第31話 残された時間
土曜日の朝、すずなの家で目を覚ますと、隣に紬の温もりがあった。それも当然のように。
「おはようございます、先輩」
紬はすでに目を覚ましていたらしく、すずなの顔をじっと見つめていた。
「おはようございます、紬さん」
すずなはもう驚かなくなっていた。ソファも予備の布団も用意していたはずだったが、結局二人は同じベッドで眠ることになっていた。
「今日は朝から一緒に準備できますね」
紬が嬉しそうに、すずなの腕に抱きついた。
「そうですね。荷物、まとめましょうか」
すずなはそう言いながらも、腕に絡みつく紬を振りほどこうとはしなかった。
昼過ぎ、二人は駅前で紬の車に乗り込み、いつもの山道へと向かった。石碑の前に立つと、すずなは鍵を取り出しながら、ふとその残り回数を思い出した。
「紬さん、鍵、あと何往復でしたっけ」
「今日の分を使うと、二.五往復分ですね」
その数字に二人は少しだけ沈黙した。
「本当に少なくなってきましたね」
すずなが鍵をじっと見つめながら呟いた。
「はい。だから、その前にちゃんと決めないと、ですね」
紬の声には、いつもの明るさの奥に少しの真剣さが滲んでいた。
石碑に鍵を差し込み光に包まれると、見慣れた異世界の景色が広がった。
エルフィの家に着くと、すずなは今日買ってきたお土産を差し出しながら、思い切って切り出した。
「エルフィ様、あの」
「……何」
「即座に帰還できたりするスキルが、五つの中にあるって聞いたんですけど。それって、どれでしょうか」
エルフィは少し考えるように間を置いた。
「……Moon Return、だな」
「Moon Returnが、そうなんですね」
すずなはその名前を口の中で繰り返した。前に聞いた時は、ただの名前でしかなかったが、今はその響きに、はっきりとした意味を感じるようになっていた。
「それって、どのくらいの頻度で使えるものなんでしょうか」
エルフィはしばらく、すずなを見つめていた。それから静かに口を開いた。
「……試練をクリアすれば、一度訪れた場所に、いつでも瞬時に帰還できる。回数の制限は、ない」
「回数の制限が、ない」
すずなはその言葉を繰り返した。
「……ただし、発動後は、数分間、再使用できない。連続では使えない」
「それでも、鍵とは違って、何度でも使えるってことですよね」
「……そうだ」
すずなはその説明を聞きながら、頭の中で何かが、はっきりと形を作り始めるのを感じていた。
もしMoon Returnを取得できれば。鍵に頼らなくても、いつでも現実と異世界を行き来できる。それはつまり、生活の拠点をこちらに移したとしても、必要な時には、いつでも戻れるということだった。
「先輩」
紬が隣で、すずなの顔を覗き込んだ。
「先輩、今、なんか考えてますよね」
「はい。あの」
すずなは少し息を吸ってから続けた。
「私、本気で、こちらでの生活を、考えてみようと思います」
その言葉に紬は大きく目を見開いた。
「先輩……」
「Moon Returnさえ取得できれば、鍵がなくなっても行き来できます。それなら、こっちに拠点を移しても、大丈夫かもしれません」
すずなは自分の言葉に、少しずつ確信を持ち始めていた。
「私も」
紬がすずなの手を、そっと握った。
「私も、もし、そうやって帰れるなら。先輩と、ずっと一緒にいたいです」
その言葉に、すずなは静かに頷いた。
「じゃあ、私たちの目標、決まりましたね」
「はい」
二人は顔を見合わせて笑った。
それを少し離れた場所で聞いていたエルフィが、小さく呟いた。
「……お前ら、本当に、面白い」
その声は、いつものように、誰にも深くは拾われなかった。




