬は震える声で月の遣いに問いかけた。
「本当だ。お前の祖母は自分の出自を知っていた。あ奴は我々の世界の住人だった」
「おばあちゃんが……」
紬の中で、これまでバラバラだった記憶の欠片が、静かに繋がっていくのを感じた。
「お前は月へ還るべき者。この世界に留まるべきではない」
「還るってどこにですか」
「本来、お前の血が属する場所へ」
月の遣いの手が紬の方へと伸びる。すずなは即座に二人の間に割って入った。
「駄目です」
「退け。これはお前が関わることではない」
「関わります。紬さんは私の大切な人ですから」
すずなの声に迷いはなかった。月の遣いはしばらく、その様子を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「ならば、力ずくで連れて行くしかあるまいな」
「月の血とか還る場所とかよく分かりませんが、私は私です!私はすずな先輩と一緒にいるって決めたんです!」
紬はそう叫びながら剣を構えて前に出ようとした。だが、足が地面から動かない。
「……え?」
「無駄な抵抗はするな。お前の意志は、もう関係ない」
月の遣いが静かにそう告げた。紬の体が見えない力に縛られたように、その場に固定されていた。
「なんで動けないのよ……!」
月の遣いの周囲に、淡い光が集まり始めた。
「先輩危ないです」
「紬さんこそ下がってください」
すずなは素早く弓を構えた。矢をつがえ月の遣いの足元を狙って放つ。矢はまっすぐに飛んだが、周りの光の膜に阻まれ、あっさりと弾かれた。
「無駄だ。私は、ただの人間の武器では傷つかない」
「それでも」
すずなはもう一本、矢をつがえた。今度は狙いを変え腕を狙うが結果は同じだった。
「弓でも駄目なんて……」
紬の声に焦りが滲んだ。
月の遣いが再び手を伸ばす。光の帯が紬の体に向かって伸びていった。
「紬さん!」
すずなは弓を投げ捨て、剣を抜きながら紬の前に飛び出した。光の帯を剣で薙ぎ払う。刃が光に触れた瞬間すずなの手のひらに鋭い痛みが走った。
「くっ」
「先輩、大丈夫ですか」
「大丈夫です。まだいけます」
すずなは痛みを堪えながら剣を構え直した。それでも月の遣いの力は、これまで戦ってきたどんな相手とも明らかに次元が違っていた。
その時、左手の指輪が微かに熱を帯びはじめる。
「これは……」
すずなが指輪に視線を落とした瞬間、黒い石の中心から闇のような黒い光が静かに溢れ出し始めた。剣を握る手のひらにその光が這うように伝わっていく。
すずな自身もその現象に戸惑っていた。それでも体はその力の使い方をどこかで知っているかのように自然と動き始めていた。




