第29話 知らないこと
日曜日、街での依頼を終え二人はいつものように石碑の場所へ向かった。鍵を差し込み現実世界へと戻る。
帰り道、車の中ですずなはふと、報酬として受け取った金貨の入った袋を鞄の中で確かめた。
「紬さん、最近、貢献度も貯まってきましたけど、報酬の方も結構な額になってますよね」
「はい。もう冒険者の稼ぎだけで、生活できるくらいには」
紬がハンドルを握りながらそう答えた。
すずなはその言葉を聞きながら、頭の中でぼんやりと考え始めていた。もしこのまま冒険者として十分に稼げるようになったら。もしこの生活をずっと続けるとしたら。現実の仕事は必要なのだろうか。
その考えが浮かんだ瞬間、すずなは少し驚いた。以前も似たようなことを頭の隅で考えたことがあった。それが今、もっと具体的な形を伴って戻ってきていた。
「紬さん、あの」
「はい?」
「もしこっちに完全に住むとしたら、あちらでお買い物する時のお金って、どうなるんでしょう」
「あ、それなんですけど」
紬は少し考えるように間を置いた。
「私も最初、それ疑問だったんです。それでエルフィさんに聞いたことがあって」
「エルフィさんに」
「はい。エルフィさん、日本に来るとき、どうやってお金を用意してるのか聞いたら」
紬は少し声を潜めるように続けた。
「向こうの金貨を売ってるそうです。ただ、直接お店に持ち込むわけじゃなくて」
「直接じゃない?」
「はい。過去にも何人か、異世界に行ってた日本人がいたみたいで。その人たちを経由して、交換してもらってるそうです」
「そんな人が、他にもいたんですね」
「はい。身分証とか、色々必要になるので、エルフィさんだけじゃ難しいみたいで」
すずなはその仕組みに少し驚いた。
「なるほど……そういう繋がりが、あるんですね」
「はい。ただ」
紬は少し表情を曇らせた。
「大量には売れないみたいです。目立つと面倒なことになるからって、エルフィさんが」
「なるほど……」
すずなはその言葉を頭の中で何度も繰り返した。少しずつ売る分には問題ない。だが大量に、生活費として頼るには限界がある。それでもと、すずなは思う。少しずつなら、なんとかやっていけるのかもしれない。
車が駐車場に着くまでの間、すずなはずっとそのことを考え続けていた。
「先輩、今日、なんかずっと考え事してますね」
「あ、すみません。少し色々」
「珍しいですね、先輩がそんなに悩むの」
紬が少し心配そうに、こちらを覗き込んだ。すずなは慌てて笑顔を作った。
「大丈夫です。ちょっと、これからのこと考えていただけなので」
「これから、ですか」
「はい」
すずなはそれ以上、詳しくは言わなかった。
まだ自分の中でもはっきりとした答えが出ていなかったからだった。
車を降り駅までの道を歩きながら、すずなはふと紬の横顔を見た。そういえば紬のことを自分は、どれくらい知っているのだろう。高校時代からの付き合いで、もう何年にもなる。それなのに紬が普段どんな生活をしているのか、休みの日に何をしているのか、家族とはどんな関係なのか、すずなはほとんど知らないことに気づいた。
異世界のことは、あんなに詳しく話してくれるのに。現実の紬のことは驚くほど知らないままだった。
「紬さん」
「はい?」
「紬さんって普段、お休みの日、何してるんですか」
「え?急になんですか」
紬は少し驚いた様子で、こちらを見た。
「いえ、なんとなく気になって。私、紬さんのこと、あんまり知らないなと思って」
「そんなこと、ないと思いますけど」
「いえ、本当に。ご家族のこととか、平日のこととか」
紬は少し困ったように視線を逸らした。
「……その話、ちゃんとするの、初めてかもしれません」
その反応にすずなは少し胸がざわついた。何か踏み込んではいけない場所に触れてしまったのかもしれない。
「あの、無理に答えなくても」
「いえ、大丈夫です」
紬は少し笑いながらそう言った。それでもその笑顔は、いつもより少しだけぎこちなく見えた。
「今度、ちゃんと話しますね」
「はい」
すずなはそれ以上深く聞くことはしなかった。ただ紬について、まだ知らないことがたくさんあるのだと改めて実感した。駅までの道を歩きながら、すずなの心にはこれからのことと紬のこと、二つの考えが静かに重なり合っていた。




