第32話 ドヤ顔と自重
日曜日の朝、二人はギルドの掲示板の前に立って依頼書を見比べていた。壁一面に貼られた紙の中から、目当ての依頼を探す作業も、すっかり日課のようになっている。
「今日はいつもより少し上のランクの依頼を受けましょうか」
紬がいくつかの依頼書を見比べながら言った。慣れた手つきで紙をめくる姿には、以前にはなかった余裕が滲んでいる。
「大きめの猪、それか統率された狼の群れあたりですかね」
「狼の群れですか」
「はい。十匹くらいだそうです。でも私たちのレベルなら、もう十分いけると思います」
すずなはその依頼書に目を通した。以前なら少し不安を覚えたかもしれない。それでも今は自然と大丈夫だという確信があった。二人でこなしてきた依頼の積み重ねが、確かな自信として根付いている。
「それにしましょう」
「はい」
森に入ってしばらく歩くと、近くに狼の群れがいる気配を感じた。木々の合間から、複数の視線がこちらを窺っているのが分かる。狼たちは統率の取れた動きで、二人を取り囲もうとする。
「先輩、右お願いします」
「分かりました」
すずなは迫る狼の一匹を、剣の一振りで仕留めた。かつてはこんな動きなど想像もできなかった。それが今は体が自然と反応する。剣を振るう度に、以前とは違う確かな手応えが返ってくる。
紬も剣と弓を使い分けながら、着実に数を減らしていく。二人の連携には、もう迷いというものがなかった。
「これで最後です」
最後の一匹を紬が仕留めた。二人とも息は多少上がっていたが、以前のような命の危険を感じるほどの緊張はなかった。周囲の森には、再び静けさが戻ってきていた。
「思ったより、あっさりでしたね」
「はい。私たち、結構強くなったんですね」
そんな会話をしながら、二人はギルドへと戻る。夕暮れ前の街道を歩く足取りにも、達成感からくる軽やかさがあった。
依頼達成を報告すると受付嬢がいつものように、すずなの手を両手でそっと包み込んだ。
「今回も素晴らしい成果ですね」
「あ、ありがとうございます」
「怪我などはありませんか。念のため確認させてくださいね」
受付嬢はそう言いながらすずなの腕や手を丁寧に確認するふりをして、やたらと触れてくる。紬はその様子をじっと見つめていた。受付嬢は紬の方にちらりと視線を送ると、勝ち誇ったような顔をした。
「なんなんですかー!」
紬が思わず声を上げた。
「先輩も!もうちょっと自重してください!」
「えっ?」
すずなは心底不思議そうな顔をした。周囲の視線が集まっていることにも、まるで気づいていない様子だった。
「いえいえ、私はそんな気は全くないんですけど。何故でしょうか」
その言葉に紬は大きくため息をついた。
「そこが、もう分かってないんですよ先輩は」
「あの、私、何もしてないと思うんですけど」
「してないのに、されるのが問題なんです」
その理屈は、すずなには良く理解できなかった。何度説明されても、いまいち腑に落ちないまま、二人は受付を後にした。
昼時、二人はギルドの食堂で遅めの昼食を取ることにした。しかし、食堂に入つて席につくなり、近くのテーブルにいた女性パーティーの一団が、すずなに気づいてこちらへ寄ってきた。
「あら、噂の子じゃない」
「一緒にご飯食べてもいい?」
女性たちは断る間もなく、すずなの周りに座り込んだ。テーブルの空気が、一瞬にして賑やかなものへと変わっていく。
「あの、私たち今から食事を」
「いいのいいの、そのままで」
一人が自分の皿から料理を取り分け、スプーンに乗せてすずなの口元に差し出した。
「これとっても美味しいわよ。はい、あーん」
「あ、あの、自分で」
「いいから、いいから」
すずなが困っている間に、反対側からも別の女性がパンをちぎって差し出してくる。
「こっちも食べて。焼きたてなの」
「これも」
「はい、こっちも」
気づけば、すずなの前にはいくつもの皿から取り分けられた料理が並び、次々と口元に運ばれてくる。すずなは断る隙もないまま、なされるがまま口を開け続けていた。
「あの、皆さん少し、量が」
「大丈夫大丈夫、まだまだあるから」
すずなは助けを求めるように紬の方を見た。何故か女性パーティーたちは、また紬に勝ち誇ったような視線を向けた。紬はテーブルの向かいで両手で顔を覆っていた。
「またですか…もう!一体、今日は、なんなんですかー!」
女性パーティーたちは、それでも構わずすずなへの世話を焼き続けている。そのとき少し離れたカウンター席から、串焼きを頬張っていたエルフィが、こちらの様子を眺めながら小さく笑った。
「お前ら少しは、自重しろ」
「エルフィさんまで!」
紬が思わず立ち上がった。
「私が言いたいのは、そっちじゃなくて。この状況を、なんとかしてほしいんですけど!」
エルフィはそれには答えず、また串焼きに視線を戻した。女性パーティーの一団は、その後もすずなへ食事の世話をしたり、質問攻めをやめる気配がなかった。すずなはただ困ったように微笑んでいた。
騒ぎが一段落した頃、やっと女性パーティーたちもそれぞれの席に戻っていった。すずなと紬はようやく落ち着いてエルフィのいるカウンター席に移動した。木製の椅子に腰を下ろすと、ようやく一息つくことができた。
「エルフィさん、あの、少し教えていただきたい事があって」
「何」
「前に聞いたMoon Returnのことなんですけど」
その言葉にエルフィは、串焼きを持つ手を少しだけ止めた。
「もう少し詳しく、教えてもらえますか。試練をどうやって始めるのか。とか」
エルフィはしばらく無言のまま、すずなを見つめていた。カウンターに置かれた串焼きの脂が、ゆっくりと皿の上に滲んでいく。その様子を見ながら静かに口を開いた。
「試練は、こちらから望んで起こせるようなものじゃない」
「起こせない、ですか」
「条件が揃ったときに、向こうから訪れる」
「条件、というのは」
「満月の夜。それと、もう一つ」
エルフィは少し言葉を切った。店内の喧騒が、一瞬だけ遠のいたように感じられた。
「お前にとって、本当に大切なものを失いかけたとき」
その言葉にすずなの表情が少し曇った。
「失いかけたとき……」
「試練は、その者の物語に寄り添って形を変える。Moon Returnは別れの試練。大切な誰かとの別離の危機がなければ始まらない」
すずなはその説明を聞きながら、隣に座る紬の横顔を思わず見た。紬も同じように少し不安げな表情を浮かべていた。二人の間に言葉にならない緊張が静かに流れる。
「じゃあ私たちが望んだからといって、すぐに始まるわけじゃないんですね」
「そうだ。ただ......」
エルフィは少し間を置いてから続けた。
「満月は、もうすぐだ」
「場所も、決まっているんですか」
すずなが尋ねた。
「ああ。転移の石碑の近く、お前たちの住む日本にある竹林のような場所のあたりだ」
その一言に、すずなと紬は顔を見合わせた。試練の気配が、思ったよりも近くまで迫っているのかもしれない。
「油断するな。試練は、望んだ通りの形で来るとは限らない」
エルフィの言葉には、いつもとは違う静かな重みがあった。すずなはその言葉を、しっかりと胸に刻んだ。次の満月まで、あとどれくらいだろうか。
窓の外、まだ昼間の空には月の姿は見えなかった。それでも確かに、近づいてきている気配だけは感じられた。




